第135話 新しい場所で

 ずっと真っ暗だった僕の視界は、次第に薄明るくなってきた。

 視界が徐々に開けるとともに、意識もだんだん戻ってきているようだ。

 あれからどれだけ時間が経ったのだろうか?

 硬いロープで縛られて地面から根ごと引きはがされ、激しい痛みが全身を襲い気を失っていたけれど、何とか無事に生きているようだ。

 しかし、目の前にはいつも立ち並んでいる苗木達の姿も、ケビンの姿も無かった。

 そこには決して広いとはいえないほどの広さの庭と、所狭しと並べられたたくさんの遊具があった。庭の周囲に植込みや花壇はあるけれど、僕のような樹木は一本もなく、どこか殺風景な感じがしていた。


『なんだ、木は僕だけか……』


 僕は、予定通りに児童養護施設に移植されたようだ。傷を負うことも無く無事に移植されたけれど、僕は何となく胸に穴が開いたような気分になった。

 あの公園に来た時には既におじさんがいて、その後ケビンが来て、苗木達が生まれた。寂しいどころか、騒がしくて仕方がなかった。独りぼっちになったのは、生まれて初めてのことだった。

 ここには誰も僕の話し相手がいない。辛い時も悲しい時も嬉しい時も、その気持ちを共有できる相手がいない。これからは、誰にも頼らず生きて行かなくてはいけない……僕はまだその覚悟が出来ていなかったのかもしれない。

 しばらくすると、僕の背後から徐々に子ども達の声が聞こえ始めた。おそらくこの児童養護施設に暮らす子達なのだろう。子ども達の声は、徐々に僕のいる庭の方へ近づいてきた。辺りを見渡すと、やんちゃそうな雰囲気の男の子数人がボールを蹴りながら僕のすぐ傍を通り過ぎ、庭の真ん中へと走り出していった。


「よし、ナイスパス!そのまま行け~!」

「そこでシュートしろ!」


 すると、強く蹴り込んだボールはうなり音を立ててまっすぐ僕の方へ飛んできた。


『わわっ! こっちに来るなぁ!』


 ボールは方向を変えることなくこちらに飛んできたが、僕の枝をかすめただけで、そのまま庭の奥へと消えていった。


『ああ、怖かった』


 間一髪ボールが逸れたものの、あまりの怖さに僕は思わず声を上げてしまった。


「あーあ、ゴールはそっちなのに、何で逸れちまったんだよ」


 男の子達がぞろぞろと僕の方へ歩いてきた。どうやらボールが間違った方向に逸れてしまったようだ。


「あれ?こんな所に木があったっけ?」


 男の子達は、僕を見て一様に驚いていた。彼らはしばらく僕に触れたりなでたりしながら、おそらく初めて見たであろう大木の感触を確かめていたが、やがて男の子のうち一人がボールを地面に弾ませながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「この木、シュートの練習にちょうどいいかもね」

「シュート?」

「俺、サッカーもっと上手くなりたいんだ。園長先生とも約束したんだ。サッカー選手になって、いつか日本代表になるって」


 彼はそう言うと、ボールを地面に置き、そのまま全速力で走り込んでボールを力強く蹴り込んだ。ボールは僕の幹に命中し、そのまま勢いよく地面へ弾き飛ばされていった。


『ギャアアアアア!』


 僕は傷みのあまり悲鳴を上げた。子どもとはいえ蹴り込んだボールにはスピードも威力もあり、それを真正面からぶつけられたら、いくら僕と言えどたまったものではなかった。


「あれ? 今何か声がしなかった?」

「叫び声みたいのが聞こえたよね? 怖いなあ。まさか、この木から?」

「へえ、おもしろいな。この木にボールが当たると謎の叫び声が出るのか。俺もやってみようかな」

「俺もやりたい!」


 男の子達は代わる代わるに僕を目掛けてボールを蹴りだした。

 彼らは無我夢中で蹴り込んでいるせいかなかなか命中しないが、たまにボールが命中すると、僕は傷みのあまり大声を出した。


「ほら、聞こえただろ? ギャアアアって」

「うん。 ほんのちょこっとだけど聞こえた。面白い木だなあ」


 男の子たちは再びボールを蹴りだした。何度も蹴っているうちに、最初は命中しなかった子も次第に命中するようになってきた。


『ギャアアア! ウギャアアア!』


 僕が悲鳴を上げると、彼らは耳をそばたてながら大笑いしていた。


「こら、お前たち! そこで何やってるんだ!」


 男の子達の真後ろから、中年の男性の野太い声が響き渡った。すると、僕のすぐ隣に園長と言われる男性が怪訝そうな顔で駆け寄ってきた。この男性こそ、僕がこの場所に移植されるきっかけを作ってくれた「園長先生」だった。


