第149話 本当に好きならば

 次の日の朝、まだ気温が上がらず肌寒い中、怜奈と芽衣が公園に姿を現した。昨日の夜、僕たちの葉を全て剥ぎ取ってしまうほど強烈な風が吹き抜けた。そのおかげで、公園の地面はあっという間に落ち葉で覆われてしまった。昨日、二人が一生懸命公園の中を掃除してくれたのに、申し訳ないとしか言いようがなかった。


「あーあ、せっかく掃除したのに」

「仕方ないわよ。自然には勝てないからね、さ、はじめましょ」


 怜奈は黙々とほうきで落葉を掃き集め、袋の中に詰めていった。

 毎年のことながら、この二人には頭が下がる想いで一杯である。僕も出来るだけ落葉を出さないよう踏ん張っているんだが……。


 二人が落葉をほぼ片付け終わろうとしていたその時、マンションの玄関から出てくるあいなの姿が見えた。今日は仕事が休みのようで、スーツ姿では無く、可愛らしい花柄のスカートをひらめかせていた。


「おはようございます。朝からご苦労様です」

「あ、おはよう。あいなちゃん」


 あいなは落葉で満杯になった袋を手にすると、「えっ?」と声を上げ、仰天した様子を見せていた。


「こんなに重いんですね。落葉って」

「そうよ。一枚一枚は軽いけれど、たくさん集めるとこんなにずっしり重いんだから」

「公園掃除をやってる業者さんとかにお任せしないですか」

「そうすれば早いし、私たちも楽なんだけど、お義母かあさんがね」


 芽衣はあいなの耳元でそっとつぶやくと、怜奈が気が付いたようで、訝しそうな様子で芽衣を睨んでいた。


「あ、いや、その……大変だけど、ほら、業者に任せるといつやってくれるか分からないから、町の人達が不快な思いをしないよう近くに住んでる私たちがやってるのよ。大変だけど、終わった後のお茶がおいしいからね、アハハハ」


 芽衣は怜奈の様子に気づくと、取り繕うかのように必死に説明していた。


「どうしたの、今日は? 仕事じゃないの」

「剛介君がここに来るのを待ってるの」

「ここに? 今から来るの?」

「うん」


 あいなは何気ない様子でそう答えると、

「剛介君が来るまで、私も一緒にやりましょうか。落ちてる葉っぱを集めてこの袋に入れればいいんですか」

「そうだけど……そんなに可愛い洋服着てるのに、汚れたらまずいでしょ」

「気にしてないですよ。見た目はそうだけど、全然安物だし」


 あいなは地面にしゃがみ込むと、怜奈がほうきで集めた落葉を一枚ずつ手に取り、両手いっぱいになった所でそれらを袋の中に詰め込んでいった。


「大変ですね。こんなにいっぱいあるんですね」

「でしょ? 毎年この時期と、草が生い茂る夏は本当に大変なのよ」


 あいなは不器用な手つきで、落葉を拾い上げては袋に入れる作業をずっと続けていた。

 袋が落葉で満杯になった所で、ようやく剛介がこちらに近づいてくるのが見えた。


「あいなちゃん、剛介君が来たみたいだよ」

「あ、そうですね。何というグッドタイミング」


 剛介は僕の目の前まで来ると、「おはようございます」と深々とお辞儀した。


「これから、二人でどこかに行くの?」

「僕の母親の見舞いに行ってきます。僕、今日の夕方には北海道に帰るので、その前にあいなちゃんと見舞いに行ってきたらどうだって、あいなちゃんのお父さんから連絡が来まして」

「へえ、お見舞いか。お母さん、きっとあいなちゃんに会えて嬉しいかもね」


 剛介は髪を搔きながら声を上げて笑っていたが、その目は僕から見ても笑っているようには見えなかった。おそらくこれは本人の意思ではなく、あいなの父親である弁護士が剛介を説得したんだろう。あいなに負い目を持っている剛介が自分から誘うとは思えなかった。


「じゃあ、僕たちはこれで」

「ごめんなさいね。作業のお邪魔しちゃって」

「何言ってるのよ。あいなちゃんのお蔭ですごく捗ったわよ。ありがとう」


 二人は頭を下げると、怜奈と芽衣はにこやかな表情で手を振っていた。


「ねえお義母さん。あいなちゃんと剛介君、ちゃんと結ばれるのかなあ」

「さあ……それは本人達次第ね」

「そうだね。剛介君、自分の離婚問題にまだ蹴りがついていないみたいだからね。まあ、相手の人が怒る気持ちもわかるけどさ」


 芽衣はため息をつきながら、落葉の詰まった重たい袋を両手に持ち、左右によろめきながら歩きだした。


「お互いのことを大好きならば、きっと乗り越えられるわよ」


 怜奈が芽衣の背中に向かって声を掛けた。


「お義母さん……?」

「私は隆也が大好きだったから……見知らぬこの場所に来て、公園の木達の世話もして、私達一家に降りかかる様々な困難も乗り越えてきた。芽衣ちゃんも、シュウのことが大好きなんでしょ?」


