第183話 チカラを合わせて
まだ暑さは残るものの、青空にうろこ雲や筋状の雲が浮かび、時折吹く風も心地よく感じるようになったこの頃。
終わりのない猛暑がようやく先が見えてきた感じであるが、例年であればもう姿を見せることもないセミたちが、この夏はまだまだ終わらないよと言わんばかりにけたたましく鳴き続けていた。
公園の隣には早朝から車が横付けされ、芽衣がシュウとともに大きなバッグを手に乗り込んでいった。
「お義母さん、大丈夫かなあ……昨日も声かけても、無反応なんだよね」
「おふくろも医者も何も言わねえけど、病気はかなり進行してるんじゃねえか?」
「そうなの? 何で私たちに話してくれないのかなあ」
「心配かけたくねえんだろ。おふくろの性格考えてみろよ、人様に迷惑を掛けるのを何よりも嫌がるタイプだぞ」
芽衣はシュンとした顔で、車の中にバッグを詰め込んでいた。そして、車の中から顔をもたげ、その視線を公園の中へ投げかけた。
「……この公園、どうなっちゃうんだろう。お義母さんがいなくなるや否や、すごく汚くなったし、草も伸び放題だし」
「市役所に任せておけばいいじゃん。俺も何度もおふくろには忠告したんだぞ、何でわざわざおふくろやる必要があるんだよって」
「きっと、生きがいなんだと思う。そして、亡くなったお義父さんが公園を綺麗にしていたから、お義父さんがいない今は自分がやらなくちゃって気持ちなんだと思う」
「ふーん……まあ、俺にはよく分からないけどな、そういう考え方が」
「ええ? シュウはお義父さんのことを見てなかったの?」
「親父は親父、俺は俺だよ」
「もう……いつもそうやって勝手なんだから」
シュウが淡々とした様子で車に乗り込むと、芽衣はほっぺを膨らませ、苛ついたような口調でシュウの背中に向かって言葉を吐き捨てた。
『二人ともこれから病院かな? 芽衣さん、今日もきっと公園の掃除はできないんだろうね』
『しょうがないよ。お義母さんの怜奈さんの病気がよくないみたいだし……』
苗木たちは、どこか諦めたような様子で声を上げていた。
先日、あいなの父親の弁護士と剛介が公園の雑草を刈り取ってくれたものの、いたちごっこのように別な場所から雑草が姿を見せていた。公園を通り過ぎる若い子たちも、相も変わらず平気でゴミを投げ捨てていった。
綺麗にしてもすぐまた汚されてしまうのをみているうちに、僕たちはちょっとした絶望感に打ちひしがれていた。
公園が沈黙に包まれていたその時、作業衣やジャージに身を包んだ人たちが続々と公園に姿を見せはじめた。
そのほとんどは、公園の隣に立つマンションから出てきていた。彼らは片手に鎌や機械を持ち、次々と公園の隅々に散らばっていった。
『え? 一体誰なの、この人達』
『誰も見たことない人達ばかりだけど、これからどうするのかな?』
男性たちはけたたましい音を立てながら機械を動かし、植込みやコンクリートの隙間から伸びている草を次々と刈り取っていった。僕たちの目の前には、刈り取られた草の切れ端が空中をひらひらと舞っていた。
女性たちは透明な袋を手に、あちこちに散乱していたゴミを拾っては、次々と袋の中に放り込んでいった。世間話や子どもの学校での話に夢中になりながらも、目ざとくゴミを見つけては手を動かしているのが、傍目で見ていても凄いと感じた。
しばらくすると、剛介が横長の大きな箱を持って公園に姿を見せた。その隣には、あいなの父親である弁護士の姿があった。
「みなさーん! 暑い中作業に来てくださってありがとうございます! 冷たい飲み物を用意しましたので、適度に休みながら進めてくださいね」
剛介は箱を開くと、中にはペットボトルの飲み物がぎっしりと詰まっていた。
「黒沢さん、気が利くねえ。こんな暑いんだもん、何かご褒美でもないとやってられないよ」
「早速飲んじゃおうかな。体を冷やしながらやらないと、あっという間に熱中症になっちゃうからね」
参加者たちは次々と箱の中の飲み物を手に取り、飲み干しながら作業を続けていた。
暑さのピークは過ぎたと言え、空に輝く太陽はまだまだ強烈な光を放っていた。この下で体を動かすのは、相当体力を消耗するに違いない。
作業を始めてからどれくらい時間が経過しただろうか? 公園の中は見違えるようにきれいになり、公園の入り口には作業に参加した人たちが拾ったゴミや刈り取った草の入った袋がうず高く積まれていた。
「すごい量だね……こんなにゴミや草があったなんて」
「今までこれを、この近くに住む方がやってらっしゃったんですか? よくやれましたね、これだけの人間がいても大変だったのに」
参加者たちは、積まれた袋の数に驚きを隠せない様子だった。
「ねえ藤野さん、これは毎月、いや、出来れば毎週でもやらないと、あっという間に汚くなりますよ」
弁護士の隣でペットボトルを飲んでいた初老の男性が、怪訝そうな顔で公園を見回した。
「そうですね、会長。毎月一回やればいいかなと思っていましたが、間に合いそうないですよね。特に草が生い茂る春から秋は、回数を増やさないと厳しいかもしれませんね」
「でも、住民の皆さんに声を掛けても、反応があまりよくてね。回覧を回したり、ちらし配ったりしたんですけどね。今日だって、参加したメンバーの半分がマンション自治会の役員だし」
