第178話 悪戯の代償

 相変わらず暑い日々が続いていたが、夕方になると徐々に涼しい風が吹くようになり、僕たちもやっといつまでも終わりが見えない灼熱地獄から解放された。

 そしてこの時期になると、公園で花火遊びをする家族連れや若者連れがやってくる。

 薄暗い照明が灯る公園で、赤や緑、青のぼんやりした光が闇の中に浮かび上がった。

 時には耳をつんざくような炸裂音をあげたり、猛烈な勢いで夜空に舞い上がる火の玉に驚かされたり、時折火の粉が僕たちの枝や葉に落ちてきたり、と、僕たちにとってはあまり歓迎するものではなかった。それでも、歓声を上げながら花火を楽しむ子ども達の顔を見ると、少しくらいは我慢しようという気持ちになった。


 今日も浴衣を着た小さな女の子が、両親とともに線香花火を楽しんでいた。

 パチパチパチ……と、小さな音を立てながら黄色い光が飛び散る線香花火は、見た目もかわいらしくて僕が好きな花火の一つである。

 わざわざ大きな音を立てなくても、大きな火の玉を上げなくても、不思議に心が惹きつけられる。


 その時、ガラガラと音を立てて近くの家の玄関の戸が開き、怜奈と芽衣が姿を見せた。二人ともタオルを首にかけ、高齢の怜奈を芽衣が時折片手で支えながら歩いていた。


「ふう……気持ちいいわね。この時間になると、やっと涼しくなるのね」

「そうですね……この時間に散歩するのがちょうどいいかもしれませんね」

「あ、あそこで小さい子がやってるの、ひょっとしたら線香花火かしら?」

「かわいいですね。ちょっと見てみましょうか?」


 二人は、一心不乱に線香花火に目を向けている女の子に声を掛けた。


「こんばんは。線香花火、すごくキレイだね」


 すると女の子は、花火を手にしたまま軽く頷いた。


「私も昔、夏になると線香花火ばかりやってたわよ。男の子たちは音の出る花火ばかりやってたけど、うるさいだけで嫌だったからさ」


 怜奈は笑いながら、小さな光を放つ線香花火をずっと見つめていた。


『ねえ。あそこにいるの、あいつらじゃない?』


 その時、ナナが恐れおののく声が聞こえてきた。

 僕は目を凝らすと、公園の奥から花柄のシャツや悪趣味なイラストの入ったTシャツを着こんだ二人がこちらに近づいてきた。二人はそれぞれ、大きなビニール袋を手に提げていた。そして二人の真後ろには、金髪をなびかせながらカメラを持ち歩く男の姿があった。


「今日は花火には最高だな。どの辺りでやろうか?」

「そこらへんでいいや」


 髪の長い男が指さしたのは、僕の立っている方向だった。

 坊主頭は不敵な笑みを浮かべると、持っていたビニール袋から花火を取り出した。

 坊主頭は花火を地面に向かって斜めに置くと、ライターで点火した。

 見た目にも不安定で危ない置き方であるが、大丈夫なのだろうか?

 すると花火はシュルシュルと音を立て、爆音とともに火の玉が発せられた。

 火の玉は、髪の長い男と僕がいる方向に猛烈なスピードで向かってきた。


「はいよっ!」


 髪の長い男は素早い身のこなしで避けると、火の玉は僕の幹をかすめるように彼方へと飛んでいった。

 火の玉が通り過ぎた時に幹の一部がやけどしたようで、痛みのあまり思わず大声で叫びそうになった。


「怖いわね……人に向かって打ち上げ花火を向けるなんて」


 線香花火をしていた女の子の母親が、心配そうに僕の方を見ていた。花火は人だけじゃなくケヤキにとっても全身に燃え移る可能性があるから危険なのだが、僕には気を回してくれなかったようだ。


「あれ? あの髪の長い子……こないだ木にいたずらしていた人達よね」


 線香花火をずっと見つめていた芽衣は、母親の言葉を聞いて三人の存在に気づいたようだ。その後芽衣は辺りを見回し、三人以外に怪しげな人がいないかどうか確認した。


「他には誰もいないようね。カメラ持ってる金髪の子は、こないだここに来た時には見かけなかったかな。ということは、あの金髪の子が私を後ろから撮影して、盗撮者に仕立て上げたのかしら?」


 芽衣はズボンのポケットから携帯電話を出して三人の近くまで行くと、茂みに隠れながらカメラを向けた。


「芽衣ちゃん、何してるの?」

「私を盗撮して悪者に仕立て上げたあの子たちを許せなくて」

「撮ったものはどうするの?」

「市役所を通して警察に提出します。最近、警察が以前よりも公園をパトロールしてくれなくなりましたし。それに私、あの子たちがこじつけた理由で私を悪者に仕立てたことがどうしても許せなくて」

「ふーん……まあ、どうぞ勝手にやったら。私からすれば、やられたらやり返すなんて、どっちも同じことをしてるようにしか見えないけどね」


 拳を握り主張する芽衣に対し、怜奈はどこか冷めた表情を見せていた。


「ギャハハハ、なかなかいい絵が撮れてるなあ。うちらのチャンネル、今日もアクセス数爆上がりだぞ」


 金髪男は携帯電話を見ながら大声で笑い、一人悦に浸っていた。


「次はファイヤーダンスでもやろうか?」


 坊主頭はポリ袋から花火を二本取り出すと、髪の長い男に手渡した。花火を手に持った状態で着火すると、二本の花火は勢いよく火の粉を上げ始めた。

 髪の長い男は、二本の花火を円を描きながら回転させて僕の周りを全速力で駆け回った。勢いよく飛び散る火の粉は僕にことごとく降りかかり、熱さのあまり樹皮が焼け焦げてしまうのではないかと気になって仕方が無かった。