「あ、園長先生だ! 」

「先生、この木面白いんだよ。僕らがボールを命中させると、ギャアアアって声が聞こえてくるんだ」


 男の子達が笑いながらそう言うと、園長は顔をしかめて男の子達を睨みつけた。


「この木は、お前たちのサッカーの的にするためにここに連れて来たんじゃないんだ!」


 そばにいる僕自身もその迫力には思わず硬直してしまうほどの形相に、男の子達は何も言えずに立ち尽くしていた。

 すると今度は、怒られている男の子達のそばから、小さな女の子たちが手を繋ぎながら僕の周りに続々と駆け寄ってきた。彼女たちはそれぞれ、色とりどりのペンを握り締めていた。


「ねえみんな、この木、最高でしょ?ここなら誰にも怒られず、いっぱい絵をかけるよ」

「わあ、太くておっきな木だね。あずちゃん、よく見つけたよね」

「何描こうかなぁ。お庭のお花やお友達のありさちゃんの顔にしようかな」


 すると、園長先生は眉間に皺を寄せながら女の子たちに近寄り、突然しゃがみこんだ。


「あのね、この木はみんなが落書きするためにここに植えたんじゃないんだよ」

「だって、お部屋の中はダメだし、トイレもダメだし、自由に絵を描ける場所がどこにもないんだもん」

「どこであっても落書きはしちゃいかんよ。ロビーにある黒板なら何を描いていいよってこないだ言ったじゃないか」

「じゃあ、何でこの木をここに植えたの……?」


 すると園長先生は咳ばらいをしながら僕の真後ろの方を覗き込み、大きな声を張り上げた。


「おい、柊真君、そこで何してるんだ? 早く出ておいで!」


 そう言うと、園長先生は右手を上下に振って手招きした。僕が手招きした方向を見ると、物陰に隠れながらじっとこちらの様子を見計らっている男の子がいた。男の子はなかなか物陰から出てこようとしなかったけど、園長先生は諦めることなく手招きを続けた。しばらくして、柊真はようやく決心したのか、地面を向きながらゆっくりとした足取りで園長先生の元へとやってきた。


「柊真じゃん。何オドオドしてるんだよ。相変わらずビビりだな」

「自分の部屋でおとなしく漫画読んでた方がいいんじゃないの? ビビり君」


 園長先生の周囲にいた子ども達は一斉に笑い出した。すると笑顔を見せながら柊真を手招きしていた園長先生の顔は、あっという間に鬼のような形相に変わっていた。子ども達も僕自身も、その表情を見て再び全身が硬直した。


「ご、ごめんなさい、園長先生……」


 男の子の一人が頭を下げると、園長先生は再び笑顔に戻り、まだ落ち着かない様子を見せる柊真を抱きしめながら僕を指さした。


「柊真君、覚えてるか? あの公園の木だよ。市からこの施設に贈られたんだよ」


 園長先生がそう言うと、柊真は顔を上げ、僕をじっと見つめた。柊真はまるで何か懐かしい物でも見ているかのように、おだやかで優しいまなざしをしていた。やがて柊真は園長先生の目を見つめ、嬉しそうな表情を浮かべて軽くうなずいていた。


