第168話 僕たちは狙われている

 髪の長い男が僕の枝で足を滑らせて転落し、腰を痛めた後、この公園に来て悪行を働くことはなくなった。


『あの二人組、もうかれこれ一週間以上ここにきていないよね……』

『あんなひどいケガをしたら、さすがに怖いもの知らずのあいつらでも懲りたんじゃないか?』


 苗木たちも安堵した様子で、以前のように好き勝手なことを言い始めた。

 どこまでが本当で、どこまでが妄想なのかは分からないけど……。


『ちょ、ちょっと! あそこにいるの、あいつらじゃない? こっちに来てるわよ!』


 その時突然、緊迫感のある声が和やかなムードを打ち破るかのように響き渡った。声の主は、公園の一番奥にいるナナのようだ。


『いや……ちょっと違うな。 あの二人ではないよ』


 ケンが唸るような声をあげながら、ナナの見立てを否定した。僕は半信半疑で、ケンやナナの見ている方向を目を凝らして見つめた。

 そこには、ケラケラと笑いながらこちらに向かってくる若者二人組の姿があった。一人は傍目からもお腹の形がはっきりわかるほどの肥満体で、もう一人は対照的に背が低く、手足が棒のようにやせ細っていた。


「ここだな、マッドブラザーズが撮影に使っている公園は。やっと突き止めたぞ」

「何だよ、木が何本か植えてあるだけの寂しい公園だなあ。まあ、マッドブラザーズにを越えるパフォーマンスが出来るのは俺たち『ハングリーズ』だっていうことを、ここできっちり見せつけてやろうぜ」


 背の低い男はガムを噛みながら手にしていた細長い物体を頭上に掲げ、白い歯を見せて笑っていた。長いロープと、その両端に結び付けられた厚みのある板……こいつら、ここで一体何をやるつもりなのだろうか?

 背の低い男は僕に近づくと、あっという間に枝の部分まで登りつめ、そこにロープを何重にも巻き付けた。


「よし、これだけきつく巻き付ければ、落ちることもないだろう」


 背の低い男はロープの両端を地面に向かって投げつけると、ロープに括り付けられた板はブラブラと揺れながら空中をさまよっていた。


「さあアニキ、そろそろカメラ回してくれよ」

「おうよ。目にもの見せてやれや」


 太った男が親指を立てると、背の低い男がまるで滑り落ちるかのように幹伝いに地面に降り、僕の枝から垂れ下がったロープを手に持った。

 背の低い男は弾みをつけてロープを前方に押し出すと、板の上に飛び乗り、そのまま空中に勢いよく舞い上がっていった。


「ハハハハハ、これが俺たちの十八番おはこ、空中ブランコだ。マッドブラザーズは二人ともデブだから、こんな芸当は出来ないだろうよ!」


 背の低い男は僕に吊り下げられたロープを手にしながら、何度も前へ後ろへ自由自在に空中を飛んでいた。しかし、いくら男が痩せて体重が軽いとはいえ、その重みに僕の枝は次第に耐えきれなくなった。ロープが上下に動くたびに、僕の枝は音を上げてきしみ始めた。


『ねえ、ロープを結んだ枝がだんだん折れ曲がってきてるよ! このままだとあいつもケビンさんもケガしちゃうよ!』


 キキが金切り声で叫んだが、その声と同時に、ロープが括り付けられた僕の枝が徐々に真下に引っ張られるように真っ二つに折れ始めた。


「おい、そろそろやめようや! 木の枝が折れ曲がってきてるぞ!」


 太った男ががなり声で叫ぶと、背の低い男はロープから手を放し、そのまま空中で一回転し、両手を広げて着地した。

 太った男は携帯電話をポケットから取り出すと、画面を見ながら「すげえ!」と絶叫し、そのまま背の低い男の元へ駆け寄った。


「見てみろよ、あっという間に三千アクセスまでいったぞ。コメント欄もびっしり絶賛の声が来てるぞ。あのマッドブラザーズよりも感動したってさ」

「そりゃよかった。技も視聴者の反応もアクセス数も、俺たちの勝利だな」


 二人は高笑いを上げながら公園を去っていった。

 僕は折れてしまった枝が風に吹かれてぶらぶらと垂れ下がっているのを見ながら、大きくため息をついた。


『こないだの二人と言い、今ここに来た二人と言い、一体何をしたいんだ? 僕たちをいじめて、そんなに楽しいのか……?』


 僕がどこかやりきれない気分で呟いていたその背後で、突如耳をつんざくほどの悲鳴が起こった。


『ちょっとあんたたち、何するのよ!』


 僕は我に返って後ろを振り返ると、高校生くらいのニキビ面の男の子が手を振りながら、ナナの枝の上にまたがっていた。その真下で、連れの男の子が大笑いしながらカメラを回していた。ナナの枝は、体重がもろにかかっているせいか、今にも折れ曲がりそうな様相を見せていた。


『おい、俺の所にも変な奴らがいるよ。くそっ、早くあっち行けよ!』


 今度はヤットの声がした。

 ヤットの幹の上に若い男が登り、下に立っている男とキャッチボールをしていた。下にいる男はカメラを手にしており、何か言葉を発しながらボールを投げ返していた。


『こっちにも来てるぞ! もう、何なんだよ。こいつら』


 ヤットに気を取られていたその時、すぐ隣に立つケンも悲鳴を上げていた。

 ケンの体には、いつの間にかロープが巻き付けられ、左右から屈強な体つきの男たちが引っ張り合っていた。その脇で、髪を金色に染めた女が大笑いしながらカメラを回していた。

