第165話 バトンタッチ
公園の結婚式から一年後。
今年も秋を迎え、僕たちの枝についた沢山の葉が次々と黄色や赤色に染まり、一枚、また一枚と地面へ落ちて行った。
つい先日、緑の葉がたくさん付いたはずなのに、季節の移ろいはこんなに早いものだったろうか。昔はもっとゆっくりと時間が流れていたはずなのに……僕も歳をとったということなのだろうか。
落葉が次々と風に乗って舞い降りる中、僕たちの周りに賑やかな一団がやってきた。学校へ向かう小学生や中学生たちであろう。今日もみんな、楽しそうに会話をしながら僕のそばを通り過ぎていった。
「ねえねえ、先生が言ってたけど、明日ここで写生会をするんだって。この公園の木を描くんだって」
「へえ。いっぱい木があるけど、どれを描こうかな」
「とりあえず、あの木にしない? がっしりしてカッコいいじゃん」
「私はあの木かな。ほっそりとした枝が女の子っぽくて優しそう」
「僕はあの一番大きな木かな。描きやすそうだから」
子ども達は賑やかに声を上げて僕たちを見定めながら、写生会で描く木を選んでいるようだ。写生の対象として苗木達が次々と「指名」される一方、キングを選ぶ子は誰もいなかった。
その時、作業衣の上下を着こみリュックを背負った剛介が公園の中に入ってきた。剛介はこの町で新しい仕事を見つけたようで、朝早くから夜遅くまで仕事漬けの毎日を送っているようだ。剛介は僕のそばを通り過ぎ、登校中の子ども達に近づいていった。
「ねえみんな、何を見てるの?」
「今度、学校の写生会で描く木をどれにしようかって、話し合っていたの」
「ふーん……」
「おにいさんは、どれを選ぶ?」
「そうだな、僕だったら……」
剛介はゆっくりとした足取りでキングの根元まで近づき、足を止めた。
「え? この木? こんなヒョロヒョロした木が?」
「そうだよ。僕ならばこの木を描いてあげたいな」
「どうして?」
「どうしてって、この木は僕にとってかけがえのない友達だから」
そう言うと、剛介は大きく頷き、キングに向かって爽やかな笑顔を見せた。
「おはよう、今日もいい顔してるね。お互い頑張ろうな」
キングはちょっと照れた顔をしながら、いつものように聞き取りにくい声で語りだした。
『ありがと……剛介は、どうなの?……もうすぐ、なんだろ?……』
すると剛介は横を向いて髪を掻きながら「まあね」とだけ言い、鞄を肩にかけると、片手を振りながら駆け足でキングの元を去っていった。
「あのおにいさん、ヘンだよね。さっきから木に話しかけてたよ」
「おかしい人なのかもね。近づいちゃダメだよ」
子ども達は顔を近づけてヒソヒソと話をすると、僕たちの元から学校へ向けて歩きだしていった。確かに、傍から見れば人間と木が話しあっているなんて……と思われるだろうが、そこにはちゃんと「会話」があるような気がする。お互い幼い頃から慰め合い、時には鼓舞し合ってきた仲である。二人は仲間というか、戦友というか、もっと言えば兄弟というべきか、そんな親密な関係が出来上がっているような気がした。
登校時間を過ぎた頃、公園の向かいにある家の玄関がガラガラと音を立てて開いた。そこには、ジャージ姿の樹里がいた。
僕の記憶に間違えが無ければ樹里は中学三年生のはずだが、ここまでの間、樹里が学校に行った姿は正直あまり見かけなかった。行ったとしても、わずか数時間で戻ってきたりと、まともに授業を受けてきた日は数えるほどしかないのではないかと思う。
彼女の服装を見た限り、今日も学校に行く気はさらさら無さそうだ。
樹里は僕の下に来ると「どいつもこいつも、うるさいんだよ。学校なんて行きたくないよ……」と言いながら、携帯電話を取り出し、しばらくの間電話の画面に流れている画像にじっくり見入っていた。
「樹里さん。何してるの?」
ちょうど公園の中を通りかかったあいなが、かばんを手に樹里の元へ近づいてきた。
結婚から一年が経ったあいなは剛介との間に子どもを授かり、大きくなったお腹のせいで着ている服がはちきれんばかりに膨らんでいた。
「あいなさん?」
「そうだよ。樹里さん、今日も学校に行かなかったの?」
「うん。朝から頭がすごく痛いから……」
「ふうん、こないだ会った時はお腹が死ぬほど痛かったんでしょ。こんどは頭痛?」
「ほ、ほっといてくださいよ。痛いんだからしょうがないでしょ?」
「あのさ……私なんか、もうすぐ臨月を迎えるのに仕事してるんだけど」
「あいなさんのは病気じゃないでしょ?」
「そうだけど、辛いのは同じでしょ?」
あいなは「よっこいしょ」と言いながら樹里の隣に腰掛けた。何度もお腹をさすりながら、目を閉じて深く深呼吸をしていた。
「どうしてそんな辛い思いをしてるのに、仕事するんですか?」
「そうね……お医者さんからは、お腹の赤ちゃんに良くないから、もう無理に仕事しなくていいって言うけど、黙ってじっとしてるのが昔から苦手だからさ。何もしていないのは却って憂うつになっちゃうんだもん。それならば、体が許す限り仕事していようかなって思ってね」
「ふーん。私だったら、スマホさえあればあとは別に何をしなくても平気かな」
樹里は携帯電話を指でいじりながら、あいなの言葉をいまいち納得できない様子で聴き入っていた。
「樹里さんは今、中学生だよね。何年生だっけ?」
「三年……生」
「え? じゃあ、そろそろ高校受験でしょ?」
「そうなんだけど……」
樹里はそこで言葉を止めた。その後しばらく携帯電話の画面を見つめていたが、何かを思い立ったのか、突如顔を上げ、あいなの方を振り向いた。
