第184話 謎の救世主たち

 長かった夏が終わり、朝晩だけでなく日中も過ごしやすさを感じられるようになった。筋状の雲が青空にたなびき、トンボたちが悠々と舞い上がっていくのを見ると、今年の地獄のような底なしの暑さからようやく解放されたことを実感した。


 爽やかな風が吹き抜ける中、樹木医の櫻子先生が診察道具の入ったカバンを手に僕たちの元へとやってきた。今日は月に一度の診察の日だ。

 櫻子は僕の真下のベンチにカバンを置くと、腰に手を当てて僕の身体を上から下まで何度も見回した。

 その後、櫻子は怪訝そうな顔をしながらその場にしゃがみこみ、根の周囲に生い茂っていた雑草を手で抜き始めた。一本一本、丁寧に手で抜き出していたが、地面に積み重ねられた数があまりに多くてびっくりした。


「ふう……私一人じゃとても手に負えないよ。除草剤を撒いたら木や植栽にも悪影響が出るから、こうやって手で抜くしかないのよね」


 櫻子はポケットからハンカチを取り出して何度も額を拭うと、体をふらつかせながらベンチに腰掛けた。櫻子はカバンからペットボトルを取り出し、口にしながら公園をじっと見つめていた。


「この公園はいつも近所の人が掃除してくれて、綺麗で評判が良かったのに、しばらく見ない間に一体どうしちゃったのかしらね? あなたたちケヤキも、こんな汚い所にずっと立たせられて、気持ちが落ち着かないよね」


 そう言うと、櫻子は申し訳なさそうな顔で僕を見つめた。

『そんな顔で見つめないで欲しい、先生は何も悪くないんだよ』と、僕は櫻子に向かってささやいたが、櫻子はため息をつきながら、どこかやり切れない様子で公園を後にした。


『先生が言うこともわかるけど、いくらやってもまた生えてくるんだもん。それに、ゴミだって通りかかりの人たちが相変わらず平気でポイ捨てしていくし。こないだなんて、飲みかけのビールを足元に引っ掛けられて、缶も根元に置き去りにされたんだよ』

『ひどい! そいつ、ホントに人間なのかよ?』

『まあ、老いぼれた感じの酔っ払い親父だったな。「俺は職場にも家にも居場所がなくて、カクヨムしか楽しみがないんだ、ちくしょう!」って叫んでいたよ。何だか色々抱えてるのかなぁとは思ったけどね』

『何だよ、ケダモノかと思っていたけど、すごく人間臭い奴じゃん』


 苗木たちは相変わらずくだらない話題で盛り上がっていたが、蔓延る雑草や散乱するゴミが再び公園の環境を悪化させていたのは事実である。

 数週間前、剛介を中心としたマンションの住民たちが一生懸命除草作業をしてくれたばかりなのに、少し間を置いただけで元通りに戻ってしまった。


『ねえ、変な奴らが公園に来てるよ』

『すごくガラが悪そう。あいつら、誰?』


 苗木たちが突如ざわめき始めた。

 僕はその声を聞き、公園の向こう側に目を配ると、そこには黒っぽい服装に身を包み、髪をそれぞれ金色、銀色に染めた二人の男が立っていた。

 彼らの衣服の袖から見える腕には、けばけばしい色で描かれた鬼のような絵が描いてあるのが見え、ただならぬ威圧感があった。

 そのいでたちは、悪戯動画を撮影する目的で公園を徘徊していた兄弟にどことなく雰囲気が似ているように感じた。


『あいつら、きっと悪さをするに違いないよ……やだなあ、一体何をするつもりなんだろ』


 気が付くと、男たちは僕のすぐ近くまで来ていた。その手には、動画を撮影するためのカメラが握られていた。やっぱりこいつら、あの兄弟と同類なのか……。


「ケンゾー、しっかり撮ってくれよ。俺の凄技をしっかり映してくれ」

「おうよ、シンゴ。この中に全て収めてやるから、安心して行ってこい」


 シンゴと呼ばれた男が笑いながら携帯電話を取り出すと、突如園内にノリの良い音楽が流れ始めた。ケンゾーは着ていた黒いパーカーを脱ぎ捨て、黒の作業衣姿になった。その手には、大きな鎌が握られていた。ケンゾーは、音楽に合わせて鎌をリズムよく動かし始めた。


