第148話 すれ違いの裏側

 翌日、剛介が公園に姿を見せた。背負っているリュックサックからは衣服やお菓子のようなものが垣間見えており、おそらくこれから入院している母親の所に行くのだろう。


「おかえりなさい」


 剛介の後ろから、甲高く元気な若い女性の声が響いた。

 剛介が振り向くと、笑顔を見せながら片手を何度も振るあいなが立っていた。体に似合わない程大きなカバンを持っており、これから父親と一緒に同行するのだろうか。


「あいな……ちゃん?」

「そうだよ」


 剛介は仰天した様子であいなを見つめつつも、その足は少しずつ後ずさりをしていた。あいなに合わせる顔が無いと言っていた剛介……一体どうするつもりなんだろうか。傍で二人を見ている僕たちも、緊張で胸が高鳴ってきた。


「どうしたの? ちょっと顔がやつれて、元気がないような気がするけど」

「な、なんでもないよ。それよりも……どうしたの。今日は仕事でこっちに来てるの? 」

「違うわよ。私、夢を叶えたんだ」

「夢? 」

「あれ~? ひょっとして忘れちゃった? 」

「……あ、ああ、確か弁護士の資格を取って、この町で開業すること……だっけ?」

「ピンポン。覚えてたんだね」

「じゃあ、もうここで事務所を開いたの? 」

「そうよ。といっても、しばらくはお父さんの事務所の一部を間借りするんだけどさ」

「でも、夢を叶えたんだからすごいよな」

「剛介君はどうなの? お仕事、頑張ってるんでしょ?」

 

 すると剛介はあいなの問いかけに答えず、頭を掻きながら苦笑いを見せた。


「もう、どうしたのよ。久しぶりに会えたのに、苦虫潰したような顔を見せて」

「べ、別に。何でもないけど」


 剛介はそっけなく答えると、あいなから目を逸らして腕時計を見ていた。


「そろそろ母さんの所に見舞いに行かなくちゃ。実は今、母さんが入院していてね。数日間だけ休みをもらって見舞いに来てたんだよ。病気は大したことないみたいだし、明日にはもう帰ろうと思うんだ。あいなちゃんもそんな大きなカバンを持って、これから仕事なんだろ? 大変だろうけど、がんばってね。じゃあね」

「ちょ、ちょっと、剛介君! 」


 剛介は手を振りながら、駆け足ではるか遠くへと去っていった。


「あいな、どうしたんだ」

「お父さん……」


 真後ろから、父親である弁護士が心配そうな様子であいなに語り掛けてきた。あいなは遠くへ走り去る剛介の背中を指さした。


「ああ、剛介君、帰ってきたんだね」

「うん。でも、ちょっと変なのよね。何だか落ち着きないというか、不自然というか。それに、私がやっとこっちに帰ってきたのに、全然嬉しくなさそうだし」

「……おそらく、北海道にいる奥さんを上手く説得できなかったんだろう。僕も色々と知恵を貸してあげたんだけどね。きっと、あいなに合わせる顔がないって思ってるんだろうな」

「そんな。私、どんな結果でも受け止めるつもりでいるのに」


 あいなは首を傾げ、剛介の気持ちをいまいち理解できていない様子だった。


「そういえば剛介君、お母さんのお見舞いで帰ってきてるみたいだけど」

「お母さんか……そのことも、ちょっと気になるんだよな」

「気になるって、何か知ってるの? 」

「お母さんにはいつも仕事の行き帰りにマンションのロビーとかで行き会うことが多かったんだけど、最近会うこともほとんどなかったし。先々週だったかな。たまたま会ったんだけど、すごくやつれた顔をして、僕には全然目を合わさずニコリとも笑わなかったんだよね」


 あいなと弁護士は、僕の真下で剛介親子の様子について意見を交わし合っていた。彼らも、薄々ではあるが様子の変化に気づいているようだ。


 その時、シュウの家から玄関の戸を開ける音がした。僕は音のした方向を覗くと、怜奈と芽衣が大きな袋を手に談笑しながらこちらに向かっているのが見えた。おそらく、これから落葉拾いを始めるのだろう。秋が深まり、僕たちの枝から舞い落ちる葉が増えるこの時期になると、怜奈達は二、三日に一度位の割合で落葉を拾いにやってきた。高齢になった怜奈は以前より腰が折れ曲がり、歩き方もふらついて不安定な感じがするものの、夫の隆也が必死に守ってきたこの公園を自分が何とかしないといけない、という強い使命感があるようで、多少雨が降っても率先して落葉を拾いにきていた。


「あら、あいなちゃん? 」


 芽衣はあいなに気づくと、袋を手にしたままいそいそと駆け寄った。


「こんにちは。お陰様で、何とかこっちに帰ってこれました」

「よかったねえ。剛介君も喜んでるでしょ? ちょうど今、お母さんの見舞いに帰ってきてるはずだよ」


 芽衣は声を弾ませながら、あいなの肩に手を当てて矢継ぎ早に語り掛けた。

 すると怜奈は隣に立つ芽衣に目配せし、耳元に口を寄せると、何かしらの言葉を伝えていた。芽衣は大きく頷くと、あいなの前に立ち、口を開いた。


「ねえ、そのお母さんの話だけど、ちょっといいかな」

「え? 何かご存じなんですか? お母さんについて」

「まあね。正直他の人達にはあまり話したくないんだけど、剛介君も関わる話だから、あいなちゃんには話しておいた方がいいかなって思って」

「ぜひお話しください! お母さんについて、色々不自然なことが多いなって思ってたから……」


 あいなは、芽衣の目を真っすぐ見つめながら話に聴き入っていた。


「私たちがちょうど落葉拾いにここに来た時だったかな……。剛介君のお母さん、このベンチの上で倒れてたのよ。旦那にも付き添ってもらって、急いで救急車を呼んで入院させたんだけど、疲労がたたって高熱が出て、呼吸もすごく荒くてね。あとちょっと発見が遅かったら、命にかかわる危険性もあったみたいよ」

