第151話 クリスマスの思い出

 今年も冬を迎え、気温が上がらず肌寒い日々が続いていた。

 今日は特に寒く、朝から白く重たい雲がたちこめ、公園に小雪が舞っていた。雪は次第に僕たちの幹を白く染め、地面のアスファルトも黒から白へと徐々に色を変えていった。

 

『雪が降り止まないね……寒いし、寂しいし、ここでずーっと立っているのが本当に嫌になっちゃうよ』

『しょうがないさ。それが公園のケヤキの宿命だよ』

『でも、こんな天気の時だと嫌になっちゃうよ』


 雪が降りしきる中、公園の側道に突如大きな箱のような紺色の車が停まった。車の中には、たくさんの子ども達が乗っているのが見て取れた。こんな寒い日に一体どこに行くというのだろう。その時、樹里が竹刀を抱えながら玄関を出て、車の中に乗り込んでいく姿がちらりと目に入った。その後ろで、シュウと芽衣が片手を振りながら樹里を見届けていた。


『何だろう? 樹里ちゃんが竹刀を持って出かけるということは、これからどこかで試合でもあるのかな』

『多分そうかもね。そう言えば樹里ちゃん、こないだの大会で優勝したんだよね? シュウが樹里ちゃんのことをすごく褒めちぎっていたなあ。「俺の娘だから強いんだ」ってさ』

『いやそれは違うよ。樹里ちゃん毎日ここで必死に練習してたじゃないか。でも、ここまで強くなるなんて、すごいよね』


 苗木達は車を見送りながら、樹里の成長ぶりを口々に称えていた。僕自身はというと、樹里が剣道で強くなったことを素直に喜んでいなかった。元々彼女が剣道の練習に本腰を挙げた理由が、「祖母である怜奈を見返す」ためだったからだ。

 剣道の大会で優勝して力があることを誇示することで、口うるさい怜奈を黙らせたい、その一心で練習に励んでいたのだ。決して「剣道が好きだから」という理由ではない。最近の樹里の様子を見ても、未だに怜奈を憎み、忌み嫌っているようだ。怜奈への憎悪心を捨てきらない限り、樹里が本当の意味で強くなったとは思えないのだが……苗木達は揃って樹里の力を認めており、自分だけ認めていないのは何とも肩身が狭いように感じた。


 昼を過ぎると雪は次第に小康状態になり、白い雲の隙間から徐々に陽ざしが差し込んで来た。雪が止むのを見計らったかのように、公園の中を歩く人の姿が戻り始めていた。今日は、いつもよりも親子連れの姿が多かった。子ども達は大きな紙袋を手に大はしゃぎし、その傍らで親達は財布を片手にちょっぴり苦笑いを浮かべていた。おそらく子ども達のためにかなり出費したのだろう。どうやら、人間達の世界で冬の一大行事である「クリスマス」の時期が近づいているようだ。親子連れや恋人たちが楽しそうに通り過ぎて行くのは、この時期ならではの光景である。

 西の空が真っ赤な夕焼けに染まる頃、子ども達に交じって、音を立てて雪を踏みしめながら歩く髪の長い若い女性の姿が目に入った。女性は、白髪ですらりと背の高い男性の手を取り、ゆっくりとした足取りでこちらに向かっていた。


『おや、あいなちゃんだね』

『ホントだ。今日はお父さんと一緒だね』


 あいなはすれ違う子ども達と同じように、大きな紙袋を手にしていた。父親である弁護士に何かおねだりでもしたのだろうか。もういい歳だし、自分だけでも十分稼げる立場にあるというのに……。


「お父さん、少し早いクリスマスプレゼント、ありがとう。このダウンコートがあれば、きっと北海道でも寒くないよね」


 あいなは嬉しそうな表情で弁護士の顔を覗き込んでいた。弁護士は顔を赤らめながら何度も首を横に振っていた。


「あいな、そのコートだけで大丈夫なのか? 北海道は建物の中は暖かいけど外は物凄く寒いんだぞ。それに、足元も気を付けないと。こっちと同じ感覚じゃだめだぞ」

「わかってるって。ちゃーんとネットで調べたし、剛介君にも色々対策を聞いたから」

「じゃあいいけど……あとは、くれぐれも、剛介の奥さんと話をこじらせないようにね。相当したたかな人だから、言葉尻を取られないようにな」

「うん。それもわかってる」

「あいなは怖いもの知らずだな……あの奥さんと面と向かって話がしたいだなんて」


 どうやらあいなは、これから剛介のいる北海道に行くようだ。おそらく今回は、一連の慰謝料の件で「仕事の一環」として行くのだろうけど、本当に仕事だけが理由なんだろうか? わざわざクリスマスという時期に合わせて行くということが、僕にはちょっと気になっていた。


 その時、朝方停まっていた大きな車が再び側道に姿を見せた。車が公園に横付けされると、樹里が手を振りながらゆっくりと降りてきた。

 樹里は家に帰らず、竹刀を持ったまま公園の中へとやってきた。その足取りはどこか重たそうに感じた。


『どうしたんだろ。樹里ちゃん、朝方見た時より元気ないよな』


 苗木達は元気のない樹里の背中を見ながら、にわかにざわめき始めた。

 樹里は僕の前に置かれたベンチに腰掛けると、竹刀を地面に置き、顔を伏せて突然すすり泣きを始めた。


「ちくしょう、このままじゃ家に帰れないよ……あの人に鼻で笑われるに違いないよ。『樹里ちゃんの練習が足りないから負けたのよ』って」


 樹里はそうつぶやきながら、何度も涙を拭っていた。


「ねえ、どうかしたの?」


 ベンチで一人すすり泣く樹里の姿に気づいたあいなは、心配そうに樹里の元に駆け寄った。しかし、樹里は顔を伏せたままずっと泣き続けていた。あいなは地面に置かれた竹刀を拾うと樹里に渡そうとしたが、樹里はそれを片手で地面に叩き落とした。