 怜奈はそう言うと、笑って芽衣の肩を軽く叩き、芽衣よりも先に玄関をくぐった。


「ど、どういうことですかっ? 私はシュウのことが……」

「好きじゃないの? 」

「い、いえ……そういうわけでは」


 芽衣は怜奈の問いかけに対し、答えに窮しながらもまんざら否定しなかった。


 数時間が経ち、太陽がちょうど真南に来てようやく暖かさを感じるようになった頃、 あいなと剛介が肩を並べて歩きながらこちらへ戻ってきた。


 僕の真下に来ると、あいなは剛介と向かい合った。


「今日はありがとう、剛介君。ごめんね、帰る間際なのにお付き合いさせちゃって」

「いいんだよ。気にすんなよ」

「剛介君のお母さん、すごく喜んでたよ。私が顔を見せると子どもみたいにはしゃいでたよ」

「まだ病み上がりだから無理しなくてもいいのに……急に起き上がって、ヒヤヒヤしちゃったよ」


 剛介はそう言うと、大きくため息をつき、まだ何か言い足りない様子であいなを見つめていた。


「あいなちゃん……」

「どうしたの?」

「今日、僕を外に出して二人きりで話していたけど、何かあったの」

「女性ならではのデリケートなお話だよ。だから、剛介君にはちょっと席をはずしてもらったの」

「デリケート? おふくろが?」

「そのうち全て分かるわよ。あ、そうそう。剛介君、私にLINEのアドレスを教えてくれるかしら」

「……!」


 あいなの突然の依頼に、剛介は思わず片手で口を押さえた。


「今までは遠距離でお互いなかなか会えなかったり、剛介君に好きな人が出来て結婚して、お互いの心が離れてしまったりするうちに、LINEのアドレスを交換できずじまいだったよね? 私、これからはちゃんと剛介君と連絡をとりたいの。剛介君の力になりたいから。そして……」


 あいなは言葉を一度飲み込んだが、軽く頷くと、顔を上げ、剛介の顔を真っすぐ見据えた。


「いつか剛介君と、一緒になりたいから」


 剛介は全身が硬直して、その場で動けなくなった。

 あいなは長い間心の奥に秘めていた気持ちを、ついに剛介の前で口にした。この言葉を口にするまで、一体どれほどの年月を要しただろうか。あいなの顔はちょっとだけ紅潮しているように見えた。しかし、彼女の言葉には今までよりもずっと自信がみなぎっていて、ゆるぎのない、どっしりとした強い思いが感じ取れた。

 あいなはポケットから携帯電話を取り出すと、剛介の前に差し出した。


「ねえ、私のスマホのコードを読み込んでくれる? それとも、剛介君のコードを見せてくれるかな? 私が読み取るから」

「いや……僕が読み取るよ」


 気を取り直した剛介は、慌ててズボンから携帯電話を取り出した。二人は、お互いに携帯電話をかざし合った。


「はい、登録完了っと。これでいつでも繋がるね」

「うん。だけど、頻繁には連絡しないでほしいんだよね……」


 剛介は、携帯電話の画面を見ながら、いまいち落ち着かない様子を見せていた。


「大丈夫よ。奥さん、いつも剛介君の身辺を細かくチェックしてるんでしょ? 私、知ってるわよ」

「どうしてそんなことを……」

「お母さん、色々話してくれたわよ。剛介君が私に話してくれないことを、ぜーんぶ、ね」


 あいなはいたずらっぽい顔で笑うと、携帯電話のボタンを手早く押し始めた。


「今、メッセージを送ったからね。あとで読んでみてね」

「あとで? 今じゃなくて? 」

「うん。あとでね。ここで読まれたら恥ずかしいから」

「どういうことだよ? 」

「あら、そろそろ帰る支度しないと間に合わないんじゃない? またしばらくお別れだね。色々大変だけど、元気でがんばってきてね」


 あいなは左手をそっと剛介の前に差し出した。剛介はあいなの手を握ろうとせず、自分の手を腰の後ろに回したままじっと黙りこくっていた。


「今の僕には……君の手を握る資格がないと思うんだ」

「そう? じゃあいいわよ。でも、いつかきっとちゃんと握ってほしい。その手で、ぎゅーっとね」


 あいなは軽く目配せすると、剛介は頭を押さえながら顔を赤らめた。


「じゃあね。私、今日は本当ならば仕事休みだけど、これから事務所に行ってくるね。どうしてもすぐに取り掛かりたい仕事があるんだ」


 あいなは両手を大きく振って、遠くへ走り去っていった。

 剛介は顔を赤らめたまま、手にしていた携帯電話の画面をそっと覗き込んだ。

 その時、剛介は「えっ?」と声を発して、画面に目が釘付けになっていた。やがて、その目から涙が一粒、また一粒としたたり落ちてきた。


『剛介、泣いてるよ。一体何があったの?』

『わからないけど……あの携帯電話に何が書いてあったんだろう』

『僕も気になるけど、僕らには読み取れない文字でゴチャゴチャ書いてあるから、わかんないや』


 やがて剛介は片腕で涙を拭き取り、キングの元へと近づいた。


「僕、自分のしたことが情けなくて、ずっとあいなちゃんに会わせる顔が無かったんだ……。でも、あいなちゃんはこんな僕のことを、大好きだって言ってくれたんだ。大好きだから、僕が辛い時には一緒に乗り越えたいって。お互い遠慮したり、隠したりするのはもうやめようって。本当は直接言ってもらいたかったけど……でも、すっごく嬉しかったんだ」


 そう言うと、剛介は何度もキングの枝を撫でていた。


『よかったね……剛介、きっと幸せになれるね……』


その光景を見ていた他の苗木達から、むせび泣く声が聞こえてきた。


『だ、だめだ。樹液が止まらないよ。こうなったら剛介君にもあいなちゃんにも、幸せになってもらうしかないね』

『あいなちゃん、どこまで一途なんだろう……剛介は幸せ者だよ、本当に』


あいなの気持ちが、みんなの気持ちを動かしている。そして、いつかきっと、八方塞がりこの状況に風穴を開けてくれる……まだまだ諦めるのは早いと信じたい。

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