第161話 思い出の詰まったこの場所で
暑かった日々が終わり、徐々に涼しい空気が公園を覆い始めた頃。
今日は早くから大きなトラックが次々と現れ、公園の隣に立つマンションに横付けしていた。作業員が続々と降りてきて、大きな荷物を荷台から降ろし始めた。
「黒沢さん。これ、どこに置くんですか?」
「ああ、一番奥の部屋に入れて下さい」
作業員に指示を出しているのは、剛介だった。野々花に切り付けられた腕の回復経過は順調だったようで、先月無事に退院することができた。しかし、その腕には丁重に幾重にも包帯が巻かれていた。
『剛介も、ついにこの町に完全に引っ越してきたんだね』
『しかも、あいなちゃんと一緒に暮らすために……何だか感慨深いよね』
『おや? 噂をすれば、あいなちゃんも帰ってきたみたいだね』
『ホントだ。以前よりも心なしか足取りが軽く見えるね。幸せそうだなあ』
苗木達の声を聞いた後で僕は辺りを見渡すと、いつの間にかあいながすぐ近くまで来ていた。大きな鞄を持っているところをみると、いつものように仕事先を廻ってきたのだろう。
その時突然、コロコロコロコロ……と、小鳥のさえずりのような音が僕の耳に入った。辺りを見渡しても、僕の頭のてっぺんを見上げても、鳥の姿がないのに、一体どこから……? するとあいなはポケットをまさぐって、携帯電話を取り出した。
「あ、剛介君? 引っ越しの方、大丈夫? 右腕が使えないから一人で片付けするの、大変でしょ? 今すぐそっちに行くね。私も手伝うから。え、足手まといになるって? ちょっと、私の力を馬鹿にしないでよ。最近行ってないけど、東京に居た時はジム通いして鍛えてたんだから!」
あいなは笑いながらそう言うと、苗木達は途端に心配の声を上げ始めた。
『片付けって……さっき作業員が運んでた家具とか動かすんでしょ? あいなちゃんだけでやれるのかな?』
『いや、ああ見えてなかなかやるかもよ。あいなちゃんはすごく負けず嫌いだからね』
苗木達はまたしても無責任な噂話をしていた。引っ越しの作業くらい、好きなようにやらせてあげればいいのに……。
「あ、そうだ。剛介君にちょっと提案したいことがあるんだけど、聞いてもらえるかな? え? どんなことだって? 片付けが終わったら教えるからさ。フフフ」
あいなはそう言うと携帯電話をポケットに仕舞い込み、靴音を立ててマンションへ駆け込んでいった。
やがて西からの風が吹き付け、僕たちの枝からひらひらと葉が舞い始めた。いつものことだけど、今年も僕たちの身体に付いた葉が落ちる時期がやってきたのだろう。自然には抗えないとはいえ、せっかく大きく育った葉が一枚、また一枚と地面に落ちていくのを見届けるのは、やはり寂しい気持ちになる。
すると、正面に立つ家の玄関の戸が開き、怜奈と芽衣が箒や袋を手にこちらにやってきた。まるで落ち葉が舞い落ちてくるのを察知したかのように……。
「あーあ、もう葉が落ちてるよ。今年も骨が折れる時期がやってきたわね」
怜奈はしゃがみながら一枚ずつ地面に落ちた落葉を拾い、袋に次々と放り入れていった。
「お義母さん、そんな姿勢で拾ったらまた腰を悪くしますよ」
「いいのよ。立ったままで作業なんかしたらもっと腰が悪くなるわよ」
作業中の二人の掛け合いは、傍で聞いていてなかなか面白い。時には家族の愚痴、そして時にはお互いの昔話だったりして、「なるほど、そうだったんだ」と思わされることがいっぱいあった。女の人って家庭では色々と苦労してるんだなとか、ああ見えて昔は派手に遊んでたんだなとか……詳しくは割愛するけど。
「ねえ、あいなさんかな、あの髪の長い人」
「その隣にいる男の人……剛介君じゃないですか? どうしたんだろ? 腕にギブスなんか巻いて」
「剛介君? ホントに?」
二人は顔を見合わせて驚いていたが、やがて視線は真っすぐ二人に注がれた。
「お久しぶり、剛介君」
怜奈がそう声を掛けると、剛介は「帰ってきちゃいました」と言って、髪を掻いて笑っていた。
「帰ってきたんだ? 北海道での仕事はどうしたの?」
「辞めました」
「じゃあ……仕事はどうするの? ここは田舎だし、札幌辺りと違って選べるほどの仕事はないはずよ」
「ご心配ありがとうございます。最近腕をケガして退院したばかりなんで、もう少しよくなったら色々探すつもりです。北海道でやっていた仕事が活かせるところがあればいいんですけどね」
「アハハハ、剛介君ならばきっとすぐ見つかるわよ。ね? まだ若いんだしさ」
怜奈はそう言った後、「変な質問しないでよ」と小声で叱りながら肘で芽衣の背中を小突くと、芽衣は舌を出して「すみません」と言い、極まりの悪そうな顔をして頭を掻いていた。
その後、剛介とあいなは僕の真下に来ると、しばらくの間僕のことを目を皿にしてじっくりと見つめていた。僕の身体に何か付いているのかな? と不思議な気分になったけれど、二人はやがて二手に分かれて前と後ろに回り、それぞれ携帯電話を取り出して写真に収め始めた。
「ねえ、二人で何してるの? ケヤキの木を写真に収めて、何するつもり?」
怜奈が問いかけると、二人はしばらく黙りこくっていたが、あいなが小声で剛介に二、三言何かを伝えると、剛介は頷き、ちょっと照れくさそうな表情でうつむきながら口を開いた。
