第163話 想いが繋がる日(前編)
朝から薄い雲が広がり、時折太陽が顔を覗かせてほの明るい光を公園の中に送り込んでいた。ただ、雨が降りそうなほど厚い雲じゃなさそうなので、予定通り結婚式は出来るだろう。
公園の中に整然と並べられた椅子には、着飾った若い男女が続々とやってきた。女性達は、この田舎町ではなかなか見かけないおしゃれな出で立ちの人が多い印象だ。言葉も綺麗で、この町の人達が話しているのとは違う感じがした。
『あの子達、すごく垢抜けてるわね。あいなちゃんのお友達かな?』
『そうかもよ。あいなちゃん、確か都会のすごく頭のいい子の集まる学校に通っていたんだよね。この辺にはいないような子ばかりで、思わず目移りしちゃうわ』
苗木達はあいなの友達と思しき女性達の姿に、しばし見惚れていた。
一方男性達は正反対で、みんな同じようなスーツを着ているものの、髪をくしゃくしゃにしていたり、ネクタイを半端に結んでいたりと、どこか野暮ったい感じがした。中には清潔感のある男性の姿もあったが、その数は本当にごくわずかだった。その時、苗木達は男性の参列者の顔ぶれを見ながら、あれやこれやと噂話を始めた。
『ねえ、あの人達って、どこかで見たことないかな?』
『あいつら、剛介がまだ小学生だった時にいじめてた奴らじゃねえか? 何でのうのうと式に出てきてるんだよ』
苗木達の声を聞いて驚いた僕は、慌てて辺りを見回すと、確かに数人の男性は、その横顔にどこか見覚えがあった。髭を生やしていたり、眼鏡をかけていたりするものの、耳を澄ませて彼らの会話を聞くと、お互いの名前を「日向」「東吾」と呼び合っていた。その名前に、僕は聞き覚えがあった。確かに、剛介が小学生の頃に執拗にいじめていた連中だった。あいなが東京に進学する前のデートで邪魔に入ったのも彼らだった。剛介は何でそんな連中をこの式に招待したのだろうか。僕が剛介だったら、顔を合わせたいとも思わないのだが……。
『ねえ、あいなちゃんが来たよ』
『あ、ホントだ。真っ白で重たそうなドレス着てる。カッコいいけど、動きにくそう』
再び苗木達がざわめき始めた。僕が目を向けると、両親である弁護士や母親に両手を繋がれながら、あいながゆっくりとした足取りで公園の中に姿を見せた。頭には花をあしらった透明な白い布を被り、肩や背中を露出した大胆なデザインの白のドレスは、周りにいる人達が誤って踏んでしまうのではないかと心配な位に裾が長かった。片手には、ドレスの色と同じような白くて可憐な花をあしらった小さな花束を手にしていた。
「さ、僕たちが一緒に歩くのはここまでだ」
多くの参加者が座る椅子の真後ろで弁護士が立ち止まると、あいなは両親に向かって深々と頭を下げた。
「破天荒な娘だけど、ここまで育ててくれてありがとう」
あいながそう言葉を掛けると、母親はかばんからハンカチを取り出し、何度も目頭を押さえた。
「泣かないでよお母さん。私は大丈夫だよ」
「だって……やっぱり、寂しいんだもの。一人娘が私たちの元を去っていくのは」
「去っていくって言っても、剛介君の部屋に一緒に住むだけだよ。同じマンションの中じゃない? それにこれからもお父さんと同じ事務所で仕事するんだし」
「そういう問題じゃないんだよ!」
母親はハンカチを握りながら、いきり立った様子で言葉を発し、あいなを睨みつけた。しかし、数秒も経たないうちに、顔をくしゃくしゃにしながら嗚咽し始めた。
「もう、お母さん……大丈夫だって言ってるのに」
「あいな、いくら同じマンションと言え、親の立場からするとやっぱり寂しいもんだよ。お前は一人娘だから、それだけ愛着も強いんだよ」
「そうなんだ……ごめんねお母さん」
「いいんだよ。ほら、剛介君も来てるじゃない。私のことはいいから、早く彼の元に行ってあげて」
