第180話 思い出の花火

 途方もなく暑いこの夏。

 日中はほとんど歩いている人が無く、僕たちは直射日光を浴びながらひたすら暑さに耐え続けていた。

 僕たちケヤキの宿命なのかもしれないが、これだけ暑いと体がとろけてしまいそうだ。朝夕、怜奈と芽衣が水を撒いてくれるものの、それだけでは十分な水分補給には足りなかった。撒かれた水はあっという間に乾ききり、数時間後には再び水が恋しくなっていた。特に、体の小さいキングはこの暑さに一番体が堪えているように見えた。僕たちのように頭が沢山の葉に覆われていないので、幹全体に直射日光が当たってしまうようだ。


『キング、大丈夫か?』

『キング、ちゃんと息が出来てる?』


 他の苗木たちはキングに次々と声を掛けていた。

 

『だ、だいじょう……ぶ……』


 息を切らしながら、キングはかすれた声を上げていた。


『もう少しで日が暮れるから。そしたら少しは涼しくなるから、我慢しろよ』

『ありが……とう……みんな』


 キングは何とか声を上げて声援に応えていた。

 皆の声が届いたのか、だんだん日が暮れ始め、空の色は青から桃色、深紅へと変化し、やがて群青色へと姿を変えていった。

 空の色が変わるにつれ、公園の中を歩く人の数は次第に増えて行った。今日は着物を着た人が多く、普段よりも人通りが多く賑やかに感じた。

 その時、僕の目の前をお揃いの柄の浴衣を羽織った親子が通りかかった。

 先日、僕に悪さを働いた兄弟に手当てをしたり、一緒に線香花火を遊んでいた人たちだ。あの時のことは今でも思い出すたびに笑いが込み上げてしまう。


「ねえ、ママ、今日の花火、きれいかな?」

「そうね。ドドーンってすごい音がするけど、お空にお花がワーッと咲くように見えるんだよ」

「すごい音? ママ、怖い……」

「だーいじょうぶよ、一花。ママが一緒にいるからさ。怖かったら一花の耳をママが塞いであげるから」

「うん……」


 二人は手を繋いで、人込みに紛れながら僕たちの前を通り過ぎて行った。


『あの子、線香花火は好きみたいだけど、花火大会の花火はどうかしらね? 私たちだって怖いもんね、あの音……』

『どうしてあんな凄い音を出さなくちゃいけないんだろうな? 空に咲く花はすごくきれいなのにね』


 苗木たちはこぞって女の子と同じ意見のようだ。

 かくいう僕も、あの音だけは未だに耳慣れしないが……。

 人の波が去った後、近くの家の玄関が開き、怜奈とシュウ、芽衣が姿を見せた。


「ここから見えるかなあ。おふくろ、人込みの中に行くはもう辛いだろ?」

「まあね……昔は何とも無かったんだけど、今は少しいただけで気分が悪くなっちゃうからね」

「じゃあさ、この辺で見ようか」


 芽衣は怜奈を支えながら、ケンやヤットが立っている辺りへ誘導した。あの辺は遮るものが少なく、この公園で一番綺麗な花火を見ることができる。しかし、ほとんどの人たちは花火の上がる場所に近い所へ行きたがるようで、この「穴場」に気づいている人は少ないようだった。怜奈やシュウ一家は、この公園のすぐ近くに住んでいるからか、「穴場」の存在に気付いているようだ。


「あれ? 樹里は来なかったのか?」

「来ないわよ。いくら誘ってもダメ。花火見る位なら、一人でスマホいじってた方が楽しいって」

「やれやれ……友達とか、彼氏とかいれば違うんだろうけどな。どうして一人でいるのが好きなんだろうね?」


 芽衣とシュウはがっかりした顔でお互いに顔を見合わせていた。

 シュウが「彼氏」という言葉を発した時、苗木たちの視線は一斉に僕に注がれた。


『いるじゃん、ここに。樹里ちゃんの彼氏が。ケビンさん、樹里ちゃんを誘わないと。僕と一緒にここで花火を見ませんかーって』

『ば、馬鹿言うなよ。僕はケヤキで、樹里ちゃんは人間だ。そして僕のことなんか、全然彼女の眼中にはないよ。ここにはベンチがあるし、日陰になって涼しいからいつもここに来てるだけだと思うよ』


 僕は冷静に苗木たちを諭した。しかし苗木たちは相も変わらず僕と樹里を勝手に恋人同士に仕立てて、根も葉もない噂話を続けていた。

 やがて群青の空に、大きな音を立てて次々と色とりどりの花火が打ちあがり始めた。


『こわい、やっぱこの音は未だになれないや』

『腹の底に響くから、きついんだよなあ』


 苗木たちの恐れおののく声があちこちから聞こえてきた。一方で芽衣やシュウは歓声を上げて次々と夜空に上がる花火を楽しんでいるようだった。


「結婚前に良く見に行ったよな、花火……こっち帰ってきたら育児とか仕事と重なったりしてなかなか行けなくなったけど」

「うんうん、隅田川や神宮、ちょっと足を伸ばして茅ヶ崎にも行ったよね」

「二人とも花火好きだったもんな。二人して一緒に楽しめる数少ないイベントだったからな」

「アハハハ、あとはお互いすれ違ってたもんね。シュウは格闘技で、私は音楽フェス。一緒に行っても必ずどっちかがつまらない思いをしていたもんね」


 芽衣はシュウの体に寄り添うように体をもたげ、シュウは芽衣の背中にそっと腕を回していた。見せつけられているようであまりいい気分はしないが、何時まで経っても仲睦まじいのはうらやましい限りある。