「そうだったんですか。それは初めて聞きました。ねえお父さん、知ってた?」

「いや、申し訳ないけど。そんな危険な状況にあったことは全然……」


 弁護士は苦笑いしながら頭を掻いていた。芽衣はそこから先を話すのに少しためらっていたが、怜奈に再び目配せされると、胸の辺りを押さえながら話を続けた。


「どうやら借金していたみたいで、返済のために必死に働いていたみたいよ。仕事も掛け持ちしたり、シフトを余計に入れたりして。無理しても仕方がないのに……」


 芽衣はタオルで目頭を押さえながら話していた。あいなは表情をこわばらせながらも、芽衣の話を真剣に聞き取っていた。


「借金した理由について、何か知ってますか? 」

「それがね。剛介君のためだって」

「どうして? 剛介君が何かしたんですか? 」


 すると芽衣は、怜奈の顔を見ながら、僕がやっと聴きとれる位の小さな声で「これ、言っていいのかな」と問いかけていた。怜奈はしばらく考え込んでいたが、あいなの方を見て「誰にも言わないでくれるかな?」と念押しすると、あいなは大きく頷いた。

 芽衣はここまでのいきさつを、訥々と語った。

 剛介の母親が、剛介の離婚を早く円満に行えるよう、誰にも相談せず借金をしていること。そして剛介自身も、親に迷惑をかけないよう必死に働いて慰謝料を払おうとしていたこと。

 芽衣から一通りいきさつを聞かされたあいなは、顔を両手で押さえたまましばらくその場から動けなかった。弁護士はあいなの肩をそっと抱きしめ、心を落ち着かせようとして言葉をかけていた。


「ごめんなさい、あいなちゃん。やっぱりこんな話されたら、悲しくなるよね」


 芽衣は弁護士に抱きかかえられたあいなを見ながら、何度も頭を下げていた。

 するとあいなは顔を上げ、不思議そうな様子で芽衣を見ていた。


「どうしてそんなに頭を下げるんですか? 」

「え、どういう……こと?」

「私、すごく嬉しかったんですよ。剛介君の気持ちも、お母さんの気持ちも」

「何を言い出すんだよ、あいな。二人とも高額な慰謝料を要求されて、誰にも話さずに必死に働いて返そうとしてるんだぞ。こんなに辛く悲しい話はないだろう? それを嬉しいだなんて……」


 あいなの言葉に驚いた弁護士は、両手であいなの肩を何度も揺らしながらたしなめていたが、あいなは手を振り上げて弁護士の手を振りきると、芽衣の前に歩み出た。


「ありがとうございます」

「は、はあ……」


 あいなは深々とお辞儀すると、ベンチに置いていた大きなカバンを再び持ち上げ、

「行きましょ、約束に遅れちゃうよ」と言って弁護士の腰を軽く叩いた。


「さ、これからは私が剛介君のために何かしなくちゃね。事務所に帰ってきてから、色々考えようよ、お父さん」


 あいなは笑顔を見せながら、弁護士を置き去りにするかのように足早に公園を出て行った。弁護士は極まりの悪そうな顔で軽く頭を下げると、あいなを追って駆け足で公園を出て行った。

 怜奈と芽衣は、口をぽっかりと開けたままあいなの後ろ姿を見つめていた。


「どういうこと? 今どきの若い子の考えはわからないわ。芽衣ちゃんはまだ若いから、彼女の気持ちが理解できるかしら」

「いや、私も分からないですよ。あいなちゃん、今の話を聞いておかしいと思わないのかな。剛介君もお母さんもものすごく苦しんでるのに」


 見た限り、あいなの気持ちを誰も分かっていない様子だった。僕たちケヤキも、あいなの話した言葉の真意をいまいち掴み切れていなかった。


『あいなちゃん、性格悪いよね。好きな人の不幸を喜んでるなんて、ちょっとおかしいんじゃないの』

『そうよ。剛介が聞いたら、きっとあいなちゃんのこと嫌いになるかもね』


 あれこれと憶測を並べながらざわめく苗木達をよそに、ナナだけが違う考えを持っていた。


『違うわよ。きっと剛介君の気持ちがすごく嬉しかったんだよ』

『はあ? 』

『だって、剛介君は早く野々花と縁を切りたい一心で、あいなちゃんの所に行きたい一心で、お金を貯めているんだよ。あいなちゃんは、きっとそのことに気付いたんだと思う』


 ナナの言葉を聞いた他の苗木達は、次の瞬間、一斉に黙りこんだ。

 しばらく沈黙が続いていたが、やがてナナの隣に立つミルクが口を開いた。


『わかるなあ。私だったら感動して樹液流しちゃいそう』

 

 僕も徐々にだけど、ナナの言いたいことが分かってきた。自分の本当の気持ちに向き合い、敢えてリスクを背負ってでも自分と一緒になろうとしてくれる……そういう風考えると、確かに嬉しいに違いない。

 え? ケビンはどう思ってるかって? うーん……コメントに困るなあ。

 こんな優柔不断な性格だから、リーダー失格だと言われてしまうのかもしれないけれど。

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