第147話 合わせる顔が無い

 僕の周りには、沢山の人だかりが出来ていた。

 真っ赤な灯りを回転させながら走る白い車が公園の入口に停まり、白い上着を着た男達が続々とやってきて、ベンチに横たわる剛介の母親の容体を確認していた。

 やがて剛介の母親は、白い上着を着た男達が持ってきた大きな板に載せられて、そのまま車に連れていかれた。

 遠目から、ゴミ袋を手にした怜奈と芽衣が、その様子を心配そうに見つめていた。

 剛介の母親が倒れて間もなく、二人が公園の落葉拾いにやってきたのだ。

 発見当初、二人はだいぶ憔悴していたが、携帯電話で手早く連絡をとり、白い車をこの場所に呼んだ。発見がもう少し遅れていたら、剛介の母親の容体はもっと悪化していたかもしれない。


「どうしたのかしら……剛介君のお母さん、ついこないだ会った時は元気そうだったのに」

「でも、最近は姿を見かけませんでしたよね。あんなにやつれちゃって、一体何があったんでしょうね」


 怜奈と芽衣は、剛介の母親がなぜ瀕死の状態に陥ったのか、理解できていない様子だった。


「どうしたの? 何かあったのかい?」


 二人の後ろから、シュウが近づいてきた。


「あら、今日はどうしたの。仕事は?」

「たまたま家の前を通りかかったら、救急車が来てるから、何があったのかと思って見に来たんだけど」

「救急車に載せられたの……剛介君のお母さんだよ」

「なんだって!?」


 シュウは公園中に轟く位の声を上げて驚いた。


「お母さんのことを、剛介は知ってるのか?」

「さあ。たった今病院に担ぎ込まれたばかりだから、知らないと思うわ」

「あいつなら、何か知ってるかもしれねえな」


 そう言うと、シュウは息せき切ってポケットから携帯電話を取り出し、足を踏み鳴らしながら電話を耳に当て続けていた。


「あ、剛介か。悪いな仕事中。ところでさ、お前の母さん、倒れて病院に担ぎ込まれたんだけど……ええ? 知らないだと? 母さん、持病か何かでもあったのか? それも心当たりが無い? じゃあ一体何で急に倒れたんだよ?」


 シュウは剛介と話をしているようだ。シュウは剛介から返ってくる言葉に苛つきながら、落ちつきのない様子で通話を続けていた。


「母さんは一人暮らしなんだろ? お前しか面倒みることのできる人はいないんだぞ。仕事都合付けて、すぐに帰ってこい。忙しいだと? いいから早く帰ってこいっ!」


 シュウは勢いよく携帯電話をポケットに仕舞い込むと、「くそったれが」と唸る様につぶやいた。


「剛介、これから飛行機の予約取ってこっちに帰ってくるってさ。でも、すぐには帰ってこれないだろうから、剛介が来るまでの間は俺たちが面倒見ないとな」

「う、うん」


 シュウは白い車を呼び止めると、怜奈と芽衣を手招きし、一緒に乗り込んだ。

 白い車は、赤い灯りを回転させて耳障りのある音を立てながら、公園からどんどん遠くへと離れていった。



 それから二日後。

 日が暮れて、いつものようにシュウは樹里とともに剣道の練習のため公園に姿を見せた。

 樹里は夏休みに行われた市の剣道大会で見事入賞し、それがきっかけでようやく剣道に本腰を上げ始めた。入賞だけでは気が済まないようで、今度は別な大会での優勝を目指して練習を続けていた。

 僕は相変わらず樹里の練習相手になっており、樹里の竹刀は鋭い炸裂音を立てて僕の幹に何度も命中した。そのたびに僕は痛さのあまり悲鳴を上げていた。


『ギャアアアアッ! 』


 僕が悲鳴を上げるたびに苗木達は顔をしかめ、小さな声で「かわいそう」とささやき合っていた。可哀想と思うなら、身代わりになってほしいんだけど……。


「いい感じだな。以前よりもしっかり命中するようになってきたぞ」

「練習では上手く命中しても、試合には勝てないんだけど」

「だからこそ、練習を続けなくちゃだめなんだ。勝つためには目の前の練習をちゃんとこなせることが大事なんだ。剛介にもよく言ってたことなんだけどな」

「ふーん……というか、剛介さんって、あの人? 」

「はあ? 」


 樹里の言葉を聞き、シュウは慌てて周りを見渡した。そこには、街灯に照らされながらやつれた様子で立っている剛介の姿があった。髪はボサボサ、目の下にくまをつくり、以前のような生気を感じられなかった。母親だけでなく、剛介もこんなに疲弊しているなんて……。


「こんばんは」

「帰ってきたんだな、剛介」

「はい」

「どうだった、母さんは」

「何とか命は助かりました。順調に回復していますが、もうしばらくは入院の必要があるそうです」

「ふーん、よかったな」

「とりあえずホッとしました。明後日朝の便で北海道に帰るつもりです」


 剛介はシュウに頭を下げると、マンションへの方向へと歩み出そうとした。


「待てよ」

「え?」

「待てって言ってるんだ。お前、何も分かってないみたいだからさ」

「分かっていない? 何で突然そんなことを」

「お前の母さん……どうして急に倒れたか、理由を知ってるか?」

「……わかりません」


 シュウは驚いた様子で剛介を見ていた。


「わかりませんだぁ? ふざけてんじゃねえぞ、この野郎! 」


 シュウは剛介の胸倉を掴むと、鬼のような形相で睨みつけた。


「な、何ですかいきなり? 」

「しらばっくれてんじゃねえよ。お前の母さん、お前のために必死にがんばってたんだぞ! 体が壊れるくらいにな! それを、それを……知らないだとぉ!?」

「ほ、本当ですって、本当に知らないんですよ!」


 剛介はシュウの恫喝に恐れ戦きながらも、必死に弁解を続けていた。

 やがてシュウは剛介の胸倉を離すと、息を切らしながら両手で胸の辺りを何度も撫で、気持ちを落ち着かせてから再び話し出した。


「……俺はな、お前の母さんが倒れた時に、おふくろとカミさんと一緒に病院に付き添ったんだ。意識が戻った所で色々話を聞いたよ。お前の母さん、借金していたそうだぞ。それも、利率がバカ高い闇金にだ」

