第181話 彼女の秘策
花火大会から一夜明け、まぶしい太陽の光が公園の中に徐々に差し込んできた。
光に照らされた公園の地面には、食べかけの弁当や飲みかけのペットボトルなどが散乱していた。地面はこぼれた液体や、落ちていた食べ物が踏みつけられて汚され、僕は目を閉じたくなった。
『あーあ、今年もまたゴミだらけだよ。毎年のことだけど、もう二度と花火なんかやるなって言いたいよ』
『花火だってうるさいし地響きがひどいし……私たち、何でこんなひどい目に会わなくちゃいけないのよ』
あちこちから苗木たちの嘆き声が聞こえてきた。
僕も苗木たちと同意見だ。花火はうるさいし、終わった後にゴミを撒き散らかされるし、一つも良いことなんかないのに。
誰かに気づいてもらう時まで、僕たちはこの惨状を目の前にしてひたすら我慢するしかない。朝から気温が上がり、人間たちは外に出てくる気配がない。今日は休みの日ということもあるかもしれないが、公園の惨状を誰にも気づかれぬまま放置されてしまうのだろうか。
『あ、誰かがこっちにやってくるよ。これでやっと気づいてもらえるのかなあ』
ナナの声を聞き、僕ははるか向こうからやってくる家族連れに目を向けた。
大きな輪の型をしたおもちゃを手にした子が、両親と楽しそうに戯れながらこちらに近づいてきた。
「今日はプールで、何して遊ぼうかな」
「じゃあ、パパと水中で鬼ごっこでもするか?」
「やろうやろう! 私、ぜーったい負けないからね」
親子はどうやらプールに遊びに行くようだ。彼らは楽しそうに話をしているものの、目の前のゴミには全く目もくれない様子だった。
『え? どうして気づかないの? こんなに散らかってるのに』
ミルクが大声を上げて驚いていた。しかし、親子はゴミを避けるかのように歩きながら、公園から出て行ってしまった。
『はあ……期待して失敗したわ』
苗木たちがガッカリしていたが、今度は半袖の体操着を着た中学生らしき数人の少女たちが、賑やかに談笑しながらマンションから姿を現した。
「え? LINE交換したんだ? で、どうだった? 伊藤君、ちゃんと
「ううん、それが全然。私なんか眼中にないのかな?」
「いやいや、ここで諦めちゃだめでしょ。もっと押していかないと」
聞いた限りでは、彼女たちの話にはゴミのことは全く登場しなかった。
そして、僕の目の前に姿を見せたと思いきや、あっという間に公園から姿を消していた。
『だめか……これは期待できないのかな?』
『とりあえず辛抱強く待とう。きっと誰かが目を止めてくれるよ』
僕は気丈に構えて、苗木たちを奮い立たせた。
しかし、その後も人間たちは姿を見せても、誰も公園のゴミを気にすることも無く通り過ぎて行ってしまった。ゴミは次第に太陽に熱せられ、異臭を放ち始めた。
『ゲホッ、すごく臭い……気分悪くなりそう』
『ヤット、大丈夫?』
『うん……でも、このまま手を付けなかったら、臭いがもっとひどくなりそうだぞ』
ヤットの心配通り、ゴミから発する臭いはどんどん酷くなっていった。
特に生ゴミには無数のハエが集っていた。彼らは時折、僕たちの体にも付着し、樹液をチロチロと舐め回していった。
その時、公園の目の前の玄関が突如音を立てて開いた。ここは怜奈と芽衣の住む家だ。これからきっと、彼女たちが透明な袋を片手に僕たちの周りを掃除に来てくれるに違いない。
『やった、ついに救世主がやってくるぞ!』
僕は感極まって大声で叫んでいた。
しかし、苗木たちは誰も反応しなかった。それどころか、誰も彼もが絶望に満ちた雰囲気で、ため息のつく音すら聞こえてきた。
驚いた僕は、後ろを振り向くと、玄関の前にいつの間にか一台の車が停まっていて、芽衣が怜奈の肩を支えながら後部席に乗り込んでいた。運転席には、シュウの姿があった。
「ごめんね、芽衣ちゃん……」
「このところの暑さで体力が落ちちゃったんですかね? 点滴打ってもらえば大丈夫だとは思うんですけどね」
「ねえ芽衣ちゃん、早く帰ってこようよ。病院なんて窮屈で嫌だし、それに……」
怜奈は体をのけ反らせて公園を見渡した。
「こんなにゴミが散らかってて……このまま放っておくと臭いも付いちゃうし、早く何とかしたいのよ」
「今日は無理ですよ。それに、病院から帰ってきても、外には出ないでおうちで休んでくださいね」
「病気なんて何とでもなるわよ。今は、この公園のことが……」
「ほら、おふくろ、もう行くぞ! 目がうつろだし、呂律も回ってないだろ? 草刈りも掃除も、今日は諦めろよ」
シュウは怜奈をたしなめると、車のエンジンをかけ、あっという間に走り去っていった。
僕たちは、その光景を何も言えないまま呆然と見送っていた。
『最後の望みが、絶たれちゃった……』
『怜奈さんと芽衣さん、きっと今日は帰ってこないよ』
『というか、怜奈さん……顔色悪かったし、しばらくは作業するの無理だよね?』
苗木たちは悲しそうな声で、絶望を口にしていた。
その時、再び玄関を開ける音がした。そして、イヤホンを付けた樹里が携帯電話を片手に体を揺らしながらこちらに近づいてきた。
樹里は今日も肩や胸元、そしてへそや太ももを惜しげもなく露出させた服を着て、僕の目の前のベンチに腰掛けた。
『うわっ、ケビンさんの彼女、今日もめいっぱい露出してケビンさんのこと誘ってるね』
『樹里ちゃん、「あなたのためにこんなに肌を露出させてるのに、何で私の気持ちに気づかないの?」って、心の中で叫んでるんじゃない? ケビンさん、男なんだから自分から告白しないと』
『あのな、憶測で馬鹿なこと言うんじゃないよ』
僕は苗木たちを叱り飛ばしたが、苗木たちは「照れるなよ」とはやし立てながら更に盛り上がっていった。
僕たちの気持ちも知らず、樹里は露わになった太ももを両手で抱え込みながらベンチに座り、一心不乱に携帯電話の画面を見続けていた。
樹里も祖父母や両親同様、この公園には強い愛着を持っているはずだが、目の前にゴミが散らかったこの風景を見ても何とも思っていないのだろうか?