「あいなさん、中学の時、受験勉強はどうしてたんですか?」
「私は中学受験して、その後は中高一貫校に通ってたからね。樹里さん位の頃はそんなに勉強していなかったかも」
「いいなあ……というか、中学校を受験? それって小学生の時に受験勉強してたってことですよね? すごくないですか?」
「私、小学校の頃に将来弁護士になるって心に決めてたからね。両親も、それなら大学は勉強できる環境の整った所が良いとかいって、私のために大学受験の実績が良い都会の中高一貫の学校を紹介してくれてね。そこを受験したんだ」
「すごい……住む世界が違い過ぎる。私、将来何になるかなんて、全然考えてないもん」
「アハハハ。いいんだよ、それで」
「そうかな? だって、私のクラスメイトはみんな将来なりたいもの、目指してるものがあるんだよ。私だけだよ、何にも考えてないのは」
「でもさ、考えようによっては、夢とかに縛られずこれから自分探しが出来るってことじゃない? それって私からすれば羨ましかったりするんだよ」
「はあ? どうして?」
「だって、私は弁護士になることだけしか頭になかったからね。今思えば、世の中にはもっと色んな選択肢があるし、色んな生き方があるって。だからね、弁護士になることに縛られて生きてきた自分を、内心ではすごく後悔してたりするんだよね」
「……」
あいなはお腹を何度もさすり、大きく深呼吸した。
「だからさ、今度生まれてくる子には『好きなように生きろ』って、『悩みながら、壁にぶつかりながら、やりたいことを自分で見つけろ』って言おうかと思ってるの。樹里さんにも同じことを言いたいよ」
樹里はお腹をさするあいなの手をじっと目で追っていた。
「……でもね、親も先生も、みんな口を揃えて言うんですよ。『将来のことを考えて、今一生懸命勉強しろ』って。どうして将来に勉強が必要なのか、全然わかんないよ」
「まあ……勉強はしないより、した方がいいかもね。勉強するうちに、あ、これ面白いな、もっと知りたいなって感じることも出てくるからね。決して悪いことばかりじゃないよ」
「……」
「どうせ勉強するなら、やらされるんじゃなく、『こっちからやってやる』って感じの方がいいんじゃないかな。学校や親のやり方じゃなく、樹里さんのやり方で勉強すればいいのよ」
そう言うとあいなはゆっくりと腰を上げて立ち上がり、お腹を抱えながら樹里に向かって親指を立てた。
「あいなさんは頭がいいから、人生うまく行ってるから、そんなことが言えるんですよ」
「そう?」
「だって私、ほとんど学校行ってないもん。家でも勉強なんて全然してないもん。ここから一体どう挽回すればいいのか、わからないもん……」
「だったら、教科書でも参考書でも、まずは一枚めくって読んでごらん。いくら時間がかかってもいい。結果が出なくても決してあせらないで。人生、なるようになるから。私も剛介君もそうだったから」
あいなは後ろ向きに手を振ると、そのまま公園の外へと歩きだした。
樹里はしばらくの間、真上にそびえる僕の身体をじっくりと眺めると、ゆっくりとベンチから立ち上がった。
「なるようになる……か」
そう言うと、ジャージのズボンに手を突っ込んだまま、自宅に向かってフラフラと歩きだした。その背中は、さっきまでと比べると心なしか真っすぐ伸びているように感じた。あいなの言葉には、樹里の心を前に向かわせる「何か」があったのかもしれない。
秋晴れの真っ青な空に、風に吹かれて次々と真っ赤な葉が舞い上がっていった。これから寒い季節がやってくる。これを耐え抜けば、また僕たちの枝にたくさんの緑の葉がついてくる。僕たちの人生は、生まれたときからこの繰り返しである。姿かたちや立つ場所は違っても、このサイクルから外れて生きることはできない。
人間も生まれてから死ぬまでの流れは僕たちと同じだけど、皆が皆、同じ生き方をしていない。彼らは自分達の考え方や生き方を選ぶことができる。
あいなと剛介は、何度も壁にぶつかりながらも自分達だけの「何か」を見つけてきた。樹里も、そしてあいなと剛介の間に生まれてくる子もきっと、彼らと同じように、悩みながらも自分の生きる道を見つけて行くのだろう。
『ねえケビンさん、さっきから何をブツブツ言ってるの? 気味悪いわね』
『そうだよ。リーダーなんだから、言いたいことがあるならもっと堂々と口に出せばいいのに』
ケンとナナが、感慨に浸っていた僕に悪態をついてきた。
『わ、わかってるよ。当たり前だろ、そんなの』
『だったら、ちゃんと口に出せよ。思い切り大きな声で叫んでみろよ。俺たちのリーダーとして、カッコいい所を見せてみろよ!』
苗木達にはやし立てられ、僕は覚悟を決めて腹一杯に息を吸い込んだ。
そして、ありったけの力を振り絞り、吐き出すように声を出した。
『樹里ちゃん、頑張れ! 何があっても僕たちが見守ってるから、安心し……グホッ、グホッ!』
僕は慣れない大声を出したせいか、途中で息が苦しくなり咳き込んでしまった。
『ダメだなあ……まだまだ修行が足りないな、ケビンさん』
苗木達から漏れるため息やぼやき声を聞いて、僕は肩を落とした。
ここまで人間達のことばかり心配していたが、この公園のケヤキ達のリーダーとして、僕自身ももう少し精進しなくてはいけないようだ。
次のリーダーにバトンを渡す、その日までは。
※ここまでご愛読いただき、ありがとうございます。しばらく連載を休ませていただいた後、新展開で再開する予定なので、お楽しみに。
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