第11章 守るべきもの

第166話 痛みに耐えながら

 剛介とあいなのにぎやかな結婚式から二年が過ぎた春。

 今年も長く厳しい冬を越え、僕たちの体は満身創痍であった。枝は強風や雪で所々折れ曲がり、幹は所々樹皮がめくれてしまっていた。

 満身創痍になるのは毎年のこととは言え、歳を重ねた僕・ケビンにとっては徐々にその傷跡は年々ひどくなる一方だった。まあ、僕よりもずっと歳を重ねているルークさんや、僕の前にこの場所に立っていた「おじさん」に比べると、僕の傷なんか大したことはないかもしれないけれど……。


 ここ数日の暖かさに誘われるかのように、公園の中に徐々に人通りが増えてきた。

 今日も買い物に出かける公園の傍のマンションの住民たちや、学校帰りと思しき高校生くらいの若者たちが、楽しそうにおしゃべりをしながら僕の傍を通り過ぎて行った。

 その時、僕たちケヤキの中で一番奥に立っているナナが突然声を上げた。


『ちょっと……怖いよ、あの人たち……』


 ナナが全身を震わせながら上げた素っ頓狂な声に、公園のケヤキたちが一斉に振り向いた。


『どうしたの? ナナ』

『マンションから出てきた、あの二人の男の人たちのことよ。よく見てごらん』


 ナナに促されるかのように僕は公園をくまなく眺めた。すると、髪が長くのっぺりとした顔つきの若い男と、その友達か兄弟と思しき坊主頭にひげ面の男が、談笑しながらこちらに向かって歩いてくるのを発見した。


『なんだあいつら、妙にニヤニヤしながらこっちに来るよ。不気味だなあ』

『何かやらかしそうで怖いな。気を付けないと』


 苗木たちは、男たちから伝わってくる雰囲気にただならぬものを感じ取っていたようだ。

 男たちは僕の目の前で足を止めると、左と右から僕を挟むように立ちはだかり、坊主頭の男が細長い三本足の棒を鞄から取り出し、突き刺すかのように地面に置いた。


快哉かいや、そこにカメラ置いて、ちゃんと俺のことを撮影できるのか?」

「ああ、ここに置けばこの木がちゃんと画像に収まりそうだからね」


 坊主頭は親指を差し出して笑うと、髪の長い男は拳を挙げ「よっしゃ、やるか!」と言うと、突然僕の幹に両手を絡め、頭の方へ向かってどんどん登り始めた。そして、幹が左右に分かれる辺りに足を載せると、立ち上がり、拳を突き上げていた。


「あ、その辺りでいいよ。そこで何か面白いポーズを取れないか?」

「まかせとけ。じゃあ、ここからカメラ回してくれるかな」


 坊主頭は「OK」と呟き、三本足の棒にカメラを取り付けた。いったい何をするつもりなのだろうか? 


「オッス! 俺たちは『マッドブラザーズ』。今日も笑いと冒険の限界に挑戦するよっ! 今日はこの公園で、みんなの期待を裏切らない動画に挑戦するから、乞うご期待! 面白かったら、遠慮しないで『いいね』ボタンをポチっと押してくれよな。じゃあじゃあ翔真しょうまっち、頼むぜ!」


 坊主頭は顔を上げ、木に登っている髪の長い男に向かってありったけの力をふりしぼって声をかけた。

 髪の長い男は突然、若葉がついたばかりの枝を力任せにへし折った。


『い、イテテテテテ』


 衝撃のあまり、僕の体に痛みがほとばしった。

 しかし髪の長い男は、僕の痛みなど気にかけることもなく、今度は幹に手をかけて、少し剥がれていた樹皮を指でメリメリと音を立てながら剥ぎ取り始めた。それも一枚だけで止まらず、二枚、三枚……と次々とはがし始めた。