「すげえ、翔真、カッコいいぞ」


 坊主頭は興奮気味に手を叩いていた。

 髪の長い男は調子に乗ったのか、今度は持っていた花火のうち一本を真上に投げつけた。花火は勢いよく火の粉をちらしながら真上に上がると、僕の枝に当たり、そのまま真下へと落下していった。


「危ない、翔真!」


 坊主頭は大声で叫ぶと、花火は髪の長い男の手の上の真上に落ちた。


「熱い!」


 髪の長い男は腕を押さえながらその場にしゃがみこんだ。花火は地面に転げ落ち、しばらく火の粉を放った後、勢いを徐々に弱めてやがて鎮火した。


「翔真! 大丈夫か?」


 坊主頭と金髪男は、慌てた様子で倒れ込んだ髪の長い男の元へ駆け寄った。


「ひどいやけどだな。すぐ冷やさないとダメだろ?」

「でも、この公園に水道なんかないじゃん」

「このまま我慢してマンションまで帰るか? でも、やけどした部分がどんどん膨らんできてるし……」


 男たちは、しゃがみこんだまま苦しそうな顔をしている髪の長い男を何の手当もせずにずっと見続けていた。


「お兄ちゃんたち、どうしたの?」


 その時、近くで線香花火をしていた女の子が三人に声を掛けた。


「な、なんでもないよ。気にしないでいいよ」


 坊主頭は小さい子に心配かけまいとして、無理やり作った笑顔で答えていた。

 しかし、女の子は指を口にくわえたままじっと髪の長い男の様子を伺っていた。


一花いちか、なにやってるの?」


 女の子の背後から、母親と思われる若い女性がサンダルの音を立てながら近づいてきた。


「このお兄ちゃん、さっきから地面で寝転んでるの。『痛い、痛い』って言ってるの」


 女の子は髪の長い男を指さすと、母親は男の隣に座り、全身をくまなく見渡した。


「あ、腕の辺りがひどく膨れ上がってるね。ちょっと見せてくれるかしら?」

「い、良いですよ。大したケガじゃありませんから」

「いや、このまま放置はできないわよ。一花、お母さんはこれから水を持ってくるから、お兄ちゃんに『がんばれー』って声を掛けてあげてよ」

「うん」


 女の子は、母親と入れ替わるかのようにその場に座ると、髪の長い男をじっと見つめていた。


「ねえ、すごく痛いの?」

「だ、大丈夫だよ……この位、何とも……イテテテテ」


 髪の長い男は気丈に振舞おうとしたが、時折押し寄せる激しい痛みには耐えられないようで、腕を押さえながら歯ぎしりをしていた。

 すると女の子は急に立ち上がり、拳を握りしめると、腕を真上に上げた。


「がーんばれ、お兄さん。がーんばれ、お兄さん」


 女の子は腕を真上から何度も振り下ろしながら可愛い声でエールを送り、髪の長い男を励まし続けていた。


「あ、ハハハハ……ありがとね。おい翔真、この子、お前のこと応援してくれてるぞ」


 坊主頭は苦笑いしながら、髪の長い男の背中を叩いた。

 しばらくすると、暗闇の中から母親が姿を現し、救急箱とバケツ一杯の水を持って男たちの元へと駆け寄った。


「あーあ……傷の所がすごく膨らんでるね。とりあえず応急手当するから、それでだめなら病院に行くしかないわよ」


 母親はバケツに入れたタオルを絞ると、傷口に押し当て、冷やし続けた。母親の隣で女の子は声を張り上げながら、「がーんばれ!」とエールを送り続けていた。


「どう? 少しは痛みが引いてきた?」

「す、少しは……」

「しばらくはこのまま冷やし続けてね。お家は近くなの?」

「そこの、マンションです……」

「じゃあ心配いらないね。タオルは返さなくていいから、このまま傷口に押し当てながらお家に帰って。その後も痛みが引かなければ、観念して病院に行ってね」

「はい……ありがとうございます」


 てきぱきと処置を行った母親の前で、三人は無言のまま頭を下げた。


「ねえ、お兄ちゃん。一緒に線香花火しようよ」


 女の子は坊主頭と金髪男を手招きした。


「一花、ダメでしょ? もう遅いんだから帰るわよ」

「やだやだ、もう少しやっていきたいの!」

「じゃあ、良いですよ。弟を助けてくれたんだし、少しならば」


 坊主頭はにこやかな表情で、女の子に手を差し伸べた。


「やったあ!」


 二人は肩を並べ、線香花火を始めた。その姿はどこか不自然で笑ってしまいそうになったが、女の子は嬉しそうな顔で坊主頭と顔を見合わせながら線香花火を楽しんでいた。


「あはは、まさかこんないい画が撮れるとはね」


 芽衣は男たちの後ろからずっと動画を撮り続けていたが、彼らの悪事を撮るつもりが、途中からの想定外の展開に驚いた。


「ねえ芽衣、撮ったものはやっぱり警察に出すの?」

「うーん……どうしようかな。一応警察にも出そうとは思うけど。あ、そうだ。後で樹里に相談してTACOTUBEに出そうっと。イタズラ動画ばっかり上げてるあの子たちの意外な側面に驚くかもしれないから」

「あんたも、あの男の子たちに負けず劣らず性格悪いわね……」


 芽衣は鼻歌を歌いながら、樹里に向けてメールを打っていた。

 その背後では、金髪男に抱きかかえられながら、タオルで腕を押さえて歩き出す髪の長い男と、女の子と歓声を上げながら線香花火を続ける坊主頭の姿があった。

 微笑ましさと殺伐とした風景が共存する、妙な光景だった。


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