「ありがとう、園長先生」

「どういたしまして。じゃあ柊真君、早速かくれんぼしようか。あ、そうそう君たちも一緒にやらないか?」


 しかし子ども達は園長先生の言葉には反応せず、柊真だけがうなずいて園長先生の元へと駆け寄っていった。


「じゃあ最初は先生が鬼だよ。ちゃんと十数えてね!」

「わかった。じゃあこの木で目隠ししながら数えるから、早く逃げろよ」

「はーい。というか、園長先生にこの僕をつかまえられるの?」

「いや、こないだは柊真君をみくびっていたからだ。今度は絶対につかまえてやるぞ!いーち、にー、さーん、しー……」


 園長先生は僕の幹に顔を押し当て、大きな声で数を数え始めた。柊真は一目散に庭の隅へと駆け出していった。


「よし、十まで数えたぞ。今度こそつかまえるからな」


 園長先生は僕から顔を外すと、庭を何度も何度も徘徊した。しかし柊真は見つからないようで、園長先生も表情に疲れが見え始めた。

 その時突然植込みの中から柊真が現れ、僕に向かって一目散に走り込んで来た。


「やばい、このままだと柊真君の勝ちだ。僕はまた鬼になっちまう! 」


 園長先生は全速力で走り、腕を伸ばして僕の幹に触れようとする柊真の腕をつかんだ。


「あーあ、あと少しだったのに……くそっ」


 柊真は息を切らしてしゃがみこんだ。


「次は柊真が鬼だぞ」

「はーい。今度は僕が先生を捕まえるから、覚悟してね」


 柊真は僕に顔を押し当て数を数えているその間に、園長先生は茂みの中へと走り去っていった。数え終えた柊真は、茂みの辺りが怪しいと睨んだのか、そっと忍び足で茂みに近づいた。すると、園長先生は柊真のすぐ傍をすり抜けるように走り出していった。


「あ! 待ってよ!」


 園長先生は全速力で僕に向かって走り出した。柊真はその背中を必死に追い、ついには園長先生の背中に手をかけた。


「うわわっ、危ないっ」


 園長先生は全身のバランスを崩し、その場に倒れ込んでしまった。


「先生! 先生! 大丈夫なの? ねえ?」


 柊真は慌ててしゃがみ込み、園長先生に声を掛けた。


「バカ言うなよ。この位で倒れていたら、この施設の園長なんて務まらんよ。ワハハハハ」


 園長は白い歯を見せて大笑いしていた。柊真はホッとした様子で園長の胸に顔をうずめた。そして二人の周りには、さっきまで遠くから様子を見ていた子ども達が続々と集まってきていた。


「さっきから見てたけど、面白そうじゃん。ねえ先生、柊真。俺たちも混ぜてくれよ」

「先生、私たちもまーぜーて」

「ああ、いいよ。柊真もいいだろ?」


 柊真は満面の笑顔で大きくうなずいた。


「じゃあ決まりだな。よし、まずはじゃんけんで鬼を決めようか」


 子ども達はじゃんけんし、鬼が決まると一斉に四方八方へと走り出した。

 逃げ回り、捕まえられて鬼になり、誰かを捕まえてまた逃げ回る……そんなことを繰り返すうちに、独りぼっちだった柊真は、いつの間にか他の子達と歓声を上げながら一緒になって逃げ回っていた。


「さあ、そろそろ夕飯の時間だぞ。もう今日はこれでおしまいだ」


 園長先生が汗まみれの額を拭いながら、大声で子どもたちに声を掛けた。子どもたちは続々と建物の中へと戻り始めたが、さっきまで柊真をからかっていた男の子達は、柊真と楽しそうに話をしながら歩いていた。


「柊真、楽しかったよ。また一緒にやろうぜ」

「うん! またやろうね」


 たくさんの友達に囲まれ歩く柊真の背中を、園長先生は目を細めながら見送っていた。やがて園長先生は僕の方を向き、まるで僕に話しかけるかのように語り始めた。


「見ただろ? 柊真君の笑顔を。君がここに来てくれて本当に良かったよ。うちの施設の子達はみんな元気でやんちゃだけど、ああ見えて心の中に闇を抱えてるんだ。幼い頃に親と生き別れたり、虐待されたり放置されたりしてね……。君には色々迷惑をかけるかもしれないけれど、ここでみんなが大きくなるまで見守っていてほしいんだ」


 そう言うと園長先生は深々と頭を下げ、建物の中へと走り去っていった。

 園長先生が僕をここに連れてきたかったのは、柊真の心を開かせるだけでなく、どこか心に寂しさや不安を抱えている子ども達の心の支えになってほしい、ということなのかもしれない。

 僕がその役目をどこまで果たせるかは分からないけれど、彼らが大きくなりこの施設を巣立つまで、しっかり見届けて行こうと思う。


 ケビン、苗木達、そして遠くで暮らすおじさん。やんちゃな子ばかりで騒がしくて大変だけど、僕はこの場所でまた頑張って生きて行こうと思います。またいつか、みんなに会えると信じて。

 今までありがとう。そしていつまでもお元気で。


 ※第38話から続いていた「ルーク編」はひとまずここで終了です。物語自体はもう少し続く予定です。

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