王子様がスライムと一体化したようです
有部理生
第1話(王子も起きればスライムに出逢う)
それはまるでラムネ……正確に言うならラムネ瓶のような透明な薄青色をしていた。かたさは丁度本葛粉だけでこしらえたくずもちくらい。ゼラチンよりかたく寒天よりはやわらかで弾力的。まるい体を透かして何もかもがラムネのビー玉に似た核が見えている。
ゼリー、ウーズ、あちらでもこちらでも、一番有名な名前がスライム。
上位種は物理攻撃も効かず、強酸の体液でおぞましい死を与えるという。
けれど目の前にいるのはこどもの足に踏みつぶされ、固形物の消化にはパンくずでも二、三時間はかかるといわれる最弱種。
そんなスライムがよく手入れされた芝生の上で、つやつやと光を反射している。ひからびてしまう、とわたしはそれを掬いあげた。幼い手のひらにスライムはすっぽり収まる。水を含んでひやりとつめたい。息をふきかけるとふるんと揺れて、端に虹が滲む。おもわず私はくちづけた。
「……このようなスライムは浅瀬に棲んで、泥や何かの中に含まれる細かな物を食べて生きていると申します。魔力を与えればよく成長し殖えますが、そうでなければ数の制御もたやすいので水の浄化にもつかわれるそうです。汚れがある程度以下ならばスライム自身は常に清浄を保ちます……申し訳ございません、わたくしばかり喋ってしまって。退屈でいらしたのでは?」
「いや、とてもおもしろかった。このような魔物も我が国を支えていると思うと感慨深いね」
ちなみにこの世界にはよくある魔族やら人間以外の種族やらは存在しない。全体の輪郭や一部のパーツを超えて人間そっくりだったり、人間に成り代わったり、人間から生まれたりする魔物もいない。魔物は核である魔石を持つ怖い動物(稀に植物)というポジションである。
「ありがとうございます、そうおっしゃっていただけてかたじけのうございます」
言葉の選択に迷って、結局普通にお礼を言う。
「硬いなぁ、君と僕は婚約者なんだから、もっと普通にしてていいのに」
「そうはおっしゃっても、殿下あいてに非礼をはたらくわけにもゆきませんのに……」
何しろ寝台から身を起こしてこちらを見やる方こそ、この国の王太子殿下である。名前はロタール・ルカ=アルマン。病弱だが聡明であるとのもっぱらの評判。あまり外に出られないくらい体が弱い代わりに非常に知識欲が旺盛で、家庭教師のほか、婚約者の私が時おり訪れてはこうして話をしている。弱冠ながらひとかどの学識の持ち主。知能のみならず、性格も優しく落ち着いていると非の打ち所がない。一応前世の記憶らしきものがある私よりも精神年齢など上な気がするくらいだ。外見はいわゆるきらきらしい王子様のイメージとは違い、パッと見には地味。けれど良くみれば柔らかな茶色の髪と青い目の、中性的で品の良い面差しをしている。正直好きな系統の顔立ちだ。
「もう、しようがないのだから。実地といこう、君のスライムを触らせてくれる?」
「ええ、喜んで!」
私は抱きあげたスライムをロタール殿下に差し出した。
「ふふ、結構弾力があるんだな。ぽよぽよしている」
丁寧に育てた結果、スライムは直径三十センチくらいとなかなか抱きがいのある大きさになった。最初はおそるおそる指先で突いていた殿下も、だんだん大胆に触れだしている。こっそり感覚共有をしてみると、彼の指や手らしき感触に、スライムも触られて気持ちよいのか、ごく微かな快感らしきものがぼんやりと伝わってきた。
「とても気持ちがよいので、わたくしもついことあるごとに触ってしまいます」
「うん、つめたい。その気持ちよくわかるよ」
「一つ秘密をお教えしましょう。スライムの身体を光に透かすと虹が見えることがございますわ」
「わあ、本当だ!」
