第2話(王子様・変化を承けて・先鋭化)
城に帰って以後のロタール殿下はそれはそれはアクティブである。ろくに動けなかった間の鬱憤を晴らしているかのよう。私の見立てでは本質的にはインドア派だと思うのだが、本で見たりしたことを実地で試したくてしょうがないようだ。
今朝は中空の草の茎で空気鉄砲を作って遊んでいる。それも私の科学の知識を応用してかなり本格的に。この間は私が霧吹きで虹をつくると喜んでいた。スライムだけに流体に興味があるのかもしれない。
何を弾にしたのやら、シポン! シポン! と快い音が連続で聞こえる。
「ケーキが焼き上がりましたが召し上がります?」
ちなみに作ったのはいわゆるパウンドケーキだ。ろくな秤がなくともこれならまだ何とかなる。焼き加減などは語るも涙の試行錯誤が(以下略)
「ありがとう、喜んでいただくよ」
同化後最初の数日間ほど人間離れはしていないけれど、彼の食欲はまったく落ちない。ついでにどんな高カロリーのものを大量に食べても体形が崩れることも無い。どんなものでも美味しそうに品良くたべるのでつい嬉しくなってしまう。……流石に生の猪一頭は勘弁して欲しいが。……そういえば彼はアレを食べた後、いかにも病的に痩せていた体型が、今の、少年として適度に筋肉の付いた痩身になったのだった……
もはや大概の毒は効かないので毒見も無い。あっという間に午前のおやつ用に取り分けたパウンドケーキ半斤は無くなった。残りは寝かせてまた明日食べてもらう。
「ふぅ、おいしかった」
彼の髪は陽光を弾いてつやつやとしている。精神的ストレスによる白髪、では実のところない。どういうわけかスライムの色が反映されているようで、よく見るとうっすら青みがかり、ときおり虹色の光彩も現れる。目も以前とは色味が変わって、ラムネのビー玉みたいだ。以前の色合いも好きだったが、今も綺麗だと思う。スライムが遺した色。
「なあに?」
私の視線に気づいたらしく、殿下が問う。
「殿下はお美しいなと思いまして」
「それを言うならレオナルのほうじゃない?」
もう、まだ自信がないのだろうか。
「たしかにレオナル殿下もお美しいですが、わたくしが好きなのはロタール殿下でございます」
「顔だけ?」
彼がドヤ顔を見せたので私は軽く立腹したという表情をつくってみせる。彼が本気でしょげる前に言葉を続けた。
「お戯れはおよしになってください、殿下の全てに決まっているではございませんか」
彼は流石に恥ずかしかったのかうつむいて赤くなってしまったけれど、どことなくその姿が得意げに見えるのは気のせいではないだろう。
もはや婚約解消などありえない。一応我が父が権勢を狙っての政略結婚であったはずだが、彼の専横もありえないだろう。もともとロタール殿下は病弱ながら頭脳と学識に定評があったのだ、そこに快復を通り越して、不眠不休で何日も活動できる底なしの体力が加われば政治を執り行うに何の問題も無い。
「そういえば午後から弟と剣の訓練なんだ、見に来てくれるかい?」
「それこそ喜んで、でございますわ」
ちなみにその後は、時間の許す限りシャボン玉をつくったりと二人で目いっぱい遊んだ。
午後の訓練はロタール殿下がほぼ初心者に近いこともあってか、主に木剣での素振りと案山子相手の据え物打ちだった。レオナル殿下はさすがの貫禄、ロタール殿下も最初はおっかなびっくりだったものの、すぐにコツをつかんでどんどん上手くなる。
「とても格好良かったですよ!」
終わった後、水筒の水を手渡しながら私はロタール殿下に感想を告げた。手と手が触れ合う。スライムと一体化したからか、彼の身体は全体的にもちもちした質感を示しているように感じられる。
「まだまだだよ、もう少ししたかったなぁ」
彼は首を振りふり、どうにも納得のいかない顔。
『今まで動けなかったんだからしょうがない、といっても弟に負けてるのがなんだかとても悔しかったんだ』
余計ないざこざを避けるためか、彼の心情が念話で伝わってくる。
『そうだったんだ、意外と負けず嫌いなのね』
『弟は大好きだけどやっぱり兄として勝ちたいなぁと』
剣術でレオナル殿下に勝つことなど、私にはさすがに無謀に思えた。
『言っちゃなんだけれどレオナル殿下は天才よ? その分あなたは頭のほうで大天才だと思うけれど』
『それはそれは、過分なお誉めの言葉をありがとうございます』
調子を取り戻したのか、おどけた念話が帰ってくる。