「闇金に!? 」

「野々花ちゃんのご両親がお前の母さんに会いに来て、慰謝料を支払えば離婚に同意したいって言ってきたそうだ。だから、母さんはお前ができるだけ早く円満に別れられるように、簡単な審査だけで借りられそうな所で借りたんだそうだ。でもな……あまりにも高利率で、毎月の返済すらおぼつかないって言ってたよ」

「そんなこと、全然知りませんでした。それに、野々花から慰謝料が請求されたのは、僕だけだと思ってたし」

「はあ、何だって?」


 シュウは、剛介から返ってきた言葉を聞いて、思わず顔をしかめた。


「僕から野々花に離婚を直談判した時、向こうは両親同伴で来て、慰謝料の話を出されたんです。あまりにも高額で、僕の収入ではすぐには払えませんでした。でも、僕は野々花と早く別れたい一心で、慰謝料を支払うために今までの倍以上働いていました」


 だから、剛介はこんなに疲れ果てたような顔をしていたのか……。

 剛介は剛介で、一人で返済しようと頑張って働いていたのだろう。

 シュウは片手で目の辺りを押さえながらため息を付くと、再び剛介の目の前に歩み出した。


「だったら、何故それを母さんに相談しないんだ?」

「……母さんに話したら、心配かけてしまうじゃないですか。母さんのことだから、僕が阻止しても、きっと無理をして金を工面しようとするに違いない」

「じゃあ、なぜ俺に相談しなかった? 俺でなければ、あいなちゃんのお父さんはどうなんだ? 弁護士をしてるんだから、何らかの力になってくれたんじゃないのか? お前の周りには、相談すれば支えてくれる人はいっぱいいるんだぞ。それなのに、どうして一人で抱え込もうとしたんだ?」


 シュウのたたみかけるような問いかけに対し、剛介は黙ってうつむいていた。


「お前は昔から自分で悩みを抱え込む癖がある。これは金の問題だ。簡単に解決できる問題じゃねえんだ。多くの人達の力を借りないと解決できないんだ。わかるか? お前一人で解決しようとするな」


 剛介は握った拳が次第に震え始めた。

 シュウは唸るような口調で言葉を続けた。


「お前の母さんだってな、お前がもっと周りを頼れば一人で抱え込まなかっただろうよ。周りがきっと、お前を、そして母さんを支えてくれただろうよ」


 シュウからの一方的な説教が続いていたが、その時僕は、剛介が顔を赤らめながら何かを話そうと口を動かしているのが見えた。


「何だよ、言いたいことがあるんなら言ってみろや」

「自分は……今の自分は……みんなに合わせる顔がありません」

「はあ?」

「だって、野々花を説得させる、と言いながら全然できなかったんですから。あいなちゃんはもちろん、色々アドバイスしてくれたあいなちゃんのお父さんにも顔向けできないです。きっと、そんな情けない奴にあいなちゃんを任せられないって思われそうだから」


 剛介は震える声でそう叫ぶと、目元を拭いながらシュウの横を駆け抜けていった。


「まてよっ! おいっ」


 シュウは剛介を必死に追いかけたが、剛介は暗闇の中まばゆい灯りがともるマンションの中に一目散に駆け込んでいった。


「俺は剣道を通してお前の身体も心も鍛えたはずだ! なのに、何だその情けない言いぐさは」


 必死に叫ぶシュウの声は、暗闇の中空しく響いた。


「あのー、剣道やってても心までは変わらないと思うけど?」


それまで必死に竹刀を振っていた樹里が手を止めて、呆れ顔でぼやいていた。

シュウは慌てて後ろを振り向き、腰に手を当てて樹里を睨みつけた。


「バカ言うな、樹里。いじめられっ子で打たれ弱かったあいつを、俺は親父と一緒に必死に鍛えてきたんだ。それなのに、あいつは……」

「私、練習は必死にやるけど、それは自分の心を強くしたいからじゃない。剣道の大会で優勝してに私の強さを認めさせたいからね」


そう言うと、樹里は竹刀を手にしながら大きなあくびをして、一人で自宅へと戻っていった。

一人取り残されたシュウは「くそったれが」と小さくつぶやくと、ポケットに手を突っ込んだまま樹里の後を追って歩き出した。


『これはややこしい話になってきたね。剛介もお母さんも、すごく疲れてるよ』

『すれ違いってやつなのかな。お互いに気を遣い過ぎなんだよ。どうして人に頼るのが嫌なんだろう?』

『不器用なんだよ、きっと。そんな所は、本当にキングと似てるよね』


苗木達は相も変わらず身勝手な噂話をしていた。

キングは相変わらずうなだれたままだった。内心では、剛介と同じく、何もできなくもどかしい思いをしているのかもしれないが……。

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