第140話 君のことを守りたい

 朝から真夏を思わせるような太陽が燦々と降り注ぐ中、たくさんの人達が僕たちの目の前を行き交っていた。

 彼らは皆、上下同じ色の作業服を着て、数人がかりで道路に停めたトラックから大きな荷物を次々とマンションの中へ運びこんでいた。大きな机、本棚……一体どこの誰が使うんだろうと思えるほど立派なものばかりだった。

 やがて僕は、作業員に交じりタオルを首に巻いて運び込もうとする男性の姿を見つけた。

 あれ? あの人、どこかで見たことがある記憶があるな。

 色々と記憶をたどっていくと、確か隣のマンションに住んでいる弁護士で、この公園を娘のために綺麗に整備したいとか言って、市を巻き込んで僕たちを伐採しようとしていたことを思い出した。今はもう当時のことをぶり返してこないけれど、当時は心から憎んでいた天敵だった。すっかり髪の毛が白髪まみれになり、顔も皺が増えて徐々に面影が失われてきていたので、どこの誰なのかすぐには気が付かなかった。


「いいんですよ、荷物は私達が全て運びますから。ご自宅に戻って下さい」

「いや、うちの娘のためにはどんなに重くても汗をかいても平気だから。さ、一緒に運びましょう」


 弁護士はさわやかな笑顔で作業員たちに話しかけ、自ら率先して荷物を運びこんでいた。


「娘さん、こんな立派な机や本棚を使うんですか? 」

「ああ。彼女は学生の頃からずっと弁護士を目指していて、やっと受かったからね。これからは僕の右腕として働いてもらうし、ゆくゆくは独立したいと言ってるからね。しっかりとしたものを使ってもらいたいんだよ」

「これだけ大きければ、相当な数の本を収納できそうですね」

「そうさ。我々法律家は常に膨大な本を手元に置いておかないとね。どんな依頼が来るか分からないからね」


 弁護士を目指している娘とは、あいなのことだろうか? そういえば、しばらくの間あいなの姿を見かけていなかった。


「娘さん、いつこちらに来るんですか」

「もう少ししたら来る予定だよ。司法修習が終わって、今はちょっとだけ東京で僕の知り合いの事務所のお手伝いをしているんだ。でも彼女、早くこっちに帰ってきたいみたいでさ。もっと修行してからでもいいんだよって言ったけどね。ま、僕としては早く帰ってきてくれて嬉しいけどさ、ハハハハ」


 弁護士の話を聞いている途中、にわかに苗木達が徐々にざわめきはじめた。


『あれ? あそこにいるの、剛介かな? 』

『何だよあのボサボサの頭。おまけに死んだような顔してるし』


 苗木達の声を聞き、僕はじっと目を凝らした。すると、スウェットの上下を着込んだ剛介が、弁護士たちの真後ろを通って外に出ようとする姿が目に入った。


「ちょっと! 待ちなさい! 」


 弁護士は大声で剛介を呼び止めた。


「君、確か剛介君だよね? 」

「はい」

「僕はあいなの父親だ。久しぶりだね、元気かい? 」


 剛介は弁護士のことをきちんと覚えていたようだ。


「あいなから聞いたけど、結婚したんだって? おめでとう」

「あ、いや、まあ……すみません」

「謝ることはないよ。あいなも、おめでとうって言って祝福していたよ」

「……ありがとうございます」

「今日はどうしたの? 奥さんは? 」

「今日は僕だけ帰ってきました」

「そうなんだ。君一人だけここに来てるなんて、奥さん心配してるんじゃないの? 」

「だ、大丈夫ですよ」


 剛介はきまりの悪そうな顔で弁護士に頭を下げると、そそくさと公園の方向へと歩き去っていった。剛介の目元には、僕が遠目で見ても分かる位に深いくまがあり、顔全体もどこか生気のない感じがした。昨日シュウと話をしていた時は、まだ少し笑顔を見せる余裕もあったのに。

 シュウは僕の目の前のベンチに座ると、近くに立つキングをしばらく見つめていた。キングは今日も元気のない様子で、枝を地面に向けてしならせながら今にも折れてしまいそうな姿勢で立っていた。


「相変わらず元気無さそうだね、キング。まあ、今の僕もお前のことを言える立場じゃないけどさ」


 そう言うと、剛介は大きなあくびをして、何度も目元を片手でこすっていた。


「はあ……眠い。ここなら少しは落ち着けるかな。ちょっとだけ寝て行こうかな」


 剛介はポケットに手を入れたまま、首をもたげて髪の毛をだらりと下げたまま、いびきを立てて眠り始めた。

 昨晩、ほとんど寝ていないのだろうか?


「おい、剛介君……寝てるのか? 」


 気が付くと、ついさっきまで作業をしていたはずの弁護士が剛介の目の前に立ち、寝顔をじっと見つめていた。剛介は、弁護士の声に気づくことなく眠り続けていた。弁護士は呆れた顔をしながら、上着のポケットからペットボトルを取り出すと、剛介の手元に置いた。


「つ、冷たいっ」


 剛介はペットボトルに手を触れ、その冷たさに驚いて目を覚ましたようだ。


「その声は……あいなちゃんのお父さん? 」

「そうだよ。そのペットボトルのお茶『怒羅衛門』は、あいなが好きな銘柄なんだ。最近滅多に帰ってこないから、ずーっと冷蔵庫の中で冷やしたままだったんだ、冷たかっただろ?」