母親は泣きじゃくりながら真横を指さした。そこには、重たそうな黒く細長い背広を着こんだ剛介が立っていた。あいなが剛介に軽く手を振ると、剛介は深々と頭を下げ、靴音を響かせながらあいなの両親の目前まで歩み寄った。
「お義父さん、お義母さん。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、あいなを頼んだぞ、剛介君」
弁護士がにこやかな表情でそう言い、剛介の片手を両手で強く握った。あいなは「ありがとう」と言って両親に頭を下げると、ドレスの裾を持ちながら剛介の元に歩みを進め、差し伸べた剛介の手をそっと握りしめた。
一歩、また一歩と、ゆっくりとした速度で二人は座席の間を前へ進み始めた。剛介があいなのドレスの裾を踏んでしまわないか心配だったが、剛介はあいなの手をしっかりと握りしめ、途中でドレスが挟まって転ばないように上手く導いていた。
二人は背丈のあるテーブルの目の前に立つと、昨日怪しげな行動をしていた禿げ頭の男性が、分厚い本を片手に近づいてきた。男性は背が低いのか、真下から上目遣いで二人の顔を見上げると、咳ばらいをしながら本を開いた。
『あいつ、何しに来たんだ。結婚式を邪魔しに来たのかよ』
『誰かあいつをつまみ出してほしいんだけど、どうして誰も何もしないんだ?』
『あいなちゃんが心配……あの男に何もされなけれないいけれど』
苗木達は心配そうな声を上げていたが、男性は延々とくぐもった声で本を読み続けていた。そして、突然本を閉じると、丸い眼鏡の奥に見える目を大きく見開いた。
「黒沢剛介さん、藤野あいなさん、二人はこれからも手を取り合って末永く、仲睦まじく生きていくことを誓いますか」
「誓います」
剛介とあいなは、少し間を置いて同じ答えを返していた。
「それでは、誓いの口づけを……」
男性は不気味な笑みを浮かべながら、二人を目の前に呼び寄せた。剛介は顔を赤らめながら、あいなの顔をじっと見ていた。あいなもいつものような堂々とした様子はなく、どこか恥じらいのある顔を見せていた。やがて剛介は意を決したかのようにあいなの頭を覆っていた透明な布をそっとめくると、顔を近づけ、唇をあいなの頬にそっと押し当てた。僕の身体を覆う枝や葉の隙間から差し込むやわらかな陽の光が二人の身体を包み込むように照らしていた。そのあまりにも神々しい様子に、僕は思わず息をのんだ。
「二人の愛が神の御加護を受け、永遠に続くことを祈って……アーメン」
剛介があいなから身体を離すと、男性は先日も口にしていた「アーメン」という謎めいた言葉を発しながら、二人の頭上に両手を広げた。あの怪しげな男性は、どうやらこの式を司る神の使いのようだ。一目見た感じでは、そんな神々しい雰囲気はしないのだが……。
やがて二人は客席の方を向き直り、深々と頭を下げると、手を取りながらゆっくりと歩きだした。それに合わせて、客席に座っていた参列者たちが立ち上がり、徐々に二人の周りに集まり始めた。参列者の周囲で、樹木医の櫻子が、体に似合わぬほどの大きな籠を担ぎながら参加者たちに何かを配り歩いていた。
二人が参加者たちの並ぶ狭い間を、手を振りながらゆっくりと歩きだすと、参加者たちは手にしていたものを一斉に頭上に舞い上がらせた。
赤、黄、オレンジ、白のカラフルな花びらが、二人の頭上に次々と舞い降りた。二人が前に進むたびに花びらが空高く舞い上がり、時折吹きつける風に乗って僕たちの元にも舞い降りてきた。あまりにも舞い落ちる花びらの数が多く、二人は前が見えなくてちょっと歩きづらそうだったが、やがて客席の最後尾にたどり着くと、そこでお互いに向き合った姿勢で立ち止まった。二人の頭上にはたくさんの花びらが付着し、二人の歩いた道は、地面が見えなくなるほどの大量の花びらで覆い尽くされていた。