「ゴホッ、ゴホッ」


 その時突然、怜奈が口を押えて咳き込みながらその場に座り込んだ。


「お、お義母さん?」

「おふくろ、どうしたんだ? 顔色あまりよくねえぞ」

「ごめん、ちょっと気分が悪くてね……」


 芽衣はハンカチを手にして怜奈の顔を何度もふき取り、シュウは怜奈の肩に手を回し、ゆっくりと起き上がらせた。


「さ、帰りましょ。今日はすごく蒸しますよね。いくら昼間に水やりや草刈りやっていても身体に堪えるかもしれませんよね」

「い、いいのよ。私も見たいってわがまま言ったのが悪いんだから」


 シュウに支えられながら、怜奈は体をふらつかせて自宅へと戻っていった。芽衣は怜奈の後ろから心配そうに声を掛けていた。


『シュウと芽衣さん、せっかくいいムードだったのに。怜奈さん、無理しちゃだめだよね』

『そんなこと言うなよ。怜奈さんだって、花火、見たいだろ? 若い頃、シュウを抱きかかえながら隆也と一緒に見に行ってたし、思い入れがあるんじゃないの? 年老いたから見に行っちゃダメというのはひどすぎる話だよ』


 ミルクが悔しそうに話していたものの、あまりにも怜奈の気持ちを踏みにじったものだったので、僕は彼女をたしなめた。確かに、シュウと芽衣が仲良く一緒に歩いているのを最近は見かけたことが無かった。この花火大会が、二人の仲を取り持ってくれる良い機会だったかもしれないだけに、残念と言えば残念だった。


 ドドドーン! ドドドーン!


『ねえねえ、凄い破裂音! 地面が揺れてなぎ倒されそう』


 盛大な爆音とともに、夜空に次々と大輪の花が咲いていた。

 僕の記憶が正しければ、毎年この豪勢な花火とともに花火大会は幕を閉じるはずだ。

 公園にいる人間たちは歓声を上げ、手を叩いて夜空を見上げていた。一方で僕らは、この試練のような時間帯をひたすら耐えていた。

 しばらくすると花火は止み、「終わっちゃったね」「今年も最高だったな。さ、帰ろうか」という声があちこちから聞こえてきた。


『終わったみたいだね、みんな、今年もよく耐えたよ』

『えーん、もう、やだぁ。人間たちが楽しむためだけに、こんな辛い想いをしなくちゃならないなんて』

『ケビンさん、俺たちのリーダーとして、もうここで花火大会をやらないように直訴してくれよ』


 苗木達は相変わらず無理難題を吹っかけてきた。公園のケヤキが、単にリーダーというだけで、これだけ大きなイベントを中止にさせる力などあるはずがないのに。最近苗木達は、リーダーである僕を自分達の不満のはけ口に使っているだけにしか思えなくなった。

 花火大会から帰る人たちが続々と公園を行き交っていった。彼らの顔を見ると、祭りを心行くまで堪能していたように見えた。


『おい、そこの奴、何でここに捨てて行くんだよ!』


 遠くから、ケンの声が聞こえた。どうやら通りすがりの人間がケンの近くでゴミを捨てていたようだ。やれやれと思って僕の根元を見つめると、いつの間にかたくさんのゴミが投げ捨てられていた。途中の店で買ってきたと思しき食べ物や、お菓子の袋、ペットボトル……地面が見えなくなるほどのゴミが、一面に散らかっていた。

 ゴミの処理は僕たちだけではどうしようもない。良心的な人間達が拾ってくれるのをひたすら待つしかない。一番目ぼしいのが、怜奈と芽衣だったのだが……。

 ため息をつきながら地面を見つめていたその時、揃いの浴衣を着た親子が手を繋いでこちらに近づいてきた。


「どうだった? 一花。 大きな花火も綺麗だったでしょ?」

「うん……綺麗だったけど」

「やっぱり音が嫌だった? ずっと一花の耳を塞いでいたから、音もそんなにしなかったでしょ?」

「うん、でも私はやっぱり、線香花火が好きなの」

「そうか……じゃあ、やろっか、これから」

「うん!」


 母親は女の子の手を引くと、マンションの中へと走り去り、さほど時間がかからないうちに再び公園に戻ってきた。女の子の手には、袋に入った沢山の線香花火があった。


「さ、一緒にやろうか」

「うん!」


 母親が女の子の線香花火に点火すると、小さく丸い形の火の玉が時折火花を散らしながらジリジリと音を立てて燃え出した。

 女の子は、嬉しそうな顔で線香花火を凝視していた。


「ママ、私やっぱり、これが好き」

「良かった。ごめんね、一花の気持ちを分からないで、ママが見たいばかりに花火大会に連れ出して」

「ううん、いいのよ。ママ、楽しかったんでしょ?」

「うん……昔、パパと良く見に行ったからね」


 すると女の子はどこか物悲しそうに花火を見ていた。

 丸い火の玉が地面に落ちると、女の子は悲しさに拍車が掛ったようで、目頭を何度も片手で拭っていた。母親は女の子の異変に気付き、慌ててハンカチを取り出した。


「ごめんね、一花……余計な話しちゃって。さ、まだまだ線香花火があるよ。ママも一緒にやろうかな」


 二人は肩を並べて線香花火を始めた。人波が引き、静まり返った公園の中で、二つの火の玉は漆黒の闇の中に暖かい光を放っていた。心の中には僕たちには想像のつかない悲しいことがあったのかもしれないが、光に浮かんでいる二人の顔は、どことなく幸せそうに見えた。





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