第77話
時刻はもうとっくに朝————というわけではない。この異世界では朝とは早朝の事を指し、陽の出る前には行動を開始している町民も多い。だからこそ眠りにつく時間ももちろん早くはなっているのだが。
もちろんこの異世界では電気・電力という科学を動かすためのエネルギーなど認知もされてはいない。電球なんてものはこの世界に人々の心や頭の中でさえ存在はしていないのだ。今のところは。
だからこそ明かりが貴重なこの世界は、太陽が動く時間に人も動く。明かりは貴重だ。火の明かりもまた、それを灯し続けるための油は大変高価だ。この時代では特に。
そしてそれは、現代から異世界に飛んでやってきた仲岡秋も例外ではない。もうすっかり慣らしていると言った方が正しいかもしれない。
もっと正確に言うならば、人外となったステータスが織りなす。睡眠をあまり必要としなくなったという特性をフルに使った力業ともいえるかもしれないが。
「…ん?ああ…おはよう」
「ん。おはよう。秋」
「…毎回、俺よりも早く起きてるな、リアは」
「秋の寝顔……早く起きないと見れない…私の楽しみの一つ」
「はぁ…人の寝顔。ましてや俺の寝顔なんて見ても楽しくはないと思うぞ?」
「いい。私は楽しい」
「はぁ…まあ、見られて困るもんでもないからいいがな…まるで恋人みたいだ」
秋の言葉にリアはクスッと笑うだけで何も言わなかったが、それでも笑みをこぼすリアを見て自然と秋も笑顔になった。
こうして朝は、リアの笑顔を見て早朝起きるのも、もう秋の日課となっていくのかもしれない…。
◇
ギルドから紹介を受けた宿屋もまた、宿泊客よりも早く起きて作業を開始している。これは朝早くから起きておいしい依頼を獲得しようと頑張る冒険者たちに朝食などを振る舞うこの宿屋のサービスを維持するべく、女将さんや厨房の旦那さんはすでに起きている。そして秋達が起きて朝食を取ろうとしているころには、辺りの冒険者は朝食を済ませもう席はほとんど空いていたといってもよかった。
「今日の朝食です。冒険者の皆さんはもう行かれましたが…大丈夫ですか?」
「はい。今日は依頼を取らないつもりでしたので」
「そうでしたか、それではお座りください。朝食をお持ちいたします」
女将さんがこの異世界では丁寧すぎる丁寧語で案内された席へと座る。この世界では丁寧語なんて庶民の間ではほとんど使わない。それもまた荒くれ者という印象も確かにある冒険者たちを無碍に扱わないサービス精神が、この星の輝き亭という宿の人気を上げているのかもしれない。
「さて、朝食を取ったら今日は図書館に行くぞ。リア」
「ん。了解…」
こうして秋とリアは、星の輝き亭のパンとシチューを朝食にほおばり、図書館へと向かった。
◇
宿から出るともう太陽は輝きを見せ始めており、少しゆっくりしたのもあって時刻は午前7時といったところ。宿の女将さんに聞いてみたところ図書館はまだ空くには日が出きっていないという事で、朝の商業都市トリスを散策でもしようと秋とリアは大通りへと向かっていった。
朝の商業都市トリスもまた活気があり、朝の静寂を消し飛ばすような客寄せの声や人々の足音が耳から入ってくるようだ。
特に大通りの屋台で売っているのは冒険者の朝食。野菜の切れ端や小さな欠片のような肉が入ったスープや、パンにソーセージのようなものが挟まった異世界版ホットドッグなど。様々な朝食のバリエーションが屋台の多さも相まって極まっていた。
他には剣や防具の手入れなどを請け負う屋台。八百屋や肉屋。魚屋なんかも今から営業を開始しようとしていたところだ。
大通りから少し外れた通りを2個から3個歩いてみると、そこには人は少なくなってはいるものの、朝から服屋やそれこそ飲食店などが次々に開店しつつあった。
「秋。街を秋と見て回るのは楽しいけど、図書館。行かないの?」
「ああ、せっかく少しでも時間があるんだ。どうせなら物価の確認なんかもしておきたくてな…」
そう、この異世界にきてから秋は何もかもを知らなさすぎる。ゼウスから神界で話を聞いているとはいえ、この世界で見て、感じたものにも価値があるのではないか。というのは何も秋の心配性でも何でもないごく普通の考え方だろう。
例えば魚屋、やはりここ商業都市トリスでも、海路での商品は高い。銅貨5枚から買える魚が小魚だったり。腐る寸前ギリギリの安い魚を銅貨2~3枚で買う主婦を見たり。
例えば肉屋。魔物肉と牛・鳥などの肉が明確に値段設定が分けられていたりなど。様々なことがこの市場からでもわかったのだ。
「そういう事を知りたくて、少しここを歩いたってわけだ」
「…ん。理解できた。それをやってる秋はすごい」
「まあな」
こうしている間に太陽が昇った。時刻はおおよそだが8時頃だろう。秋とリアは図書館へと向かった。
◇
