第162話 贈る言葉

 澄んだ秋空の下、剛介とあいなの結婚式の準備は日々着々と進んでいた。

 公園の中央にはマンションから運び込まれた椅子が並べられ、両端には近所の人達が持ち寄った植木鉢がずらりと並んでいた。大きな百合の花、ピンクや白など色とりどりの秋桜、紫色や水色のすみれ、沢山の花びらを付けた大きな花が印象的なダリア、可憐な印象の赤や白のシクラメン、そしてパンジーやベコニア……花の種類や色に統一感は全くないけれど、美しい花がずらりと並ぶ景色は圧巻だった。この公園は僕たちケヤキとツツジの植込みしかなく、たくさんの花に囲まれると、僕たちの気持ちも不思議と明るく元気になれる。


 会場の準備がほぼ整った頃、頭頂部に髪の毛が数本だけしかない丸眼鏡をかけた怪しい風貌の男性が僕の目の前に現れた。男性は背の高い四角形のテーブルをベンチの前に置くと、分厚い本を開き、口をもごもごと動かしながら何やら呪文のような言葉を口にしていた。


『何なのあの人、さっきから訳の分からない言葉をゴニョゴニョ言って、最後にアーメンとか言って。頭がどうかしてるんじゃないのか』

『首に十字のアクセサリーなんかして、カッコつけてるつもりかしら。若くてカッコいいお兄さんならともなく、禿げ頭の中年親父には全然似合わないよ』


 苗木達が男性に関する噂話をしていたが、男性は気にすることもなく車に戻って白い布を取り出すと、ベンチの上に昇り、端を僕の枝に括り付け、幕のように僕の周りに張りめぐらせていた。


『アハハハ、何だよケビンさん、その白い布は』

『白い布がゆらゆら動いて、何だか幽霊みたい。一体何の意味があるのかしら』


 苗木達は、白い布を巻きつけられた僕を見てせせら笑っていた。

 男性は白い布を付け終えると、僕に向かって両手を合わせ「アーメン」と言い、再び車へと戻っていった。一体誰なのだろう、この怪しい男性は。明日の結婚式と何か関係があるのだろうか。

 男性が公園を去った後、エプロンと三角巾を身に付けた怜奈と芽衣が公園の中に入ってきた。 


「ねえ芽衣ちゃん、見てごらん。季節の花がいっぱい飾られて、すごく見映えが良くなったでしょ?」

「本当ですね。お義母さんが片っ端から近所に声を掛けてかき集めた甲斐がありましたね」

「でしょ? さ、次は料理だね。これから町の集会所で近所の奥さんたちとおしゃべりしながら色々美味しい物を作るからね。芽衣ちゃんはケーキ、間に合いそう?」

「うーん、久し振りに作ったからか、なかなか納得できるものができなくて」

「プロのお菓子屋さんじゃないんだから、気にしないで。要はあなたの気持ちを見せればいいの。剛介君とあいなちゃんへの祝福の気持ちをケーキで表現すればいいのよ。わかる?」

「……ますます難しいかも」

「何弱気なこと言ってるの? 式は明日なのよ。さ、ラストスパート! 私達も今日中には仕上げるからさ」

「まあ……やれるだけやってみます」


 怜奈は芽衣の背中を叩きながら笑っていたが、芽衣は自信が湧かないのか、怜奈の言葉に対し伏し目がちの姿勢で頷いていた。


「あれ? シュウが帰ってきたよ。今日は仕事終わるのが早いわね」

「そうですね。一体どうしたのかな?」


 シュウは作業衣のポケットに手を突っ込んだままこちらに向かってきた。明日は愛弟子である剛介のめでたい結婚式だというのに、どこか浮かない顔をしているように見えた。


「二人とも何やってるの? こんな真昼間からおしゃべりしていて、よっぽど暇なんだな」

「違うわよ。明日の料理やケーキをどうしようかって話していたのよ」

「明日?」

「そうよ。あれ? シュウは知らないの?」

「何を?」

「剛介君の結婚式だよ。あんたが手塩にかけて育てた剣道の愛弟子でしょ?」

「へえ、明日なんだ」


 シュウは剛介から何も知らされていなかったのだろうか。剛介のことをいつも心配し、北海道に居た時もずっと連絡を取り合っていたはずなのに。


「明日はシュウも同席しなさいよ。たとえ招待されていなくても、あんたが顔をだせば、きっと剛介君は跳び上がる位嬉しいはずだよ」


 怜奈は腕組みをしながらシュウに忠告したが、シュウは人差し指で顔を掻きながら、いまいち乗り気でなさそうな雰囲気を見せていた。


「俺は行かねえよ。今の俺にとっては仕事が優先だからね。これから樹里の学費で金がかかるんだからさ」

「バカッ。愛弟子の結婚式より仕事を優先するなんて、何考えてるんだよ」


 怜奈は声を荒げてシュウを叱り飛ばした。ここでようやくシュウは真面目に考え始めたのか、しばらくの間無言のままその場で立ち尽くていた。そこで何を思い立ったのか、ポケットから携帯電話を取り出すと、指を器用に動かして早業でボタンを押し、電話を耳に押し当てた。


「おう、剛介か。悪いけど、ちょっと話があるんだ。え? 明日の結婚式の打ち合わせ中だから、後にしてくれるかって? いや、用件はすぐに終わるから、聞いてくれるかな」


 シュウは咳払いをすると、いつもと違って妙にかしこまった様子で話を続けた。


「今夜、公園に出て来れるか?」


 え? なぜ今夜、公園に呼び出すのだろうか? 明日は大事な結婚式だし、独身最後の夜だから、剛介も今夜くらいは母親と一緒にのんびりと過ごしたいのではないだろうか?