「おーっ、良い笑顔ですな、翔真っち。さて、これから枝を持って、いったい何を始めるのでしょうか?」


 坊主頭は興奮しながら髪の長い男にカメラを向けていた。

 すると髪の長い男は、枝を髪の毛に差し、樹皮を腹巻のように体に巻き付けた。

 そして、目を大きく見開き、舌を出して左右に体を揺らし始めた。


「私は木です! 木になりましたぁ! 見てください、僕の体が風に揺れてカサカサ音を立ててますぉぉ」

「ギャハハハ、マジでうけるわ! 翔真君、今日も冴えてるなあ」


 坊主頭はカメラをいじりながら膝を叩いて大笑いしていた。すると髪の長い男は気を良くしたのか僕の枝を更に二本もぎ取り、両手に持って上下にユサユサと揺らしていた。


『ひ、ひどい……全然似てねえよ』


 ケンの唸るような声が聞こえてきた。


『ケビンさん、耐えて!……あの人たち、ある程度満足したら、またどこかに行っちゃうから』


 キキは声を震わせながら、僕にエールを送ってくれた。

 しかしその後も髪の長い男の悪ふざけは続き、そのたびに坊主頭は狂ったかのように笑っていた。


「いやあ、笑える動画ばかり撮れたわ。さっそく『TACOTUBEタコチューブ』に上げとくわ。絶対バズるぞ、これは」

「どれだけバズるか楽しみだな。収益がっぽり上がるといいな。ギャハハハ」


 彼らはやっと満足したのか、僕の幹の上から飛び降りると、頭や体に着けていた枝と樹皮を地面に投げ捨て、公園の外へと出て行った。

 無残に投げ捨てられた僕の枝と樹皮が、公園の地面の上で風に吹かれて転がっていた。


『ひどい……今までマナーの悪い奴はたくさん見てきたけど、一番質が悪いぞ、あいつらは』

『ケビンさん、ケガは大丈夫? 枝にも樹皮にもたくさん傷がついちゃってる……』


苗木たちは続々と僕を心配する声を上げていた。

僕の枝は所々引きちぎられたり、幹の樹皮は無残に剥がされて白くなっていたり、あまりにもみすぼらしい姿になっていた。


『あ、ケビンさん、櫻子先生が来てるよ!』

『何というタイミングの良さ。よかったね、何とかケガを手当してもらえるよね』


 僕の事を神様が憐れんでくれたのか、いつの間にか樹木医の櫻子が道具を片手に僕に近づいてきていた。

 櫻子は眼鏡に手を置きながら、僕の頭や幹をじっくりと見回した。


「どうしたの……? 君だけどうしてこんな姿に?」


 櫻子は慌てて鞄から栄養剤を取り出して僕の根元に打ち込み、それが終わると、今度は樹皮が剝がれたところに薬を塗り始めた。


「今年の冬も厳しかったもんね……ごめんね、もっときちんと世話しないといけないのに放置しちゃって」


 櫻子は申し訳なさそうに小さな声で僕に話しかけてきた。僕は『冬のせいじゃないですよ、もっと他の理由が……』と言葉を返したが、ちゃんと伝わっていないようで、櫻子は理由について聞き返すことなく黙々と手当を続けていた。


「一応手当はしたけれど……ずいぶん傷ついてるようだし、これはきちんと『手術』をしないといけないのかなあ」


 僕はため息交じりに呟く櫻子の言葉にギクッとした。

「手術」って……一体僕に何をするつもりなんだろう?


『聞いたか? ケビンさん、手術だってさ』

『うん。なんだか聞いただけで全身がざわざわするよね。先生、ケビンさんにいったい何をするつもりなんだろう?』


 苗木たちも僕を心配しているようだ。いつもならばケヤキのリーダーとして役不足だとかいって馬鹿にしているくせに、櫻子の言葉を聞いて急に心配し始めたようだ。

 櫻子はポケットから携帯電話を取り出すと、耳に当て、何かを話し出した。

 一体誰と、何を話しているのだろうか?

 難しい言葉を並べ、時折頭を左右に振って悩ましい様子で話を続ける櫻子の姿を見ると、だんだん不安が募ってきた。


「わかりました。とりあえず写真を撮って、枝と樹皮の一部を持ち帰りますから」


 櫻子はそう言うと電話機をポケットに戻し、再び僕の方に近づいてきた。

 僕の全身をカメラで何度も撮影すると、今度は手袋をはめて、幹の皮がむけているところからそっと皮を引っ張った。皮を剝がされるうちに、しびれるような痛みが全身を襲いはじめた。


『ねえ、ちょっと先生、もういいでしょ!? 痛いからそれ以上はやめてもらえませんか!?』


 僕は櫻子の耳元で必死に訴えたが、桜子は臆することもなく皮を剥ぎとると、透明な袋の中にそっと入れ込んだ。そして、これだけで作業を終えず、今度は僕の枝を手に取ってじっと見つめ始めた。

 そんなにじっくり見ないといけないほど、気になることがあるんだろうか? 確かにさっき、あの男たちに思い切り引きちぎられたけど……。 

 しばらくすると、櫻子は沿道に停めていた車に戻り、一台の梯子を取り出した。

 櫻子は梯子を僕の真下に置くと、薄い雲がかかる空に向かって上へ上へと伸ばし、一段、また一段と上りはじめた。そして、一番上の段に足を置くと、強風で大きく樹皮が裂けてしまった枝を両腕で思い切りへし折った。


『ギャアアアア!』


 僕の悲鳴は春風に乗り、公園全体に響き渡った。


『うわあ、痛そう……ケビンさん、がんばれ!』

『僕たちケヤキのリーダーなんだろ? そんなことで泣きわめくなよ!』


 痛みがほとばしる僕を横目に、櫻子はほっとした様子で取り出した樹皮を袋に詰めると、梯子を片付け、そそくさと車へ戻っていった。

 櫻子は僕の皮を使って一体何をするつもりなのだろうか? 僕には何も理由を知らせていかなかったので、それほど大したことではなかったのだろうか? それとも……。

 全身に残るひりひりとした痛みに歯を食いしばって耐えていた僕の目の前を、数匹の蝶たちが楽しそうに飛び交っていた。

 自由に、気の赴くままに空を飛んでいく彼らの姿は、僕にとってはあこがれだった。

 彼らを見ていると、この場所から自分の意思で動くこともできず、暑さ寒さや雪や強風に、そしてマナーの悪い若者たちの理不尽ないたずらにも耐え続けなくちゃならない「ケヤキ」の自分をつい恨みがましく思ってしまった。

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