あの時、あの日、全てはこの日のために!

眠り猫四十郎

第1話 昭和の大事件 

「ドラクエ3」と「週刊少年ジャンプ」

1988年2月10日は、昭和に起きた3つの大事件の一つに挙げられる。



『ドラゴンクエスト3 そして伝説へ』(以下、ドラクエ3)の発売日だった

『ドラクエ3』は、前前作『ドラゴンクエスト』と前作『ドラゴンクエスト2』の

大ヒットを受け作られた。続編である。




脚本・堀井雄二


音楽・すぎやまこういち


デザイン・鳥山明



この天才3人が集い、3本のゲームソフトを作り上げた。


そう最高傑作と名高い【ドラゴンクエスト~ロトの系譜シリーズ3部作】だ!



まさにドラクエ3のサブタイトルの「そして伝説へ」が、

本当の「伝説」となる作品の誕生だ!




この『3』は、30年以上経った現在の令和でも語り継がれる作品となった。


そして、この『ドラクエ3』こそ日本中にTVゲームを、確固たる文化・芸術作品へ


そして昨今の欧州や米国だけでなく全世界へ広まった「JAPANサブカルブーム」の先駆けであり、アニメ・GAMEと云ったサブカルを芸術文化へ格上げしたと言っても過言ではない。



この令和を迎えた時代でも、

当時を振り返るオッサン達は、『ドラクエ3』を取り巻いて、

80年後半から始まる約10年間及ぶ、異常な超景気バブル時代を更に飛躍させた要因になった現象の一つに「ドラクエ3」騒動があったと言っても、

おかしくないと多くの者が語るだろう。



『ドラクエ3』発売直前の熱気は、当時小学生だった書生が体験した、

強烈な現象と時代だった。



クラスの話題は『ドラクエ3』一色。


予約できているクラスメイトはうれしそうに発売を心待ちにし、

予約出来なかったクラスメイトは不安そうな顔を浮かべていた。


なぜ、『ドラクエ3』が発売前から小学生の心をつかんでいたのか。


その理由は「週刊少年ジャンプ」に毎週のように掲載されていた。


全盛期より勢いは無くなったとは言え「週刊少年ジャンプ」は今でも、

『ONE PIECE』や『鬼滅の刃』など多数の人気作品を抱える週刊少年誌だが、

1985年から1988年にかけての勢いは、日本マンガの歴史上、至高のものと言っても間違いないラインナップが揃っていた



1985年~88年の間の中間期「86年」を見ても『北斗の拳』『シティーハンター』

『ドラゴンボール』『キン肉マン』『魁!!男塾』など今でも新作が続々と

作られている作品がずらりと連載されていた記憶がある。



『星闘士星矢』はちょうそこの年に連載が開始され、

他にも『きまぐれオレンジロード』や『ハイスクール!奇面組』

『キャプテン翼』『銀牙 -流れ星 銀-』『こちら葛飾区亀有公園前派出所』など、

数々の名作が連載されていた記憶がある。 

(スラムダンクなどはまだ連載はなく、この数年後に連載される。)


連載期間の記憶が間違っていらた申し訳ない・・・



当然、子供たちは「週刊少年ジャンプ」を奪い合うようにして読んでいた。



私の住む熊本は田舎だった為、当時の流通では火曜日に発売されていた。


会話の話題を提供してくれるコミュニケーションツールにして,


様々な知識や情報を教えてくれる書物でもあった

(ちょっとHな大人の描写も含めて)


「週刊少年ジャンプ」は、娯楽を超えた存在となっていた。



それは、キリスト教における聖書、イスラム教におけるコーランの様な、

特別な存在になっていたと言っても過言ではない。



そんな「週刊少年ジャンプ」に掲載された『ドラクエ3』の事前情報は、

当然のごとく子供の目に留る。



袋とじなんて物があった綺麗に切らないと内容が読めない。


事前に小出しされる情報。ジャンプの最後の方に連載されていた、


ジャンプ放送局と言う名の編集部が独自に描く2.3ページの小漫画と、

袋とじに記された内容に一喜一憂していた。


キャラクターデザインは前作に引き続き、『ドラゴンボール』の鳥山明氏。

主人公と旅を共にする仲間には「戦士」「魔法使い」「遊び人?」など


主人公と共に冒険するメンバーは、今までは考えられない色々な職業がある事も

明かされており、期待は膨らむばかり。



そもそも「遊び人」という職業とは?何ぞや?