その時、樹里は突如立ち上がり、携帯電話を自分の目の前に構えていた。
パシャパシャと乾いた音が僕の耳に入った後、樹里は必死に携帯電話のボタンを押し始めた。
「よし、早速反応来てるな。あとはどれだけ拡散されるかだな」
そう言い残すと、樹里は僕の方を振り返り、突然目配せした。
『わあ、樹里ちゃん、ケビンさんにウインクしてたぞ! これは間違いない、ケビンさんへの大好きアピールだよ』
『ケビンさん、今しかねえぞ。今こそ、男を見せなくちゃ!』
苗木たちはにわかにざわめき始めた。
しかし樹里は既に僕の目の前から去り、自宅の玄関の向こう側に行ってしまっていた。
『おいケビンさん、樹里ちゃん、帰っちゃったぞ。いつまでもモタモタしてるからだぞ、全く』
『ケビンさんが奥手だから、怒って帰っちゃったんだよ、きっと』
僕は苗木たちに呆れられてしまった。
本当に彼女は僕なんかに気があるんだろうか?彼女は人間の同世代の男の子の方が合うと思うのだが……。
『おい、見ろよ。見知らぬ若い子が掃除道具を持って来てるぞ』
ケンが大声で叫んでいた。僕は目を凝らすと、樹里と大体同じ位の歳の女の子二人が、箒と透明な袋を手にこちらに近づいてきていた。
「わあ、マジで汚いし、臭い。ずっとここにいたら鬱になりそう」
「でもさ……このまま放置したら、きっとまた拡散されるよ。これ以上この町の恥、つまりは私たちの恥を日本中に晒されるのは嫌だよ」
少女たちは箒でゴミをかき集め、袋の中に詰め込んでいった。
『あれ? あそこにも若い子たちがいる。しかもみんな揃いも揃って掃除道具持参してるよ』
『一体……何があったんだろうね?』
見知らぬ若者たちが続々と公園に集まり、僕たちの周りのゴミを収集したり、地面にへばりついたゴミを必死に取り除いたりしていた。彼らは滴る汗を拭いながら、必死に作業を続けていた。
一時間以上が経過し、夕焼けが西の空を覆い始めた頃になると、あれほど散らかっていたゴミはほとんど残っていなかった。臭いはまだ残っていたが、若者たちが来る前に比べるとまだ我慢できる程度にまで収まっていた。
「投稿主さん、これでちょっとは見直してくれるかな?」
「そうそう。私たちはマナーもちゃんとしてるってことをアピールしないとね」
若者たちは大量のごみが詰め込まれた袋を片手に、次々と公園から去っていった。
僕たちは花火の後の惨状からようやく解放されたわけだが、ここまでのいきさつについては、いまいち釈然としなかった。
日が暮れかかる頃、一台の車が公園の前に横付けされ、芽衣とシュウが姿を見せた。車が到着したと同時に、樹里がけだるそうに玄関から出てきた。
「お帰り。あれ? お婆ちゃんは?」
「大事をとって入院することになったの。先生は大したこと無いって言ってたけど、それ以上何も言ってくれないのが気になるのよね」
「ふーん、そうか……」
樹里は芽衣の言葉を聞くと、そのまま傍を通り過ぎ、サンダルの音を響かせながら公園の中へと入っていった。
僕の目の前まで歩み寄り、腕組みをしながら公園をぐるりと見渡すと、「上手く行ったようだな」とつぶやき、頷きながらニヤニヤと笑っていた。
「あれ? 公園……こんなに綺麗だった?」
芽衣は口に手を当てて驚いていた。
「さっき出かける時はゴミだらけで、このままにしていくのは後ろ髪ひかれる思いだったのに……一体誰がやったのかしらね」
「さあ、どこかの誰かがやったのかもよ」
「え、どういうこと?」
「この公園の写真を撮って、SNSで拡散したんだよ。『楽しむだけ楽しんで、無責任にゴミをまき散らした奴ら、お前らの恥をとことんまで晒してやる。悔しかったら今すぐ掃除に来い』ってね。まあ、あれを読んで少しは恥ずかしいと思ったみたいだから、この町の人間はまだ救いようがあるかな」
そう言うと、樹里は機嫌よさそうに鼻歌を歌いながら玄関へと戻っていった。
『やるなあ、樹里ちゃん。彼女、何だかんだ言っても僕らのことやこの公園のことを気にしてくれているんだね』
『過激だけど、彼女らしいやり方なのかもね』
公園では、芽衣だけが未だに信じられない様子で公園の中を見渡していた。
人影のない公園にはかすかにゴミの臭いは残っているものの、いつもの光景が戻っていた。
「やるわね、あの子……」
そう言い残すと、芽衣は苦笑いしながら樹里の後を追って玄関へと走り去っていった。
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