第139話 剛介の本心
夕闇が深くなり、公園の電灯に一つずつ灯りがともりはじめた。
薄明かりの中、仕事帰りのサラリーマンや学校帰りの学生たちが僕たちの前を通り過ぎて行った。友達同士で楽しそうな人達もいれば、どこか疲れきった表情の人もいて、人間って面白いなと思うことがあった。僕たちはケヤキだから、感情が表に出ることはないけれど、人間と同じで「悲しい」とか「嬉しい」といった気持ちがある。ただ、感情が表に出ないがゆえに、人間達にはなかなか理解してもらえないのが歯がゆい所である。
通り過ぎる人間達の表情を見ている最中、苗木達が突如ざわめき始めた。
『シュウが竹刀を持って来てるよ。今日もひとりぼっちなんだね』
『本当だ。樹里ちゃんは一緒じゃないんだね』
最近、シュウは一人で剣道の練習にやって来る。
以前、シュウが樹里を叩いた時以来、樹里は公園での練習を一切しなくなった。シュウは一人ぼっちで公園に姿を現すと、竹刀を手に何度も素振りしたり、時には僕を相手に打ち込みの練習をしたり……どこか浮かない表情で、黙々と練習をしていた。
『シュウの自業自得だよ。樹里ちゃんがあんなに反抗的なのは今だけだよ。もっと冷静になればよかったんだよね』
『そうかなあ。あれはシュウでなくても腹が立つと思うけどな』
『いや、反抗的な態度を取ったら、何も言わずに聞いてるだけで良いと思うけど。僕たちだって、人間達にいたずらされても何も言わずじっと耐えてるだろ? なんであんなに堪え性がないのかね? 』
苗木達は、シュウの後ろ姿を見ながら好き勝手に言葉を交わしていた。
『でもさ、寂しそうだよ、シュウ。気持ちが分かり合えないってのが一番辛いだろうな』
僕は自分なりに感じたことを呟いた。苗木達は僕を見て、「たまには良いこと言うじゃん」と笑っていた。
時間が経過し、夜の闇が濃くなり始めると、シュウは練習を止めて竹刀を地面に置いた。額の汗をぬぐうと、大きなため息をついていた。
「あ~疲れた……少し休むかな」
シュウは竹刀を置きっぱなしにしたまま、僕の前にあるベンチに腰掛けた。
このまま竹刀を置いていたら、誰かが足を引っかけてしまうんじゃないだろうか。
案の定、公園の中に誰かがやってきた。次第に闇が深まり、電灯だけではどこに竹刀が落ちているのかすぐ分からないのに、その人は、一歩一歩と竹刀の落ちている場所に近づいてきていた。
『危ないっ』
僕はとっさに声をあげた。しかしその後、誰かが足を滑らせて転倒したかのような物音は無かった。そして、転がり落ちていた竹刀は、いつの間にかシュウの膝の上に載せられていた。
「落ちてましたよ。大事な練習道具じゃないですか? 」
「剛介……!」
さっき公園の中に入って来たのは剛介だったのだ。深い暗闇の中で表情が見えにくく、誰が来たのか全然わからなかった。
剛介は大きなカバンを手に、にこやかな表情でシュウの目の前に立っていた。
「やっぱり帰ってきたのか」
「はい。帰ってきちゃいました」
「全く何考えてるんだか……ま、そこに座れや」
「はい」
剛介は僕の目の前にあるベンチに腰掛けた。シュウは頬杖をつきながら横目で剛介を睨むと、剛介は「どうしたんですか、そんな怖い目で」と言いながら笑いかけた。
「どうしたもこうしたもねえだろ。何で急に帰ってきたんだ? 」
「まあ、仕事も一息ついたし、久し振りに実家に帰ろうかと」
「それだけか? ならば奥さんも一緒に連れて来なくちゃだめだろ。お前はまだ新婚なんだぞ。奥さんをひとりぼっちにしちゃだめだろ? 」
「分かってます。でも……今回は一人で帰ろうと思って」
剛介は苦笑いすると、両手を組んで大きく背伸びをした。
「何だよ、やけに清々しい顔してるな。」
「落ち着くんです。野々花の顔を見なくて済むから」
「はあ? どういうこと? 」
「……」
剛介は空を見上げながら、しばらく無言になった。
「理由は言いたくないのか? 」
「ちょっと、言いにくいかも」
「気にすんなよ。俺、誰にも言わねえからさ」
「でも……娘さんも一緒に練習してるんでしょ? 今日は来てないんですか? 」
「アハハハ、あいつはしばらく練習をボイコット中だ。あいつのことを叩いたから、それ以来むくれて出て来なくなったんだよね」
「ダメじゃないですか、叩いたりしちゃ」
「ケッ、お前までそんなこというのかよ」
シュウはそう言うと再びため息をついて、髪の毛を何度も片手でかき乱していた。内心では樹里を叩いたことに罪悪感を持っているのかもしれない。
「シュウさんは、奥さんとの間にお子さんが欲しかったんですよね」
「当たり前だろ。芽衣のことが好きで、結婚したらいつかは子どもが欲しいと思ってた。芽衣も同じ気持ちだったよ」
「その結果生まれたのが樹里さんなんでしょ? 可愛くて仕方がないんじゃないですか」
「まあな……可愛くて仕方がないよ、樹里のことは」
「ですよね。僕、羨ましいです、シュウさんのことが」
剛介の言葉を聞き、シュウは「えっ? 」と言って仰天した様子で振り向いた。
「お前今、『羨ましい』って言わなかったか? 」
「言いましたよ」