「実はですね……僕たち今度、結婚するんです」
「ええ? だ、だって剛介君には奥さんが……」
「まあ、色々あって、先日離婚しました」
「そうなんだ……でも、良かったじゃない。あいなちゃん、ずーっと剛介君のことを待ち続けていたんだからさ。良かったよね、あいなちゃん。おめでとう!」
「それでですね……僕たちにとって思い出の深いこの公園で結婚式を挙げようって考えてるんですよ」
「ここで?」
「そうです。一応、あっちこっちの結婚式場を下見してきたんですけど、なかなかしっくりこなくて。で、私から剛介君に提案したんです。この場所でやらないかって」
あいなはそう言うと、口元に笑みを浮かべて剛介に目配せした。剛介はちょっと照れた様子で、僕を見ながら頷いていた。
「確かに、結婚式場でやるような立派な式はできないでしょう。でもね、思い返すと私たちはこの場所で出会って、一緒に遊び、お互いのことを好きになった。そして離れている間もお互いにこの場所のことをずーっと忘れなかった。ここ以外で式を挙げることなんて、考えつかないですよ」
あいながそう言うと、剛介と肩を並べて、怜奈と芽衣の前で深々と頭を下げた。
「僕、椅子とか机とかマンションの集会室から借りてくるよ」
「じゃあ私は神父さんかな。私の顧客の知り合いに教会に通ってる人がいるみたいだから、神父さんがここに来てくれるかどうか相談してみるね」
二人は声を弾ませながら早速式に向けた段取りを立て始めていた。こんな狭い公園が結婚式の会場になるなんて想像も付かないけど、はるか昔、ここでコンサートやDJイベントをやったことを鮮明に覚えていた。その気になれば小さな空間もお祝いやイベントの場にしてしまうんだから、人間の力は凄いものだ。
一方で取り残された怜奈と芽衣は、しばらくあっけにとられた様子で二人の背中を見つめていた。
「……こんな小さな公園で結婚式なんか出来るのかしら? いくらこの公園に思い入れがある私達でも、ここで式を挙げようなんて微塵にも思わなかったもんなあ」
「でも、あの二人ならやれるんじゃないかと思いますよ。お義母さん、私達もこっそり加担しませんか?」
芽衣の提案に、怜奈は目をぎょろつかせて驚いていた。
「何言ってんのよ。私たちに一体何ができるのよ?」
「私も一緒に盛り上げたいなあって。だって、素敵だと思いませんか? 結婚式を思い出のいっぱい詰まったこの公園で挙げるなんて。ここで式を挙げなかった私たちも思い出を共有できればいいなって思って」
芽衣はポケットから携帯電話を取り出すと、ボタンを操作し、画面を怜奈の目の前に差し出した。
「これは、実際に農村公園で式を挙げたカップルの写真です。緑に囲まれた開放的な場所で、参列者だけでなく会場に立ち寄った人達にも祝福されて、すごく素敵でしょ?」
芽衣が画像を見せながら楽しそうに話すのを聞くうちに、最初は半信半疑だった怜奈も次第に納得したような様子を見せ始めた。
「まあ、出来なくはないだろうけど……私達だけ盛り上がってもつまらないわよね。そうだ、ご近所にも声掛けようかしら。この町で生まれ育った二人だもん、町中みんなでお祝いしてあげなくちゃね」
「それ、いいかもしれませんね。門出をみんなでお祝いしなくちゃ、ですね」
「何か美味しい料理でも作ろうかな。こんな機会でもないと腕によりをかけて料理したいとも思わないしさ」
「私は、久し振りにケーキでも焼こうかな。手作りのウエディングケーキとか、きっと喜ばれますよね?」
怜奈と芽衣は意気投合し、手作りの結婚式に向けてアイデアを出し合いながら徐々に話が盛り上がっていった。肝心の落葉拾いは中途半端なのに……。
二人が話で盛り上がっている傍で、樹木医の櫻子が定期点検のため大きな鞄を手に姿を見せた。
「楽しそうですね。何かいいことがあったんですか?」
「あ、先生、鋭いですね。その通り、おめでたいことがあったんですよ」
「え? 何ですか? 気になるなあ、その言い方」
「そこのマンションで暮らす若い二人が、この公園で結婚式をやるんですって」
「わあ、素敵ですね。憧れちゃうなあ、公園でのウエディングだなんて」
「それでね、私達も一緒に式を盛り上げようと思って、色々アイデアを出し合っていたんですよ」
「そうですか……面白そう。差支えなければ、私も加担していいですか?」
「ぜひとも! この公園の木々を守ってきた樹木医の先生なんですから、当然OKですよ」
「じゃあ、お手製のフラワーシャワーでも作ってこようかな? この時期に花を咲かせる木から花びらを集めてきますので、みんなで撒いて、わーっと派手に盛り上げましょうよ」
「さすが先生、グッドアイデア! さあ、がぜん楽しみになってきたわね」
なんと、二人の提案に櫻子まで意気投合してしまったようだ。
あいなが提案し、剛介が同意し、さらには近所の住民や樹木医の先生まで巻き込んだ史上初?の公園での結婚式、果たしてどうなるのだろうか。
傍に立つ僕たちも、話を聞かされているうちにいつの間にか心が躍り始めていた。
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