第一章 年下の婚約者 3

 婚約式の後イシュミールは、一旦領地に戻って、王都のタウンハウスで暮らすための準備をしてから、王都に戻ってこようと思っていた。

 しかし、両親に戻る必要はないと言われたため、特に反論することはせずに、何時ものようにそれに従った。

 両親は、離れたくないとごねるイシュタルを強引に連れて領地に戻っていった。

 

 イシュミールは、慣れ親しいんだアックァーノの領地に別れを告げる間もなかったが、特に寂しいとも思うことはなかった。

 それよりも、今はカインの婚約者として望まれていたのが、イシュミールではなかったという事実の方が気になって仕方なかった。

 その場では、婚約を破棄したいと言った話は出なかったが、カインの顔色からいつかはそうなるのだろうと、イシュミールは一人覚悟を決めた。

 



 しかし、カインは婚約破棄の道は選ばなかったのだ。

 イシュミールが王都のタウンハウスに住むようになってから、カインは積極的に、互いの距離を縮めようと努力をしたのだった。数日に一度の高頻度でイシュミールを訪ねて来ては他愛のないおしゃべりをするようになったのだ。

 

 カイン曰く、「お互いのことをもっと知るため」とのことだった。

 最初は、カインの勘違いから始まった婚約も、二人がお互いを知るために、逢瀬を重ねたため、良好な関係が築けていた。


 幼い頃のイシュミールは屋敷の庭を走り回り、木登りをしたりとお転婆な少女だった。

 しかし、両親に顧みられないようになってからは、少しづつ表情も凍りついていった。しかし、妹のイシュタルの前では、花の精のような可憐な笑顔を見せていたが、それを見るものはイシュタルだけだった。

 

 王都に来た当初は、あまり表情が出ることがなかったイシュミールだったが、日々良好となる婚約者との関係に少しずではあるが笑顔が増えていった。そしてもう一つ、笑顔を増やす出来事があったのだ。

 それはタウンハウスで暮らすことで知った嬉しいことだった。タウンハウスの使用人達は、領地の使用人たちと違い、イシュミールを大切に扱ってくれたのだ。

 領地の使用人たちは、イシュミールのことを無視したり、朝や夜の支度に来ないことが度々あった。

 そのため、イシュミールは必要最低限のことは一人でできるようになっていたのだ。

 それが普通になっていたためタウンハウスでも自分のことは自分でしようとしたが、それを見た使用人たちは、「これは、わたし達の仕事です。お嬢様は、ごゆるりとお過ごしください!!」とイシュミールを優しく叱ったのだ。

 そして、「お嬢様は大切な方です。私達が大切にお守りします」と言って、あれこれと世話を焼いてくれたのだ。

 イシュミールは自分が大切に思われていることが分かり、領地にいるときよりも笑顔を見せるようになった。


 そんなある日、カインはイシュミールを王宮に招待して二人で庭園を散歩してから、四阿でお茶を飲んで婚約者同士、会話を楽しみつつのんびりと過ごしていた。


 イシュミールは、ふと5年前に偶然入ってしまった場所がどこだったのが気になってカインに尋ねた。


「殿下、厚かましいお願いなのですが、わたし行ってみたい場所があるんです」


 逢瀬を重ね、最初よりも仲を深めていた二人だったが、普段お願い事をしてこない、年上の美しい婚約者のお願いに、カインは嬉しくなりすぐに頷いた。


「分かった。どこに行きたいんだ?」


 目的地も聞かずに了承するカインが可笑しくて、ついついイシュミールは小さく笑みをこぼした。


「ふふふ。もう、殿下ったら。内容も聞かずに了承なんてして、わたしがとんでもないことを言ったらどうするのですか?」


「イシュミールが変なことを言うわけがないから、大丈夫だ」


「ふふふ。信頼していただけているようで嬉しいですが、いつか殿下が誰かに騙されてしまいそうで、心配です」


「これは、お前だけだ。他の者には許さない」


 イシュミールの笑顔が余りにも愛らしすぎたためカインは、表情筋が緩まりそうになったが、それを耐えるためにあえて少し強めの口調で言った。


「それで、どこに行きたいんだ!!」


 更に可笑しそうに、クスクスと笑っていたイシュミールだったが、これ以上はカインの機嫌を損ねてしまうと、咳払いをしてからすました表情で言った。


「10歳の時のことです。王宮に両親に連れられて来た時に、実は抜け出して庭園に勝手に入り込んでしまったんです。その時に、薔薇に囲まれた美しい四阿のある庭園でほんとの一時ですが過ごしたことがあるんです」