「yo yo、ゴキゲンだろ? 今日の俺の鎌の動き。hey hey この草も 俺にかかれば一網打尽さ」


 ケンゾーは声高らかに唄いながら、鎌で次々と雑草を刈り取っていった。気が付くと、あれほど生い茂っていた雑草があっという間に半分近くまで減っていた。

 楽しそうに歌い、リズムを刻みながら鎌を動かしているからか、彼らには汗をかきながら苦しそうに作業しているという感じは全くなかった。


『すごい……あの兄さんたち。いったい何者なの?』

『やってることは、あのイタズラ兄弟と何ら変わらなそうに見えるけど……』


 ケンゾーが音楽に合わせて軽快に鎌を振り回し、草を刈り取っていたその時、シンゴは怪訝そうな表情で首を傾げ、流していた音楽を止めた。


「おい、 急に音楽を止めんじゃねえよ。せっかく気持ちよく草を刈っていたのに」

「見ろ、『桃色姉妹』だよ……いつの間にかここに来ていたとは」

「桃色? マジか?」

「俺たちと同じで、『ジュリア』の情報を見てここに来たんだろうな」


 ケンゾーは手を止めて、公園を見回した。すると、ケンやヤットの立っている所に、お揃いのピンク色のTシャツと赤いスカートを纏ったおさげ髪の二人の若い女性の姿があった。一人は銀色のトングを持ち、もう一人は大きな竹かごを背負っていた。


「うわあ、ゴミがいーっぱい。これはいい動画が撮れそうね、モモヨ」

「そうね。ここならばPVたっぷり稼げそうだね。教えてくれた『ジュリア』さんには感謝だね。さあモモカ、気合入れていくよっ」

「OK!」


 この子たち、これからここでゴミ拾いをするのだろうか? 見た目だけで判断してはいけないけど、とても作業をする恰好には見えなかった。

 カメラを手にしたモモヨがゴミを拾い上げ、空中に放り投げると、かごを背負ったモモカがそれをかごの中で受け止めていた。やっていることはゴミ拾いなのに、二人の息の合ったパフォーマンスで、見ていてとても楽しく感じた。

 

『あの二人、双子なのかしら? 髪型も着てるものも同じだし、息もぴったりね』

『見ていて面白いね。人間がゴミ拾う時って、顔をしかめながら黙々とやってる印象しかなかったけれど』


 二組の若者たちは楽しそうに作業を進め、やがて公園は雑草やゴミのない綺麗な姿に戻っていた。


「くそっ、俺たちがカッコよく草刈りしていても、すぐ近くで奴らにあんなパフォーマンスやられたらにならねえな」

「でも、動画のコメント欄を見ると、みんななかなか好意的だぞ。『ケンゾーの鎌さばき、相変わらずカッコいいよ』とか、『桃色姉妹とのコラボ、なかなかお目に掛かれません。貴重でしたよ』とかね」

