第81話

秋は二日目の図書館へと足を踏み入れ、少しばかり時間が経った頃だった。そのころ秋は図書館にある本が一体どんなものなのかというある種原点から立ち返りそこから異世界としての成り立ちを探そうとしていた。




「ふう………一回は一通り見て回ったな」


「ん……どうだった?」


「うーむ……微妙だな。何かが分かったような気もするし、何もわからなかったような気もする…」


「ん。それでいいと思う…現地の世界の私でも、そんな感じだし」


「んま、とりあえず二階も見ておくか、詳しいことはやり終えてから考えよう」


「ん……了解。」




こうして秋は二階への階段をリアと共に上り、二階にどんな本が置かれているかというのを見るべく動き始めた。




「———そうだなぁ…基本的には地理なんかの情報が載ってる本や、歴史ってのは変わらないのか…」


「魔術の本は二階にはない…やっぱり貸し出しが多いから、一階に集中してるのかも」


「なるほどなぁ…ってことはこっちの方がこの世界の情報という意味では価値が高そうだな」


「ん……」




こうして二人はゆっくりとだが本棚の本を覗いてはどういったジャンルで本が収録されているのかを探していく。そしてそれはついに終盤。四つ角の内三つを制覇し、次の角の“偉人”欄に向かおうとした時に、事件は起きたのだ。




向かいから歩いてくるのは一人の女性。美しい部類に属するのは確実な女性が、本を持たずにこちらとは反対の方面から歩いてくる。髪は亜麻色のような色をしており、顔立ちはしっかりとした中に確かな色香を備えているような大人の女性。




そして、その亜麻色の女性がすれ違うその瞬間。それは起きた。








—————あなたの実力。見せてもらうわよ————。








その瞬間。隣にいたリアの温もりが消え、本が並ぶ景色から、白と青が織りなす空色の空間へと転移させられた。















その亜麻色の髪を持つ女性————ノワールは、秋の登場に希望を感じると同時に、パニックにも陥っていたのだ。




この場で、希望の少年———秋に、何とか邪龍討伐を依頼したかったのだ。次なんてない。もう猶予なんてないのだ。ここで地団駄を踏み、必死に考える程の時間など残ってはいなかったのだ。




(どうする?どうする私!?…まずは貴方がスタンビートを沈めたのかと聞いてみる?この場で?向こうからしたら初対面で顔も名前も素性も知らない相手に、一方的に自身の情報を開示される…これでは駄目————)




そうこうしている間に、秋は目的のために二階へと昇ってくるのが、ノワールの側からもはっきりと確認できた。幸いノワールがいるほうとは逆から回っているため、自分がいる角に当たるのは最後になりそうだという事実が時間を生み、それが少しばかり心に余裕を与える。だが




(————この場所で何を言ってもだめかもしれない。けど、何か言って、ファーストコンタクトで全てを持って行けさえすれば、何とかなるかもしれない……)


(————この手は取りたくなかった。けど、もう、これしかない…。あの少年が、好戦的ではなく、理性的であることを願ってっ……!!)




ここでノワールは勝負に出る。それは竜人にしかない特殊能力の内の一つ。『竜化』『竜眼』、そして最後の能力『竜界』を駆使した一歩間違えれば拉致紛いの行動。




竜人の持つ能力『竜界』には、手に触れた物であれば生物・非生物問わずに連れてくることが出来るのだ。それを使って秋を竜界の中に引き込み、話をしようという魂胆なのだ。




完全にやっていることは犯罪紛いと言われてもおかしくないかもしれないが、ノワールにはこれしか思いつかなかったのだ。




(よし、やるわよ…私——————)








こうして、ノワールは、たった一言を浮かべて秋の隣を通り過ぎる。“あなたの実力。見せてもらうわよ”————その言葉には、必死と悲壮が詰まったうえに成る希望に対する、本心からの願いが込められていたのだ———。















青と白。雲と空を連想させる意味不明な空間に、秋は強制的に転移させられた。




意識がゆっくりと覚醒する。思い出すのは最後の言葉と、亜麻色の髪。完全な犯人像が誰かを思い浮かべると同時に、その人の声色を思い出そうとして、その答えは耳から入ってきた。




