第177話 暑さにマケズ
容赦なく降り注ぐ太陽の光、なかなか降らない雨。
今年の夏は、これまで経験したことのない異常なほどの暑さだった。
僕たちの枝も葉も暑さに負けてぐったりとしていた。特に体の細いキングは強力な日光を全身に浴び、すっかり元気を失っている様子だった。
『キング、大丈夫なの? キング、返事して!』
隣に立つミルクが、何度も問いかけた。しかしキングは、全く言葉を発さずうなだれた姿勢のままだった。
『ねえケビンさん。キング、このままで大丈夫なのかな?』
『うーん、ちょっと心配だね。いつもの夏みたいに夕立もほとんどないし、このままでは干からびてしまうかもな』
『何とかできないの? 一応は私たちのリーダーなんでしょ?』
『そうだけど、僕に出来ることって、声を掛けることくらいしか……』
僕がそう言うと、苗木たちはざわめき始めた。
『声を掛けることしかできないなら、公園を通りかかる人間たちに片っ端から声を掛けるとかしないとね』
『このままキングを見殺しにするんだろうか? ちょっと信じられないよね』
苗木たちの言葉を聞くうちに、僕は全身が震えだした。
どんなに頑張っても、ケヤキである僕にできることなんてほとんど無いに等しい。
でも、何もできないからといって、キングをこのまま見殺しにしてしまうのは愚の骨頂である。
やがて、部活動帰りと思しき女子高校生たちが賑やかにしゃべりながら公園を通り過ぎようとしていた。僕は思い切り息を吸い込むと、大きく吐き出し、思い切り声量を上げて彼女たちに助けを求めた。
『おーい、そこの女子高生の皆さん! キングを助けてください! みんなの力が必要なんです。お願いします!』
しかし女子高生たちの笑い声の方が僕よりも声量があり、僕の必死の訴えはあっけなくかき消されてしまった。
続いて、サングラスをかけて走り去っていくジョギング中の若い男性を見つけ、再び声を上げた。
『お願いします、キングを助けてください! あなたの力が必要です!』
僕の訴えが届いたのか、男性は立ち止まり、耳に手を当てると、何かを聞き取ろうとしていた。しかし、「誰もいない。空耳なのかな……」と言い残すと、再び走り去っていってしまった。
その後もプール帰りの家族連れ、若いカップル、散歩中のおじいさんなど、片っ端から声を掛けたが、全く相手にされることは無かった。
僕は次第に声を枯らし、いくら叫んでも思うように声が出なくなってしまった。
『す、すみません、キングを……ゴホッ、ゲホッ』
苗木たちは必死に叫ぶ僕を、まるで憐れむかのように見ていた。
『もういいよ、ケビンさん』
『いや、ダメだ。このままでは……キングが……』
『やめてよっ! ケビンさんまで倒れちゃったら、私たちはどうなっちゃうのよ?』
ミルクは悲鳴を上げて、僕をたしなめた。
僕はゼエゼエと息を切らし、それ以上叫ぶのは止めた。
太陽は時間が経つにつれ、力を弱めるどころか段々力を増していった。
僕たちケヤキは、人間のように自分たちの力で涼しい所に逃げることも、水分を摂ることもできない。こういう厳しい天気が続く時は、己の宿命を恨みたくなる。
『おい、あいなちゃんだ! あいなちゃんが来てるぞ』
ケンが大きな声で僕たちに呼びかけた。
朦朧とした意識の中で、僕ははるか前方に小さな人影を見つけた。あいなの隣には、黒いTシャツの上にエプロンをかけた芽衣の姿があった。二人は、先日怪しげな金髪の男が潜んでいた植栽の方向へと近づいて行った。
「そうなのよ。ここで身をひそめながら、私をずーっと撮っていたのよ。TACOTUBEに上げた動画では、私はあの二人組を陰からこっそり盗撮していて、本人はそれを摘発するため私を撮影したってことになっててさ。あれから私はネット上で犯罪者扱いされて、自宅へ嫌がらせの電話までかかってきたのよ。もう、本当に悔しくて……」
「そうですか……こないだ私たちがあの二人組を警察に通報したことと関係があるかもしれませんね。目には目をってことですね、きっと」
あいなは冷静にそう答えると、僕やキングが立っている方向を向いた。
僕たちの窮状を訴えるにはまたとないチャンス……そう思った僕は、わずかに残された力を振り絞り、あいなに届けたい一心で腹の底から声を出した。
『あいなちゃん、助けて! 僕たち、ずっと水が足りなくて困ってるんです。特にキングを……キングを助けて欲しいんです!』
その時あいなは、口に手を当てて驚いた様子を見せた。
「ごめんなさい、ちょっと待ってもらえますか?」
そう言うと、あいなはぐったりとうなだれたキングの元へと駆け出して行った。
「この木……剛介君の大事な友達のキングだわ。キングのこんな姿を見たら、剛介君もきっと悲しむよ」
「友達?」
「そう。小学生の頃から、ずーっとこの木に何かを語り掛けているんですよ。その様子は、私から見たら本当に友達同士みたいなんですよ」
あいなは携帯電話を取り出すと、どこかと連絡を取り始めた。切羽詰まった様子で、電話機に向かって必死に何かを訴えていた。
通話が終わると、あいなは髪を振り乱して芽衣の方を向いた。
「芽衣さん、お願いがあります。お家からここまでホースをつないで水を撒くことってできますか?」
「ええ? ホースはあるけれど、果たしてここまで届くかしら……」