「いらないよ、こんなもの」

「ちょっと、何があったか分からないけど、これって大事な竹刀でしょ。私、お姉ちゃんがいつもここで剣道の練習していたのを知ってるわよ」

「だから何なの? 私の気持ちなんか何も知らない癖に、エラそうなこと言わないでよ!」


 するとあいなは、手にしていた竹刀を握りしめた。そして、直立不動の姿勢のまま、「一、二、一、二」と言いながら、ひたすら何度も上下左右に振り回した。


「ふん、下手くそ」


 あいなの後ろから、樹里が小声で悪態をついていた。


「アハハハ、だって剣道なんて全然やったことないもん。でも、お姉ちゃんがいつもここで練習してるのを見て、ちょっとやってみたいなあって思ったからさ」


 樹里は笑いながらそう言うと、竹刀を樹里の手元に戻した。


「しょうがないなあ。見本見せてあげるから、ちゃんと見ててよ」


 樹里は立ち上がると、竹刀を構え、僕の方向を向いた。樹里の鋭い視線を感じた僕は、背筋が凍りつくような気分がした。


「面っ!」


 激しい音を立てて、僕の幹に竹刀が命中した。


「胴っ! 小手っ!」


 樹里の竹刀は音を立てて次々と僕の身体に炸裂した。そのたびに僕は激しい痛みを感じ、大声で悲鳴を上げた。


「やるなあ……さすが毎日練習してるだけあるね」

「まあね。でも……」


 樹里は息を切らしながら、竹刀を手にその場にしゃがみこんだ。


「今日、隣町の剣道大会に参加したんだけど、決勝に行く前に負けちゃって……家に帰ったら、お父さんとお母さんは私のことを慰めてくれるかもしれない。でも、あの人は私のことを馬鹿にしたようなことを言うに違いない」

「あの人って、誰なの?」

「おばあちゃん……」


 そう言うと、樹里は再び泣き崩れた。あいなは樹里の隣にしゃがみ込むと、肩にそっと手を回した。


「私もね、あなた位の歳の頃に、私の気持ちを分かってもらえなくて辛かったことがあったよ」

「そうなの?」

「うん。確かあの時もクリスマスだったかなあ……付き合ってた男の子がいてね。映画館でデートしたんだよ」

「わあ、デートしたんだ。私と同じ歳の頃っていうことは、まだ小学生だよね?」

「アハハハ、そうだったわね。その時、帰り道にいじめっ子のグループに囲まれてね。付き合っていた子が必死に私を守ってくれたんだ。でも、私のお父さんはその時以来、その子に会わせてくれなくなったの」


 あいなはそう言うと、弁護士の方を見て不気味な笑みを浮かべた。弁護士は何が有ったのか理解できず、「何かしたのかい」と呟きながら戸惑いの表情を浮かべていた。


「あの時私はお父さんを心から憎たらしいと思うこともあった。でもね……あの時私は中学受験の勉強をしていたし、弁護士になりたいって夢があった。きっとお父さんは、私の将来のことを考えて、嫌われるのを覚悟で私を守ってくれたんだなって」

「……」


 あいなの横顔を見ながら、樹里はじっと話を聞き入っていた。


「おばあちゃんの本当の気持ちは分からないけど、きっとあなたを守りたいって強い思いがあるのかも」

「そうなのかなあ。私にだけガミガミうるさいんだよね。本当に頭に来るんだもん」

「それって、あなたのことをすっごく可愛いと思ってるんだよ」

「マジで!? キモっ」

「そんなこと言わないの。じゃ、私はこれで帰るね。あなたもちゃんと家に帰るんだよ」


 樹里はしばらく沈黙を続けていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。樹里はあいなに向かって軽く頭を下げると、相変わらず元気ない様子で自宅の玄関に向かって歩きだした。


「がんばれ~! ファイト!」


 あいなは大声で樹里の背中に向かって叫んだ。

 樹里と怜奈の間には、簡単には開かない固く閉ざされた扉がありそうだけど、あいなの言葉は、樹里の閉ざした心をほんのちょっとだけこじ開けたように感じた。

 あいなは弁護士の元に戻ると、弁護士はどこか浮かない顔で口を開いた。


「あいな、どうしてこの僕を睨みつけたんだい?」

「さあね。私、お父さんを睨んだりした?」

「何というか……恨みがこもったかのような怖い視線を感じたんだけど」

「考えすぎじゃないの?」

「で、でも……本当に怖かったんだよ」

「だから、考えすぎだって。あ、剛介君からLINEが来てる。なになに……『キングのことが気になるから、写真を撮って送ってちょうだい』って、またキングのことなの?」


あいなは呆れた顔で携帯電話を開くと、キングの元に近づき、写真を撮った。


「写真と一緒にメッセージを送ってやろうかな。『キングは今日も元気がないですよー』って。あ、ついでに『私の写真はいらないの?』って書いてやろうっと」


携帯電話で剛介にメッセージを送るあいなの横顔を、真っ赤な夕陽が綺麗に照らしていた。その横顔は、少女だった頃のかわいらしく愛嬌のあるあいなだった。

剛介は、あいなのメッセージをどう受け止めただろうか?

単にキングの写真だけ見て安心しているようでは、あいなが可哀想だと思うのだが……。

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