第164話 想いが繋がる日(後編)

「おい、あいなちゃん……みんな僕たちのことを見てるぞ」


 二人の頭上に舞う花びらの数が徐々に減っていった頃、剛介はようやく自分達を取り囲む参列者達の目線に気が付いたようだ。


「え?」


 あいなも正気に戻ったのか、顔を赤らめて重ねていた唇を慌てて離した。


「ご、ごめん。気分が盛り上がって、つい……」


 あいなは口元を押さえながらそう言うと、会場からは爆笑が沸き起こった。

 風に乗って降り注いだ花吹雪は、二人の足元に吹き溜まりのように大量に降り積もり、二人の髪やスーツ、ドレスにも大量に付着していた。剛介はあいなの髪やドレスに手を伸ばすと、一枚一枚丁寧に花びらを取り払った。あいなも華奢な腕を伸ばすと、剛介の髪の間に手を入れながら花びらを取り払った。


『いいなあ。花びら取るの大変そうだけど、二人とも何だか幸せそう』


 ナナがうっとりとした様子で、二人がお互いの花びらを取り払う光景を見ていた。


『花びらが二人の頭上にわーっと降り注いでたの、すごく綺麗だったよね。櫻子先生、準備と片付けは大変だろうけど、いい仕事をしたよね』


 ヤットは、時折汗を拭いながらほうきを片手に花びらを集めている櫻子を褒めていた。

 結婚式の興奮冷めやらぬ中、エプロンをまとった近所の女性達がぞろぞろと公園の中に入ってきた。女性達は参列者たちからの奇異の目が集まっても気にすることもなく、手にしていた長机を次々と組み立てて植込みの前に置くと、その上に料理の入った鍋や食器を並べ始めた。


「あの……どうしたんですか、これ」


 剛介は次々と長机の上に並べられた鍋を見つめながら、呆然とした表情を見せていた。すると怜奈は大笑いしながら剛介の背中を軽く叩いた。


「私達から二人への、心を込めたプレゼントだよ」

「プレゼント? こんなに……?」

「そうだよ」


 すると怜奈は料理の並んだ机の前に立ち、両腕を大きく広げると、参列者に向かって声を張り上げた。


「さあさあ、剛介君とあいなちゃんの結婚式のために各地から御集りのみなさん。式も無事終わって、そろそろお腹が空いたでしょ? 今日は私達が腕によりをかけて美味しい物を沢山作りました。二人の結婚式、私も何だか自分のことのように嬉しくてね……だって、私の旦那が死ぬ直前まで守り続けて、私達も草むしりや落葉拾いしながらずっと守り続けてきたこの公園で結婚式を挙げてくれるなんて……」


 怜奈はそこまで言いかけると「あっ!」という声を上げて突如話を止めた。しばらくの間沈黙し続けた後、ちょうどすぐ近くにいた芽衣を手招きした。


「どうしたんですか、急に」

「ごめんね芽衣ちゃん。私、ちょっと思い出したことがあってね。今から家に戻るから、悪いけど、私の代わりに今日のレシピの解説役、お任せするからね」

「ちょ、ちょっとお義母さんっ! どういうことですか? 全然心の準備が出来てないですけど」


 急に解説役を押し付けられた芽衣は戸惑いを見せていたが、すでに怜奈の姿はなく、額に手を当てながらため息をついた。すると、「芽衣ちゃん、がんばって!」と、真後ろにずらりと並ぶ近所の女性たちが次々と声を上げ始めた。芽衣は胸に手を当てながら大きく頷き、並べられた料理の前に立ち、重い口を開いた。


