第134話 最後の挨拶
生暖かい南風が吹き、雲間から淡い青空が広がり始めた朝。
いつものように子ども達が学校に通う姿を見届けながら、僕たちは心地良い風に身を委ねていた。時々、風に乗ってピンク色の花びらが舞い込んできた。
『あっ、ピンクの花びらだ! 今年もまた見ることができたね』
『この花びらを見ると、春になったんだな~って実感するよね』
苗木達が花びらをじっと見つめていると、突然轟音を立てて大きな車が続々と公園の前に姿を現した。トラックの荷台にはショベルの付いた大きな重機が載り、やがて荷台から降ろされ続々と公園の中に入り込んで来た。一方でヘルメットをかぶった男達が四方八方から続々と僕の周りを取り囲むように集まり始めた。
彼らは黒くて太く頑丈そうなロープを手にし、やがて僕の周りを二重三重と巻き付け始めた。
『何だあいつら? ルークさんに何しやがるんだ!』
『何の前触れもなく、いきなり始めるの? 随分ひどいやり方ね』
苗木達はロープを巻き付けられた僕を見て悲鳴をあげ、疑問の声を上げ、怒りをぶちまけた。僕も目の前に続々と集まる作業員やその後ろに控えている重機の姿を見て、恐怖心で震え上がっていた。しかし、僕は不思議な位冷静だった。
『気にするな。いつかこの日が来ると思っていたんだ。工事の準備を着々と進めてるからそろそろなのかなって思っていたけど、散々待たせといてやっと来たんだな、アハハハ』
僕は冗談を交じえながら目の前を行き交う作業員たちをあざ笑っていた。
『な、何言ってんだよ。確かにいつか別れの日は来ると覚悟していたけどさ、こんなやり方はひどいよ』
『そうよ。ここまでずっとこの公園を守り続けてきたルークさんに失礼じゃない? 私たち、もう少しルークさんと話したかったのに』
苗木達は僕と違って、感情的になっているようだ。僕を想い、作業員たちを憎む気持ちは嬉しいが、彼らの声は作業員たちには全く届いておらず、僕をこの場所から引き抜くための準備は整いつつあるようだ。
僕を巻き付けているロープは、徐々に強度を増して全身を強く締め付けだした。僕は歯ぎしりをしながらほとばしる痛みに耐えていた。
苗木達と別れを惜しむ時間は、もう残りわずかのようだ。僕は痛みをこらえながら、冷静に明るく全員に語り掛けた。
『いよいよお別れの時間は迫っているようだね。じゃあ、最後に僕からみんなにお別れの言葉を伝えていいかな?』
僕がそう言うと、泣きじゃくる声があちこちから聞こえ出した。「お別れ」とか「最後」という言葉がいけなかったのか、彼らの感情を刺激してしまったようだ。
『じゃあ、ケンからいくか。いいかな?』
『ああ、どうぞ』
『相変わらず堂々としているな。まあ、それがケンの持ち味だからね。君は周りを引っ張っていくのが上手いし、他の木たちの意見を束ねて僕に伝えてくれたこともあった。頼もしかったし、嬉しかったよ』
『そんなことないよ。だってみんな言いたい事ばっかり言って、傍で見ていてイライラするんだもん』
『ああ、それがケンの悪い所だよ。もうちょっと冷静に行動できるようになれば上出来なんだけどな。さあ、次はヤットだ。君は少し落ち着きが無いけど、ユーモアがあっていつも周りを盛り上げていたよね』
『い、いや。そうかな?そんなに面白いこと言ってたかな?』
『言ってたよ。時々外して場をしらけさせたこともあったけどね』
僕が言葉を返すと、他の苗木達が声を出して笑っていた。ヤットも極まりの悪そうな顔をしつつも苦笑いをしていた。
『じゃあ次はキキ。女の子だけど強気でエネルギッシュで、台風が来て吹き飛ばされそうな時には、誰よりもすごい声で悲鳴を上げていたよね』
『アハハハ、そうなんだ? シュウさん達の剣道の練習で殴られた時のルークさんやケビンさんの悲鳴には負けるけど?』
キキは甲高い声で笑いながら、言葉を返してきた。
『ま、まあ……それはそうだけどさ。いつまでもその元気さを忘れずにいてほしいな。次はナナ! あれ? ナナ、泣いてるのか? じゃあ順番を後に回そうかな?』
僕はナナを指名したものの、ナナは樹液を流しながらずっと嗚咽していた。もう少し気分が落ち着いたのを見計らって、再び声を掛けようと思った。
『ううん……大丈夫だよ。でも、あまり悲しくなることは言わないで』
ナナが悲痛な声で訴えてきたので、僕もどういう言葉をかけていいのか思わず考え込んでしまった。
『そうだな……ナナは本当に頭が良くて、何が起きても常に冷静に考えているよね。でも他の誰よりも周りのことを考えているんだよな。クールだけど、すごく優しい性格の持ち主だと思っているよ』
『そんなこと言われたら嬉しくって、ますます樹液が出てきちゃうじゃないの!? ルークさんのいじわるぅ!』
『ご、ごめんよナナ、そんなつもりじゃ……じゃあ次はミルク。ミルクには隣にいるキングの世話を良くやってくれたよね。キングの声が小さいから、キングの話した言葉をみんなに伝えてくれたり。色々面倒をかけたけど、世話好きなミルクがいたから、キングもここで安心して暮らしていられたと思ってるよ』
『だって、キングが一人ぼっちでかわいそうなんだもん……』