大人びた表情を見せることが多い彼も、愛らしいスライムの前では歳相応の笑顔を見せる。それだけでも私はこのスライムを従魔にして良かったと思う。父の公爵は最弱の魔物と契ったことに渋い顔をしたけれど、あの父の思い通りになどなりたくはない。なかなか難しいことではあるけれど……
ロタール殿下はいつまでもスライムをもちもちしていたそうだったが、彼が咳き込んだとたんに侍医が部屋の中に入ってきて私とスライムは外に追い出された。
しばらく歩くと声が聞こえる。
「いつまで保つのかしら」
「しっ、不敬よ。でも王太子殿下が亡くなったらの婚約者のお嬢さんはどうなさるのでしょうね」
「あの公爵閣下のことだから、今度は弟君の婚約者にしようとするのではないかしら」
私は奥歯を噛み締めた。角を曲がる。
「兄上のお加減はいかがでした?」
金色の頭をした人影が現れた。第二王子のレオナル殿下である。
「たくさんわたくしと話をされるくらいにはお元気でらしたけれど、最後は咳き込んでしまわれたの。わたくしがご無理をさせたせいで」
「あなたのせいではありませんよ。兄上もお会いできてとても喜んでいるはずです。……早くまた一緒に遊べるくらいお元気になるとよいのですが」
とにかく兄想いのとても良い子であるのだ。たとえ王位をめぐって派閥同士が争っていようとも。本人は純粋に兄を慕い、宰相か将軍か、王佐になる気満々である。本人の意志が固いのだから、まわりも放っておけばよいと思うのだが。
学者肌の兄に対し、腹違いの年子の弟であるレオナル殿下はどちらかといえば身体を動かすのが好きな武人肌。兄とは違い病気ひとつしない健康優良児。そのくせ頭も決して悪くは無い。見た目はいわゆる王子様のイメージな眩い金髪碧眼で、華やかな美貌の持ち主。私にとってはかわいい義弟(候補)である。断じて恋愛対象ではない。
本来なら正妃から生まれた第一子のため、ロタール殿下の立太子は揺るがないはずである。病弱で国王の公務に耐えられないと思われているのが一つ。さらにほとんど歳の変わらないレオナル殿下のカリスマ性と全般的な優秀さに目が眩んだ貴族が複数いるらしい。頭痛がしてくる。
なんとかしようと前世の記憶を総動員しても、なかなかロタール殿下の体調は改善しない。ふいに八方ふさがりで胸がふさがれる気持ちになり、私は心配そうなレオナル殿下を前に、スライムを抱きしめたまま立ちつくす。ひやりとした感触になんだか無性に泣きたくなった。
その日のロタール殿下の体調は珍しく良かった。かなり長く歩き回れるくらいには。彼は国王陛下に共に狩猟に出るよう言われたよ、と私に告げた。せめて身の回りを清浄に保てるように、枕代わりにでもしてください、とわたしはスライムを手渡した。
「ありがとう、必ず返すよ」
そう彼は微笑んだ。美しい笑みだった。
いつも父母に叱られた後自分の寝床でスライムをぎゅっとしている。渡したあと叱られたらどうしようと少しだけ悩んだ。けれど、彼が狩りの最中や帰ったそのあとも病気にかからないようになることがはるかに大切である。
とにかく彼が帰ってくるまではどうにか叱られないように気をつけよう、などとこの時はのんきに考えていた。狩場はさほど遠くではなく、森の奥深くにもいかない、だから心配することも無いと彼は私に申告していたから。
翌日の夕方、ロタール王太子殿下が猪に跳ね飛ばされ行方不明、恐らく死亡したであろうとの報が入る。
私は悲しむ暇も無かった。なぜならその少し前より恐らくスライムに魔力を限界まで吸い取られていたから。致命的な部分の生命力までは手をつけられなかったけれど、精神力と体力を根こそぎ奪われたのだ。婚約者行方不明の報を聞いた直後にとうとう耐え切れずくず折れ、昏睡状態に陥った。魔力消費によるものだけれど、周囲からは精神的なショックで倒れたように見えただろう。
『心配したわ、それで大丈夫なの?』
真っ暗な中声だけ響く。けれど実際に音声が聞こえるわけではない。