「えーと、このおひつの中は……私のお義母さんが作ったツナご飯が入ってます。こちらのトレイに入ってるのは、山崎さん手作りのしそ餃子ですかね。両方とも、この町の子ども達に昔から人気のある給食のメニューなんですよ。偏食気味のうちの子も、この二つが出ると残さず食べてきましたから、きっと新郎新婦の二人も好きなんじゃないかと思います。あ、これは近くでお菓子屋さんを開いてる坂本さんの栗まんじゅうですね。中には今が旬の栗がぎっしりと入っていて、この町では言わずと知れた名物です。剛介君が北海道にいた頃、私の旦那がこれをお土産に持たせたら、すごく喜んでいましたよ。皆さんも、気に入ったらぜひお店で買って帰ってくださいね。最後に……これは、私が作ったエッグタルトです。あいなちゃんが以前仕事帰りに、コンビニで買ったタルトを美味しそうに食べてたのを覚えていたんで、試行錯誤しながら作ってみたんです。あいなちゃんの口に合えばいいけど……」


 何とか説明を終えた芽衣は、大きく息を吐くと、その場にしゃがみ込んでしまった。


「すごいじゃない、上手く説明出来てたわよ。さすがは芽衣ちゃんだわ」


 料理を並べていた女性達は芽衣に駆け寄ると、背中をそっと支えた。芽衣の説明はたどたどしいと感じる部分があったが、剛介やあいな、そして参列者たちの心にちゃんと届いていたようで、長机に並べられた鍋には続々と列ができ、参列者たちは我先にと皿に取っていった。ほんのわずかな時間の中で、鍋は次々と空になっていった。


「ありがとう、芽衣さん。よく見てましたね。私、タルトには目がないんです。このタルト、すっごく美味しい。また作って下さいね」


 あいなは片手でタルトをつまむと、口いっぱいに頬張りながら親指を立てていた。

 芽衣は頭を掻きながらも、自分の作ったタルトをあいなに褒められたのがよっぽど嬉しかったのか、白い歯を見せながら満面の笑みを浮かべていた。

 怜奈達が二人のために心を込めて作り上げた料理を味わいながら、剛介とあいなは、それぞれが招待した参列者達と心置きなく歓談していた。剛介の隣に立っていたのは、かつて剛介をいじめていた東吾と日向の二人だった。この期に及んで二人はまた剛介を……? と思って固唾を飲んでいたが、お互い大人になったからか、そのような気配は全く感じなかった。東吾は料理がたくさん乗った皿を手にしながら、どこか極まりの悪そうな顔で剛介に何かを問いかけていた。


「なあ、剛介。何で俺たちのことをここに呼んだ?」

「何でって……ぜひとも招待したかったからだけど」


 剛介の答えに業を煮やした日向は東吾の隣で剛介を指さしながら捲し立てた。


「それって、独身で彼女すら出来ない俺たちに熱々ぶりを見せつけたいがために詠んだんじゃないのか? 俺たちへの復讐のために。違うか?」


 すると剛介は大声で笑い出して「全然違うよ」と言うと、顔を上げて公園に立つ僕たちの姿を見つめながら、ゆっくりと語り始めた。


「なぜなら、東吾も日向も、僕にとってはこの公園の思い出には欠かせないからさ」

「はあ? 嫌な思い出しかないだろ? 俺たち、お前のことをこの公園でどれほどいじめまくったことか……もう俺たちのことなんか記憶から消したいだろうなと思っていたんだけど」

「確かに子どもの頃はそう思っていたよ。でもね、あの頃の嫌な思い出があったから、今の僕があると思ってるんだ。嫌などころか、むしろ感謝してるくらいだよ」

「感謝……? あんな酷いことされたのに?」


 二人のいじめっ子たちは、いまいち理解できない様子だった。確かにあの当時僕も剛介のいじめられぶりを見ていたので、剛介の言葉をそのまま受け取っていいのか悩むところがあった。しかし、剛介の清々しい表情を見た限り、彼の言葉には嘘や飾りは無いように感じ取れた。

 僕の真後ろには、着飾った女性達に囲まれて頬を紅潮させながら談笑していたあいなの姿があった。


「ねえ、あいな。どうしてこの場所で式を挙げようと思ったの? 式場ならもっといい場所がいっぱいあるじゃない?」

「どうしてって……私にはここしか考えられなかったから」

「ここしかって……見た感じ、ケヤキの木以外は何もないただの公園じゃない?」

「まあ、そう思われても仕方ないよね。でも……」


 あいなは顔を上げて僕を見つめると、自分の想いを確かめるかのようにゆったりとした口調で語りだした。


「幼い頃からここに立つケヤキの木達を見て育ってきたし、この場所で沢山の近所の人達に仲良くしてもらったし、そして何より、剛介君との思い出がいっぱい詰まってるし……。そんな私にとって結婚式を挙げるなら、ここしかありえないなって思ってた」