「まずは、強引に連れてきたことを深く謝罪するわ————」




その声が聞こえた瞬間。秋は本能的に武器を強制展開。両手に『百忌』と『グラハムザード』を顕現させ、すぐさま臨戦態勢を取る。そして目には新スキルの『皇帝の隻眼』を発動させ、“王魔眼”と“時空眼”という一番魔力消費の多いものの、一番対人戦闘に効果を発揮するであろう組み合わせを容赦なく発動。魔力が減っていくのが感覚でわかるが、相手は未知の敵。自身を隔離可能な空間に追い詰めた強者である可能性すら存在する以上。ここで出し惜しみはできない。




「……!!!。私は、貴方とは話し合うつもりでいます。私は、貴方があのスタンビートを一撃で消し去り、あの森を生成した張本人であると推測しています。そのうえで、貴方にお願いがあるのです」


「……!!!!!!」




(なぜこいつが、それを知ってるっ!!!)




秋の心もまた驚愕と共に受け入れられた。そしてその女の話が、戦闘ではなく対話という点と、秋自身も聞きたいことがあったため一度百忌とグラハムザードを少しばかり緩め、対話を選択したのだ。




「……分かんねえな。急に図書館から訳の分からない所に飛ばされたと思ったら、いきなりだな、そっちが対話をお望みなら、俺からの質問に答えろ。一つ。なぜそんな推測を言う?二つ。どうやって俺を飛ばした。ここはどこだ。三つ。脱出方法を教えろ。この三つが教えられない限り、対話なんてありえない。以上だ」


「……はい。では質問に応えさせていただきましょう。一つ目。あなたの魔力と、あの時スタンビートで起こった際の魔力の色が同じだったためです」


「………」


「二つ目、これもまた私の能力です。結界を創造し、その中に私と私に触れた物質・物体を転移させられる能力です」


「で?一番肝心の帰り道は」


「それは教えられません。ここまで言ったのですから、私のお願いも聞いていただかないと」


「…もし聞かなかったら?」


「……実力行使というのもあり得ます」




この時、秋はもちろん、ノワールにも限りない負担を自身に敷いていた。秋は正体不明の敵という点で、魔眼で現在もなお情報収集を行っているとはいえ未知であることに変わりはない。そして、ノワールはこの時点で、秋よりも格下であるという確信を持っているのに対してのあの言葉だ。100%のブラフ。それを圧倒的上位者である秋に見破られたら終わりなのだ。精神が削られるブラフ合戦。その戦は静寂で始まり、そして静寂が終わるころに終わるのだ。




「……なるほどな。お前の正体は竜か。それも竜人」




そう、この言葉で。




「………!!!」


「へぇ…その反応。当たりっぽいな、なるほど。竜人。この世界にいたのか…」


「…ばれてしまっては仕方ないですね…」


「んで、再度質問だ。どうやったら俺はこの世界から脱出できるんだ?」


「……願いを聞いていただければ、お教えいたしましょうと申したはずですが?」


「……なるほど。聞けば、ねぇ…」


「ええ、聞けばです。」


「—————話せ。聞くだけ聞いてやる。この言葉の意味は分かるよな?」


「……ええ。」




聞くだけ。文字通りの意味だ。請け負うまでは確約しないという意味だ。




「私たち竜人は、今生存の危機にあります。生命を脅かす我々の天敵、邪龍が復活し、竜人を殺す瘴気を私たちの集落に降り注がせているせいで我々の生活圏や生命そのものが危機にさらされているのです。ですので、この邪龍を討伐。もしくは撃退していただけないかと」


「……なるほどな、んで。確かに依頼は聞いた。んで、次はどうやったらここから出れるかだ。さっさと教えろ。約束だろう?—————ちなみに親切な俺だから伝えてやるが、それが依頼なら、俺に何のメリットがあるんだ?その邪龍とやらを命を懸けて討伐・撃退したとして、そこで俺はいったい何を得られるんだ?その邪龍とやらは、スタンビートを一撃で消し去ったほどの実力の持ち主でないと頼めないほど強い相手なんだろう?当然、それに見合う対価を用意しているんだろうな—————」


