第150話 私を信じて
今日は朝から空が薄い雲に覆われ、北風が音を立てて地面を這うように拭き抜けていった。頭を覆っていたたくさんの葉は既に全て落ちてしまい、僕たちを寒さから守ってくれるものは何も無かった。
僕たちが寒さに凍える中、厚めの上着を羽織ってゆっくりとした足取りで公園に向かって歩いてくる人の姿が僕の目に入った。
『剛介のお母さん……かな?』
剛介の母親は先日無事に退院し、その翌日から早速仕事に復帰していた。野々花から慰謝料を要求されている剛介のために借りたお金を、少しでも早く返したいのだろう。しかし、今日はまっすぐ仕事には向かわず、僕の前にあるベンチの前で佇んでいた。
やがて、公園の側道を黒塗りの車が猛スピードで走り抜け、マンションの前で激しいブレーキ音をかけて止まった。ドアが開くと、いかつい男達が続々と降りてきた。
『あいつら、こないだもここに来た借金取りじゃないか。お母さん、早くどこかに逃げないと!』
苗木達は焦っていたが、剛介の母親は微動すらせず男達を真っすぐ見つめていた。
「おはようございます。珍しいですね、黒沢さんの方から私達をここに呼び出すなんて」
黒地に白い縞模様の派手なスーツを着込んだ男が、ズボンのポケットに手を突っ込んだままにやけた顔で剛介の母親に近づいていった。男は母親の顎のあたりを片手で掴むと、笑いながら自分の顔を徐々に近づけていた。
「で、今日はいくら用意したんですかね。先月みたいに一ヶ月の半分位しか払えませんなんて笑い話はしないでくださいね」
「いえ、今月も先月と同じ位しか用意しておりません」
「ほお、そうですか。このままだと延滞金が嵩んでだんだん支払えなくなっちゃいますよぉ? まあ、あまりにも支払いが滞るようならば、こちらにも考えがあるんですけどね」
スーツの男は周りにいた男達に片手を上げて合図すると、男達はいつの間にか剛介の母親の周りをぐるりと取り囲んでいた。
「どうしますか。ちょっと痛い目に合わせてやりますかね? 」
「いや、それよりもあれを見せてやりましょうよ」
「ああ、あれね。一番効果ありそうだな」
男達はかばんから書類を取り出すと、剛介の母親の前に突き出すように見せつけた。
「差し押さえ予告ですよ。完全に履行しなければ、あなたの住んでるマンションの部屋を差し押さえしますのでね」
「差し押さえ!? 冗談ですよね、それって……」
「冗談も何も、約束を守らないんですから、こちらとしては債権に従ってしかるべき手段をとるだけの話ですよ」
「それだけは、本当にやめてもらえますか……」
「だったら当初の契約通り、しっかり払ってもらわないとね。最低限、今月までの数か月間の支払うべき金額を全て支払わないのであれば、こちらは法的手段を講じますからね。裁判所に訴えて、あなたのお部屋を差し押さえできるようにしてもらいますので」
男達は、不気味な笑みを浮かべながら剛介の母親を眺めていた。彼らは支払えない相手に対して、とことんまで追い詰める腹積もりのようだ。
剛介の母親は、両手で顔を押さえながら時折むせび泣く声を立てていた。僕たちケヤキは、黙ってその様子を見つめていることしかできないのがもどかしかった。するとケンは、いきり立った様子で突如大きな声を発した。
『ちくしょう、俺はこれ以上あいつらのことを許せないよ。こんな時、本当ならばリーダーが声を上げるべきなんだけど、頼りにならないから俺が言うよ。おい、そこの悪党! 剛介の母さんをそんなにいじめて楽しいのかよ! 今すぐそこから立ち去れ!』
リーダーである僕を引き合いに出されたのはちょっと腹が立ったけれど、自ら声を上げたケンをとても頼もしく感じた。これだけ大きな声を上げて叫べば、きっと彼らの耳に届くだろう。
「おい、誰か俺たちに『立ち去れ』って言わなかったか? 」
彼らは辺りを見渡しながら、声の主を探し始めた。すると男達のうち一人が、僕の方を睨みつけた。
「まさか、この木かな? こっちから声がしたんだよね」
声を上げたのは僕ではなくケンなのだが、僕が発したと勘違いしているようだ。
「木がしゃべるかよ。頭おかしいぞ、お前」
「いや、間違いなくこっちから聞こえたんだよ」
「いい加減にしろ。薬でもやったのかよ? 」
「ち、違うよ。信じてくれよ。くそっ、誰もわかってくれないのかよ!」
男は誰も自分の言うことを信じてくれないことに腹を立て、僕の前に来ると、思い切り僕の幹を蹴り飛ばした。
『ギャアアア!』
僕はあまりの痛さに飛び上がりそうになった。そして、なぜ自分が標的にされたのかその理不尽さを考えれば考える程、余計に痛みが倍増した。
『ケビンさん、かわいそう。ケンがやったことなのに……』
『この公園で一番大きな木がケビンさんだから、目についたのかしら』
苗木達からは同情の声が上がっていた。一方で声を上げたケンは飄々とした様子で
『しょうがないよ。こういう時に矢面に立つのはリーダーの役割だからね』
と言って、殴られるのは仕方がないと言わんばかりの態度を見せていた。
『おい、どういうことだよっ。今の言葉は許せないぞ』