秋たちは商業都市トリス図書館の前へと足を踏み入れた。外観は白一色にどこか神殿のような丸柱が等間隔に配置されており、形は長方形。まるで現代ローマにある神殿のような面影を残していた。
そして中に入ってすぐには、受付のテーブルが二つほど並んで配置されており、その間には大きな図書館への入り口がそびえていた。受付には朝も早いからなのかあまり人はおらず、スッと受付の前へと足を運ぶことができた。
「トリス図書館をご利用のお客様ですか?学生の方なら銅貨1枚。それ以外の方は入館料と致しまして一人銅貨五枚を頂戴いたします」
「ああ、了解した…。二人だから銀貨1枚で頼む」
「はい。了解いたしました。この札をお持ちください。これは再度入場するために必要な札です。一度だけ再度入場が認められます。この札を盗む輩もいますのでお気を付けください」
一度だけ再入場を認めている理由としては、ここには昼食を取れる場所が存在しないため、朝昼を通して学んでいる学生たちは一度外に出て昼食を取らねばならないという理由からだ。
「更に本の持ち出しは固く禁じられております。魔術による写し等は認められておりません。手書きでの書写なら可能です。がそれを売り出すのは固く禁じられております。これらを破り犯した場合には領主の権限で身柄を拘束させていただきます」
異世界において本というのは貴重なのだ。この世界には本を大量に複製する安価な手段が存在しない。つまり手書きなのだ。それらは大変貴重な知識の宝であり、本というだけでも高い価値がある。紙・知識両方が高い価値を持っているため、トリスでの図書館という使い道は、言ってしまえば“レアケース”なのだ。それを可能にしたのがこのトリスを商業都市にまで発展させた領主の手腕というわけだ。
このトリスには学園と呼ばれる施設も存在しており、その管理は王国もが一枚かんでいる王立の学園なのだ。そしてそこの学生たちはこの図書館で銅貨一枚を払えばいつでも学びにこれる。それ以外の学びたい人間にも銅貨五枚という安価で開放している。はっきり言って異常だが、それがこのトリスに人を呼ぶ理由の一つでもあるのだ。
冒険者・学生・学生志望の若者・知識を学びたい者・知識人など。様々な人間と、そして人間が集まれば物が集まる。こうしてできたのがトリスであり、同時にこれらのトリスの仕組みを作ったのが今のトリスの領主なのだ。
「更に本を盗もうとした場合にも、この入り口に待機している領主の許可を得た魔術使いを最低でも一人常駐させております。決して盗めるなどと思わないでください。説明は以上です。何かご質問等ございますか?」
「いやない。丁寧な説明ありがとう」
「そしてもちろん。館内では飲食の一切を禁止しております。何かをお飲みになる際にはこちらのロビーまで一度出てからもう一度お入りください。その際は再入場としてのカウントはされません。そしてもし本に対して何か汚した・破った等があればこちらまでご連絡ください。事情を聴き、本の損傷度合いに応じてこちらが判断させていただきます。損傷がひどい場合に関しましては、故意であれば罰金を、故意でなければ銀貨1枚を支払っていただきます。また事情を聴いた際の嘘偽りは認められません。それが発覚した場合には金貨一枚をお支払いいただきます。払えない場合には領主にの権限により拘束させていただきます」
「了解した」
「そうですか、それではどうぞ、トリス図書館へ」
こうして秋達は商業都市トリス図書館への入場が認められた。
◇
トリス図書館の中もまたすごかった。紫のカーペットには黄色のラインが模様のように入っており、2階か3階か或建物の中には、ダークオークのような深い色味のテーブルとイスが用意されており、そこではもうすでに6割方が座り、横に本の壁を作って勉学にいそしんでいた。
割合としては学生5:その他5といった感じか、学生がこんな朝から多いのは少し驚いたが、異世界の学園の制度など知らない秋からしてみればこの光景もまた受けいれていく光景なのだろう。
「さて、リア。お前も少し知りたいことがあったんだろう?分かれて行動しようか」
「ん…ひと段落付いたら秋のところに行く」
「そうか、じゃあ俺はそこに座って本を読んでるから、リアも適当に本を取ってくるといい。後であのテーブルにってことで」
「ん。了解」
こうして秋とリアは各々が望む知識を見つけるべく本を漁り始めた。
◇
そして数十分後。秋がお目当ての本を探すのに苦労して帰ってきたときには、リアはもうその本を少しづつ読み始めていた。テーブルの席にはリアしか座っていなかったため、秋も迷わず同じテーブルの席について取った本を脇に置いてリアを見つめた。
「リアは何の本を取ったんだ?」
「ん……国の分布図。みたいな?感じの本」
「国の分布図…かぁ…」
「時代の動きと国の勢力図を、書き記していったものみたい…」
(ああ、そういう事か)