発売日が2月なので、お正月のお年玉を取っておく事を多くの少年が行っていたと。

私はそんな2ヶ月も先の事は考える事は出来ず、親に預ける事も出来ず、


好きな漫画コミックを買い占めた記憶がある。


発売日はまだか、まだか。あと何日!!


ひたすらにそう念じながらジャンプの特集記事を、


何度も眺める日々が続き……ついにその日はやって来た。


しかし私にはお年玉は残っていない・・・

『ドラクエ3』の予約ができていなかったと焦る仲間もいた。


「買えないのは俺だけじゃない・・・」とほっとしたモノだ。

(ちょっとした仲間意識が勝手に沸いてきた)



ついに『ドラクエ3』の発売日を迎え、当時、夢見る子供たちは焦りに焦ってた。


皆、その日、授業などうわの空。

ひたすら「早く終われ! 早く終われ!」と念じる怨念らしき雰囲気が漂っていた


予約したはずの子供も、本当に予約は守られているのか?


心配する声も聞こえてきた。

いかんせん小学生のやることだ。


予約券という紙切れに全ての願いを込めるクラスメートが数名居たのを思えている。



発売日、学校が終わり皆が呪われたかの様にダッシュで靴箱へ駆け寄り、

校門を出ていく・・・


半分パニック状態で各家へ散らばっていく。

ゴジラが出現した様に、皆が後ろを振り向くことなく、自宅へ急ぐ。


万が一、自分の予約分がすでに「売り」に出されていたのなら、


この日を待ちに待った夢の今日という日が絶望と言う名の一日になるからだ。



お金のない私は、別に急ぐ事も無く、いつもの様にのんびり歩き帰っていた。


家に着き、ランドセルを放り出して、着替えて、漫画でも読もうかと考えていた。


まさにその時だ!!




夜勤で昼前に帰っていたはずの父親が、神の一声をかけてきた。


「『おい!なんか知らんが欲しがってたゲーム』の予約券いるか?!」と・・・


一枚の紙きれを差し出してきた。




「え!!?」


突然の一声に頭が真っ白になった。


「おいおい嘘だろ?」


「父さん、それパチンコの開店時に配られる整理券でしょ?」


・・・と半分疑いながら、父親が差出した「予約券」を受け取った。



間違いない!


これは本物の「ドラクエ3購入予約券」だった。


いつもTVのチャンネル争いに敗れて、悔しい思いをさせられていた父親。

見たいアニメも見れず、野球放送を独占していた父親だったが、

あのときは神様に見えた。


父親がパチンコで勝ったらしく上機嫌だった。



そして何故か持っていた予約券。


この経緯は下に記しているが、

父親は昼前に家に帰っていたと思っていた私の勘違いだった。

だから半信半疑だったのだ。



その時は「何故?」とは思ったが、色々聞いて父親の機嫌をこじらせて、

予約券を破られたら嫌なので、これでもか!という位の「ありがとう!」と

言葉を伝えた。


そしたら「うるさい!!」「早く買ってこい!」

「帰ってきたら、こっちは寝てるから静かにしろよ!」と、



すこしシワしわになった福沢諭吉の紙幣を一枚くれた。

(一万円はこの時代も紙幣変更後も2世代続いて福沢諭吉)

間違いなくパチンコで勝ったお金だと思われる。


まさか「予約券」に「1万円の紙幣」まで頂けるとは・・・

とりあえず、ダッシュで自転車にまたがりゲームショップへ!!