僕はこらえていた怒りが爆発し、ケンに食って掛かろうとした
『あのさ、本当ならばリーダーであるケビンさんが率先して声を上げるべきことなんだよ。何で俺がやらなくちゃならないの』
『だからと言って「しょうがない」という言葉はないだろう。自分でやったことには責任をもてよ』
『じゃあケビンさん、あんたは剛介の母さんが連中に脅されているのを見過ごせとでもいうのかよ』
『そういうことじゃないんだよ!』
僕とケンの間に流れる不穏な空気に、苗木達は思わず黙り込んだ。
剛介の母親に詰め寄る男達に僕たちは何もできず、互いに苛立って、くだらないいがみ合いまで始まってしまった。
『ねえ、みんな。あの人って、あいなちゃんかな? たった今、マンションから出てきたあのカッコいい女の人なんだけど……』
その時、沈黙を破るかのようにミルクが声を上げ、苗木達は視線を一斉に公園の外へ向けた。そこには、黒のスーツを着込み、靴音を響かせながらこちらへ向かうあいなの姿があった。
剛介の母親は周りを取り囲んでいた男達をおしのけて、あいなの元へ駆け寄った。
「ごめんなさい、お待たせして。ちょっと急ぎの相談の電話が入ってしまいまして」
すると縞のスーツの男性が、煙草を口にしながら背後からあいなに近づいてきた。
「誰ですか、あなたは。黒沢さんのお知り合いで?」
「私は黒沢さんから相談を受けた弁護士です。今日は黒沢さんの債務の件で、皆さんに色々相談させていただきたいと思いまして」
「弁護士? お姉さんが? ウソでしょ? 」
男達は一斉に腹を抱えて笑い出した。
「弁護士にしては可愛すぎますね。助手とかお茶くみとかじゃなくて?」
「本当です。あ、名刺をお渡しするのを忘れてましたね。はい、どうぞ」
男達はあいなから渡された小さな紙を見て、何度も首をかしげていた。
「へえ。とりあえず本物の弁護士さんのようですね。疑ったりしてごめんなさい。ところで弁護士さん。これから何をするつもりなのか知りませんが、もう手遅れですよ。黒沢さんは私達との約束を守らず、どんどん債務が膨らんでいるのですから、私達としては、しかるべき手段に出ますとつい先ほど黒沢さんにはお話しましたので」
縞のスーツの男は、先ほど剛介の母親に見せた書類と同じ物をあいなに手渡した。あいなは書類をざっと見渡したが、相当厳しい内容が書いてあるにも関わらず、表情が全く変わらなかった。
「状況はわかりました。このお話も含めて、今日は皆さんと協議させて頂きたいと思います」
「ほお、随分と物わかりのいい弁護士様ですな」
「それじゃ、早速私の事務所に行きましょうか。剛介……いや、黒沢さん。ちょっとだけお時間よろしいですか」
「はい。今日は仕事を休みましたので、大丈夫ですよ」
あいなと剛介の母親は顔を向き合わせると、互いに頷き合い、そのままマンションへと先頭切って進んでいった。男達は「ふん、ちょっとだけあの姉ちゃんの弁護士ごっこに付き合ってやるか」と言いながら、二人の後を追うようにマンションに入っていった。
『だいじょうぶかなあ……あの男達、只者じゃなさそうだし。あいなちゃんは弁護士とはいえ、まだ若いから、軽くあしらわれそうな気もするんだけど』
ナナは心配そうな声を上げていたが、その時、キングが蚊の鳴くような声で何かをつぶやいているのが聞こえてきた。僕はそっと耳をそばたてると、
『あいなちゃんは……大丈夫だよ。きっと……やり遂げるよ』
キングの言葉はいつも歯切れが悪く、聞き取りにくいけれど、僕たちには計り知れない深い部分に気づいていることも多い。今日は「大丈夫」と言うけれど、果たしてどうなるのだろうか。
しばらくすると、いかつい男達がマンションから出てきた。話し合いは終わったようだが、耳を澄ますと
「あの女、若いのにしたたかですね」
「正当に見積もった利息なのに、もう少しカットできるはずとか抜かしやがって」
と、彼らとしては納得いかない様子が伝わってきた。
男達は車に乗り込むと、爆音を立てて発進し、スピードを上げてはるか遠くへと行ってしまった。
そして、男達と入れ替わる様に、剛介の母親とあいなが姿を現した。
「ありがとう、あいなちゃん……私が剛介とあいなちゃんのためにやったことなのに、逆にあいなちゃんに迷惑をかけちゃって、本当に何と言えばいいのか」
「いいんですよ。債務整理は一応、自分の得意分野ですから。ここから先は私がお母さんの代理人になりますので、任せて下さい。あと、
「あいなちゃん……」
「さ、用件は済んだからもうお家に帰りましょ。今日はせっかくお仕事が休みなんだから、ゆっくり体を休めてくださいね」
あいなに背中を押されながら、剛介の母親はマンションの中に戻っていった。
あいなはあの男達とどんな交渉をしたのか、僕たちには全然知る由もない。だけど、皆の話から想像すると、交渉の席には僕たちが知る実直で心優しいあいなではなく、冷静でしたたかな弁護士としてのあいながいたのかもしれない。
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