第175話 雨上がりの日は賑やかに

 どんよりとした空から雨がしたたり落ちる午後。

 僕たちは全身ずぶ濡れになりながら、誰もいない公園で静かに佇んでいた。

 樹皮が濡れ、葉からは雫がしたたり落ちるのを見続けると、憂鬱な気分になってしまう。おまけに太陽の光が全く届かない日が続き、光合成ができない葉もどことなく元気がなさそうだ。


『この時期は寂しいよね。公園の中を通りかかる人も少ないし、遊ぶ人もいないし』


 僕がぽつりとこぼしたが、苗木たちは誰からも返事がなかった。


『どうして寂しいの? 誰も来なくたっていいじゃない。あいつらに乱暴されるよりは』


 ケンがそう言うと、苗木たちからは『そのとおり』との声が次々と上がった。


『雨はいつか上がるわよ。そしたらまたお日様が出てきて、元気になれるわよ。でも、あの人たちはどこかで誰かが止めない限り、延々といたずらするわよ』


 キキもケンの言葉に同調し、雨の中楽しそうに鼻歌を歌っていた。

 雨の中、赤い光を回しながら警察の車が公園の周りを見回っていた。

 いつもなら「まだ居たのか」と思う位にしぶとく周回しているものの、今日は雨のせいか、ある程度見回すとどこか遠くへ行ってしまった。

 あいな達が市役所に向かったあの日から、警察の車が何度も公園の周囲を見回りし、怪しげな若者を見つけると警察官が車から降り、聞き取りを始めた。

 あいなたちは市役所に現状を逐一説明し、市の方でもきちんと警察に通報してくれたのだろう。警察が巡回を始めたおかげもあり、公園には怪しげな若者たちの姿を全く見かけなくなった。


 夕方になると雨は上がり、西の方から徐々に茜色に染まる空が広がり始めた。


『ほらね、雨が上がったでしょ? 明日はきっとカラッと気持ちよく晴れるわよ』


 キキはそう言うと、うっとりとした様子で西の空を眺めていた。

 明日はきっと晴れて、僕たちの身体に活力が戻り、この公園に人通りが戻り、賑やかになりそうな気がした。


 翌朝、予想通り朝から真っ青な空が広がった。

 あちこちにできた水たまりに僕たちの姿が映し出され、それを見つめるとちょっと気恥ずかしくなるけれど、さんさんと降り注ぐ太陽の光を体いっぱいに浴びて、雨に濡れた葉も心なしか元気を取り戻しているように見えた。


 学校に通う子どもたちが元気よく僕たちの傍を通り過ぎていった後、近くの家の玄関の戸が開き、作業委姿の怜奈と芽衣が姿を見せた。

 透明な袋を手にしながら草を刈り取り、ごみを拾う姿はこれまで何度も見てきたが、今日はその姿がいつもよりも頼もし気に感じた。


「ねえ芽衣ちゃん。見た限り、ケヤキの木たちが傷ついたり折られたりしている様子はないわね」

「さすがにもう手が出せないんじゃないですか? あの時以来、パトカーが家の前を何度も回っていますからね」

「あいなちゃんが市を説得したんだって?」

「そう。凄かったですよ、私よりずーっと年下なのに。理路整然として言葉の一つ一つに力があって、それでいて『私も皆さんと一緒に戦いますから』って、市役所の人たちを勇気づける言葉をかけたりしていましたから」

「凄いわね、まだ若いのに、なかなかやるわね」

「どんな相手でも堂々と渡り合うのに、素顔は可愛いし、子どものことを一生懸命話してくれるところがすごく家庭的ですし。旦那さんである剛介君がうらやましいですね」

「そうね」


 照り付ける日差しがどんどん強まる中、二人は楽しそうにおしゃべりしながら、公園の中の雑草を刈り取り、茂みに投げ捨てられたごみを片付け、透明な袋はあっという間に満杯になっていた。

 怜奈が最後に空き瓶を袋に入れた瞬間、腰をさすりながらその場にしゃがみこんでしまった。


「お義母さん、大丈夫ですか? これ以上は無理はしない方が……」

「気にしないで。いつもの腰痛だから。すぐ収まるわよ、この程度の痛みなら」

「でも、顔もどことなく青ざめてるじゃないですか……さ、私と一緒に家に帰りましょ」 


 芽衣は怜奈の肩に手を回すと、支えながら一歩、また一歩と前に進みだした。

 僕から見ると、芽衣の身体に隠れるかのように歩いている怜奈は、呼吸が荒く顔色が悪そうだった。会話がいつも以上に弾み、体に無理が来ているのに気づかず作業を続けてしまったのだろうか。

 怜奈は芽衣に支えられ、何とか自宅にたどり着いたようだ。

 考えてみれば、怜奈はもう十分高齢である。本人はまだまだやれると思っているのかもしれないが、そろそろ作業のすべてを芽衣やシュウなどに引き継いでいくべきではないだろうか? シュウがいまいちやる気がないのが頭が痛い所ではあるが……。


