第143話 自分で決めたことだから
次第に蒸し暑さが増してきた今日この頃。
照り付ける太陽、耳をつんざくほどの鳴き声を上げるセミ達。
毎年のことで慣れてはいるものの、僕たちケヤキにとっては台風や大雪と並んで試練の季節である。身体が弱いキングは暑さにやられて下を向いて、今にも折れてしまいそうな姿勢になっていた。
ましてや、こないだ野々花に付けられた傷がまだ癒えておらず、些細なダメージを受けただけでもぽっきりと折れてしまいそうな気がする。
『おーい、キング。大丈夫か? まだ持ちこたえられるか? 』
『はい。なんとか……なりそう……です』
『まだここでくたばっちゃダメだぞ。俺たちが応援してるから、辛くてもグッとこらえるんだぞ』
『ありがとう……ございます』
キングの声は張りがなく、僕の耳にかろうじて届く程度だった。
キングの様子が気になるところだが、最近、僕にはそれ以上に気になることがあった。
強烈な日差しが降り注ぐ中、剛介がキャリアケースを引きながら公園の中をゆっくりと歩いていた。ほどなくして、剛介の母親とあいなの父親である弁護士が現れ、剛介の背中をじっくりと見つめていた。
「剛介……いよいよ、行ってくるんだね、北海道に」
「はい。しっかりと向き合い、話し合ってくるつもりです。野々花本人にも、野々花の家族にも」
剛介ははっきりとした口調でそう言うと、大きなあくびをした。
「君、ちゃんと眠れてないんだろ。目の下にクマ作って、時々だるそうにしているからさ」
「だって野々花の奴、メッセージを送ったら十秒以内に返事しろ、とか言ってくるんですもん」
「そうか……相手もなかなかしぶといな。こないだ剛介がわざわざここに呼び出して勇気を振り絞って伝えた言葉も全然意に介していないみたいだし、むしろ、ますます攻撃的な態度をとる様になるとはね。正直、剛介一人を北海道に送り込むのは不安があるな。仕事が無ければ、僕も一緒に行きたい位だよ」
「大丈夫ですよ。いくら相手が聴く耳を持たなくても、時間をかけてわかってもらうつもりです。それに……今回の一件は、野々花だけじゃなく、野々花を取り巻く人達にも迷惑をかけているのは事実ですから」
剛介は眠い目をこすりながら、苦笑いを浮かべた。
「剛介、私は何て言ったらいいのか……私も正直言うと、早く孫を見たい。でも、それが剛介の本意に沿わないなら、生まれてくる子がかわいそうだもんね」
剛介の母親が、元気のない声でつぶやいていた。剛介は母親から目を逸らしながら、すまなそうな表情を見せていた。
「何かあったら、必ず連絡をよこすんだぞ。場合によっては君は野々花さんに訴えられる可能性もある。そうなった時、君一人じゃ絶対に無理だ」
弁護士がそう言うと、剛介は「心強いです」と言い、深々と頭を下げた。
「さ、そろそろ電車の時間が近づいてるだろ。早く行かないと」
「そうですね……あ、そうだ。最後にあいつにもちゃんと挨拶しないと」
剛介は思い立ったようにキングの元へと走っていった。暑さにやられて今にもしおれそうなキングの姿を、剛介は心配そうに眺めていたが、やがて片手で先日負った傷の辺りを何度も撫で回し、幹にもたれかかるような姿勢でキングに話しかけた。
「まだ傷が残ってるね。今は辛いだろうけど、がんばれよ。僕もがんばってくるから。そしてまた、ここに戻ってくるから」
キングは相変わらず口をつぐんでいたが、やがて聞き取りにくい程のかすれた声で何か剛介に語り掛けていた。
『いってらっしゃい。僕は……ここでずっと……待ってるから』
すると剛介はキングの声が聞こえたのか、軽くうなずくと、腕時計に目を見遣り、公園を足早に去っていった。
「大丈夫かしら。夜もあまり寝ていないし、向こうに帰ってもちゃんと生活していけるのかすごく心配で」
剛介の母親が顔を曇らせながら弁護士の方を見つめると、弁護士は笑顔で母親の肩にそっと手を当てた。
「剛介君にはある程度アドバイスはしておきました。奥さん、なかなか手強いようですからね。ただ、剛介君も結婚し籍を入れた以上は、責任があると思います。そのことは忘れず、誠意をもって話をするように伝えました」
母親は弁護士の話を聞くと、両手で顔を押さえた。
「剛介が自分で下した決断とはいえ、あまりにも重すぎて……私から何て声をかけてあげたらいいのか、どうしてあげたらいいのか」
「僕たちは見守ってあげることしかできません。本人がこれからどう動くかです。その結果次第で、助けてあげられることがあれば手を差し伸べてあげればよいと思います」
弁護士は淡々とそう言うと、スマートフォンをポケットから取り出し、何やら必死に画面をいじっていた。
「ごめんなさい、あいなからLINEでメッセージが来たみたいです。あいなは剛介君が結婚したと知って、ちょっとがっかりしていたんですよ。でも、それで剛介君が幸せになれるなら、それで良いって言っていました」
「でも、剛介は野々花ちゃんとはもう……」
「その話もあいなに伝えました。心配はしていましたよ。相手にすごく迷惑がかかったんじゃないかって。でも、その結果どうするかは、あいなが自分で決めると思いますよ。僕はその結果を受け入れてあげるだけです。それじゃ、お先に失礼します」
