第188話 時を越えて、再び。

 怜奈がこの世を去ってから、早一カ月近くが経とうとしていた。

 季節は進み、冷たい木枯らしが吹き抜ける日々が続いていた。

 公園には僕たちの枝から落ちた枯葉が舞い、地面を覆いつくしていた。落ち葉は片付けられることなく放置され、通りかかる人たちが踏みしめていくうちに葉がちぎれて粉々になったり、濡れた葉は地面にへばりついていた。また、風に飛ばされた落ち葉が道路にも舞い落ち、通りかかる車が走りにくそうに見えた。

 樹里が以前携帯電話を使って呼び寄せた掃除の達人らしき若者たちは、一度ここに来て以来全く姿を見せなかった。多分彼らはいい動画さえ撮れれば、あとはどうなろうと関係ないのだろう。


『落ち葉、全然片付かないね。僕らの枝から落ちた葉だから、片付けてくれって言いにくいけど……』

『こないだ通りかかりの運転手が文句言ってたわよ。葉が車に一杯落ちてきて前が見えないって。「こんなところに木があるのが悪いんだよ」って、私たちが悪者にされて嫌な気分になっちゃった』


 苗木達の話を聞き、胸が痛くなってしまった。落ち葉は僕たちにとって「生理現象」だから、避けたくても避けようがないし、だったら伐採するしか解決方法が無いというのは、あまりにも乱暴な結論である。


「ふう……疲れた」


 その時、僕の真後ろから誰かの声がした。

 振り返ると、芽衣がシュウとともに大きな鞄を抱えながらこちらへ近づいてきていた。


「遺産相続とか土地家屋は、ちゃんと弁護士と相談した方がいいって葬儀屋さんも言ってたからね。とりあえずお義母さんの部屋の中を片っ端から探って、契約書とか色々かき集めてきたけど、これでいいのかしら?」

「これだけあれば十分じゃないのか? とりあえず差し出して、あとは弁護士から言われた通りにやればいいんじゃね?」

「もう、シュウは長男なんだから、私に全部お任せにしないで、もっと自分から動いてよ!」

「んなこと言ったって俺は仕事で忙しいんだ。芽衣は主婦だし、時間に余裕があるんだから、やれることはやってもらわないと」

「最低……そういう風だから、樹里に馬鹿にされるんだよ。『何もできないくせに、親だからって偉そうな面するなよ』って」

「ふん、知るか。あいつの言うことなんかいちいち聞いていられるかよ」


 二人の会話はどこかとげとげしい雰囲気があった。大事な人が亡くなり、心が落ち着かないうちに色々と整理することが出てきて、余裕を無くしているんだろう。

 夫婦の行き先は、公園の隣のマンションだった。マンションの中にいる弁護士……といえば、あいなとその父親しかいない。


 ビュウウウ……!


 激しい風と共に、地面を覆っていた落ち葉が目の前をぐるぐると回転しながら巻き上げられ、やがて公園の中にぱらぱらと降り注いでいった。

 落ち葉の舞い落ちる中、厚手のジャンパーを着た少年が掌で顔を押さえながら僕たちのいる方向へ近づいてきた。やがて少年が顔から手を離し、あどけない表情をしながら辺りを見回し始めると、苗木たちからは歓声が上がった。


『ねえねえ、あの男の子って樹里ちゃんの彼氏じゃない? 確か……ケンスケ、という名前だったっけ?』

『そうそう! そんな感じの難しい名前だったよね』


 しばらくすると、樹里が靴音を立てながら玄関から姿を見せた。

 樹里の顔にはしっかりと化粧が施され、ジャンパーの下には肩が見えるデザインのセーターを着こみ、太ももが大きく露出する短い丈のスカートに底の厚いロングブーツを合わせ、歳不相応なほど大人っぽい雰囲気を漂わせていた。


「ごめん、婆ちゃんの部屋を親と一緒に片付けしてたから、つい時間が過ぎて遅れちゃった」


 樹里は頭を掻きながら建佑の着ている服を上から下まで舐めるように見渡すと、ちょっと不機嫌そうな顔を見せた。


「ねえ建佑、もうちょっとカッコイイ洋服は無かったの? 髪もボサボサだし。近くのコンビニとかでも行くような恰好じゃん」


 建佑は樹里と違って、ジャンパーにジーンズといういたって普通の高校生男子と言う感じの服装であった。その見た目に、僕は既視感があった。どこかで見たような……すぐには思い出せないけど。


「別にいいだろ? 僕はおしゃれとか苦手だし、下手に似合わない服着てカッコつけるくらいなら、これでいいや」

「ふーん……まあ、別にいいけどさ」

「それより、樹里は寒くないのか? その恰好……今日みたいな寒い日に着たら風邪ひくぞ」

「べ、別にいいだろ? 今日はこういう恰好をしたい気分なんだよ!」

「というか、僕、初めて見たよ、樹里がそんな短いミニやブーツ履いてるの」

「似合わないだろ? いつもラフな服ばかり着てるもんな、私」

「ううん、逆だよ……すごく似合うと思うよ」

「え?」


 建佑の言葉を聞き、樹里は心なしか顔を赤らめているように見えた。普段は強気で不機嫌そうな顔をしている樹里も、こんな表情を見せてくれることがあるとは……。

 僕から見ると、建佑は樹里という人間をしっかり受け入れているように感じた。

 建佑の言葉を聞いて、樹里の表情は心なしかほぐれているように見えた。


『ねえケビンさん、どうして黙ってるの?』


 ケンが挑発的な言い方で僕に話しかけてきた。


『目の前で大好きな彼女がどこかに連れて行かれようとしてるんだぞ。好きなんだから、指をくわえて見てるんじゃなく取り返しに行かなくちゃだめだろ?』

『あのさ、僕は公園のケヤキで、彼女は人間だ。どうやったら恋仲になれるんだ?』

『そうやって諦めるんだ? ケビンさん、さっきから樹里ちゃんの全身をじーっと見てただろ? 特に、脚の部分を』

『おい、いい加減にしろっ!』

『正直になれよ。ほら、今は二人ともまだ近くに居るからチャンスだぞ。「俺が大好きな樹里ちゃんに手を出すな!」ってさ』

『ぐっ……』


 僕が樹里の脚を見ていたのは事実だし、好意が全くないというのも……正直言うと噓になる。それに、苗木たちにここまで言われては、ケヤキのリーダーとして引き下がるわけにはいかない。

