第3話(転ばぬ先の考察と回想回)
合体したのは最弱のスライムとなのに、どうしてロタール殿下は最初からかなりの能力を持っていたのだろうか。
『つまり、スライム最弱種はかなりのポテンシャルを持っているが、蓄えられるエネルギーの量から野性下ではそれを発揮できない。人体というある程度の大きさを持ち、それなりの魔力を常に発散する素体と融合することで初めてその真価が発揮されたと考えられる。最もポテンシャルと言っても他の魔物の持つ火や毒を吹くような特殊能力ではない。純粋な生命力と再生力、それに拡張性に限られるが、その性質こそが僕を生きながらえさせてくれたんだ』
『はい先生、結局あの子があなたの傷口を塞ぐような行動をとった理由はわからずじまいですか?』
『あのスライムくんが何をおもっていたかなんて、一体化した今でもわからないよ。ただ一つ考えられることとしては、最後に見たとき猪の牙がかすったか何かで、スライムの核にヒビが入っていたような気がするんだ。もしそうなら自分の生命も危機に瀕したから、一番生存確率が高くなる行動を本能で選んだのかもしれないね。それとも逆に核にヒビが入ったことで、君のよく言う「バグった」状態になって意味不明な行動をしはじめたか……けれど、うん。言わせて貰うなら、君の愛が、君がスライムくんと僕に向けてくれた想いが、スライムくんにあの行動をとらせたんだって思いたい』
彼の言葉により私の顔に血液が昇る。
『おや、恥ずかしいのかい? 君がスライムくんを丹精こめて育ててなかったらあそこまで大きくはならず、従って僕の傷も塞げなかっただろうしね。行動云々は無しにしても君の愛がなかったら僕は今生きちゃいないよ』
『それはいったいどちらとしての発言……』
『さあ?』
彼がニヤリと笑って見せたのが念話ごしでも感じられた。
あの時、とロタール・ルカ=アルマンは回想する。
もう十分な年齢で、王者の伝統なのだからと父親に連れられて森へ赴いた。内心ではとても不安だったけれど、帰ってもまた病を得て寝付きもう起きることができないのではと思っていたけれど。
あの時期は小康状態で、動けるなら本当は婚約者の彼女の元でできる限りを過ごしたかった。
政略による婚約だというのに、病床から動けぬふがいない婚約者の元に足しげく通っていつも話をしてくれた。それがどんなに慰めになったことか!
自分が動けるようになったならせめてもの埋め合わせをしたかったのに。けれどようよう狩りに出かけなければならない、と告げる自分に、彼女は笑顔で自らの分身とも言える従魔を手渡してくれた。それがどんなに嬉しかったか!
浅い森だからといわれ、事実そうではあったが、そこに居たのは魔猪だった。悪意があったのかどうかまでは定かではない。
さんざん跳ね飛ばされ投げ飛ばされ、かろうじて生きている状態で森の奥へとはぐれ、そばに居るのは懐にいれていたスライムのみ。無意識のうちに庇ったのか、どうにか頭は無事だったけれど。腹に大穴が空きもう残りの生命は幾ばくもなかったろう。ずっと死に掛けと言われ続けて、しかし病ではなくこんなところでとうとう死ぬのかと、妙な感慨があった。
もはや麻痺したのか不思議に痛みは遠く、最後に想ったのは彼女にスライムを返す約束を守れなかった申し訳なさ、こんな自分でも死んだら彼女は泣いてくれるかというあさましさ。
動けないままでいるとふところからするりとスライムが這い出るのに気づいた。霞む目には定かでは無いがスライムの方も傷ついているように見えて。もうそれを見ても申し訳なく想うことすらできず、傷口にちょうどスライムが納まった時、うっすら自分が食われるのではないかと感じた。その直感はある意味間違ってはいなかったが。
ひやりとしているはずのスライムは傷口に不思議に暖かく。ふわりとふくらみ穴を埋めると、彼の五体の隅々にまでしみこんでいった。
その過程で痛覚が戻ったのか激痛に襲われ。しかし暖かなものは体中に染みとおり、途中からどういうわけかそれが彼方から与えられることに気づいて必死に自分の中にひっぱりこもうとした。後でわかったことだがそれこそが彼女の魔力。
その時は暖かなものが自分にとって命そのものだと直感しただけだった。それを身体の中に巡らせると少しずつ身体の痛みがとれていく。やがて自分自身の身体からも暖かなものが湧き出ていることに気づき、縒り合わせ、どんどん巡らせる量を多くしていった。
暖かなものを一巡させると、現在の身体の様子が脳裏に浮かぶ。いたみの激しい箇所に多くめぐる様にしてやると、なおるのが早くなる。痛みはあるものの、全身ぬるま湯に浸かったような奇妙な心地よさがあった。そしてなおっていく箇所からはくすぐったいようなしびれるような快感が。ゼリーがとけてからかためられるように、身体が再構成され生まれ変わるのを実感する。生まれる間際の胎児の心持とはこのようなものであるかもしれない、という不思議な安心感。
そして彼方から声が聞こえる。「自分」が心配でそっと意識で触れただけの筈が、はっきりした応えが返ってきて彼女は相当驚いたようだった。彼女の声はいつ聞いても快いものだが、「自分」にとってこれほど美しく聞こえたことははじめてである。流せるものなら涙を流していただろう。
ぬるま湯に浸かりっぱなしでは自我がとけ流れていたやもしれず、彼女の声はなかなか時宜に適った力づけであった。二人とも目蓋を閉じたままゆえの、暗闇の中の会話。彼女の新たな一面を知ることもでき、なかなかに有意義で刺激的。
約束を守れなかったことを詫びるも、彼女は鷹揚に赦してくれた。
そして新たな約束を彼女と結んだ。これのおかげで野生のスライム魔人Lになることもなく人の世界に戻れたと言っても過言では無い。
目を開けば膨大な情報にめまいがしそうになる。生まれて初めてとも思える究極の空腹。とにかく手近にあるものを齧ってみて飢えをやりすごす。幸いにして生まれ変わった身体は毒や何かの心配をせずとも良い。本能が教えるままに一番効率よく飢えを満たせそうな草を齧る。
ある意味前の「自分」の仇とも言える魔猪を喰らえば、当面の飢えはほぼ満たされた。彼女に更なる迷惑をかけたことは申し訳なかったけれど、その価値はあった。
飢えが満たされたならば、この身体は人間時分ではありえないほどの生気に満たされる。軽い身体は獣道だろうとそれすらない荒地だろうと走破可能で、彼女との間に結ばれた経路は帰巣本能めいて彼方への最短距離を指し示す。自分の身体を存分に使うことがこれほどまでに楽しいとは思わなかった。道中かかった虹を見上げて、しみじみと美しく感じられたことを覚えている。
人界に戻ったあともいつも楽しくてしかたがなかった。何しろ彼女と自由に触れ合える!
