第142話 悪魔の正体

 ようやく雨が上がった午後、公園のあちこちに大きな水溜まりが出来ていた。

 雲間から徐々に光が差し込み、午前中はほとんど見かけなかった公園の中を歩く人の数も徐々に増えていった。


『やっと賑やかになってきたね。午前中はしーんと静まり返って不気味な位だったけど』

『そうね。静かだと確かに落ち着くけど、静かすぎるのも怖いわよね』


 隣同士に立つヤットとキキが、目の前を通り過ぎる人達の姿を目で追いながら、声を弾ませていた。


『あれ? ケビンさん、あの子って、確か……』


 ミルクが声をあげたのを聞いて、僕は誰か不審者でも見つけたのかと思い、公園の中をぐるりと一回り見渡した。すると、公園を行き交う人達の中に、一人寂しそうにふらふらと歩きまわる少女の姿があった。楽しそうに談話しながら通り過ぎる同年代の子達とは対照的に、どこか重苦しい雰囲気が漂っていた。


『樹里ちゃんじゃないか。どうしたんだ、一人ぼっちで。おまけにどことなく元気ないよな』


 僕は樹里の姿を久しぶりに目にした。最近は剣道の練習もせず、学校の行き帰り以外は家にこもりきりで、一体どうしたんだろうとひそかに心配していた。僕は樹里の動きをじっと目で追った。どことなく所在なさげに僕や苗木達の周囲を行ったり来たりした後、ショートパンツのポケットに手を突っ込んで僕の目の前のベンチに腰掛けた。すると樹里は、両手で顔を押さえながら嗚咽を始めた。泣いている理由は知らないけれど、彼女なりに相当に嫌なことがあったのだろう。

 やがて樹里は顔を押さえていた手を外すと、目元を拭い、ベンチから降り立った。やがて転がっていた石ころを拾うと、地面の上にガリガリと音を立て絵を描き始めた。

 僕は目を地面に向け、樹里の描いている絵が何なのか確かめようとした。その絵は、まるでこの世にいないような恐ろしい魔物のようなものだった。もじゃもじゃの髪に二本の角が生え、丸顔につり上がった目、恐ろしい程に開いた口……。そして、その絵の隣に、大きく「バカ! 」、「死ね! 」という文字を書いていた。

 絵を描き終わると、樹里は絵を描いた時に使った石を、自ら描いた絵に向かって思い切りぶつけた。


「早く、どっかに行っちゃえばいいのに」


 樹里は絵に向かって、怒りをぶつけるかのように言葉を投げつけた。

 おそらく樹里の怒りの対象は、この絵に描かれている魔物なのだろう。しかし、こんなおそろしい顔をした魔物、果たしてこの世に存在しているんだろうか? しかも、樹里のような少女が一人でこの魔物に対峙したのだろうか?

 行き交う人達は、地面に膝を抱えてしゃがみこむ樹里の姿とその隣に描かれた絵を、怪訝そうな様子で眺めていた。

「何なの、あれは」と、ひそひそと小声で噂話をしながら通り過ぎる中年女性のグループもいた。

 僕たちは相変わらず何もできないまま、ただ遠くから樹里を見つめていることしかできなかった。


『ケビンさん、何やってるの。樹里ちゃんが困ってるでしょ? こんな時こそ僕たちケヤキのリーダーとして、樹里ちゃんの気持ちによりそってあげないと』


 ケンは僕を試すかのようなことを言ってきた。こないだは「どうせ僕たちケヤキの言葉なんて人間達には届かない」って言っていた癖に。こいつ、単に僕をからかっているだけなのか?


『いつも僕ばかりやらせるんじゃなく、たまには君がやってみたらどうだい、ケン。自分には出来るのに僕にやらせて、失敗するのを見てほくそ笑んでいるんだろ? 』

『そういう意味で言ってるんじゃないんだけど……ま、いいか。ヘタレなリーダーに任せてたら、いつまでもやらないで樹里ちゃんを悲しませるから、俺がやりますよ』


 ケンは僕を挑発するかのような言葉を吐いた。


『おいキング、ちょっと体を揺らしてみろよ』

『ぼ、ぼく……? 』

『そうだ。ケガが治らないところ悪いけど、ちょっとだけ協力してくれ』


 ケンに促されるままに、キングはうなだれた体を少しだけ起こした。すると、貧相でやせ細ったキングの体では時折吹く風に耐えきれず、左右に枝葉が揺れだした。キングの枝や葉がカサカサと揺れる音は、僕の方まで聞こえてきた。

 その音に導かれるかのように、公園の中に誰かが姿を現した。


『あれ? いつの間にか剛介が来てるよ』

『本当だ。今のキングの枝葉が揺れる音を聞いて、気になって来たのかしら』


 剛介は、慌てた様子で駆け足でキングの方へと向かっていった。ケガが十分回復していない中、風に流されるまま左右に枝葉が揺れ動くのを見て、心配になったのだろう。剛介がキングを家族のように愛していることを知って、わざと満身創痍のキングを利用したとすれば、あまり褒められるやり方ではないけれど、ケンの作戦は的を得ていると思う。


「うん、ヒビの入った部分は傷が深まっていないし、ちょっと葉が落ちちゃったけれど、何とか大丈夫そうかな」


 剛介はキングの無事を確認すると、ホッとした様子で額の汗を拭っていた。やがて剛介は、僕の足元でしゃがみ込んだまま顔を伏せている樹里の姿に気が付いたようで、ズボンのポケットに手を入れたままゆっくりと近づいていった。