後日、少年から大人になった時に、この時の事を聞いた事がある。

父親もこの日の事はハッキリ覚えていた。

朝一でパチンコに行って、100円玉24個で十数箱を出して、

母親にバレずにどう隠すかを考えていた時、ダフ屋らしきオッサンから

予約券を手に入れたらしい。



夕方母親の様子を伺いながら家に戻って来た時、偶然に私が帰ってきた。

「夜勤で寝るとき静かにしてほしいから」と口実を作り予約券と金を渡したらしい。


当然、渡したお金の数倍を稼いでいたが、母親に取られるのが嫌だったらしく、

「稼ぎは息子へ」という攻めと逃げの両方へ神対応をした転機を父親も我ながら

凄い転機と言い訳だったと語っていた。



こうして「ドラクエ3」の発売日に、

意気揚々とお店に向い無事に『ドラクエ3』を手に入れた。


新たなドラクエの世界!!

思う存分楽しむことができる。


ゲームショップから帰る道のりは、

映画の「ET」並みに自分と自電車が空を飛んでいる様な

感覚と余韻に浮かれていた。




夕方19時のニュースで『ドラクエ3』のフィーバーぶりを放送していた。

東京の様子が流れていた。




熊本では見た事も無い人の行列。


正月2日の鶴屋の初売りより長い人の行列!

はじめて東京という都市の大きさと人の多さや規模を真の当たりにした。


そして発売直後から、どこも売り切れでしばらく手に入らなかった。

動機はどうあれ、当時の父親には今でも感謝の気持ちしかない。

ありがとう!!


それからしばらく学校の話題は『ドラクエ3』一色。

 

「何とかの剣はここにある」

「賢者になるには?!」

「追加されている魔法最強!」

「どこどこの城にはあんな物がある」

・・・・などなど、クラス中で自分なりの攻略や他のプレイ情報を聞く日々だった。


・・・とはいえ無事に手に入れられたクラスメイトは良かったのだが、

手に入れられなかったクラスメイトはだいぶ肩身が狭そうにしていた。


いわゆる「勝ち組」「負け組」が出来た



この時の『ドラクエ3』の品薄が、後に抱き合わせ販売や大行列、

「ドラクエ狩り(カツアゲ)」などの社会問題を引き起すのだが、

今は語るまい。




「週刊少年ジャンプ」での発売前の事前情報の小出しが絶妙だった。

AKBを仕掛けた秋元康もびっくりな小出し感。


なんせ手掛けた堀井雄二、自らが情報を出す上に、

情報の選択や文章も巧みだった。


当時はゲームソフトがカセットロムだった。


現在のようにBlu-rayではなかった。



ダウンロードなんて言葉なんて知らない。


宇宙人の言葉と思える単語だ。




当時は、今より即座の再出荷ができない仕組みだったのだろう。


生産機械の能力や流通の問題など・・・

そのため商品が大ヒットすれば慢性的な品不足になり、


それが一層人気に拍車をかけていた。


逆に考えると今は、ゲームソフトの再出荷も容易で、ダウンロードがある。

こうした現象はなかなか見られない現象だろう。



コロナ騒動で噂に流されトイレットぺーパーを買う為に行列を成す大人たちより、


ドラクエ3の行列には夢と情熱と必死さがあった。

古き良き時代の話・・・




スマホでゲームできる今の子供に

当時の熱狂は多分わからないだろう・・・



友達との情報交換や裏ワザ情報誌なんかなくてもググって答えがでてくる。

スマホでなんでも完結してしまう世の中。

便利だけど寂しい・・・熱気が感じれない。


今のネット社会では作り得ない独特の熱狂感があったな。



当時小学生という年齢、毎週小出しにされる新しいモンスター、マップ、

攻略情報……

ソフトを手に入れ初めてプレーした感動は、時代と年齢がミックスされた、

一生忘れ得ない良い思い出。


タイムスリップして時代を再び過去に戻れるとしたら、


やはり、あの時代だ。



バブルに浮かれた時代!