「そうなんだ……羨ましいなあ。あいなにはそういう場所があって」


 あいなの話を聞いているうちに、僕は胸の中がじわじわと熱くなっていくのを感じた。彼女の健気さ、一途さ、そして熱い想い……そのすべてがこの場所に向けられていると思うと、樹液がこみ上げてくるのをこらえきれなかった。


「おまたせ。ごめんね、急に席を外して」


 その時、家に戻っていた怜奈が、細長い箱型の機械を手に姿を見せた。


「お義母さん、一体何をしていたんですか? 私にこんな代役を押し付けて」


 芽衣は拳を握りしめながら声を張り上げたが、怜奈は気にする様子も無く、長机に並んだ鍋や大皿を一つ一つ確かめると、目を細めながら何度もうなずいていた。


「あら、すごく盛況じゃない。お鍋も空になってるし、みんなで頑張って作った甲斐があったわね」

「そ、そういう問題じゃないと思うんですけど……」


 いきり立つ芽衣をよそに、芽衣は持ってきた機械の上部に付いているボタンを押すと、ゆったりとした曲調のピアノの演奏が始まった。


 この町に住む ぼくたちは 彼に見守られ やがて大人になっていく

 そしていつか 町を去る時、 僕らはこの木を振り返る

 いつものように 彼はここにりりしく立っている

 何も言わないけれど 何もしないけれど

 ぼくたちを ずっと ずっと 見守ってくれてる


 怜奈は機械を止めると、円盤型の光る物体を取り出した。あの物体が機械の中で音を奏でていたのだろうか?


「この曲をどうしてもあなた達に聞かせたくてさ。結婚式を見ているうちにね、昔聞いたこの曲を思い出さずにいられなかったの」

「誰の曲なんですか?」

「まだあなたたちが生まれる前……この町出身の若い二人の音楽家が作ったの。二人ともこの公園の木のことを忘れられなくて、自分たちの想いをこの楽曲にしたためたのよ」

「そうなんですか……」

「その後曲が売れて有名になった彼らは、この場所で凱旋コンサートを開いたのよ。立派な設備のあるホールじゃなくて、ここでコンサートを開きたかったって。いつかここで演奏する日のために、辛いことがあってもめげずにがんばってきたって」


 あいなは目を閉じながら、怜奈の言葉に何度も深く頷いていた。


「……私もきっと、その人達と同じ気持ちかもしれません」

「えっ?」

「私、この木達にいつも背中を見守られ、時には背中を押されてきたような気がするんです。この町を遠く離れた時も、そして剛介君との結婚が一時叶わぬ夢になって心が辛かった時も。『きっと夢は叶う、きっと幸せになれる』って」

「……この木達が、そんなことを?」

「はい。私の思い込みかもしれませんけどね」

 

 あいなは怜奈に微笑みかけると、隣に立つ剛介の両手を掴み、澄んだ瞳を輝かせながら高らかに声を上げた。


「ねえ剛介君……これからは私たちがこの木達を守らなくちゃね。怜奈さん達や私達と同じように、この公園に、そしてこの木達に想いを持っている人達のために……」

「ああ、そうだな」


 剛介はあいなの肩に手を回し、口元を開いて微笑みを浮かべた。

 あいなも剛介の体に身を預けるかのような姿勢で、剛介の腕に自分の腕を絡めた。

 空には相変わらず薄雲が広がり、時折北寄りの冷たく強い風が吹いているけれど、この場所は不思議なほどに暖かかった。人と人が、そして人と僕たちがしっかり繋がっていて、その温もりに包まれているからなのか……僕は不思議と寒いと感じなかった。それはきっと、この場所にいる剛介とあいな、そして式に参加した全ての人達も同じなのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る