「そ、それは……」


「そして俺は生憎だが、金には困っていない。そして俺には目的がある。一秒たりともこの時間を無駄にしたくない…。丁度。今のようにな」




その瞬間。秋は魔力を一気に放出する。さながらそれは重圧の如き水が降り注ぐ大瀑布のように、一瞬で辺りを沈める。




その深き流れに抗い、亜麻色の美女がゆっくりと口を開く。




「……私にできることであれば、何でも致します。その目的のお手伝いでも、貴方の奴隷にでもなります。ですからどうか…私の依頼を、受けてはくださらないでしょうか…」




そういうとその女性は、自らその地に膝をつけ、頭を下げて秋に依頼をした。さすがの秋もこれには苦い思いが心をよぎり始めたのだ。




「あ~……まー、とりあえず頭を上げろ。————とりあえず、お前の思いや願いは分かった。だが、俺にもそれに負けないぐらいの目的がある。そこにかける思いがある。お前が家族を助けるために一分一秒を無駄にしたくないように、俺にもその目的のために一分一秒を無駄にしたくなんてねえんだよ。だから諦めな。俺じゃない別の誰かにそれは頼むんだな。それと————悪かったな。俺は人よりも義理とか、人情とか、そういうのあまりねえんだよ」




「————そ、そんなっ!!あんまりです!!私はっ、私はあなた以外に、今邪龍を倒せる可能性のある人間を見たことなどありませんっ!!!貴方しか、もう私にはあなたしかいないのです!!」




その女性は、確かに必死なのだろう。誰かを犠牲にしてでも、たとえその言葉が、“倒せるならお前は死ぬかもしれない戦地に私のために行くべきだ”という神をも恐れぬ傲慢な発言であったとしても、それを責めたくても秋はやってはならないと心をいさめた。




自分もまた、力を欲する人間の側だったからだ。たまたま力を貰えただけの餓鬼が、この女性の前で何かを言い放ち、その心を傷つけた代償を取らせること自体が、自身に対する冒涜そのものなのだ。




だがそれでも、力を求める人間はこの女性のほかにも大量に存在する。ただ力を貰えた餓鬼であったとしても、その力に感謝しどう使うかは結局のところ秋が決められ、決めなければならないのだ。決められるのだ。そして出した答えは———。




「それでも無理だ。俺は、薄情なんだ。許してくれとは言わないが、まあどうか恨み続けてくれ。それでお前の気が済むならな」


「…………っ!!!!!!」




その目は、悲壮感と、怒りと、憎しみと、———そして、世界に対する絶望感に溢れていた。




(あぁ……。)




見てしまった。その目を。




自分も昔、考えたことがあるのだ。自分は順調に力を貰えた方だと思っている。もちろんゼウスの元で死ぬかもしれない訓練や、70万もの魔力を受け渡すという前代未聞のスキル成長を遂げて今ここにいる。だがそれでも、それでも力がないよりマシだと。あるだけマシだ。動けるだけマシなのだと心の底から思ったのだ。




そして今その目を見て思ったのだ————力がない俺が、していたかもしれない眼だと。




(はぁ……)




力の渇望。その眼に映るのは間違いなくそれだった。




(だが、俺にも目的がある。だから…悪いな、俺は今から“言い訳”をするよ)




「はぁ…分かった。お前にチャンスをやろう」


「…え?」


「一度だけ、俺と戦え」


「…はい?」


「話は平行線。もう言葉だけで意思は曲げられない。なら、力しかない。そういうことだ」


「—————!!!!」


「ああ、ルールは一つだけだ。死ぬ前に攻撃をやめる。それ以外なら何でもありだ。もちろんお前の『竜化』も認める。全力でこい。それでも俺に勝てなかったら———ここから出してもらう」


「———————了解、しました…」




こうして始まる。亜麻色の髪の美女———ノワールと、仲岡秋との決闘が。




だが、これは秋の言い訳なのだ。ノワールよりも秋が強いことは、秋は理解していた。もちろん、戦いに絶対はない。弱者が強者を食らうという図式は、戦場では通用しない。得手不得手がそのまま生死に直結する。わずかな隙で人は死ぬ。只一刺しの槍でも、一切りの刀傷でも、腕か首かだけで人の生き死にが決まる。不確定があふれる戦場だからこそ、絶対的な強さが必要になる。そしてそれを持っているのは、今間違いなく秋だ。9割で秋の勝ち、それだけのハンディキャップをノワールは背負って戦う。あまりにも不平等すぎる決闘。




そう、これは言い訳。秋の只の、言い訳に過ぎないのだ————。




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