第174話 居ても立ってもいられない

 僕に散々いたずらを仕掛けてきた兄弟が、不気味な笑い声をあげながら一歩、また一歩と僕に近づいてきた。

 坊主頭がカメラを構え、その前で髪の長い男が表面が硬そうな手袋をはめていた。


「さてさて、俺たちの今日のミッションは、ここに立っている木の枝を鉄棒代わりにして、アクロバットをやってみようと思いまーす。体操選手も顔が真っ青になるスゴ技の数々、みんな、よーく見とけよ!」


 坊主頭が軽妙な口調でしゃべりながらカメラを回し始めると、髪の長い男は僕の幹に腕を巻き付け、そのまま体をよじりながら、枝のある所まで一気に登りつめた。


「翔真、お前の頭の上にある枝が丈夫そうだぞ、そこに摑まれば安定するんじゃないか」


 坊主頭は、指さしながら髪の長い男に指示を送っていた。髪の長い男は枝に手を当てて感触を確かめると、「お、これならいけるな」とつぶやいた。

 しかし、僕の枝に付いた葉は以前より大きく成長し、枝と枝の枝に入り込むと、周りが見えなくなってしまうほど生い茂っていた。


「くそっ、何も見えねえし、体を回転させるのに邪魔だな」

「俺の所からも翔真の姿が見えないよ。枝の周りに付いた邪魔は葉っぱは取り払ってたほうがいいな」

「そうだな。ホント邪魔でしょうがないわ。こうしてやる!」


 髪の長い男は枝に付いた葉を次々と手でもぎ取り、地面に散らしていった。春先から順調に生育していた青々とした葉が、ボロボロになった姿で無残に投げ捨てられていくのを見るうちに、僕は悔しくてたまらなくなった。


『ひどい、ケビンさんに付いた葉が邪魔者扱いされて、どんどんそぎ落とされてるよ……』

『俺たちがここまで時間をかけて育ててきた葉を勝手にもぎ取るなんて、許せない!』


 苗木たちも僕を案じ、二人の若者の無謀な行動を非難していた。

 しかし髪の長い男は手を止めるどころか、片っ端から葉をもぎとっては地面に落とし、男の立っている部分だけが葉のない枝だけの姿になってしまった。


「どうだ、これで俺の全身が見えるだろ?」

「おお、今度は見えるぞ。じゃあ撮影再開といくか。頼んだぞ、翔真!」


 髪の長い男は大きくうなずくと、丸裸になった僕の枝にぶら下がり、全身を空中で上下左右に揺らすと、そのまま僕の枝を軸にして全身を一回転させた。


「いやっほう! これ、気分爽快だなあ」


 髪の長い男は歓声を上げると、今度は僕の枝に片足だけを掛けて、再び一回転した。


「おっ、すげえ反響だぞ! 動画への『いいね』の数もぐんぐん増えてるぞ」


 坊主頭はカメラを持ちながら興奮気味に叫んでいた。


「これで終わりじゃねえぞ。もう一つ、凄技があるんだ」


 髪の長い男は黄色く汚らしい歯を見せて笑うと、枝に手を掛けてぶら下がり、そのまま勢いをつけて他の枝に腕を伸ばし、飛び移った。その瞬間、飛び移った先の枝からは揺れた衝撃で葉や小枝がたくさん地面に落ちていった。


『うわあ、小枝やいっぱい落ちてきてるよ。あいつがぶら下がってる枝も徐々に折れ曲がってきてるぞ!』

『あいつらの自己満足のためには、僕たちの大事な枝も葉も邪魔者でしかないんだね……鬼かよ、あいつらは』


 苗木たちは、次々と落下していく枝や葉を見ながら、僕の身体を心配する声を上げていた。


「今日も良い画が撮れたよ。あ、最後の大ジャンプはちょっとだけ葉が邪魔になってるけれど……まあ、いいか。何となく全身が映ってるし」


 坊主頭はカメラを確認しながら苦笑いしていた。


「全く、どこまで俺のことを邪魔するんだ、この葉は。本当に目障りなんだよ」


 髪の長い男は歯ぎしりしながら小さな枝を次々ともぎ取ると、地面へ投げ捨てた。


「今度はチェーンソーでも持ってくるかな。俺の演技の邪魔になる部分は枝ごと切り落としてやる」


 僕は髪の長い男が捨て台詞のように言い残した言葉を聞き、全身に寒気が走った。

 この男には、人間の血が流れているんだろうか? 同じ人間でも、隆也一家や剛介、あいな達とは違う生き物のように感じられた。

 髪の長い男は幹伝いに僕から下りると、根元につばを吐き捨て、「行こうぜ」と言って坊主頭の背中を叩いた。


「ちょっと待ってくれますか?」


 二人の背後から、女性たちの声が聞こえた。


「何だよ」


 髪の長い男が眉間にしわを寄せて後ろを振り返った。

 そこには、櫻子と芽衣、そしてあいなの姿があった。

 あいなは子どもが生まれてからなかなか外に出てこなかったため、僕たちが彼女の顔を見るのは本当に久しぶりだった。以前会った時より若干痩せたように感じるのは、子育てが大変だからだろうか?