「ば、馬鹿言うな。俺たちは好きこのんであいつらとコラボしたわけじゃねえぞ」


男たちがいまいち不満そうな様子を見せる一方で、「桃色姉妹」といわれている女性二人は、かご一杯に溜まったゴミを見ながら手を叩いてはしゃいでいた。


「ここはゴミが多くて、やりがいがあったよねー。おかげで息の合ったパフォーマンスを目いっぱい撮ることができたし」

「ねえ見て見て、私たちの動画、『いいね』がもう千個以上ついてる。『二人のパフォーマンスを沢山見ることができて幸せです』ってコメントもあるよ。やったー!」


二組は対照的な様子を見せていたが、その時、彼らに割って入るかのように、坊主頭と髪の長い男の二人がやってきた。


『や、やばい。あいつらだ!』

『嫌だなあ。また何か企んでるのかな……』


苗木たちは恐れおののいていたが、彼らはいつものようなカメラも悪戯に使う道具も手にしておらず、単にこの辺りをブラブラしているだけのようだった。


「お、ケンゾーにシンゴじゃねえか? どうしてここに?」

「お前ら、マッドブラザーズか? 久しぶりだなぁ。最近動画見てないから、どうしたんだろうってみんな心配してたぞ」

「まあ、最近色々あってな。やりたい気持ちはやまやまなんだけどね。ところでお前ら、わざわざこの町に来て動画撮ってたのか?」

「ああ、『ジュリア』から頼まれてね」

「『ジュリア』?」

「あれ? お前らの地元なのに知らねえのか? この公園で木の様子を撮影しながらグダグダと愚痴を吐きまくってる有名な女子高生tacotuberタコチューバーだぞ?」

「……聞いたことねえなあ」


兄弟は首を傾げていたが、ケンゾーとシンゴは大きく背伸びし、腕を大きく回すと、帰り支度を始めた。


「じゃあな、お前らの新作動画も楽しみにしてるぜ。 なあシンゴ、次は桃色姉妹のいない時にまた来ような。今度こそ俺たちの本当のカッコよさを見せつけてやる!」


すると「桃色姉妹」の二人もかごを背負い、ケンゾーたちの後を追うように歩き始めた。

 

「モモヨ、またここに来ようね。またいい画が撮れそうだから」

「そうね。あ、ちょっとちょっと、『いいね』が一万行ってるよ。すごくない?」


 二人ははしゃぎながら携帯電話の画面を代わる代わる手に取って見つめていた。

 僕たちは、遠くからその様子をあっけにとられながら見つめていた。


「俺たちも、ここで掃除やろうかな? 体張って下手なパフォーマンスやるよりもPV稼げそうだし」

「そうだなあ……パフォーマンスも最近飽きられてきたしな」


悪戯兄弟は綺麗に整備された公園を見ながら、僕たちに危害を加えることなく去っていった。


北からの冷たい風が吹き抜け、夕焼けが徐々に西の空を染め始めた頃、学校帰りと思しき樹里がふらふらと歩きながら僕の元へとやってきた。

樹里は公園の中を見渡すと、苦笑いを浮かべながら僕の真下のベンチに腰を下ろした。


「へえ……あいつら、ついにここに来たんだね。あれからもう何週間経ったと思ってるんだ? 来るのが遅すぎるんだよ」


 樹里は舌打ちをしながら、携帯電話の画面を指でなぞっていた。


「あ、ケンゾーからメッセージが来てるな。なになに? 『ジュリア様、いかがでしょうか? 今度はもっとカッコいい所みせつけてやりますよ』? アハハハ、馬鹿かこいつら。『この公園、お前ら掃除動画のプロの腕の見せ所だぞ』ってちょっと煽ってやっただけなのにさ」


 そう言うと、樹里は機嫌よさそうに口笛を吹きながら自宅へと戻っていった。


『ジュリアって……樹里ちゃんのことなんだ』

『きっと樹里ちゃんが、携帯電話を使ってあいつらに呼び掛けたんだね。さすがだなあ、樹里ちゃん』


 どうやらあの若者たちは、掃除の動画を撮って人気を博している人達のようだ。樹里が彼らを煽ってここに呼び出したのだろう。

 樹里らしいちょっと乱暴なやり方だけど、彼女の真心を感じたのは、僕だけだろうか? 暮れ行く空の下、綺麗になった公園を見つめると、音楽を流しながら楽しそうに作業する彼らの姿が目の前に甦ってくるように感じた。

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