「お前は野々花のことが好きじゃないのか? 好きだから野々花との結婚を決意したんだろ? その先に、子どもが欲しいと思わないのか?」
すると剛介はうつむき、かろうじて聞き取れる位の小声で話し始めた。
「確かに僕は野々花のことが好きで結婚しました。野々花はすぐにでも子どもが欲しくて、結婚してから毎晩誘ってくるんです」
「じゃあ、素直に応じたらいいじゃないか。好きなんだろ? 何が不満なんだ? 」
剛介は頭を横に振ると、頬杖をついてシュウの方を向いた。
「いざその時になると、ダメなんですよ」
「何でだよ? いままで彼氏彼女の間柄だった時は、愛し合わなかったのか?」
「その時は何とも無かったんです。普通に愛し合っていました。でも、いざ結婚し、子どもを作ろうとなると、なぜかダメなんです」
「なあ剛介、お前は幸せになりたくないのか? 好きな人と本当の意味で結ばれるんだぞ? そして子どもが出来て、父親になれるんだぞ? こんなに嬉しくて幸せなことは無いだろうが」
しかし剛介はシュウの言葉に全然反応を示さず、黙ったままだった。
「何だよ、急に黙って。俺の言うことはおかしいのか? 」
「違うんです。言ってることはその通りだと思います。でも、でも……」
暗闇の中よく見えないけれど、剛介は表情を変えていないものの、両手がかすかにふるえているように見えた。
「抱きしめあって、いざ……という時になると、色々考えてしまうんです。そして、そのまま何事もなく終わってしまうんです」
「考えてしまう? 何を? 」
「……これで良いんだろうかって。本当にこの人との間に自分の子どもが欲しいんだろうかって」
剛介の言葉を聞き、シュウの表情が凍り付いていた。傍で聞いている僕たちも一様に驚き、「まさか」「どうして」という言葉が飛び交っていた。
「それって……本心では、野々花は好きじゃないってことか? 」
「……」
剛介はシュウから視線を逸らした。
「最近は野々花が僕を激しく罵るんです。『どうして私と一つになってくれないの』とか『本当に私のことを愛してるの』って。時にはヒステリックになって物を投げつけられたり、掴みかかられたり……」
シュウはまた一つため息をついた。二人の間にしばらく沈黙が続いていたが、シュウはベンチから立ち上がると、視線をそらしている剛介の目の前にしゃがみこみ、剛介の肩に手をかけた。
「俺、お前に言っただろ。野々花と結婚するつもりなら、一生守り抜く覚悟を持てよって」
「もちろん覚悟はできていました。色々な人達の思いを振り切って、野々花と結婚するんですから。でも、でも……心のどこかに、『これでいいのか? 』ってささやきかける自分がいるんです」
剛介は片手で目の辺りを何度も拭っていた。
「泣くな、剛介。お前はもう子どもじゃない、立派な大人なんだ。これからどうするか自分の意思で決めろ。ただ、自分の気持ちにこれ以上ウソはつくな。今までウソをつき続けた結果、お前はたくさんの人達の心を傷つけているんだからな」
「はい……」
剛介は顔を拭うと、立ち上がり、カバンを手にしてシュウの前で一礼した。
「シュウさん」
「何だ」
「ふがいなくて、ごめんなさい」
「バーカ、気にするなよ」
シュウはそう言うと笑いながら両手で剛介の肩を軽く叩き、「じゃあな」と言って背中を強く押した。剛介は背中を丸めた姿勢で、不安そうな表情で公園から出て行った。彼はこれからどうするつもりなんだろう。気分を入れ替え、北海道に戻って野々花とやり直すのか、それとも……。
「まったく、今の若い奴らの気持ちは分かんねえよ。周りの人間のことなんてこれっぽっちも考えないんだから」
シュウはそう叫ぶと、僕の目の前に立ち、目を見開いてじっと睨みつけてきた。
「お前らはいいよな。親子だの奥さんのことだの、周りのことは何も考える必要はないもんな。ここに立っていれば、それでいいんだもんな」
シュウはベンチに置いた竹刀を拾うと、肩に担ぎながら自宅へと歩き去っていった。
『シュウは僕たちのこと、何もわかってないよな。僕たちだってお互いケンカするし』
『そうよ。私たちが表情もないし言葉もしゃべらないからって、勝手なこと言って』
『ケビンさん、シュウさんの言葉に何とも思わないんですか? リーダーとして、ビシッと何か言ってやってくださいよ』
突然、僕は苗木達に無茶振りされた。一体何をすればいいのだろうかと頭をひねったが、悩んだ結果、僕なりに抱いているシュウに対する気持ちを思い切りぶつけようと思った。
『シュウさんのバカ! 僕たちだって言葉もしゃべるし感情もあるんだぞ! 周りのこともちゃんと考えてるんだぞ! 』
僕は遠ざかるシュウの背中に向かって腹の底から声を出して叫んだ。しかし、ケヤキである僕の言葉などシュウに届くはずもなかった。
『全然振り向いてくれないじゃん。ケビンさん、何やってるの? 』
『頼りないなあ、本当に』
僕はまたしても苗木達に呆れられてしまった。
ああ、ルークさん……こんな時、僕はどうすればいいんだろうか。
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