弁護士は笑顔でさらりとそう言うと、剛介の母親を公園に残し、マンションへと去っていった。
「え、あの、ちょっと……」
剛介の母親は、一人取り残されて途方に暮れていたが、サンダルの音を響かせながら急いで弁護士の後を追っていった。
『剛介……きっと、戻ってくる。僕……剛介のこと、信じてる』
キングが珍しく自分から声をあげた。他の苗木達は驚いた様子でキングを見たが、キングはまた何事も無かったかのように、だらりと枝をしならせてうつむいていた。
『そうよね。私たちの中ではキングが一番剛介を分かってるんだもんね。ダメ男君同士、辛い時には慰め合ってきたんだもんね』
キキは、半分皮肉を込めた言葉でキングに同調していた。
『アハハハ、ダメ男君か。そうだな、アハハハハ』
ケンとヤットは大声で笑い出した。
『ダメだろ笑っちゃ。キングはきっと僕以上に立派なケヤキになる。そして僕の後継者になると思う。剛介だってそうだ。昔の剛介から想像できない位、タフでたくましくなったじゃないか』
僕は笑い続けるケン達を大声で諫めた。しかし彼らの笑い声は段々大きくなっていった。
『ケビンさん、笑わせてどうするつもりなんですか? ケビンさんより立派なケヤキって、とんでもなくハードルが低いんですけど』
笑いながら僕を侮辱するケンの言葉を聞き、僕は怒りが収まらなくなった。
『ちょっとケン、いい加減にしてよっ。ヤットも笑っちゃダメでしょ? 』
ナナは笑い続けるケン達を鋭い言葉でけん制した。しかし彼らはひたすら笑い続けていた。僕は情けない気持ちと怒りで全身が震えていた。
『い、いい加減にしろ……じゃあお前たちは自分ならリーダーが務まると思ってるのか? そんなに甘いもんじゃないんだぞ』
『いや、少なくともケビンさんよりは……ねえ』
ケンはますます僕の気に障ることを言い出した。僕の怒りはとうとう頂点に達した。
『言ったな、この野郎! 』
僕は我を忘れて怒鳴り散らした。ここまでリーダーとして他のケヤキ達の模範になるよう、挑発されても感情的にならず冷静になるよう言い聞かせてきたけれど、今日は何かタガが外れたかのように、感情が一気に爆発してしまった。感情に任せて叫ぶ僕の声を聞き、ナナやミルクは悲鳴を上げた。一方でケンとヤットは僕を見ながら不気味な笑みを浮かべていた。
バキッ!
その時、僕の真後ろで強烈な衝撃音が響いた。その後、僕の全身をやや強い痛みが駆け巡った。
僕はやっと我に返り、辺りを見回した。
そこには、竹刀を手に僕をじっと睨む、樹里の姿があった。
『樹里ちゃん……?』
剣道の練習をずっとサボ…いや、休んでいた樹里が、久し振りに竹刀を持って僕の目の前に姿を見せた。樹里の目つきは鋭く、まっすぐ僕を見つめていた。
『こ、怖い……僕が何かしたというの? そんな目で睨まないでよ』
僕はすっかり怒りを忘れ、怖さのあまり全身がすくみ上っていた。
しかし樹里は僕から目を逸らさず、そのまま僕を目掛けて突進してきた。斜め上から竹刀を振り下ろし、僕の胴体に命中させた。
『ギャアアアア! 』
あまりの痛さに、僕は全身を振り絞って声を張り上げた。以前の樹里ならば、竹刀が当たった時に激しい衝撃音はするものの、それほど痛みは感じなかったのだが……。
その後も樹里は手を緩めず、何度も何度も僕を目掛けて竹刀を振り下ろした。そのたびに僕は殴られた傷みが全身を駆け巡った。やっと彼女が竹刀を仕舞い込んだ時には、僕の身体は満身創痍になっていた。
「どうしたんだ、樹里。急に練習したいとか言い出して」
樹里の真後ろにはシュウの姿があった。樹里はシュウの方を振り向くと、片手で頭を掻きながら軽く舌を出した。
「私、やっと分かったんだ」
「分かった? 何が? 」
「自分が弱いことから目を逸らして、逃げてばかりいたこと。そして、その理由を人のせいにしていたことをね」
樹里はそう言うと、白い歯を見せて爽やかな笑顔を見せた。
「お父さん、私、もっと強くなりたい。強くなって、いつもガミガミうるさいおばあちゃんを見返してやりたい。だから私、今度の試合に出るからね。あ、出るだけじゃなくて、ちゃんと勝つからね」
「そうか……わかった。ただ、ずっとサボっていたのに、急に練習したところで簡単に勝てないからな。分かってんだろ? 」
「うん……わかってるよ」
「よし。じゃあもっと練習するぞ。そこの木を相手に胴打ち連続十回、三セットだ! 」
え、さ……さんじゅっかい?
僕は顔が青ざめた。しかし、震える間もなく、樹里は僕の胴体を目掛けて強烈なひと振りを浴びせた。
僕は歯を食いしばって樹里の連続胴打ちに必死に耐え続けた。ケヤキ達のリーダーとして、我慢強く耐えることを身をもって示そうと思って。
『ギャアアア! ギャアアア! 』
竹刀が命中するたびに、あまりの痛さゆえに激しい悲鳴を上げ続けていた。
『リーダーの癖に我を忘れて逆切れなんかするから、神様が天罰を与えたんだよ』
『叫び声がうるさいんだけど。リーダーなんだろ?もっと我慢できないのかよって』
苗木達はどこかしらけた顔で僕を見つめていた。身をもって耐えることの大切さを示そうと思ったのに……全くの逆効果だった。
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