ドラクエ3があった。

そして、名作揃いの週刊少年ジャンプがあった。




ドラクエのヒットはシステムやキャラクターはもちろん、

やはり一番の要因は、耳に残るのはあのBGMだ。




天才作曲家すぎやまこういち氏の作曲の力が大きい!



今のゲームの曲は思い出すことが困難だが、ドラクエ3は今聞いても

鳥肌が立つくらい凄い!!


朝には「あれどこにあるの?」「あいつ、どうやって勝つの?」の話題で、

持ってないゲームをするために友達の家に行ったり、

終わったゲームを交換したりが当たり前。


カセットに、大きく油性ペンで持ち主の名前を書いた。


今思うに、ある程度の不便さが、人間関係を築くには必要なのかと思う。


ネットで検索が出来ない時代は、「ググれカス」なんて言われることもなく、

皆であーでもないこーでもないって言ってた。


クラスでの情報交換も、ウソなのか本当なのか分からん噂話で盛り上がっていた。



しかし令和の現代でも、同じようにスマホでググるとウソとも本当か分からない情報に、躍らされてる自分がいる・・・


あれから30年以上経ってネット時代になっても人の本質は変わっていない。


目を閉じて当時を振り返る・・・




オカンがあらわれた。


オカンはいきなりおそいかかってきた。

「ゲームばかりやってないで早く勉強しなさい。」

痛恨の一撃。主人公はダメージを受けた。


主人公の攻撃

「お城まで着けないからゲームが終われない。」

言葉の選択ミス。おかんにダメージをあたえられない。


おかんはザラキを唱えた。(アダプタを強引に引っこ抜いた。)

主人公のデータは消えてしまった・・・


あーーー!!!!全てのデータが消えたーー


ちゃんと消さないと、データが飛ぶ(消える)事もしばしば。



やはりあの時代の情報源は友達、友達の友達の怪しい情報。

雑誌は高くて買えなかった。



アナログ時代真っ盛り!

ネットはもちろんスマホもガラケーもない。


しかし話題も出来たし、それで新しい友達も出来たし、

良い時代だったと思う。


今は情報が直ぐに手に入るし、家にいながら友達と会話しながらゲーム出来るし、


デジタル時代は良いのだけれど、ついていけない!






そうそう、少しはズレて、この「ドラクエ3」の前作「ドラクエ2」に話を移そう。



これはとにかく難しいかった記憶しかない!

まずゲームを起動して難敵が現れる。




それはふっかつのじゅもん!


これには泣いた人も多かったはず!!



ブラウン管とTV画面で、文字が読みにくい、読めない。

今の様にフルHDや4Kなどの解析度は、ブラウン管TVにはない。

そもそも平面画面では無い。

すこし膨らんでいた・・・

そして、今では考えられない解像度。


ドットで文字を見る読む事は至難だった

特に間違えやすいのは「ぬ」「め」「ね」「れ」「ろ」「る」後は

「ぺ」「べ」「ポ」「ボ」など濁点があるかないか。



これのせいで再開出来ず何度かやり直した記憶ある


社会人になって、メモをとる大切さを学んだ。


基本ドラクエ2のパスワードをメモするときは、最低でも「3回」は、

見直しと読み上げで画面とメモ帳との見合わせが必要だった。

そうしないとまた悲劇が!! 


今までの冒険した記録が読みだせないのだ!

何日、何週間と費やした時間と冒険が、

ふっかつのじゅもんが一致しないと再開できない!!



今ではオートセーブが当たり前。

ゲームで分からない事があれば、ネットで検索等、当たり前の時代。


それらが無かった時代・・・良かったのか悪かったのか。


それは後世の歴史がいつか証明してくれると信じて

この物語を終わりたい。


                 完

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