「自分」の心のどこかが決定的に変質しているのはうっすらと感じたが、それは決して嫌なものでは無かった。
おおよそ人間がやらないであろう自分を増やすという禁忌。けれど彼女がいる限り自分は人間である、と胸を張って言える。そもそも彼女といる時間を増やしたくて分裂したようなものであるし。彼女は弟に勝ちたいがためだと思っていて、それも間違いではないけれど。あえて四六時中一緒にいるわけではないから気づかないのだろう、しかし一緒にいられる時間は分裂以前より二割は増えたのだ。
空腹が満たされれば、単純に充足感と幸福感とがある。本質的には人間だったころと変わらないが、より強く深い。
大地の魔力を吸収するとき、頭の奥底が、魂が全身を使ってぐるぐると回るような、深い酩酊感がある。その癖魔力の場所から離れれば即座に、吸収以前より高度で完璧な覚醒が訪れる。自分が強くなったような実感を与えてくれるその時間が好ましい。
自らを分裂させるとき、文字通り自分が千切りとられるときの強い痛みが、一つが双つに分かれた瞬間に烈しい快感へと変わる。おそらくスライムの生殖本能に根ざしたものだろうが、分かたれた自分同士を互いに祝福したくなる。まさか男の身で出産に近いことを経験するとは思わなかった。次の分裂に備えて栄養と魔力を蓄え、新たな自分を養っているときの気分も良いものである。分裂とそれにともなう情報処理能力の向上は自分を大いに援けてくれた。
位階の上昇の際、この上ない快感と、痛みとが同時に訪れる。こちらも位階の上昇を促す魔物の本能由来であろう。快楽の感覚は形容するのもおこがましいが、敢えて言うなら頭が真っ白になるどころか、幾重にも虹がかかっていくかのごとく上り詰める。鋭く深くしかし幅広い、極彩色の体験。昂揚する熱感。この時ばかりは普段擬態時以外は冷たい自分の身体も熱を帯びる。
全身がどろどろにとけて新たな鋳型に填めなおされるかのような。壊されて再構成されるこの快楽と痛みは、恐らく人間には耐えられない。だから彼女が体験したいと言ったとき慌てて押し留めたのだ。
位階上昇は終わってしばらくしても、全能感が静かに全身を満たし続ける。魔力吸収時の比にならない強くなった確信。また条件が揃っても位階上昇を我慢していると、全身が常にむずむずそわそわと落ち着かない。ある程度我慢したほうが実はより強くなれるようなので、予定の調整も兼ねて大抵すぐには上昇させないのだが。そんな時など彼女にふれられれば、あまりのくすぐったさに倒れこみそうになる。かように位階上昇の前後は素晴らしくも恐ろしい期間。
恐らく人間のままでは経験できなかったであろう快楽を幾度も幾度も味わった。人間だったときは愛する人との逢瀬すら諦めかけていたのに。
けれど魔物としての快楽にも増して最高に心を満たすのは、いつだって彼女の存在。彼女の声、彼女の魔力、何よりも大切な彼女の心。
もう少し位階を上昇させれば、彼女を眷属にできるかもしれない。
そうすれば僕は彼女の従魔で、彼女は僕の眷属で、互いに互いを所有しあって永遠を生きられる。なにせ分裂で殖えるスライムは本質的に不老不死だから、いつかは彼女と別れなければならない。
もちろん彼女の意思が最優先。ヒトのまま死にたいとなればそれを尊重する。そうしたら僕はどこか常冬の国にでも赴いて、字義通りの永遠の眠りにでもつこうかな。死ねないなら意識も魂も全てを凍らせてしまえばだいたい同じ結果が得られるのだ。
ただ今現在感じている限りでは、彼女も永劫を生きることにさほど忌避が無いように見受けられる。命の儚さ絶対主義、命は死ぬからこそ価値があるなどと考えていなくてありがたいことだ。スライムと同化して、はじめて生命にとって元来死が無かったことを実感した。人間だったときは常に死が脇にあるような心持ちだったのに。
彼女にそれを告げられる日が待ち遠しい。そのためには今後も努力を積み重ねていかなくては。
本質的にワーカホリックであるロタール・ルカ=アルマンは改めて気を引き締め、最愛の婚約者に微笑みかけた。
『何ニヤニヤしてるのよぅ』
『ひどいっ!』
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