「もう少しやりたくても時間が無いしなぁ」
「殿下はすべきことが多うございますから」
「自分がもう一人いればなぁ……」
彼は虚空を見つめてボソッと呟いた。
剣術の訓練からしばらく経ったある日のこと。食欲旺盛なロタール殿下は最近さらによく食べる。毎食二人分は余裕。周囲の人間は運動を始めたからお腹が空くのだと思われている。
それだけではない、時おり魔力の篭った宝石や魔物の核である魔石を要求するようになった。名目は研究用。確かに何かの研究はしているらしいし、今のところさほど高価なものは要求されていない。
その上定期的に狩猟に出るようにもなった。獲物はお決まりのこちらにもって来る分以外、それなりの量を現地で食べているらしい。資源に影響しない程度にいろいろとつまみ食いもしているのだとか。
そしてこれは私だけが知っていること。夜皆が寝静まったころ、殿下は城の裏庭の、魔力が吹き溜まる枯れ井戸の底に下りていく。そこで夜を明かしては、また皆が目覚める前にこっそりと自室に戻るのだ。ついで私の魔力も毎日結構な量を持っていく。
『何をたくらんでるの?』
私は彼にたずねた。
『今のイライラの原因を元から改善しようと思って。そのためには魔力が大量に必要なんだ。あ、貰った魔石に関しちゃそのうち論文でも書くよ』
それっきり詳しいことを聞こうとしてもはぐらかされてばかり。いい加減私の堪忍袋の緒が切れそうになった頃。とある日、私は夜彼の部屋に来るように念話で告げられた。
『なあに、いくら婚約者のところとはいえ、夜外出るのに父親言いくるめるの大変だったんだからね』
『ありがとう。申し訳ないけど今起き上がれない。悪い、僕の手を握っていてくれないか』
『いいけど、どうしたの?』
寝台に横たわる彼をみるのはずいぶん久しぶりだ。今日はうつ伏せのようだが、布団が不自然に盛り上がっている。近づいて良く見ると肌掛け布団の下は上半身裸で、背中全体に大きなこぶができているのに気が付いた。
『なにこれ、どうしたの!?』
『ちょっと黙って、手を握っててくれ』
『ちょ!?』
『ぐっ、ううっ……』
彼は私に手を伸ばししっかりと私の手を握り締めると、ひざを曲げ背を丸め力み始めた。歯を食いしばり、全身が震えいかにも痛そうである。そして握った手がしっかりを通り越して力いっぱいに突入すると、私から大量に魔力を奪い取った。私が気を失う前、最後に聞いたのは悲鳴を押し殺した音と、ぶちっと何かが千切れるような音。しかし僅かに嬌声が混じっていたように聞こえるのは気のせいだろうか?
意識を取り戻したとき私は慌てた。ふらつく身を起こすと外はまだ暗い。そこまで時間が経ってないことを祈ると、彼の声が聞こえた。
「君が気絶していたのは」
「君のいう三十分くらいだね」
「だから心配しなくていいよ」
「協力してくれて本当にありがとう」
しかし二箇所からステレオで同じ声が聞こえるのはいったいどういうわけだろうか?
「「こういうわけだよ」」
「なに、あなた隠された双子のきょうだいでもいたの!?」
同じ顔が並んで立っている。思わず常識的な考えが口をつくと、彼らは即座に否定した。
「まさか」
「分裂したんだ、たっぷり栄養と魔力を摂って使って。できると思ったけれどここまで大変だとは思わなかったよ」
「相当痛かったけれど、最後の方は快感になる。ふむ、この快感が野生のスライムの分裂を促すのかな」
良く見るとわずかに大きさに差がある。少し小さく見える殿下が今回生まれた方だろうか。
「呆れた。で、これからどうするの?」
「せっかく分裂したのだし、一人じゃ時間が足りないことにどんどん挑戦していこうかと」
「僕たち二人の間には強固な魔力の繋がりが生じた。互いが互いのしていること、したことがわかるんだ。これを応用すれば非常に効率的に学習が進められる」
「まあ、まずは軽く検証実験をしてみよう」
『どう、聞こえる?』
『もしもし?』
『二人分声は聞こえるけど……どっちがどっちだかわからないわ』
『ふむ、やはり君には僕たち二人の分が聞こえるみたいだね』
『分裂した僕たち同士の間では魔力も共有されるね、ただ君とは常に魔力を共有しているわけではないみたいだ。融通し合うことは自由にできるようだけど』
『そういえばさっきからなんだか頭が冴えてる気がする、気のせいかな?』
『ダブルコアにでもなったのかしら』
