第182話 誰かがやらねば!

 毎日暑い日々が続いていたが、朝夕になるとようやく涼しい風が吹くようになってきた。今日は日中でも時々涼しい風が吹き抜け、夏が徐々に終わりに近づいていることを実感した。

 今年の夏はとにかく異常な暑さで、長年ここに立っている僕でもかなり身に堪えた気がした。時折目の前をはらはらと黄色に変色した葉が落ちていくのを見て、僕は驚愕した。暑さで葉がやられてしまうことなんて、今まであまり無かったのに……。

 僕の目の前には舞い落ちた黄色い葉が、そして植込みには人間たちが投げ捨てていったペットボトルや袋入りのゴミが散乱していた。コンクリートの地面の隙間から生えた草はいつの間にか成長し、中には人間の子どもの肩くらいまで伸びきったものもあった。花火の後、一時は綺麗になった公園は、ほんのわずかの間に再び目も当てられないほど荒れだしていた。


『いつまでこのまま放置しておくんだろう。僕らでは何ともしようがないもんなあ』

『以前ならば、怜奈さんや芽衣さんがこまめに手入れしていたのに』


 苗木たちの嘆く声が聞こえてきた。もし怜奈がいたら、目の前の惨状を見て「すぐに刈らないとダメでしょ?」と騒ぎ立てて、芽衣を連れて草刈りを行ったに違いない。今はその怜奈が、病気のため当てにできない。

 そういえば、怜奈の病状はどうなったのだろうか? 何の情報もないので不安ではあるが、大事になっていないことをこの場から祈るのみだった。

 その時、苗木たちが急に何やらざわめき始めた。


『あれ? 芽衣さんが来たよ! 久しぶりだなあ』

『大きな鎌を持ってるから、ひょっとしたらこれから草刈りをやるのかしら?』


 僕は公園の中を見渡すと、公園の入り口に芽衣の姿があった。大きな帽子を被り、長袖長ズボン姿の芽衣は、腰に手を当てぐるりと公園を見回していた。


「少し涼しくなってきたから頑張って作業しようと思ったけど……こんなの、私ひとりじゃできっこないよ」


 芽衣はそうつぶやくと、透明な袋を広げ、植込みの中に散らばっているゴミを拾い集め始めた。


「シュウは仕事だし、樹里はこんな日に限って遊びに行っちゃうし……私だけじゃ絶対無理よ、こんなの」


 芽衣はぶつぶつと独り言をつぶやきながら作業を続けていたが、手にしているゴミ袋はあっという間に満杯近くまで膨らんでいた。ほんのわずかな間清掃しないだけで、こんなにゴミが溜まるなんて……こないだの花火大会の時にも感じたが、人間たちってどうしてこんなにも自分勝手なんだろうか?

 時折風が吹き込むものの、夏特有のぎらつく太陽は、容赦なく芽衣の背中をじっくりと照り付けていた。芽衣は何度も額を拭いながらごみを集め終えると、顔をしかめながら辺りを見回した。


「ふう……あとは草だけか。私だけで、どこまでできるかしら?」


 芽衣は苦しそうな声でそうつぶやくと、鎌を持ち、目の前の草の根元に刃を入れた。草の葉は地面に散らばり、芽衣は手でかき集めては袋の中に入れ込んだ。

 しかし、草はまだまだ公園の中のいたるところに残っていた。芽衣は自分の周囲のわずかな場所だけ手入れをしたところで、頭を抱えたままその場に座り込んだ。


『芽衣さん! 大丈夫?』


 近くにいたミルクが驚いて声を上げた。


『青ざめた顔してるから、この暑さで体がやられたのかな? 誰か助けてあげなくちゃ。ケビンさん、俺たちのリーダーなんでしょ? 声を張り上げて、近くに居る人たちに助けを呼びかけてよ!』


 ケンがいつものように僕に無茶ぶりをふっかけてきた。

 出来っこないと分かっていながら、リーダーであることを口実に難しいことを僕にやらせようとする。いい加減癪にさわるが、彼のことを罵っても仕方がない。リーダーとして、苗木たちに堂々と見本を示してあげればいいのだ。僕はケンの言葉を前向きにとらえ、大きく息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。