「ふーん、おばさん二人と、マジメそうなお姉さんですか。で、俺たちに何か用でも?」


 おばさんと呼ばれた芽衣は「何ですって?」と言ってちょっとムッとした顔を見せたが、櫻子が「冷静に」と言いながら肘で背中を突くと、芽衣は櫻子に向かって頭を下げた。


「皆さん、今ここで何をやっていたんですか?」


 あいなは甲高い声で問いかけた。


「何をって……ここで遊んでいただけですけど」

「遊んでいた? どんな遊びを?」

「まあ、鬼ごっことか、かくれんぼとか……」


 坊主頭が口にした言葉に、怜奈と芽衣は口元を押さえて笑っていた。


「本当にそうなんですか? 鬼ごっこやかくれんぼで、こんなに小枝や葉っぱが落ちるんですか?」


 あいなは冷静な表情で、僕の周りに散乱していた小枝や葉を指さした。


「……まあ、木にぶつかったらいっぱい落ちてきたというか」

「本当に?」

「だって、見りゃ分かるでしょ? こんな古そうな木だもん、人間と同じで、老いぼれてもろくなってきてるんじゃないですか。ちょっとぶつかっただけでもポロポロ落ちてくるんですよ」


 髪の長い男は僕を指さして開き直るかのように答えていたが、老いぼれ扱いされた僕は腹が立って仕方がなかった。確かに人間の年齢でいうと高齢者と呼ばれる位の年数は生きているけれど、樹齢の長いケヤキの中ではまだまだ若輩の方である。


「木のせいにしないでくれるかしら。私は樹木医ですけど、この木は確かに歳はとってきているけれど、風もないのにこんなに小枝や葉が落ちるのは不自然だから」

「ふーん。でもそれが、俺たちが何かをしでかしたという証拠になるんスか?」


 樹木医である櫻子の言葉にも二人は動じる様子もなく、まるで挑発するかのように、口笛を吹いて首を左右に振りながら櫻子の顔を見つめていた。

 するとあいなはおもむろに携帯電話を取り出し、二人の目の前に広げた。

 そこには、僕の枝の上で葉をむしり、悪ふざけを続ける髪の長い男と、カメラを手に煽り立てる坊主頭の姿がくっきりと映っていた。


「ほう、隠し撮りしていたんだ。で、一体俺たちをどうするつもりなの?」


 坊主頭は腕組みしながらあいなを睨みつけた。


「あなたたちの犯した行動は、器物損壊罪にあたります。公園の施設に故意に損害を与えていたわけですから」

「故意? 何だそりゃ。俺たちに分かるように説明してくださいよ、お姉さま」


 髪の長い男は、ヘラヘラと笑いながらあいなの話を面白半分に聞いていた。


ではなく、やったということです。面白い動画を撮りたくてこの木に無理やり登り、動画の邪魔になるから小枝や葉を落としていたんですよね? それらの行為は、すべてやったものになります」

「はあ? どうしてわざとだって決めつけられるんスか?」

「あなたたちの動機を見聞きした限りでは、そういう判断になります」

「だから、決めつけだっつーの。で、そのスマホに収めた動画、どうするつもりなんですか?」

「重要な証拠として、公園の管理者である市に提出します。あとは市から警察に話が行くでしょうね」


 あいなは携帯電話をポケットに収めると、「さ、行きましょうか」と言って、怜奈と芽衣を手招きした。


「どうぞご自由に」


 坊主頭は悪びれるそぶりもなく、笑いながら手を振っていた。


「へえ、いいんですか? 本当に」

「はい、良いですよ。まあ、この件で市役所が警察に通報するとは思えませんがね、ハハハハ」

「どういうことですか?」


 二人はあいなの問いかけに何も言い返さず、腹を抱えて笑いながら公園の外へと出て行った。


「まあ、下手に警察にチクったら、俺たちの親父に成敗されるだろうからな」


 公園の外から、二人の声が聞こえてきた。

 市役所に通報したところで、市役所ではあの父親に圧力をかけられるのが怖くてきっと隠ぺいするに違いない。二人が全く動じないのはそのあたりの目算もあるのだろう。


「あいなちゃん、ありがとう。市役所の人たちがあの動画を警察に見せて告発したら、間違いなくあの二人は摘発されるはずよ」


 二人が公園を去った後、芽衣はあいなに駆け寄り、安堵した様子を見せていた。


「最初はあいなさんのお父さんに頼もうと思ったけど、あいなさんがわざわざ来てくれたなんて。何だか申し訳ないわね」


 櫻子はあいなに深々と頭を下げた。


「いえいえ、いいんですよ。息子が生まれてからは付きっきりで過ごす毎日が続いていたけど、これからは徐々に仕事も始めなくちゃって思っていましたから。それに……この公園には私も剛介君も思い入れがいっぱいありますから、居ても立ってもいられなくて」


 あいなは頭を掻きながら、照れ笑いを浮かべていた。


「さ、みんなで市役所に行きましょ。一刻も早く摘発してもらうためにもね」


 あいなは芽衣と櫻子の背中に手を回すと、自ら先導するかのように歩き出した。


「どうかしら……市役所の人たち、動いてくれるのかな?」


 その時突如発せられた櫻子の言葉に、芽衣とあいなは驚いて櫻子の顔を見つめた。


「さっき芽衣さんにも話したんですが、市役所の人たち、この件については全く動いてくれないんですよ。公園の不審な様子について何度も相談してるんですけどね」

「どうして……ですか?」

「多分、何かの圧力があるんじゃないかと思います。それしか考えられなくて」 

「なるほど……そうだとしたら、動画を見せても意味がありませんね」


 あいながそう呟くと、芽衣は「どうすればいいの?」と叫びながら、その場にしゃがみこんだ。

 その様子を見て、僕たちも全身から力が抜けてしまった。あいなでも、この状況を打開できないのだろうか……。

 

「……とりあえずは、行きましょうか」

「え?」

「とにかく今は動くしかありませんよ。私はこの公園を守りたいから」


 あいなはそう言うと、目配せして一人足早に歩き始めた。

 芽衣と櫻子もお互い顔を合わせて頷くと、あいなの後を追うように歩き出した。

 男達に無残にもぎとられた葉が風に乗って舞い落ちる中、三人は前に向かって颯爽と歩いて行った。


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