 そして彼らはまるで合言葉のように「マッドブラザーズに勝つのは、俺たちだ!」と叫んでいた。カメラを手に、不気味な合言葉を口にしながら笑い続ける彼らの存在を、僕はこの世のものではない恐ろしい生き物のように感じていた。


 すると、公園の外から若い男たちの声が聞こえてきた。植栽の間から見え隠れするように、坊主頭と髪の長い男が並んで歩いていた。

 彼らを見るのは、本当に久しぶりだ。また何かやらかすのだろうか……僕は身構えたが、髪の長い男は腰の痛みが引いていないようで、松葉杖を付きながら足を前方へ投げ出すように歩いていた。この状態では、体を張った無謀な真似はとても出来そうには見えなかった。


「おい、見てみろよ翔真。 俺たちのマネをしてアクセス数稼ごうとしてる連中が、あんなに集まってきてるぞ」

「ああ、そうだな。しかし、俺たちはこの場所がどこなのか全然教えていないのに、よく見つけたな。誰かがここを探し当てて、ネットで拡散したんだろうな」

「その努力は認めるけどさ、どいつもこいつも笑っちゃうくらい技のクオリティが低いなあ。まあ、俺たちに勝とうと必死なのは分かるけどさ、アクセス数が多いのは俺たちがいない今だけだよ。ギャハハハハ」


 二人は大笑いしながら、僕たちを助けることもなくそのまま公園の中を通り過ぎて行った。彼らには、胸を締め付けるような苗木たちの悲鳴が聞こえないのだろうか?

 まあ、聞こえたとしても、どうせ聞こえないふりをするのだろう。彼らはとても人間とは思えないから……。


 夜が更けても、若者たちがそこかしこから姿を見せては、僕たちを相手に無謀な行為を繰り返していた。その数は、時間が過ぎるにつれてむしろ増えているような気がした。坊主頭や髪の長い男がしゃべっていた通り、この場所についての情報が拡散されて、無謀な技を試したい輩がここに集結しているのだろう。


『た……たすけて……だれか……』


 僕のそばから、力のないかすれた声が聞こえてきた。

 声の主は、キングだった。

 そしてキングの隣には、暗闇の中かすかに刃が光るのこぎりを手にした髪の赤い男が立っていた。


「今日はちょっと寒いから、今からこの木を切断して、薪にしてここで焚火をしま~す」


 男は陽気な声を上げながら、キングの幹の真横から徐々にのこぎりの刃を入れ始めた。


『キング!!』


 僕は全身を振り絞り、めいっぱいの声を上げて叫んだ。しかし、のこぎりはすでにキングの幹に切り傷をつけ、周囲に木粉をまき散らしながら音を立てて上下に激しく動いていた。


『ああ、キングが、キングが……ちくしょう、僕たちには何もできないよ!』


 僕は樹液を流しながら、切り刻まれていくキングをここから見つめることしかできなかった。


 バシッツ!


 その時、衝撃音とともに、男の手にしていたのこぎりは金属音を立てて地面に落ちた。男の後ろには、険しい表情をしながら竹刀を握りしめる少女の姿があった。


「誰だよあんた。せっかくいい動画が撮れていたのに、撮影の邪魔しやがって。お前のことを拡散してやるぞ!」

「ふーん。やれるもんなら、やってみな」


 少女は地面に落ちたのこぎりを拾うと、髪の赤い男の喉仏の手前に、そしてカメラを持って撮影していた相棒と思しき男の目の前に、手にしていた竹刀を突き付けた。


「これから私はここで剣道の練習をするんだよ。邪魔になるから、さっさとあっち行け。じゃないとマジでお前らのことをぶっ殺してやるからな」


 男たちは恐れおののきながら徐々に後ずさり、「お前のやったことを全部拡散してやる。覚えとけよ!」と叫びながら、暗闇の中に姿を消していった。


「ご自由にどうぞ、私は徹底的に戦うから。 あ、そこで遊んでるあんたたちともね」


 そう言うと、少女は苗木たちに群がっていた他の若者たちの方を睨みつけた。

 若者たちは少女のただならぬ雰囲気に怖気付いたようで、次々と公園から去っていった。


「ふん、これでようやく落ち着いて練習できるわ」


 少女はあきれた表情で若者たちの背中を見送ると、「さ、そろそろはじめるか」と言って表情を引き締め、竹刀を上下に振り始めた。


『あの子、樹里ちゃん……? 久しぶりに姿を見たよね』


 ミルクは、必死に竹刀を振る少女の背中を見て呟いた。


『樹里、最近全然練習なんかしていなかったのに……今日に限って、一体どうしたんだろう?』


 少女は髪を長く伸ばし、茶色く染めていたので誰だか気づかなかったが、かすかに見える横顔を見て、やっと樹里であることに気づいた。

 昔は父親のシュウと一緒にここで剣道の練習をしていたが、最近はシュウがいくら練習に誘っても出てこなかったのに、今日はどういう風の吹き回しなのだろう?


 そんな僕の疑問をよそに、樹里は額に汗を光らせながら一心不乱に竹刀を振り続けていた。

「まったく、どいつもこいつも、ふざけた真似ばかりしやがって」と、唸るような声を上げながら……。

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