私はパソコンのCPUの構造やら、クラウドコンピューティングやらを思い浮かべながら言った。
『『それだ!』』
『だとすると【僕】の数を積極的に増やした方が効率が良いってことになるね』
『どうしよう、となると当分は井戸での瞑想を中心にしようか』
『流石にそれだけではつまらない、昼はそうだな、僕の方は騎士の訓練を受けることにするよ。見習いとして試験を受けてね』
『まさかその顔で行くつもり?』
そんなことになればパニックが起こりかねないと私は不審をこめて問う。
『安心してよ、見てなって』
二人を見ていると、少しちいさな方のロタール殿下の髪が赤に、目は緑へと大きく変化した。顔立ちも変えてある上、声まで微妙に違う。
『これなら絶対に分かりっこないって』
『確かにそれなら大丈夫そうね……』
擬態までできるとは驚いた。えっへん、と二人のロタール殿下が胸を張るのを、私は苦笑しつつ見る。
朝誰かが起きだす前に、赤毛のロタール殿下――以後、カンタールと自称する、は城からこっそりと出て行った。別れる前に感覚を共有しつつ二人がかりでぎゅっとしてもらったのはなかなか気持ちが良くて、少し惜しくはあったけれど。
しかしありがちな話ではあるけれど、王族専用抜け穴なんてものが存在するとは。そして王子が分裂して城から抜け出すなんて話は聞いたことが無い(そもそも王子は分裂なんてしないというのは置いておく)。ひょっとすると空前絶後ではあるまいか。
カンタールはその後どうにか騎士見習いとなり、色々としごかれることとなる。その甲斐あってかロタール殿下の方も急速に剣の扱いがうまくなっていく。途中やはりこの方法はズルではないかなどとロタール殿下は悩んだりもした。私は他の剣士に対し罪悪感を感じるならば、環境の整備や教本の発行などで報いるべきではと助言した。私の助言の結果かはわからないが、後年王国は教育熱心な国として名をはせることになる。
そして肝心のレオナル殿下との競争だが、何をしてもどうやっても結局ロタール殿下は弟に勝てなかった。もはやそちらが反則ではないのかとさえ感じさせる剣才である。結構な年月の末、ようやくロタール殿下は剣で弟に勝つことを諦めた。
剣で勝つことは諦めても、ロタール殿下の分裂自体は何度も繰り返される。最初の方の苦しみや手間も無く、途中から分身の一部を魔力溜まりに常駐させることでいつでも分裂ができるようになった。
城なら書庫の本を読み尽すべくほとんど常駐する勢いの分身に、メイド見習いと料理人の手伝いをする分身が。街では魔法使いの結社に大学、薬師に錬金術師、鍛冶屋に造り酒屋など専門知識を必要とする業種なら何であれ。好奇心と知識欲の赴くまま片端から徒弟として雇われ修行した。あちこちで農業や漁業の手伝いをする分身たちに、ひたすら魔物を狩り続ける分身までいる。
あまりに魔力を蓄え経験を積み、魔物を狩ったりもしたからか大本の魔物として、ロタール殿下の存在の格が上昇したのも一度や二度では無い。
その結果はというと、いかにも重そうな岩を片手で軽々と投げ上げてみせたりなどいくらでもこなせるくらい。普段は人並みに抑えているものの、もはや単身で災害に匹敵するレベルである。(ただしレオナル殿下には勝てない)
さて、ここしばらく、私に触れると「ふあっ」と声を上げて殿下が腰砕けになる。今回もそろそろ彼が存在の格を上昇させる時期だろう。
『ふぅっ……はぁっ……』
進化というか変異(ミューテーション)というべきか、その際には彼はいつもの自室に篭り、寝台の上で布団に包まってなんとも形容しがたい快感の波動と、身体が生まれ変わる際の痛みとをやり過ごす。少なくとも彼にとってはそのように感じられるらしい。一度その時の感覚を共有しようとしたら、彼にものすごい勢いで止められた。
『くっ、うっ……』
私にとっては、彼が病弱だったころを思い出させる光景でもある。秘めた膨大なエネルギーを仄めかせながら、歯を食いしばり頬を紅潮させ震える姿は端的に言って扇情的と形容しても差し支えないほど。彼にとってこれは気持ちよいのと同じくらいきついものでもあるらしい。この時ばかりはふだんひやりと快い彼の身体も、かつてのように熱を帯びる。そういう時私は彼の手を握り、せめてもの助けに魔力を送るのだ。
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