『おーーーい! 誰か助けてくれーー! 若いお姉さんが暑さにやられて倒れてるぞー!』


 僕が大声を上げると、苗木たちからは爆笑の渦が沸き起こった。


『うーん、若いお姉さんか……芽衣さんに怒られそうだけど、ギリギリ若いか、中年に足を踏み入れたって感じかな?』

『ホント面白いよな、ケビンさんって』


 見本を示すどころか、逆に呆れられ、嘲笑の対象になってしまったようだ。


「芽衣さん!」


 落ち込んでいた僕の真後ろから若い女性の声がした。その声は、苗木たちの笑い声を切り裂くかのような鋭さがあった。

 僕は声のする方向を覗き込むと、そこにはあいなの姿があった。あいなは黒色のベビーカーを引きながら芽衣の元に駆け寄り、その両腕を芽衣の肩に掛けた。


「あいなちゃん……心配かけてごめんね」

「ううん、いいんですよ。それより、そこのベンチで休みましょ」


 あいなは芽衣の肩に腕を掛けたまま、ゆっくりと前へ歩き出した。そして、ベンチの上に芽衣を座らせると、ハンカチで何度も芽衣の額を拭った。


「お子さんがいるんだから、私のことなんか気にしないで帰って。私も、少し休んだら家に帰るから」

「でも、まだちょっと表情が……」

「私が悪いのよ……ちょっと涼しくなったからと高をくくって、無理して作業したのがいけなかったんだから」

「そういえば、怜奈さんはどうしたんですか? いつも一緒に作業していましたよね?」

「実は、入院中でね……最初は熱中症かと思ったんだけど、検査したら重い病気だってわかって」

「そうだったんですか? ついこないだ会った時は、元気に作業していたのに」

「この異常な暑さがいけないのよ……夏に入って日に日に体調がおかしくなっていったんだもん。毎日お見舞いに行ってるけど、元気になるどころか、ずっと寝てばかりだし」


 芽衣はがっくりと肩を落とした。


「フギャアアアアア!」


 すると、気落ちし崩れ落ちた芽衣に合わせるかのように、ベビーカーの中で寝ていた赤ちゃんが突如大声を上げて泣き出した。


「ごめんね、轍太……暑かったよね、汗びっしょりだね」


 あいなは慌てて立ち上がると、ベビーカーを覗き込み、ハンカチで何度も赤ちゃんの顔を拭っていた。地面に近い所にいる赤ちゃんは、僕たちや大人の人間達よりも暑さを感じるはずだ。ほんの少しの時間でも、かなり汗をかいていたのだろう。


「ごめんなさい、芽衣さん。私、これで帰ります。今日は少しは涼しいかなと思って轍太を連れてお散歩したけど、赤ちゃんにはまだまだ暑かったみたいで」

「いいのよ、あいなちゃん。私のことはいいから、赤ちゃんのためにも早くお家に帰ってあげて。私の家はすぐそこだから」

「ごめんなさい、本当にごめんなさい……」


 あいなは何度も頭を下げ、申し訳なさそうな顔でベビーカーを引き、マンションへ戻っていった。その後、芽衣もゆっくりとベンチから立ち上がり、左右にふらつきながらごみ袋を手に自宅の玄関へと戻っていった。

 ゴミは無くなったものの、伸びきった雑草は、手が付けられないまま残されていた。


『あーあ、芽衣さんもだめか。あいなちゃんは子育て中だし、もう誰も期待できる人がいないよ』


 ヤットはため息交じりに愚痴を吐いていた。

 公園の清掃や草刈りを、怜奈や芽衣にばかり任せていたのがいけないのだろう。

 他の住民たちは、この公園に何の関心もないのだろうか?

 怜奈や芽衣ばかり当てにしていたら、公園の草はこのままどんどん伸びていくことになる。草を放置すると寄り付く虫が増えるし、それが僕たちの身体にも付着するので、迷惑この上ないのに……。


 時間は過ぎ、西の空が真っ赤に染まり始めた頃、マンションから二人の男性が姿を見せた。彼らは作業衣を着込み、黒いサングラスをかけ、丸形の大きな歯が付いた横長の機械を手にしていた。

 二人は草の生い茂る植込み周辺やコンクリートの隙間に近づくと、唸るような音を立てながら機械を作動させた。すると、丸形の歯は回転しながら伸びきった草を次々と根元から切り刻んでいった。


『すごい。機械で雑草が次々と根元から刈り取られてるよ』

『あんなに沢山生い茂っていたのにね。あと少しで全部刈り取り終わりそうだよ』


 わずか数分間の作業で、公園のあちこちに蔓延っていた草は全て刈り取られていた。二人が機械を地面に置き、サングラスを外すと、苗木たちからは歓声が沸き起こった。


『あいなちゃんのお父さんだ! そして、剛介君もいる!』


 あいなの父親である弁護士と剛介は、刈り取られた草を次々とかき集め、透明な袋の中に詰め込んでいった。


「すごい量ですね、袋がいくらあっても足りないくらいですよ、これは」

「うちのあいなに聞いたら、これだけの草の刈り取りを、近所の奥さんが一人でやろうとしていたんだってさ。 僕はその話を聞いて、居ても立ってもいられなくてね。剛介君にも、一緒に手伝ってくれって声を掛けたんだよ」

「こんなにあるのに、一人で? 絶対無理ですよ。今までよくやれていましたね」

「今までは奥さんのお義母さんと一緒にやっていたんだって。でも、お義母さんが入院してしまったらしくてね……他には自発的にやろうとする人がいないのが頭が痛い所だよね」

「……それは僕も、反省しなくちゃいけないかもしれませんね。草が伸びていたのは知っていたけど、誰かがやってくれると思って何もしなかったですし」

「誰かがやってくれる、か。なるほど、僕もそう思っていたかもしれないな」


 二人は背中を丸めながら草を拾い集めると、詰め込んだ草で膨れ上がった袋を公園の隅に置き、汗を拭っていた。


「剛介君……一度、マンションの人達に呼びかけてみないか? いつも公園を通って仕事や学校に行ってるわけだし、公園で子供を遊ばせている家庭もあるし……この公園にはみんな大なり小なり世話になっているはずなんだ。行政や近所の人の好意に甘えてばかりでは何も変わらない。月に一度でもいい、僕たちの手で出来ることをやってみないか?」

「やりましょう! 僕、あいなと一緒にちらしの案を作って、マンションの自治会長に話に行きます」

「あ、その時は僕にも声を掛けてくれ。自治会長は僕が良く知ってる人だからね。とりあえず、ビールでも飲みながら色々作戦を練るか」

「はい!」


 僕は二人の後姿が頼もしく見えた。振り返ると、僕があの時気恥ずかしさを押し殺しながら必死に叫び、あいなを振り向かせたことがきっかけになって、ここまで道が開けてきたのかもしれない。

 夕闇迫る中、秋を感じさせる心地よい風が公園の中を吹き抜けていった。地面に散らばった刈り取った草の残りが風に吹き上げられ、はらはらと真っ赤な夕空の中を舞い続けていた。

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