『ありがとな。これからもキングが立派になるまでもう少しだけ面倒を見てあげてほしい。じゃ、次はキングだな?』
僕はキングに言葉をかけたものの、キングは相変わらずしょぼくれた様子でだらりと枝を垂れたまま何も言葉を返してくれなかった。
『キング……色々あって辛かっただろ? この中で一番辛く大変だったのはキングだと思う』
キングは何も言わず、じっとうつむいていた。しかし、耳を澄ますとほんのちょっとだけ「うん」と言っているのが聞こえたような気がした。
『でもな、僕はこの公園の中で本当の意味で一番強いのは、キングだと思ってるんだ。僕の役割は一度ケビンにお任せするけど、いつの日か、その役割をキングが担って欲しいんだ。今すぐは無理かもしれないけど、いつかきっと君がその役割をやり遂げてくれると、僕は信じているよ』
僕がそう言うと、キングは枝をしならせながら顔を僕に向けた。
『あ……あ……』
キングが何かを話していたその時、目の前を大型重機がうなるような音を立てて通り過ぎて行った。キングの声は重機の音にかき消されてしまったが、僕はキングのかすかな声に込められた彼の真心を感じとっていた。
突如公園に現れた大きな重機は、大きく転回しながら僕のすぐ隣に停車した。すると、作業員たちは僕を括り付けたロープを重機に取りつけ始めた。このロープを重機が引っ張り、僕の身体は根ごと引きはがされていくのだろう。
『最後に、ケビン。もう残された時間がないから、手短に言うぞ』
ケビンは「え? どうして?」という声を上げ、とまどいを見せていたが、僕はお構いもせずまくしたてるように言葉を続けた。
『お前はいつも弱気で頼りなさそうにしている。性格だからしかたないかもしれないけど、これからはそれだけではダメなんだ。ここにいる苗木達が立派になるまで、お前がみんなを見守り、引っ張って行かなくちゃいけないんだぞ』
『分かってる。何度もルークさんにそう言われて来たし、僕も覚悟はできている。でも、やっぱりちょっと怖くて……』
ケビンが言葉を続けている中、重機がものすごい力で僕を引っ張り上げようとしていた。僕はあまりの痛さと衝撃で、次第に意識が遠のき始めていた。
『おいケビン! もっと大きな声で言ってくれ!』
『どうして? 僕の声が聞こえないの……?』
『だんだん意識がもうろうとしてきたんだ……だから頼む! もっと大きな声で言ってくれ!』
僕は悲鳴に似た声で叫んだ。ここを去る前に、どうしてもケビンの声を聞きたかった。ケビンはおじさんが居なくなった後、長く苦楽を共にしてきた仲間だった。
『まだ不安でいっぱいだけど……苗木達が立派な木になれるようしっかり見届けるから! ルークさん、今まで本当にありがとう!』
うなる音を上げながらロープを引っ張る重機の向こうから、ケビンは普段の線の細さを感じさせない力強い声で訴えていた。その声は、もうろうとする僕の耳にしっかりと届いていた。
『ありがとうケビン……そしてありがとう、みんな。僕は若かった頃、この公園のことを馬鹿にしていたけど……今はこの公園に来て本当に……本当に……よかった……』
僕は意識が途切れだし、視界が遮られ始めた。
僕は狭まる視界に抗うかのように目に力を込め、公園をもう一度見回した。思い出の沢山詰まったこの公園を、目にしっかり焼き付けていこうと思ったからだ。重機の向こうには苗木達やケビン、そして作業員の後ろにはいつの間にか近所に住む怜奈と芽衣、樹木医の櫻子の姿があった。
怜奈は泣き崩れる芽衣を片手で支えながら、もう片方の手でハンカチで何度も目頭を覆っていた。櫻子は作業の様子を写真に収めていたが、やがてカメラをポケットに収めると、肩を落としてうなだれ、僕から視線を逸らした。
『ルークさん、俺たちのことを生んでくれてありがとう! 俺、ルークさんのように立派なケヤキになるからね!』
『私たちはルークさんとの思い出を胸に、これからもこの場所で生きていくからね』
『ルークさん、色々なことを教えてくれてありがとう! ルークさんの言葉は絶対に忘れずに生きていくからね!』
重機の音に交じり、苗木達やケビンの叫び声が僕の耳に入り込んで来た。
僕はその声を聞くうちに、思わずむせび泣いてしまった。
たくさんの思い出が走馬灯のように駆け巡った。
苦しいことも、嬉しかったこともいっぱいあった。
いつもそばに、思い出を共有する仲間、そして家族がいた。
僕を支えてくれた樹木医や地域の人達がいた。
彼らの姿を見ることも、声を聞くことももうできない。
でも、彼らは僕の記憶の中でこれからもずっと生き続けて行く。
地面から、ものすごい音を立てて地中奥深くに埋まっていた僕の根が姿を現した。薄らいでいく意識の中で、最後の力を振り絞った。
一緒に過ごしてきたみんなに、どうしても言いたいことがあったから。
『ありがとう……僕たちはたとえ離れていても、ずっと仲間だし、家族だからね……』
そう言い切った所で、僕は意識が完全に途絶えた。
悲痛な泣き声、僕を励ます声、ありがとうと叫ぶ声は、意識が途絶えるまでずっと絶えることなく僕の耳に入り続けていた。
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