 僕は息を吸い込み、吐き出しながらありったけの声を張り上げた。


『おい、樹里ちゃん! 僕は君のことをずーっと気になっているんだ! 今からでもいい、建佑君と別れてこの僕とお付き合いしてもらえないか? 僕は何があっても君を守ってあげ……グェホッツ!』


 途中で僕は息を切らし、思わず咳き込んでしまった。むせ続ける僕を見て、苗木達からはため息が聞こえてきた。


『ちくしょう、咳き込んだりしなければ、ちゃんと聞こえただろうな』

『いや、たぶん空耳程度にしか思ってないよ。ごらんよ、二人とも仲睦まじそうに寄り添って歩いてるぞ』


 ケンは白けた様子で僕の言葉に反論していた。

 二人はお互いの片手を軽く握りしめながら、公園の外に向かって歩いていた。建佑は親し気に樹里に話しかけ、樹里も建佑の言葉に頷いたり、「しょうがねえな」と言いながら声を上げて笑ったりしていた。

 見た限り、僕の言葉など、全く気にしている様子もなかった。僕はくたびれ損と言う感じで、げっそりとしながらため息をついた。


「樹里!」


 その時、芽衣の声が僕の耳に入った。僕は顔を上げると、どうやら芽衣がシュウとともにマンションから出てきたようだ。あいなの事務所での打ち合わせが終わって帰る途中なのだろう。


「こんにちは」


 建佑は深々と頭を下げた。すると芽衣も頭を下げ、「これからどこかに行くの?」と

 優しく声を掛けた。


「樹里さんと一緒に映画を観に行ってきます」

「そうなんだ。ごめんね、突然声を掛けて。樹里がまた乱暴な言葉を使ったら遠慮なく怒っていいからね」

「あはは、大丈夫ですよ」


 建佑は笑いながら答えると、隣で樹里が「余計なお世話だよ」と言いながら怪訝そうな顔をしていた。


「ねえ樹里、今日はお婆ちゃんと同じ恰好なのね」


 芽衣はクスクスと笑いながら樹里を指さすと、建佑は「えっ?」と声を上げ、驚いた様子で樹里の方を振り向いた。すると芽衣は「ちょっと待っててくれる?」と言って駆け足で自宅に戻り、ほんの数分後に一冊の古びたノートを手に二人の元へ戻ってきた。


「ほら、これ。お爺ちゃんとお婆ちゃんがまだ結婚する前の写真ね。今日、お婆ちゃんの部屋の荷物を整理したら出てきたのよ。ミニスカート穿いてる髪の長い女性が若い頃のお婆ちゃん、隣でお婆ちゃんの脚を見ながらデレデレした顔で立ってるのがお爺ちゃんだよ」

「へえ……お婆ちゃんの着ている服、今日の樹里と同じですね」


 すると樹里はブーツで地面を激しく踏み鳴らしながら、眉間に皺を寄せて建佑を睨みつけた。


「ちょっと、婆ちゃんの写真を建佑に見せないでくれる? ほら、行くよ建佑! 上映時間に遅れちゃうだろ!」

「あははは。なるほど、だから今日の樹里は……」


 建佑は笑いながら必死に訴える樹里の背中を叩くと、樹里は「いい加減にしろ!」と怒鳴り、建佑のジャンパーを片手で強く引っ張りながら早足で去っていった。


「何も怒らなくてもいいのに。ほら、あなたのお母さんの若い頃の写真だよ」


 芽衣がシュウにノートを渡すと、シュウは写真に映る怜奈をかぶりつくように見つめていた。


「うわ……おふくろの脚とブーツ、結構そそるものがあるなあ。オヤジが一目ぼれしたのも分かる気がするわ」

「もう! そういう意味で写真を見せたわけじゃないのに。これだからオトコは……!」


 芽衣は腹立たし気にシュウからノートを取り返した。


「さっき部屋の整理をしていた時ね、樹里が若い頃のお義母さんの写真をじーっと食い入るように見ていたのよ」

「そうか? あれほどおふくろのこと忌み嫌ってたのに?」

「そうなの。 まさかその後、お義母さんと同じような恰好をするとは思わなかったわよ」


僕はノートに貼り付けてある古ぼけた写真を、目を凝らして覗き込んだ。そこには、隆也の隣で微笑む若き日の怜奈の姿があった。

 怜奈は今日の樹里と同じく顔に厚めの化粧を施し、短いスカートと底の厚いロングブーツを履いていた。そして隆也は、髪はボサボサのままで、ジャンパーにジーンズ姿だった。

 そうだ……さっき見た建佑の姿、どこかで見た記憶があったけれど、それは若かりし頃の隆也だった。若きカップルと、写真に残る祖父母の若い頃……生きている時代こそ違うけど、彼らは単なる偶然と思えない程、重なり合っていた。

「違うよ」と否定されるかもしれないけど……樹里と建佑を見ていると、怜奈と隆也が今もこの世に生き続けているような気がしてならなかった。

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