 それを聞いたカインは、驚いた表情で言った。


「そこは、王家の花園だ」


「まぁ、わたし。知らないとは言え勝手に大変なところに入ってしまったのね。あの時の庭師の男の子も言ってくれればいいのに……」


 イシュミールのその言葉を聞いて、カインは目を見開いた。そして、横を歩くイシュミールの方を振り返り、彼女の手を掴み真剣な表情で聞いた。


「イシュミール、庭師の少年とは?詳しく話せ」


 目をパチクリとさせたイシュミールは、昔を思い出すようにしながら当時のことを語った。


「抜け出したわたしが、勝手に庭園に入ると、先にいた男の子がわたしを見て眉を顰めたの。それで、わたしは、両親について王宮に来たけど退屈で抜け出してきたとその男の子に言ったら、その男の子は、納得してくれたのか、目深に被っていた帽子をかぶり直してから、この庭園を見てもいいと言ったわ。わたしは、まだ子供だったから、その男の子の態度が可笑しくて、『王宮の庭園なのに、何故貴方の許可がいるのかしら?』と意地悪を言ってしまいました。すると、男の子は、顔を赤らめて、『庭師の息子だからだ!!』って。もう可笑しくて、わたし大笑いしてしまったわ」


 そこまで話すと、今まで黙っていたカインが何故か耳まで赤くしてイシュミールを睨んできた。

 疑問に思っていると、カインに強くて手を引かれて、距離が一気に縮まったことに驚いていると、カインは更に驚くべきことを告げた。


「その庭師の子供は俺だ!!」


 言われたことが理解できずに、イシュミールは瞬きを繰り返すのみだった。

 業を煮やしたカインは、更に恥ずかしそうではあったが説明をした。


「当時、勉強が嫌でよく抜け出していたんだ。それで、抜け出した先の庭園を管理している庭師の男に、息子のお古だという服を借りて、よく息抜きに花園で遊んでいたんだ。それで……」


そこまで言ったカインが急に黙ったため、イシュミールは小首を傾げた仕草で続きを促すように言った。


「それで?」


「それで!!偶然花園であった、苺みたいな女の子に一目惚れした!!でも、俺も庭師の息子と偽った手前、その女の子に名乗ることも、名前を聞くことも出来なかった。それで後悔していた。それに、父上や母上に、勉強が嫌で抜け出していた先で出会った女の子のことを聞くことも出来なくて……。そうしたら、庭師の男が言ったんだよ『殿下がきっちり勉強して、立派な紳士になれば、初恋の女の子の特徴からどこの令嬢か探し出してもらって婚約したらいい』って!!」


 そこまで聞いたイシュミールは驚きの声を上げた。


「まあ……」


 カイン曰く、それからは勉強に、武術にマナーやダンスなどに励み、周囲の者はあの勉強を抜け出しては遊び回っていたカインの努力に目を見張ったとか。

 そして、5年間の努力の末に、とうとう初恋の少女が誰なのか知ることになったのだ。


 探しだした少女は、四大公爵家のアックァーノ公爵家の令嬢だった。しかし探しだした令嬢は、双子だったのだ。

 

 初恋の少女は、少しお転婆なところはあったようだったが、優しく愛らしい少女だった。ドレスも派手なものではなく、貴族にしては質素すぎるものを着ていた。しかし、それさえも気にならないほどの可愛らしさがあったのだ。

 短い間ではあったが、少女はカインと話す間、姉のように振る舞っていた。

 カインは、双子の性格や好きなものを調べてもらい、幼い日の少女の様子から姉の方がそうだと決めて婚約を申し込んだのだ。


 この時のカインは、初恋の相手がイシュミールで間違いなかったことが嬉しくて、あの時、何故イシュタルは自分がそうだと名乗ったのかという謎をすっかり忘れていたのだった。


 そして、イシュミールはというとイシュタルも幼い頃にカインに会っていたが、初恋の相手は自分なのだとはっきりと告げられて、婚約式の後のお茶会で感じたあの胸のときめきが蘇り、恥ずかしいような、嬉しいような気持ちになっていた。


 カインの初恋の少女をイシュタルだと勘違いしていたときから、少しずつ心を通わせていたイシュミールとカインだったが、この日ようやく真実を知ってからは、更にお互いに心を通じ合わせるようになっていった。


 それから更に心を通じ合わせた二人は、これまで以上にお互いを大切に思うようになり、自然とお互いを恋しく思うようになっていた。

 カインは、早く結婚式を上げて一緒に暮らしたいと会うたびに漏らしていたが、アメジシスト王国では、15歳にならないと結婚が許されない決まりだったので、何時もイシュミールはもう少しだとカインを慰めていたのだった。

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