「そうですね、何人かは来てくれましたけど……仕事や子育てでみんな忙しいのかなあ」
二人は顔をタオルで拭きながら、深いため息をついていた。
確かに彼らの言う通り、参加者に若者は少なく、比較的高齢の人が多かった。
そして参加している何人かの若い人たちの話に耳を傾けると、「次回は仕事で参加できないかも」とか、「子どもの部活の大会で送り迎えがあるから、毎回は無理」という声がちらほらと聞こえてきた。
公園にゴミを捨てるなどして汚していくのは、若者が多いのに……。
このままでは怜奈と芽衣がマンションの年老いた役員達にとって代わっただけで、
彼らの体が動けなくなった時に同じような問題が噴出することは、ケヤキである僕でも容易に想像できた。
その時、近くの家の玄関が突然音を立てて開いた。開いた戸からは、樹里がひょっこりと姿を現した。
樹里は背中が大きく開いた膝上丈のワンピースを着込み、顔には化粧をほどこし、底の厚い靴を履き、鮮やかな緑色の小さなバッグを手にしていた。こんなにおめかしして、これからどこに出かけるつもりなのだろうか。
『おっ! ケビンさんの彼女が出て来たよ! おめかしして、色っぽいお洋服なんか着て、これからケビンさんとデートするつもりなのかな?』
『そうそう、ベンチの上でケビンさんを見つめながら、愛の言葉を交わし合って……くそっ、羨ましすぎるぞ、ケビンさん』
樹里が僕の真下にあるベンチに近づくにつれ、苗木たちからは冷やかしの言葉が飛び始めた。人間とケヤキがどうやって愛の言葉を交わし合うのだろう? 作り話にしてはあまりにも出来損ないという感じがした。しかし、樹里が僕の目の前に来るときはいつも露出度の高い洋服を着てくるので、ひょっとしたら……という気持ちも全くないわけではなかった。現実的にはありえない、というのは分かっているのだが……。
樹里はベンチに座ると、背中をかがめ、大きく露出した部分をまるで僕に見せつけるかのような姿勢で携帯電話を見つめていた。
「チッ、かったりィな。早く君と会いたいだと? 仕方なく付き合ってあげてるだけなのにさ」
樹里はぶつぶつと独り言を言いながら、携帯電話のボタンを押し続けていた。
「こんにちは」
樹里の目の前には、剛介が立っていた。樹里は眉をひそめ、怪訝そうな顔で剛介を見つめていたが、剛介はひるむ様子もなく、にこやかな表情で樹里にペットボトルを手渡した。
「今日の奉仕作業でみんなに配ったドリンクが一本余ったから、よかったらどうぞ」
「奉仕作業?」
「はい、マンションのみんなで、この公園の草刈りやゴミ拾いをしていたんですよ」
「それって……母さんや婆ちゃんがやっていたやつ?」
「え?」
剛介はぽかんとした顔で樹里を見つめた。
「私の母さんと婆ちゃん、いつもここで草刈りだのゴミ拾いをしていたんだ」
「ええ? 芽衣さんと怜奈さんの……ご家族ですか?」
「そう。芽衣の娘なんだけど」
「そうでしたか。いつもお母さんとお婆ちゃんにはこの公園を綺麗にしてもらっていたんですよ。最近は全く姿を見ないので、僕たちで公園を綺麗にしたんです」
「そうなんだ……ごめんね、二人がいないばかりに」
「いえいえ……というか、お婆ちゃんが入院したって聞いていたので、頼りきりにならず、僕らマンションの住民も協力しようってことになったんですよ」
「悪いね。お金ももらえないし誰からも褒められないのに、よく頑張ってやってるなと思って二人のことを見ていたけど、いざいなくなると、こうやって迷惑かかっちゃうんだよね……」
樹里はため息をつきながら、ペットボトルを片手でくるくると回していた。
「でも、僕らも毎度こんなに人を集められるか不安があるんですよ。頼りにしている若い人たちが仕事や子育てでなかなか集まらなくて」
「ふーん……残念だけど、私も協力できないな。今日はこれから出かけなくちゃいけないし」
「アハハハ、別に、一緒にやってくださいとお願いしているわけじゃないですよ」
すると樹里は何かを思いついたのか、再び携帯電話をバッグから取り出すと、公園内で作業を続けるマンションの住民たちに向けていた。
「あの……何をしてるんですか、さっきから」
「いや、ちょっと……思いついたことがあったんでね」
「何ですか、 思いついたことって」
「ごめん、そろそろ約束があるから行かなくちゃ。これ、ありがとうございまーす」
樹里は立ち上がると、頭を下げながらペットボトルを剛介の目の前にかざし、靴音を立てながらそそくさと公園から立ち去っていった。
「おーい、剛介君。集積所まで一緒にゴミを運び込むのを手伝ってくれよ!」
「は、はい。今行きます!」
公園の向こう側から叫ぶ弁護士の声を聞き、剛介はあわてて駆け出していった。
目の前の風景は、マンションの住民たちのお陰で見違えるほどきれいになっていた。
怜奈と芽衣がいないのは寂しいけれど、これまで僕たちや公園に無関心だったマンションの人たちが力を合わせて動いてくれたことには、感謝してもしきれなかった。
これが大きな一歩になればいいけれど……。
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