Early Summer

その2


 ————恋、って何だろう……?


 私は文庫本をサイドテーブルに放り出し、枕に顔をうずめて悩んでいた。あまりに深刻過ぎて、脳みその皺がこんがらがって解けなくなりそうだった。


 発端は今日の夕方、部室での事。三ヶ月後の演劇祭でやる公演の、主役をもらった。

 それ自体は誰もが羨む名誉とすら言える、跳び上がるほど嬉しいことだ。

 私の通う私立星海女子学院高等部は、プロの女優を送り出した実績もある、県内でも結構名の知れた演劇校だ。その中心である演劇部は年に六回の定期公演を行っている。高校生が演るにしてはかなり本格的な舞台で、有名劇団の関係者も見にくるほど。会場も決して小さくなく、五千人は入る講堂を一週間貸し切りにする力の入れようだ。もちろん、一般のお客さんも来場する。

 そんな舞台で手にした初の主役だ。これまでも何度か名前のある役を演じてきたけれど、ついにこの日が来たかと、配役が発表された時は心の中でガッツポーズをした。


 ——までは良かったのに……。

 その脚本が、よりにもよって恋愛ものとは。元になった揺乃先生の小説を読んでみても、自分がヒロインをやっている姿をさっぱりイメージできない。初恋もまだ経験したことがない自分には、荷が勝ち過ぎている。


 だいたい、どうして急に女役が回ってきたのか理解できない。前回のジャンルはサスペンス。中盤までは語り部として主人公に付き従い真相に迫るも、最後の最後に犯人の手掛かりを掴んでしまったばかりに、凄惨な死を迎える。そんな少年役だった。仮に映画なら、クレジットのそこそこ良い場所に名前を載せてもらえるかもしれない。自分としてはかなり張り切って演じたし、演劇部内での評判も上々だった。これまで何度か務めたことのある端役だって、どれも男役だったし、それで評価されているものだと思っていた。


 ——いや、待てよ。やったことがないのだから、案外やってみたらできるかも。

 部屋の隅にある姿見の前に立ってみる。相変わらず撫で肩で背の低い、冴えない紺色のジャージ姿が映る。少なくとも女優としては舞台映えのしない立ち姿だ。左右が反転して映っているアシンメトリーのショートヘアは、中途半端に伸びていて不格好さに拍車をかける。

 今すぐにでも髪を切りたい衝動を一旦脇に押しやって、さっき読んだばかりのクライマックスのワンシーンを頭に思い浮かべる。彼女の台詞を、仕草を、実際に想像してみる。そう、確かこんな————、


 こん、な……。あれ……?


 数秒後の鏡には、ベッドでうつ伏せになって身悶えする自分が映っていた。


「こ、こんなはずじゃ……」


 一言目で速攻、違和感。二言目で鏡を見ていられなくなり。三言目で絶望に打ちひしがれた。

 こんなの、大根のほうがよっぽど艶かしい演技をする。台詞に籠めるべき感情は、霧の向こう雲の彼方。手をいっぱいに伸ばしただけじゃ、全く掴めそうになかった。


 けれども折角実力で掴んだ主役。絶対に手放すものか。その決意だけを固く握り締めて布団を掛け直す。

 うん。こういうことは一人で悩んでも仕方ない。明日あいつに相談しよう。見極めが早いのは数少ない私の長所だ。


「ふふ……、今日はこれくらいにしといてやろう」


 試しに呟いてみた負け惜しみのテンプレみたいな台詞だって、ふかふかの布団は優しく受け止めてくれる。どこで聞いた言葉だが、布団が恋人とはよく言ったものだ。


 ——もしや、この気持ちが恋……?


 だったら、どんなにか幸せだろうね。寝よ寝よ。




   ***続く***

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