『迷惑かけて悪い。もう暫くすれば再生が完了しそうだ。……すまない、スライムを返せなくなった』
私から絞り取られた魔力は、スライムがロタール殿下を治療するのに使った。知能なんてろくに無いはずなのに、どうしてそれをしたかはわからない。
スライムは殿下のお腹に空いた傷の中に自ら納まり、傷口を埋めた。さらに私や彼の魔力を使い成長増殖し、自らを彼の細胞とまじらせ、同化融合し、傷ついた臓器やら何やらも修復再生させた。その過程で彼自身も純粋な人間とは言えなくなったが、生命に比べれば些細なことである、たぶん。
『馬鹿、あなたが帰ってくるなら良いわ。スライムも一緒なんでしょ』
『ああ。一緒だ。……しかし誰も聞いてないとなるととたんに君は口が悪くなるんだな。こっちの方が正直好きだが』
『私もこっちの方が楽だけどね。人前では気をつけなくちゃ。それにしても生きた心地がしなかったわよ』
『本当にすまない……』
『あやまることじゃないわ、こうして生きてることがわかったんだし。でも帰ってきたら罰として私をぎゅっとすること』
『約束するよ。しかしまさか君との念話ができるようになるとは思わなかった』
『スライムとの経路がそのまま流用されたのね。スライムには話しかけてもあまり意味がなかったけれど……』
『知能が高い従魔なら普通に意思疎通できるらしいからな。そろそろ動ける――お腹が空いたな』
ありがたいことに彼の性格も知能も知識も元のまま。けれど体質は大いに変化しているようだ。例えば以前は極めて食が細かったのに、今は底なしとも思える食欲がこちらにも感じられる。
『良いことね、いままで空腹もろくに感じてなかったでしょ』
『まあね。今はその辺の魔力がある草を適当に漁ってる。とにかくお腹が空いて動けなくなりそうだ。ここまできて餓死なんてしゃれにならない……』
猪に引きずられて少し奥に入ったのか、彼のいる場所はやや鬱蒼としていた。視線が下がる。手で草を引っ張る感触、口に葉っぱが触れる感触がした。
好奇心で味覚を共有してみると、もそもそとした感触と苦味が伝わってくる。そのまま継続すると抗生物質のような強烈な苦味が襲ってきた。苦味自体は好きなほうだがこれはたまらない。あわてていると、急に苦味が消えた。彼本人も一時的に感覚を遮断したようだ。
『とにかく気をつけて。早く戻ってきてね』
了解の意思。彼は帰還に向けて動きはじめる。
二日後に私が目覚めるのとほぼ同時に、彼は王城に戻ってきた。
事故の衝撃ゆえか髪は真っ白になっていたけれど、しっかりと自分の足で歩いて。それまで無かった覇気と活力に満ち、瞳に不思議な青い光を湛えて。
『人間卒業おめでとう。人外になった気分は?』
『悪くない。身体は軽いし空気も食べ物もなんでも美味しい。道なき道を進むのも楽しかったしね』
『あの虹は綺麗だったわね。でも猪が死んでたからって丸々一頭生で食べだしたときは流石に驚いたわよ、早く消化したいからってこっちから魔力もってくし』
『悪い悪い』
すっかり元気に満ち溢れた彼をみて、城の人間も民衆も皆呆然としている。それほどまでに王太子の病弱っぷりは有名だった。
衝撃と悲哀から一転歓喜。けれどその中で、王太子が出立時に連れていたスライムがいないことなど誰も気づいてはいない(そもそも彼がスライムを連れていたことに気づいていたかも怪しい)。ましてやそのスライムと一体化して生きながらえたなどと、気づく者がいるはずもない。(彼本人とその婚約者を除く)
「おかえりなさいませ」
「ただいま」
約束どおり彼は私を抱きしめてくれた。彼の体温はひんやりとして快かった。微かに甘い薫りがして、私はスライムという愛する個体が無くなった喪失感と、けれど愛する人と一つになって帰ってきてくれた幸せとを噛み締めた。
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