第145話 ひさしぶりの訪問者

 真夏の昼下がり、容赦なく照り付ける太陽の下、公園の中を通る人達の数はにわかに増えつつあった。彼らは僕の真下に作られたベンチに座ると、決まり文句のように「ひさしぶり」という言葉を交わしていた。

 最初この言葉を聞いた時、どういう意味なのか全然分からなかったけれど、話を聞くうちに、「長らく会えなかったけれど、ようやく会うことができたね」という意味だと、最近になってやっと理解できた。

 今は人間の世界で言う所の「お盆」の時期である。遠く離れて暮らす人たちが続々とこの町に帰り、「ひさしぶり」と言い合って再会を喜んでいた。

 再会を喜ぶ若者達の賑やかな声が響く中、初老の女性が心配そうな表情でふらふらと僕の目の前に現れた。女性は僕の真下に来ると、首を左右に動かして、誰かを探しているようだった。


『ねえねえ、あの人って剛介君のお母さんでしょ? 』


 ナナが女性の顔を見て、心配そうな様子で僕に問いかけた。


『ああ、そうだね。これからここで剛介君を出迎えるのかな』

『そうかしら? 本当に? 』


 しかしナナは、僕の言葉に懐疑的な様子を見せていた。


『確かお母さんが剛介君を出迎える時って、わざわざこの公園まで出て来ないわよ。せいぜいマンションの玄関辺りをウロウロしている位だったはずだけど』


 その時、女性の真横にいつの間にかあいなの姿があった。あいなは女性の横顔を見ると、微笑みながら手を振った。


「剛介君のお母さん? 」

「あら、あいなちゃん! ひさしぶりね」

「私、帰ってきたんですよ、東京から」

「ああ、ちょうどお盆だもんね。仕事がお休みになって、里帰りしてきたんでしょ? 」

「違いますよ。私、このマンションで自分の事務所を持ったんですよ」

「え? 事務所?」


 するとあいなは、かばんのポケットから小さなカードのようなものを取り出し、剛介の母親にそっと手渡した。


「……本当だ。すごいわね、まだ若いのに!」

「てへへ。まあ、ここまで色々苦労はありましたけどね」


 あいなは舌を出して照れ笑いを浮かべた。


「あ、私はこれから帰省してきた昔の友達に会いに行ってくるんです。お母さんは剛介君を待ってるんですか?」

「ううん……剛介、しばらく帰ってこないって言ってたわ」


 剛介の母親はそこで言葉が詰まり、それ以上は何も話さなかった。


「……ごめんねあいなちゃん、剛介に会いたかったでしょ? あの子、ついこないだこっちに帰ってきたんだけど、また戻っちゃって」

「いいんですよ。私、父から色々聞いてますから。じゃ、私はこれで失礼します」


 あいなは深々と頭を下げると、靴音を響かせて小走りで去っていった。やがて遠方にこれから会う友人らしき女性を見つけると、両手を大きく振って近づいていった。

 あいなの背中を見送ると、剛介の母親は大きなため息をついた。

 剛介が帰ってこないとすれば、彼女は一体どこの誰を待っているのだろうか。

 やがて、剛介の母親は何かに気づいたようで、サンダルの音を立てながらゆっくりと前に進んでいった。その先には、大きな荷物を抱えた夫婦が立っていた。


黒沢くろさわさん、おひさしぶりです。浅沼あさぬまです」

「あ、野々花ちゃんのご両親、おひさしぶりです。わざわざおいでいただき、ありがとうございました」

「野々花の結婚式以来ですなあ。お会いするのは」

「そうですね。私もまだ仕事をしているので、なかなかそちらに行くことができなくて、ごめんなさい。そして、剛介のことでは大変ご迷惑をおかけしました」


 剛介の母親が待っていたのは、野々花の両親だった。今日はわざわざ北海道からこの町にやってきたのだろうか。剛介はまだ北海道にいるはずなのに。


「こっちは暑いですなあ。北海道も近頃は温暖化の影響で暑いけど、ここまでじゃないですもんなあ」

「そうでしょう? ここでは暑いですから、私の家に行きませんか。冷たい麦茶を用意してありますので」

「じゃあ、ちょっとだけ呼ばれて行こうかな。早苗さなえ、いいかい?」

「ええ」


 三人は肩を並べて歩きながら、マンションへと入っていった。

 剛介の母親は、終始浮かない顔をしていた。しきりに野々花の両親を自宅に招き入れようとしていたけど、遠くから来てくれた二人への気遣いというより、他に何か理由がありそうな気がした。


『なんか変だな。お母さん、やけにソワソワしている感じがしたよ』

『あの人達とどういう話があるのかしら』


 苗木達がにわかにざわめき始めた。彼らは何かと下世話な勘繰りが多い。人にもケヤキにも、誰にも言いたくない複雑な事情があると思うのだが。


『たしか野々花の両親だって言ってたよね? ということは、剛介の直談判に対して何か言いたいことがあるんじゃないのかな』


 ケンは自分なりの推理を口にすると、周りの苗木達からも『そうだよな。そうとしか思えない』という声が上がりだした。

 しばらくすると、剛介の母親がマンションの玄関から出てきた。その後ろから、野々花の両親がゆっくりとした足取りで出てきたが、夫婦はお互い向かい合い、満面の笑顔で話をしていた。