「え、何をするつもりかって? バーカ、剣道の稽古だよ。腕を怪我したからしばらくやってなかっただろ? そろそろやらないか。今夜八時、ここで待ってるぞ。あ、竹刀と防具、忘れず持って来いよ。じゃな!」


 シュウは携帯電話をポケットを仕舞い込むと、大きなあくびをしながら自宅へと帰っていった。


「何なのよ、シュウは。だいたい今夜稽古するだなんて、常識外れも良い所よね。万が一剛介君が怪我したらどうするつもりなんだろうね」


 怜奈は呆れかえった様子でシュウの背中を見送っていた。


「お義母さん、これからケーキを仕上げなくちゃいけないから、先に行ってますね」

「ああ、そうだ。私も近所の人達を集会所に待たせてるんだったわ。シュウのことが気になるけど、早くいかないとみんなに怒られちゃう」


 怜奈も芽衣もそれぞれ明日の準備のため、そそくさと公園の外へと出て行った。綺麗に飾り付けられた公園の中には誰も人影がなくなり、冷たい秋風が音を立てながら吹き抜けていった。やがて真っ暗な闇が辺りを覆い尽くした時、公園の左右の入口から、剛介とシュウがほぼ同時に姿を見せた。


「おう、来たか」

「はい」

「早く防具を付けろ。みっちり稽古をつけてやる」

「でも、僕、明日は結婚式なんで……」

「だから何なんだよ?」

「まあ……その……」


 剛介は渋い顔をしながらも持ってきた防具を身に付け、竹刀を手にしてシュウの前に立った。


「行くぞ」

「はい」


 シュウは体を前後に動かしているのに対し、剛介は竹刀を左右に振ったまま立ち尽くしていた。やがてシュウは、一気呵成に剛介の目の前へ走り込むと竹刀を一気に振り下ろした。


「面!」


 激しい破裂音を立てて、竹刀は剛介の面に命中した。剛介は何も出来ないまま立ち尽くしていたが、シュウは休むことなく体勢を立て直すと、再び剛介の元へと走り込んだ。剛介は辛うじて体を交わしたが、シュウは剛介の体が開いた隙を狙って再び竹刀を振り下ろした。


「胴!」


 再び激しい破裂音が公園に響き渡った。一方の剛介は、一向にシュウへ立ち向かおうとしなかった。


「おい、どうしたんだ。お前も打ってこいよ。何遠慮してるんだよ?」

「は、はい」


 剛介は竹刀を持ち直すと、シュウに向かって全速力で駆け込んでいった。しかしシュウはあっさりとそれを交わすと、剛介の真後ろから竹刀を振り下ろし、再び頭上に命中させた。


「何やってるんだよ。それ、本気なのか? ふざけてんじゃねえぞ」

「だ、だって……僕とシュウさんじゃレベルが違うし。それに何時もなら僕に合わせて少し手を抜いてくれるのに、今日は本気じゃないですか?」

「本気でやらないでどうするんだよ」

「え?」

「俺が本気でやってるんだから、お前の本気を見せろや」


 シュウは唸るような声を上げ、竹刀を剛介の喉元に突きつけた。

 剛介はうなずくと、再び竹刀を構えた。お互い同時に前方へ駆け込んだが、シュウは剛介の竹刀を叩き落とすと、そのまま胴体に激しい一撃を打ち込んだ。


「どうした! それがお前の本気なのかよ? そんな中途半端な気持ちで、あいなちゃんを幸せに出来るのかよ?」

「……」

「あいなちゃんはお前のことをずーっと待っていたんだ。それなのにお前は、別の女と結婚して、それも半端にしてあいなちゃんの所に戻ってきて……俺はそういうのを見て本当に腹が立ってさ、お前の中途半端を許せなかったんだよ。しかも二人の女を悲しませやがって」

「……」

「結婚したら、お前とあいなちゃんは幼馴染の仲じゃない。彼氏彼女の関係じゃない。お前は夫として、あいなちゃんに対する責任が生まれるんだ。前の奥さんの時のように中途半端な気持ちで結婚して、あいなちゃんを悲しませるようなことは絶対にするな。結婚するからには本気であいなちゃんを守って、幸せにしてやるんだ」


 そう言うとシュウは再び竹刀を構え、再び剛介の元へと全速力で走り込んで来た。すると剛介はシュウの竹刀を冷静に振り払い、体勢を立て直すと、真っすぐ走り込んでシュウの面に一撃を食らわせた。


「お前……」


 シュウは持っていた竹刀を地面に落とし、しばしその場に呆然と立ち尽くしていた。


「ありがとうございます。シュウさんの言葉、ずっと大事にしたいと思います」


 剛介は深々と頭を下げ、面を取り外した。汗にまみれたその顔には、さわやかな笑みを浮かべていた。


「……その気持ち、ずっと忘れんなよ」


 シュウも面を外し、苦虫を潰したような顔をしながら頭を掻いた。そして、「俺は明日の式には出ねえぞ。せいぜい楽しくやってくれや」とだけ言い残し、地面に落ちていた竹刀を拾い上げると、そそくさと公園の外へ行ってしまった。


「ありがとうございました!」


 剛介は大声でシュウに呼び掛けたが、シュウからは何の反応もなく、玄関の扉を閉める音だけが響き渡った。

 シュウは彼なりのやり方で剛介をお祝いしたかったのだろう。乱暴だけど、不器用だけど、シュウが剛介を想う気持ちは他の誰よりも強く、そして言葉の一つ一つがずっしりと重みがあるように感じた。

 澄み切った秋の夜空には、沢山の星が瞬いていた。いよいよ明日は結婚式……このまま晴れるといいなあ。二人のためにも、そして二人を支えてくれた沢山の人達のためにも。


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