「ダメだったら、バケツリレーでどんどん水を掛けましょう。暑い中すみませんが、大至急お願いします。私も今、助っ人を呼びますから」
芽衣は慌てた様子で自宅へ戻り、庭で大声で叫びながら家の中にいる家族に何かを訴えていた。
やがて芽衣は、樹里を伴って公園に姿を見せた。二人の手には大きなバケツがあった。さらに、玄関の戸の向こうには怜奈の姿も垣間見えた。怜奈は蛇口をひねり、バケツに水を入れていた。
樹里は肩紐のないキャミソールとショートパンツ姿というラフな服装で、丈の短いキャミソールからは時折お腹やヘソがちらりと見えていた。樹里はまだ高校生とはいえ、十分に成熟した身体を惜しみもなく見せつけられて、僕は目のやり場に困ってしまった
「何なのよ樹里。そんなに露出の激しい服着ていたら、こないだみたいに得体のしれない男の人たちに摑まるわよ」
「いいじゃん、今年の夏は異常な位に暑いんだから。Tシャツ着ていても汗がじわじわ湧いてくるんだよ。それにさ、声かけられたって縮こまらずに堂々としてりゃいいんだよ」
樹里は長い髪を掻きむしりながら面倒くさそうに答えると、腰をかがめてバケツの水をキングの根元に撒いていた。
「あーあ、どうしてこんなクソ暑いのに公園の水撒きに付き合わなくちゃいけないんだよ。この暑さじゃどんなに水を撒いた所で、すぐ乾いちまうんじゃね?」
「グチグチ言わずに手伝ってよ! おばあちゃんの所に行ってバケツに水を入れてもらってちょうだい!」
芽衣はヒステリックな声を張り上げながら、空になったバケツを樹里に投げて渡した。樹里は顔をしかめて舌打ちしながら、バケツを手に自宅へ戻っていった。
その時、公園の沿道に一台の車が停まり、樹木医の櫻子が姿を見せた。
「ごめんなさい、到着が遅れちゃって」
櫻子は大きな鞄を手に、キングの元へ近づいた。キングの身体を触り、幹全体を目視すると、薬を取り出し、根元に注入した。
「水が足りないから、葉や枝が枯れちゃってるわね。ちゃんと取り除いてあげなくちゃ」
櫻子は車に戻り、脚立を取り出すと、枯れてしまった葉を摘み取り始めた。
夏真っ盛りで葉が青々と生い茂る時期なのに、キングの葉は黄色や茶色に変色していた。次々と葉が地面に落ちるのを見るたびに、僕はいたたまれない心情になった。
「全部は除去できなかったけれど、目についたものは出来る限り除去したからね。
あとはお薬が効くといいわね」
櫻子は脚立から降りると、キングの幹を何度も撫でまわした。
「あ、櫻子さん。ごめんなさい、忙しいのに呼び出しちゃって」
真後ろからあいなが靴の音を響かせながら櫻子の元へ近づいてきた。
「ありがとう。あいなさん達が気が付かなかったら、この子の命が危なかったかもしれないんだから」
「だって、このまま死なせてしまったら、この木を誰よりも愛している人ががっかりすると思うので」
そう言うと、あいなは後ろを振り向き、大きく手を振った。
そこには、作業服姿の剛介が立っていた。どうやらあいなから呼び出され、仕事を抜け出して駆け付けたようだ。あいなの言う「助っ人」の正体は、おそらく剛介なのだろう。
剛介は駆け足でキングの元に近づくと、ぐったりしていたキングを見て驚きを隠せなかった。
「キング? お前、どうしたんだ、こんなに元気がないなんて……」
「この暑さと水不足がかなり堪えたみたいよ。だからみんなで水を撒いたり、樹木医の櫻子さんに手当してもらったの」
剛介は心配そうに何度もキングに声を掛け、幹に抱き付きながら全身を撫でまわした。
『ありがとう……剛介……』
その時、かすかにキングの声が聞こえた。
朝方にミルクが声を掛けた時は、全く反応が無かったのに……。
「さあ、たっぷり水を持ってきたよ。どんどん水を撒いて、少しでも元気になってもらわないとね」
芽衣はさっきよりも大きなバケツを持ってキングの前に立った。その隣には相変わらずけだるそうな顔をした樹里も、バケツを手に肩を並べていた。
二人の撒いた水は乾いた土を潤し、心なしかキングの身体もさっきより少しだけ起き上がっているように見えた。
「芽衣さん、他の木にも水をあげてもらえますか。土がカラカラに乾いてますから、このままじゃみんな枯れてしまいますよ。ケヤキも人間も、水が無いと命にかかわりますから」
「そう言えば、他の木も何だか葉の色が黄色いわよね……」
櫻子の言葉に、芽衣は大きく頷いた。
芽衣、樹里、剛介、あいな……皆が力を合わせてバケツに水を汲み、次々と僕たちの立つ地面に水を撒いた。カラカラに乾いた白い地面は、次第に茶色く生き生きとした土に変わっていった。
一通り水を撒き終え、疲れ果ててベンチで休んでいたあいな達のもとに、怜奈が冷えたペットボトルが入った袋を持って近づいてきた。
「お疲れ様。さ、これでも飲んで休んでちょうだい」
「わあ、怜奈さん、ありがとうございます。木だけじゃなく私たちも生き返りそうだね」
相も変わらず体に堪える強烈な暑さが続いていたが、僕の真下に置かれたベンチでは、水撒きした人達に怜奈も交じって、一緒に談笑しながら気持ちよさそうに冷たいボトルの水を飲み干していた。
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