第二章 王子は婚約者に恋をする 2
冬になり、社交シーズンが訪れた。イシュミールとイシュタルの社交界デビューのため、タウンハウスは騒がしくなっていた。
公爵と公爵夫人である両親は、冬になってすぐに王都にイシュタルを連れてやってきた。
馬車は、イシュタルのデビューのためのドレスや小物で荷物が溢れそうになっていた。
イシュミールはというと、自分でドレスなどの手配をしようとしていたが、何故かそれを知ったカインに止められた。
「お前の着るドレスは俺が用意をする。お前は、ダンスの練習だけしていればいい」
イシュミールはそれは悪いと、断ったがカインがどうしても用意すると聞かなかったのだ。イシュミールが折れる形で、カインが用意することになった。
「殿下、どうかあまり派手なものにはしないでくださいね?わたしは、シンプルなもので十分です」
「善処する。それよりも、カインだ」
「でも……」
「カインだ。そう呼ばないと、すごいドレスを用意するぞ?」
そう言って、カインはぷいっと横を向いてしまった。
初恋の相手が、イシュミールだと知ったカインは、彼女に名前で呼ばれることを望んだのだ。イシュミールは、なかなかそれを受け入れることが出来ずにいたのだ。
婚約者とはいえ、カインは王族。許されたと言っても、気安く名前を呼んでいい相手ではないのだ。
しかし、カインはイシュミールの可愛い声でどうしても名前を呼んで欲しかったのだ。だから、事あるごとに名前で呼ぶように言った。
いつもなら、眉を寄せて可愛らしい表情で殿下と小さな声で呼んで助けを求めるイシュミールだったが、派手なドレスにされては困ってしまうと、カインの服の裾を軽く掴んで、自分よりも目線が上の年下の婚約者を見つめた。
婚約式のときよりも更に身長の伸びたカインは、下から見上げてくるイシュミールのいつもよりも熱のある視線に胸がドキドキと高鳴った。
しかも、自分の服の裾を遠慮がちに掴んだその姿は、カインの庇護欲を刺激した。
(可愛い!可愛い!!可愛い!!だが、もうひと押しで俺の名を呼んでくれそうな気がする。ここは、行くべきか、引くべきか……)
悩んだ結果、行くことにした。
「分かった、シンプルで可愛らしい、イシュミールに似合う物にする。だからどうか、カインとその可愛い声で呼んでくれ」
そう言って、見上げてくるイシュミールの頭を優しく撫でた。
イシュミールは、カインに頭を撫でられるのが好きだった。
領地にいたとき、両親はイシュミールの頭を撫でることはなかった。
カインと婚約し、一緒に過ごすうちにカインは気がつくと、優しく頭を撫でるようになったのだ。
髪の毛が乱れないほどほどの力で、頭をなでサラサラの髪を梳くように触れるのだ。
その優しい触り方に、イシュミールはいつも照れた表情をし、その小さな唇は弧を描いた。
カインも、その照れているが、嬉しそうな表情を見たいがため度々イシュミールの頭をなでていた。
いつも甘い空気になるそのやり取りだったが、今日はいつも以上に甘い雰囲気となっていた。
カインの金色の瞳は、蜂蜜のようにトロリと熱に溶けたような光を放ち、イシュミールの森を思わす碧の瞳は、その深みをまして煌めいていた。
見つめ合う二人は、自然に距離が近づき、もう少しで唇が触れ合うのではないかと言ったタイミングで、カーシュの咳払いが鳴り響いた。
カーシュの存在を思い出したイシュミールは、恥ずかしそうに距離を取り、カインは忌々しげにカーシュを見た。
カインから離れたイシュミールは、熱くなった頬を両手で抑えて、恥ずかしそうに、小声言った。しかしその声は甘さと熱を含んだでいた。
「カイン様……」
初めて、恋い焦がれるイシュミールに名前を呼ばれたカインは、まるで雷にでも打たれたかの様に硬直した後に、蕩けるような笑顔でイシュミールにねだった。
「イシュミール。もっと俺の名を呼んでくれ」
「……カイン様」
「もっとだ」
「カイン様」
「好きだ、愛してる」
「わっ、わたしも……。カイン様をお慕いしております」
そう言って、お互いに自然と手を繋いだ。
イシュミールを守るために側に控えていたカーシュは、いつも以上に甘々な空気に、胸焼けしそうにはなったが、大切なイシュミールのためを思い自らも空気となるように、気配を消すのに徹したのだった。
そんなこんなで、名前呼びをされるようになったカインだったが、最初からドレスを用意するつもりではなかった。
何故そうなったかと言うと、守護騎士のカーシュから密かに連絡があったのだ。
カーシュからの連絡はこうだった。
姫は、ご自身でドレスなどをご用意するつもりです。領地からは社交界デビューについての指示は一切ありませんでした。
このままでは、姫は十分な準備ができません。
どうか、姫のお力になってください。
と。
それを知ったカインは、何故イシュミールの社交界デビューの準備を怠るのか、公爵に殺意が湧いた。
しかし、カインはそれをチャンスと捉えた。
そう、自分好みのドレスで愛するイシュミールを着飾れると。
王都では、好きな相手に自分の色を贈るということが流行っていると、王妃である母が言っているのを思い出したカインは、自分の瞳の色のドレスを贈ろうと考えた。
ひっそりと、王都一の服飾店のオーナーに相談し、非常に甘そうなはちみつ色の可愛らしいドレスが出来上がった。
服飾店のオーナーでありデザイナーでもある女性は、イシュミールの容姿を知り、肩や背中の見える今流行のドレスをデザインしたが、カインはそれを全力で却下した。
「却下だ!!」
「どうしてですか!!こんなにも可愛いデザイン。イシュミール様にとても良くお似合いだと思います!!お嬢様のあの華奢な肩や、美しい姿勢を強調するこのデザイン!!会場の目を一番に引くこと間違いないです!!」
興奮気味に女性が言うと、カインも負けじと興奮気味に言った。
「分かっている!!俺だって、可愛いドレスを身にまとって、俺に可愛らしく微笑むイシュミールを見たい!!いつもは、隠れてる華奢な肩や、ピンと伸びた美しい背中を!!しかし、そんなことをすれば他の男にも、イシュミールの華奢で綺麗な肩や、美しい背中が見られてしまう!!そんなの許せない!!その場で全員の目を抉って、記憶を消してやる!!」
その言葉を聞いたデザイナーは、カインの独占欲に砂糖を吐きそうになった。
いや、実際には少し出ていたかもしれない。
デザイナーは、何故かざらつく口元をハンカチで拭ってからしばし考えた。
そして、デザイナーはカインの熱意を受け取り、ドレスのデザインを即座に変えた。
当初の予定では、Aラインで胸元、首、肩が出るデザインで、背中も少し見えるようなものだったが、エンパイアラインに型自体を変更した。華奢で折れそうなほど細い腰を意識したAラインのデザインとは違い、ゆったりとしたものとなっていた。
首元は詰め襟になっていたが、胸から上と肩から腕にかけて、レース素材を使ったものにしたため、可愛らしいデザインに仕上がった。
裾も、自然な流れでふんわりと広がるようになっているため、可愛らしい心象を与えるものとなっていた。
次のデザインに納得したカインはその内容で進めるように指示を出した。
アクセサリーは、考えた末にダイヤモンドのネックレスと耳飾りを用意した。
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