籠を背負いながら地面を見つめていた櫻子は「調子に乗って作り過ぎちゃったかな……あとで掃除するの大変だよね。どうしよう……」と言いながら、髪の毛を掻きむしっていた。
剛介とあいなはしばらくお互いの顔を見つめ合っていたが、やがてあいなが剛介に近づき、何かを耳元でささやくと、剛介は「え~?」と言いながらちょっと渋い顔をしていたが、あいなが不満そうな顔をすると、「わかったよ……」と言って小さく頷いた。あいなは満面の笑みで「ありがと」と言うと、友達と思しき女性参列者たちを手招きし、後ろ向きの姿勢で花束を持った両手を大きく振りかざした。
やがて花束はあいなの手を離れ、空中を舞い、女性達が群がる中に真っ逆さまに落ちていった。女性達は一斉に手を伸ばしたが、しばらくすると紫色のドレスを着た一人の女性が花束を得意げに真上にかざし、歓声を上げていた。
剛介はその光景を見届けた後、大きく息を吸うと、後ろから両腕を広げてあいなの身体を抱き上げた。
「うわああ、ここでお姫様抱っこするのか? やめてくれ、剛介。いくら何でも見せつけすぎだぞ!」
参加者からは悲鳴と歓声が沸き起こった。剛介はあいなを胸の辺りで抱き上げ、あいなは剛介の首に腕をしっかりと巻き付けていた。あいなは満面の笑顔を見せると、剛介に顔を徐々に近づけ、そのまま頬に口づけした。客席からは再び悲鳴が沸いていたが、あいなは気にすることも無く、今度は剛介のもう片方の頬にも唇を押し当てた。あいながそっと唇を離すと、剛介の顔を見て突然声を出して笑い始めた。一体何事かと僕は剛介の顔をじっくり観察すると、剛介の両方の頬には、あいなの口紅の跡がくっきりと付着しているのが見えた。
「おい剛介、お前、顔にキスマークついてるぞ!」
「しかも両方のほっぺに! くそ~……ひょっとして、昔いじめていた俺たちに見せつけるつもりでやったのかよ?」
「旦那様、幸せそう。でも、あいなの方が旦那様よりもっと幸せそうな顔してるね」
剛介は顔を赤らめながらあいなをそっと降ろすと、あいなは「さっきの誓いのキス、嬉しかったからお返ししちゃった」と言って、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。
剛介はハンカチで口紅の跡を拭い取ろうとしたが、あいなはハンカチを持った手を押さえつけると、ゆっくりと顔を近づけ、剛介の唇の上に自分の唇を押し当てた。
「すごーい! 今日のあいな、いつもと全然違うじゃん。やることが大胆だよね」
参列者の女性から次々と歓声が沸き上がった。
その時、南から突然強い風が吹きつけ、地面に降り積もった大量の花びらを巻き上げていった。やがて風に乗った花びらは、まるで祝福の紙吹雪のように唇を重ね合わせる二人の頭上に次々と舞い落ちて行った。
花びらにまみれながら口づけを続ける二人を、参列者たちは拍手を送りながら、邪魔することなく遠目でじっと見守っていた。
叶いそうで叶わなかった二人の想いが、長い時間を経てようやく結ばれたことを祝福するかのように。そして、二人の夫婦としての門出を祝福するかのように。
「ねえ、まだ式が終わらないのかしら? せっかく作った料理なのに、冷めちゃうじゃない」
「お義母さん……二人のことをもうちょっと見守ってあげましょうよ。今日まで沢山の困難を乗り越えて、やっと叶った結婚式なんだもの」
僕のすぐ傍には、三角巾とエプロンを身に付けた怜奈と芽衣の姿があった。その後ろには、大きな鍋や皿、長机を手にした女性達がずらりと待ち構えていた。
公園での結婚式は、これから賑やかな第二幕が始まろうとしているようだ。
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