「いいんですか、僕がもらっちゃって」

「良いんだよ、気にすんな。しばらく帰ってこないからさ」

「……じゃあ、いただきます」


 剛介はペットボトルに口を付けると、ゴクゴクと激しい音を立てながら一気に喉元へと流し込んでいた。


「君、大丈夫なのか? 今日はちょっと様子が変だぞ」


 弁護士が心配そうな顔で剛介を覗き込んでいたが、


「せっかく結婚したのに、全然幸せそうに見えないね」


 剛介はその声を聞いた途端、胸を叩いて激しく咳き込み始めた。


「ど、どうしたんだい? 急に」

「ご、ごめんなさい。ちょっとむせっちゃって」

「慌てずにゆっくり飲みなさい。でも、今の様子だと、図星だったりするのかな? 」


 すると剛介は、小さくうなずいて弁護士から顔をそむけた。


「僕で良かったら、何があったのか話してくれないか? 何かトラブルに巻き込まれているならば、力になれることがあるかもしれないからさ」

「……あいなさんに、何も言わないでくれますか? 」

「分かった。あいなには伏せておくよ」


 剛介はようやく弁護士に向けていた背中を翻し、正面を向いてこれまでの経緯を話し出した。昨日シュウに話していたこととほぼ同じ内容だが、傍で聞いている僕たちも、何とももどかしさを感じる話であった。


「そうか……いざ子作りとなると、考え込んでしまうんだね」

「この件は、僕が悪いとしか言いようがありません。野々花は全然悪くないです。子どもが欲しくて仕方がない野々花の気持ちを傷つけ、僕らの結婚を祝福してくれた周りの人達を裏切ってるのと同じです。そう考えれば考えるほど、自分のしたことの重大さに耐えられなくなって……」


 剛介は両手で顔を覆い、しゃくり上げながら声をあげて泣き出していた。一方で弁護士は何も言わず、傍でずっと剛介の様子を伺っていた。


「そうかな? それは君の偽りのない本当の気持ちじゃないか。それを否定して押し殺す必要はないよ」


 弁護士が微笑みながら剛介に声をかけると、剛介は両手を外して弁護士の顔を見つめた。剛介の目の周りは、僕が見ても分かるほど真っ赤に腫れていた。


「確かに君のしたことは周りの人達の期待を裏切ったかもしれない。奥さんは君との間に子どもが欲しいんだろうから、なおさらそう感じているかもしれない。でもね剛介君。周りのために自分を押し殺して、望んでもいない子どもを作って、望んでもいない人生を過ごして、それで良いと思っているのかい? これは君が君自身に向けた問いかけだと思うよ。その問いかけを無視して、後悔して不幸せになるのは君自身だ。そして、そんな父親に育てられた子どもも不幸せだよ」


 そう言うと、弁護士はポケットからハンカチを取り出し、何度も剛介の目の辺りをぬぐった。その時、どこからともなく金属音のようなものがけたたましく響いた。

 剛介はポケットから携帯電話を取り出した。しばらく画面を見つめていたが、やがて顔が青ざめ、片手で口を押さえていた。


「どうした? 顔色悪いぞ」

「な、何でもないです」

「スマホ見てたら表情が変わったよ。誰からの着信なの? 」

「……野々花です。僕の妻です」

「差支えが無かったら、僕に見せてくれるかい」

「いや、これは、その、ちょっと……」


 すると再び剛介の携帯電話から金属音が鳴り響いた。

 弁護士は剛介の手から携帯電話をそっと奪い取り、画面を見つめた。


「剛介君……何だこれは? 」

「か、勝手に見ないでもらえますか!?」


 弁護士は携帯電話のボタンを押しながら、何かを調べ出していた。


「剛介君、ここ数日間にどうしてこんなに奥さんからメッセージや着信が来てるんだい? しかも、メッセージには脅迫めいた言葉ばかり並んでるし……」

「ちょっと! 返してくださいって!」

「なあ剛介君。ちょっと僕の事務所に来てくれるかい?」

「事務所? どうしてですか?」

「君を守るためだよ」


 弁護士は目を細めながらそう言うと、携帯電話を剛介の手のひらに載せた。


「野々花、最近日を追うごとにヒステリックになっていて……家にいる時は暴力を振るわれるし、出かけていても、寝る間もない位メッセージを送り付けてくるし、すぐ返信しないとキレるし……だから、夜もあまり眠れなくて」

「そうか。だから眠そうな顔してたんだね」


 弁護士は立ち上がり、剛介の目の前に手を差し出した。


「剛介君、僕がいるから安心しなさい」

「……」

「僕の大事な娘に、夢と希望を与えてくれた恩人を守らないわけにはいかないだろ? 」


 そう言うと、弁護士は笑いながら剛介に目配せした。剛介は弁護士の表情を見て少し安心したのか、立ち上がると弁護士の手をそっと握った。

 二人はそのまま公園を出て、マンションへと向かっていった。


『ねえ、野々花からのメッセージって、何が書いてあったんだろうね』

『見てみたいけれど、何だかすごく恐ろしいことが書いてありそうだから、ちょっと遠慮したいかな。あ、でもリーダーのケビンさんならば、きっと平気だよね』


 僕は急に苗木達に話を振られ、どう返事しようか悩んだが、剛介や弁護士の表情を見ると、メッセージに書かれている内容は普通ではなさそうに感じた。


『僕もやっぱり……怖いかな』

『ふーん……予想通りだけど、やっぱりヘタレだね、ケビンさんは』


 苗木達の冷めた反応に、僕はまたしてもリーダーとして信頼が下がってしまったようだ。ねえルークさん、僕はどうしたらもっとメンタルを強くすることができるのかな。



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