 二人が去った後、はるかかなたから子どもたちの賑やかな声が聞こえ始めた。

 気が付くと、先生らしきエプロン姿の若い女性に率いられ、揃いの帽子と制服を身に着け、小さなリュックサックを背負った子どもたちがぞろぞろと公園に入り込んできた。


「はーい、まほろばようちえんのみんな、こっちに集合してくださーい」


 先生が声を上げると、子どもたちは一斉に僕の周りを取り囲むように集まってきた。

 どうやら、幼稚園の遠足でこの公園にやってきているようだ。


「みんな、この木を見てごらん。すごく大きいよね?」


 園児たちは先生の声を聞いて真上を向き、葉で覆われた僕の幹や枝を眺めていた。


「これはね、ケヤキという木なの。大きいでしょ? 生まれたばかりの頃はみんなと同じ位の大きさなのに、大人になると、こんなに大きくなるんだよ」

「すごい!」


 子どもたちは目を輝かせながら僕の身体を舐めるように見続けていた。


「これからここできゅうけいします。木にはいたずらしたり、登ったりしないでね。木も人間と同じで、いやなことされたら泣いちゃうし、いやなきもちになるんだから」

「はーい!」


 先生の話を聞き、子どもたちは元気よく返事をした。子どもたちは歓声を上げながら僕たちを触ったり、枝の間を行き来する小鳥たちを指さしたり、木の周りで手をつないで歌を唄ったりしていた。

 彼らの声は時には耳をつんざくほど大きいし、触り方も優しくはないけれど、大きな木を見たことがない子がほとんどのようで、「大きいなあ」と叫びながら僕の全身をずっと見つめていた。


「はーい、みんな。そろそろ出発するよ! 最後に、一緒に遊んでくれたケヤキさんに、お礼をいいましょうね」


 すると園児たちが一斉に「ケヤキさん、またね」と叫びながら手を振り始めた。


『楽しかったよ。また遊びにおいで』


 僕は大声で彼らに呼び掛けたが、彼らの耳に入っただろうか?

 やがて彼らはぞろぞろと公園から出て行った。わずかな時間であったが、無邪気にはしゃぐ園児たちから、たくさん元気をもらったような気がした。


『楽しかったなあ。公園に来る人たちが今の園児の子たちばかりだったらいいんだけどね』

『そうね、でも……そう簡単にはいかないようね』

『え?』


 ほんわかとした雰囲気に包まれていた僕たちは、ミルクの発した言葉で一気に現実に引き戻された。

 僕たちの目の前には、兄弟である坊主頭と髪の長い男、そしてその父親が、そしてその隣には、おかっぱ頭で趣味の悪そうな縞柄の細身のスーツを着た初老の男が立っていた。


大倉おおくら先生、ここです。ここであの女達はうちの子たちを勝手に撮っていたんです」


 父親は公園の端に連なる植込みを指さした。


「ほう、物陰から撮っていたのですか?」

「そうですよ。卑怯だと思いませんか? 普通なら一言断って撮るべきですよね? お前たちだってそうしてるだろ?」


 すると、兄弟はお互いに向き合いながら「最低限のマナーだよな?」と言い、頷き合っていた。


「わかりました。調査してみましょうか。場合によっては肖像権の侵害に当たるかもしれませんね」

「でしょ?」


 父親は男の話を聞いた後に不気味な笑みを浮かべると、「依頼料、弾ませときますから、よろしくお願いしますよ」と言って男の背中を何度も軽くたたいていた。

 男は「ありがたいですね」とだけ言い残すと、三人の前で頭を下げ、一足先に公園から離れて行った。


「親父、あのオッサン大丈夫なの? 何だか見た目が怪しいなあ」

「いや、あの人はどんな難しい依頼も大丈夫だよ。どんな手段を使っても解決させるということで有名でね」

「どんな手段を……なんだか怖いなあ」

「良いんだよ、市の馬鹿どもが弁護士の後ろ盾をもらってから妙に強気になりやがってさ。こっちの言い分をこれっぽっちも聞こうとせず、お前たちのことを警察に訴えたのが許せなくてな。お前たちの不名誉を挽回し、また伸び伸びとこの公園で遊ぶためには、あらゆる手を使わないとな、ハハハハ」


 親子は気に掛かる言葉を残して、僕たちの元から去っていった。話の内容からすると、市役所に圧力をかけても通じなくなったから、違う手を使おうということなのだろうか。しかも、見た目からして腹黒そうな男を使って……。どこまでも卑怯極まりない連中である。 

 太陽が次第に陰り、青空が次第に桃色に変わり始めた頃になると、ランドセルを背負った学校帰りの子どもたちが歓声をあげながら公園の中を駆け回る姿が目につき始めた。その時、子どもたちに紛れて、ベビーカーを引いた若い女性が公園の中に姿を見せた。


『ねえみんな、あいなちゃんがこっちに来てるよ!』


 僕の対面に立っているナナが突如大声を上げ、僕たちは一斉に注目した。


『久しぶりだなあ、子どもが生まれてからほとんど姿を見なかったもんね』


 あいなはいつものようなスーツ姿ではなく、ゆったりとした服装でベビーカーを引いていた。ベビーカーの中には、指を口にくわえながら眠り続ける赤ちゃんの姿があった。


轍太てつた、初めてだね、こうしてここを散歩するのは」


 轍太と呼ばれた赤ちゃんは、全体的に見た感じでは剛介に似ているが、目元や口元はあいなに似ていると思った。

 轍太は、ベビーカーにゆらゆらと揺られながら、少しだけ目を開けて周りを見回していた。初めて見た公園と僕たちの姿、彼にはどう映ったのだろうか?


「もうちょっと大きくなったら、ここでパパとママと一緒に遊ぼうね。それまでには、何があってもママはこの場所を守るから」


 あいながベビーカーの真上から轍太に尋ねたものの、轍太は気持ちよさそうにすやすやと眠っていた。

 轍太はどんな大人になるんだろうか? 剛介みたいな優柔不断ないじめられっ子になるのか、はたまたあいなのような正義感の強い子になるのか? この公園で暮らす楽しみがまた一つ増えた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る