「どうしたの? 地面の上にずっと座りこんだりして 」


 剛介は樹里のすぐ真上から声を掛けると、樹里は膝の隙間からふと顔を上げ、剛介の顔を見つめた。


「大丈夫です」


 樹里はそれだけ言うと、両手でショートパンツに付いた土や石を払い、その場から離れようとした。


「この絵、君が描いたの?」


 剛介は樹里が描いたおそろしい魔物の絵を指さした。


「……そうですけど」

「怖い顔してるね。アニメとかゲームのキャラクター? 」

「違います」

「そうか。じゃあ一体何をモデルにして描いた絵なの? 」


 剛介は畳みかけるように樹里に質問をした。樹里は魔物の正体をあまり語りたくはない様子だった。


「この絵のモデル、人間っぽいよね。お友達とか、学校の先生とか? 」

「違います」

「じゃあ、誰なの」

「おばあちゃんです」

「おばあちゃん? こんな怖い顔してるのかい? 」

「はい。あの人は悪魔です」

「悪魔ァ? 」


 剛介は樹里の答えを聞き、片手で口を押さえながら驚いていた。樹里は両手を握りしめ、歯ぎしりをしながら剛介の顔を見つめていた。 

 すると剛介は突然両手で口元を押さえて笑い出した。あまりにも笑いすぎたせいか、途中から激しくせき込んでいた。


「ちょっと、笑いすぎじゃないですか? そんなに面白いんですか、この絵が」

「まあ……ゴホッ、すっごく面白いよ、ゴホッ」

「どうしてですか? 下手くそだから? 」

「違うよ。この絵を見て、僕の知り合いのことを思い出したからさ」

「知り合いにこんな顔の人がいるんですか? 」

「まあね。僕の奥さんに似てるなあって」

「奥さん⁉ 本当に? 」


 剛介はそう言うと、口元を拭き取り、樹里の方を見て微笑んでみせた。


「奥さん、すっごく怖い人ですか?」

「そうだね。一度怒り出したらどこまでも止まらないというか。そして、どんどん束縛がきつくなるというか」

「怖い……本当に悪魔みたい」

「だろ? だから、殺される前に逃げてきたんだ」


 そう言うと剛介は再び笑い出した。


「逃げてきたって……奥さん、心配しないんですか? 」

「心配してるよ。僕のスマホに、毎日ひっきりなしに『早く帰ってこい』っていうメッセージが送られてくるんだよ。たとえ夜中であろうと送ってくるし、返信しないと余計怒られるから、眠いのを我慢しながら返信してるんだ。おかげで全然眠れなくてさ」

「だから、すごく疲れた顔してるんですね」

「余計なお世話だよ。まあ、図星だけど」


 剛介がそう言うと、樹里は突然表情を崩し、口を押さえて笑い出した。剛介も樹里を見て、「笑いすぎだよ!」と叫びながら笑っていた。


「おばあちゃんも、私のことをしつこく怒るんです。ちゃんと勉強しなさいよとか、剣道さぼらずに練習しなさいよとか。私が『ほっといてよ』って言うと、『私の話をちゃんと聞きなさい』って言って余計怒るから、頭に来ちゃう」


 樹里は僕の真下で剛介と膝を並べながら、悩みを打ち明けていた。

 剛介は樹里の言葉にうなずくと、その場で立ち上がり、真上にそびえる僕の頭の部分をじっくりと見つめていた。


「でもさ、憎たらしいからって、いつまでも相手から逃げてちゃダメだと思うよ」


 剛介がそうつぶやくと、樹里は驚いた顔で剛介を見つめた。


「悪魔から逃げていたんじゃ、本当の意味で悪魔退治できないんだよ。その人はひょっとしたら悪魔じゃないかもしれない。悪魔になったのは何か理由があるかもしれない。そこはちゃんとわかってあげなくちゃ、その人はずーっと憎たらしい悪魔のままだから」


 剛介は樹里に目を向け、竹刀を構えるようなしぐさを見せた。


「君も剣道やってるんだね。僕もやってるんだ。子どもの頃から、ずっとここで練習したんだよ」

「え? ここで? 」

「そうだよ。教えてくれた人はもう死んじゃったけど、その人のおかげで今の僕があると思ってる。この近くに住んでた人でね、奥さんや息子さんにもお世話になってるよ」

「それって、ひょっとして……」


 樹里は剛介の言う人物が誰なのか気づいたようだが、その時、剛介のズボンのポケットの奥から乾いた電子音が響き始めた。剛介は慌ててポケットからスマートフォンを取り出すと、その後すぐ青ざめた表情になり、スマートフォンを再びポケットに入れ直した。


「野々花、またメッセージを送ってきやがった。『十分以内に返事ください』だってさ。やれやれ」


 剛介は深いため息をつくと、樹里の肩に手をあて、歯を見せながら笑いかけた。


「じゃあ僕はこれで。君もおばあちゃんとちゃんと向き合って話しなくちゃだめだぞ」

「できるかなあ……あんな悪魔みたいな人と」

「出来るよ。もっとおばあちゃんを信じてごらんよ」


 剛介は不安そうな表情の樹里の髪をそっと撫でると、頭を掻きながら横を向いた。


「僕も、もう一度悪魔に会いに行かなくちゃいけないかもな。お互いつらいけど、頑張ろうね」


 剛介は樹里を残し、慌てた様子でその場から離れようとした。樹里は顔を上げると、走り去る剛介の背中に向かって、大声で叫んだ。


「すみません! 剣道を教えてくれた人って誰ですか? 」

「隆也って名前だよ。僕にとっては、剣道だけでなく人生の恩人みたいな人だったよ」


 剛介はそう言うと、そのまま公園の外へ走り去っていった。


「やっぱり……私のおじいちゃんだ」


 立ち尽くす樹里の足元で、樹里の描いた魔物の絵が不気味に微笑んでいるように見えた。

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