「いやあ、外は暑いですね。黒沢さんちで冷たい麦茶を頂いて、正解でしたな」

「いえいえ、そんな……」


 剛介の母親は、うつむき加減の姿勢で片手を振って笑っていた。


「じゃあ、我々はこれで失礼します。黒沢さん、悪いけど一度ご検討くださいな。後でお返事くださいな」

「野々花のためにも、いい返事を待っていますわよ」


 夫婦はそう言うと、にこやかな表情で手を振り、公園の中を通って駅のある方向へと歩いていった。剛介の母親は夫婦の背中を見送ると、大きなため息をついて僕の真下にあるベンチに腰を下ろした。


「どうしよう……」


 一言だけそう言うと、剛介の母親は両手で額に手を当てながらうつむいてしまった。


『どうしたのかな。お母さん、元気ねえな。ケビンさん、どうしたんだいって声を掛けてあげたら?』

『ば、バカ言うなよ。僕の声なんか聞こえるわけないだろ』

『でも、誰かが聞き役にならないと。話を聞いてあげるだけでも楽になるんじゃないかな』


 苗木達は相も変わらず僕に無茶振りをしてくる。けど、できないからって無視していても苗木達に足元をすくわれるので、癪にさわる。

 僕は幹に力を込めると、息を吐き出しながら思い切り声を上げた。


『あの、一体どうしたんですか!? 僕で良かったら話を聞きますよ!』


 しかし剛介の母親はいくら僕が声を張り上げても顔を上げず、うつむいたままだった。


『ダメだなあ、ケビンさん。まあ、ケビンさんだからそんなに期待はしていなかったけどさ、ハハハハ』


 ケンは嫌味たらしい口調でそう言うと、やれやれと言わんばかりの様子で嘲笑していた。するとその時、剛介の母親が突如全身を起こし、僕の方にまっすぐ視線を向けた。


「ねえ、あなたに話してもいいかしら」


 え? 僕のこと……?


『すごい、ケビンさんの言葉はちゃんとお母さんに伝わってたんだね』

『さすがは僕たちのリーダーだ。やるなあ』


 苗木達はまさかの展開に驚き、僕への称賛の言葉が止まらなかった。


『ふん、たまたまじゃねえの』


 ケンだけは不機嫌そうに拗ねた口調でつぶやいていた。


「私の息子……北海道にいるんだけど、そこで知り合った人と結婚したんだよね。でも、その人のことを本当に好きなわけじゃないんだって。一度は別れたいってその人に言ったんだけど、別れてもらえなくて。それどころか、今日その人のご両親がやってきて、どうしても別れたければ慰謝料を払えって言ってきたの」


 剛介の母親はポケットをさぐり、折りたたんだ紙を取り出すと、紙を広げて僕の目の前に見せつけた。僕はケヤキだから、当然のごとくそこに書いてある文字は全然読めなかった。しかし、紙の中央に、大きく「0」という字がたくさん並んでいることだけは読み取れた。


「こんなお金、一生かけても払えないよ……夫はいないし、今の自分の生活費を稼ぐだけで精一杯なのに。でも、息子が一人苦しんでいる姿を見るのもしのびなくてね」


 剛介の母親はそう言うと、紙を折りたたみ、やつれた表情で僕から目を逸らした。


「消費者金融で借金でもしようかしら? それもダメならば、強盗でもするしかないよね。そうすれば何とかこのお金を支払えるし、剛介も無事にここに戻ってくることができるもんね……」


 僕は思わず言葉を失った。剛介の母親の口から出た「強盗」という言葉に、何よりも驚かされた。何があったのか分からないけれど、犯罪を選択しなくてはならないほどの相当な圧力が彼女の身体にのしかかっているのは僕にも感じ取れた。

 その時、僕の真後ろから苗木達のざわめく声が聞こえてきた。


『ねえケビンさん、樹里ちゃんが来てるよ』

『お盆でみんなお休みの時期なのに、練習するんだね。偉いなあ……』


 僕が後ろを見ると、そこには竹刀を手にした樹里の姿があった。

 樹里は一体いつここにやってきたのだろうか。「今日もよろしくお願いします」の一言もないのか。今どきの子は礼儀を知らないなあ……。

 樹里は竹刀を僕に向けると、不敵な笑みを浮かべ、一目散に僕に向かって走り込み、竹刀を振り下ろそうとした。僕の真下に座る剛介の母親は、驚いて両腕で頭を抱え、ベンチにうずくまった。


「やめろっ、樹里! 木のすぐそばに人が立ってるぞ」


 樹里は急ブレーキをかけるかのように僕のすぐ手前で足をぴたりと止めたが、間に合わず、竹刀は音を立てて剛介の母親に命中した。すると、樹里の真後ろからシュウが現れ、恐れおののいていた剛介の母親に駆け寄ると「大丈夫ですか?」と気遣う声を掛けていた。


「あれ、あなたは……剛介のお母さん?」


シュウはかしこまった様子で剛介の母親を見つめると、深々と頭を下げた。


「すみません、うちの娘が……」


すると剛介の母親はベンチから立ち上がり、頭を抱えながらゆっくりと歩きだした。


「いいのよ。私なんか……もうどうなったって構わないんだから」

「え?」


シュウは、剛介の母親から聞かされた言葉に唖然とした。


「どうしたの、あの人。どうなっても構わないなんて言い出してさ。ひょっとして、なの?」

「バカッ! そんなこと言うんじゃねえよっ」


樹里は相も変わらず失礼な態度を見せていたが、シュウは不安そうな表情で剛介の母親の背中を見つめていた。

剛介と野々花の問題は、どうやら只事じゃない状態になってきたようだ。

僕たちケヤキは、何も手助け出来ない。この場所でただ、見届けていくしかない。毎度ながら、本当にもどかしいことだけど……。

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