秋は気づいた。国の分布図という事は、リアの故郷———シュヴァル王国のその先が知りたいのだろう。
「秋。私の事は気にしないでいい。これも趣味みたいなもの。最後の義理」
「……俺、そんなに顔に出てた?」
「ん。私だから分かる。えっへん」
「はぁ……これは敵いそうにないなぁ…」
「そういう秋は、何を取ってきた?」
「ああ、俺は過去の勇者関連の本だな。何をしたのかとか気になるし、それにこういう物語みたいなのはいっぱいあると思ったんだが…見つけるのに時間がかかっちまった…」
「…私はこの本を読んだらもう調べたいことない。あとで一緒に探してあげる」
「…ほんとにいいのか?だとしたらものすごく助かる。正直この国の言葉が分かるだけで、読むとなると少し勝手が違うような気がしてなぁ…」
こうして話がひと段落付いたところで、秋とリアはまたお互いの本を読み始めた。秋の本には勇者の物語がまとめられた本だったらしく、何代かの勇者の情報は知れた。
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『勇者伝記』
一代目勇者。全てを聖剣の一振りに込めて放つ。剣の勇者。仲間と共に剣を取り、剣を共に振るいつくして魔王を討つ。
二代目勇者。その魔術の一撃は魔王軍を粉々に砕く。仲間が剣を取り戦う中、ただ一人で一軍を退けた魔術の勇者。前に出る仲間をその魔術で支えながら魔王を討つ。
三代目勇者。その聖剣は魔なる剣。聖剣に魔術を込めて魔王軍を駆逐する。仲間よりも前に出て、全てを退けた聖魔の勇者。
四代目勇者。聖剣と魔剣を使い、たった一人で魔王と対峙するが、最後には駆け付けた仲間と共に魔王を討つ。魔剣の勇者。
五代目勇者。最強の座を欲しいままにした最強の勇者。魔術の一撃で魔王軍を退け、そのひと振りで魔王を討った最強の勇者。
六代目勇者。光の勇者。その剣や鎧のすべてに光が宿り、聖なる光は味方を照らし敵を浄化する光。仲間と協力し魔王を光の一撃で葬る。光の勇者。
七代目勇者。闇の勇者。たった一人で闇を纏い、誰もが知らぬ間に魔王軍を殺し、一人で夜の闇に溶けて魔王を討つ。闇の勇者。
私が記せる伝記はこれまでだ。だが忘れないでほしい。この先も人々が魔なる者に追い詰められたとき、そこにはどんな形であれ勇者という光がいることを。
———著者:マーク・アエレス———
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(一代目・二代目はおそらくだが、前にリアが言っていた“ステータス55万の勇者”と、“魔術特化の勇者”だろう。三~七代目まではおそらく不明だが、もしかしたら一代目・二代目勇者をリアが知っていることを考えると、150年前程度に一代目勇者が呼ばれたと考えるのが自然…なのか?そしてその後も、この著者が生きていくまでには七代目は勇者として誰かがいたことになる…。うーん。謎が深まっていくが…。過去の勇者に興味に示すのはやめよう。問題は———)
(———今の勇者が複数いて、勇者として存在している。つまりこういう能力を身に着けている可能性もあるという事)
(敵対ではない。ただ関係が絶対にないとは言い切れない。陽を強制的に連れ帰ろうとする俺は、勇者から見たら不利益を撒く存在。もし抵抗したとしても———払いのけるだけの力が欲しい。もちろん保険としての意味にとどめてはおきたいが、“切れる”保険であってほしいことには間違いない)
秋はよく注意しながらこの『勇者伝記』を読む。分厚い本の中には、先ほどの勇者の特徴を表した一ページを始まりとする1代目~7代目の勇者の旅路が記されていた。
(うーむ………。あまりこいつらの旅路を見ていてもしょうがない…か。一応読んではみているが、大した情報は乗ってなさそうだな。どちらかというとこの本の物語は事実を淡々と載せているだけのようにも見えるしな)
(だが確かに収穫はあった。1~7代目の勇者の能力は、確かに有力な情報の一つだろう。感謝だな)
そうして秋が難しい顔をしながら考え事をしていると、本を読み終わったリアが秋に構ってほしいのか、それとも難しい顔をしている秋の顔をほぐしたいのかわからないが、秋の頬にその人差し指を優しくさした。
「な、なにするんだリア」
「怖い顔してた。秋」
どうやら後者が当たりのようだ。秋は怖い顔をしていると言われ少し慌てながら考え事をやめて顔を取り繕った。
「ああ、すまない。考え事をしていたんだ」
「ん…。本は読めた?さっきからページが進んでないから」
「ああ、一応読めたぞ」
「じゃあ次の本探しに行こ、私も読み終わった。手伝う」
「ああ、そうだな」
こうして秋は次の本を探しにテーブルから立ち上がった。
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