第133話 生きてこそ
『ルーク、お前、あの公園から去るつもりなのか?』
おじさんは驚きのあまり、声を荒げていた。
『ごめんよおじさん。工事の関係で、今公園にいるケヤキ達の中から一本だけ動かさなくちゃいけないんだ。それに僕はもう心に決めたんだ。僕が必要とされている場所に行こうって』
僕はおじさんの驚きとは対照的に、冷静に話し続けた。おじさんの気持ちは僕も良く分かっていた。おじさんがあの公園を去る時、公園を見守る役目を僕に託していったことを、今も忘れてはいない。それなのに、僕が自分から去っていくことを身勝手に感じてしまっても無理のないことである。
『あの公園を守る役目をおじさんから引き継いで、おじさんの気持ちが良く分かった気がするんだ。僕たちケヤキはただ立っているだけじゃなく、通り過ぎる人達を見守り続け、心の支えになり、時には人同士を結び付け……本当に大きな存在なんだってことに気が付いたんだ。昔の僕だったら、自分のことばっかり気にして、周りのこととか、通り過ぎる人達のことなんか全然考えもしなかったからね』
僕は照れながらも自分がずっと心の奥に秘めていた気持ちを吐露した。おじさんは僕の言葉を、目を閉じてさえぎることなく聞いていた。
『そうか、お前も成長したな。正直な気持ち、お前をひとりぼっちにしてあの公園を去った時、本当に大丈夫なのか不安はあったよ。あの頃はどこか頼りない感じがしたからね』
『そうなんだ。あの頃はやっぱり頼りない感じだった?』
『まあな。自分のことばかりで、甘えたことばかり言って、本当にここでひとりぼっちで生きて行けるのか、心配で仕方がなかったよ』
『アハハハ、心配してくれてありがとう。途中からケビンや苗木達が加わってひとりぼっちじゃなかったけれど、僕が一番年上だから内心不安だったよ。みんな大きくなったし、不安はあるけれど。僕は今の彼らならば僕無しでもやっていけると信じてるんだ』
『ケビン?苗木達?』
おじさんはいぶかし気な様子で言葉を発した。僕はおじさんがあの公園を去った後にケビンがその後を埋めるかのようにやってきたことを、すっかり忘れていた。
『おじさんがいなくなってから、仲間が増えたんだよ。苗木達は、言うなれば僕とケビンの子どもだし』
『ほう!ルークに子どもができたのか。そりゃめでたいことだ』
『でも、子どもって大変だよ。みんなわがままだし、こっちの気持ちも知らずに言いたい事ばっかり言って、時々聞いてて腹が立つこともあったよ』
僕は苗木達の自分勝手で自由気ままな言葉に辟易させられていた。賑やかなのは良いけれど、もうちょっと考えて発言できないのかと言いたくなることもあった。
『ルーク、子孫を残すことは大事なことだよ。我々は何百年も生きられるというけれど、永遠というわけじゃないから、それもいつか終わりが来る。それに、人間の都合で突然切り倒されたり、風や地震でなぎ倒されるかもしれない。その時、我々の望みを託せる存在がいれば、少しは安心して死ねるじゃないか』
おじさんは僕を諭すかのようにゆっくりと、そしてはっきりとした口調で語りかけた。
『それでおじさんは、僕に未来を託したわけか』
『そうだ。今のお前ならわかるよな?』
おじさんは僕の目を見ながら笑っていた。
『ここにはルークみたいに未来を託せる木がないのが心配だ。万が一この自分が倒れたら、この町の人達の心の支えは無くなってしまうんじゃないかって。さっき克之や航のことを見てただろ? 自分がいなくなったら、あの人達は何を支えに生きていくんだろうって。みんな海で危険な仕事をしているから、強がってても内心すごく不安を抱えてるはずだよ』
僕はおじさんの言葉を聞きながら、暗闇の中、遠くで時折黄色く光るものを見つめていた。
『おじさん、はるか遠くで黄色く光ってるものって何なの?』
『漁師の乗った船の光だよ。彼らは夜中に仕事することもあるんだ。魚を獲れるならば朝も夜も関係ないんだ』
『そうなんだ、すごいよね』
『みんな生きることに必死なんだ。以前いた公園では気が付かなかったけれど、ここに来て初めてそのことに気が付いたよ』
黄色い光は暗闇の中をゆっくり動いていた。光は一つだけでなく、時々二つ、三つと現れては、暗闇をほの明るく照らし続けていた。あの場所では、生死がかかった壮絶な仕事が行われているのだろう。おじさんはそんな仕事を続ける人間達の心の支えになっていたのだろう。もしおじさんがこの場所からいなくなったら、誰が彼らの心の支えになれるのだろうか。
『おじさん……』
『なんだい?』
『風や地震に負けないで。そして、人間達の身勝手な伐採なんかに負けないで、この場所でずっと生きていてね』
おじさんはきょとんとした表情で僕を見ていた。
『これからもこの町で一生懸命生きて行く人達を見守ってあげてほしいんだ。この先何十年、いや、何百年とね』
『どうしたんだルーク、いきなりそんな話をして』
『僕は幸運にも未来を託せる家族や仲間に出会えた。でもおじさんはこのままじゃ独りぼっちだ。本当は僕がここに来たいけれど、僕がそれを決めることはできない。すごく歯がゆいことだけれど……おじさんにはこの場所で元気に生き抜いてほしいんだ』
『お前……』
おじさんは声を震わせながら僕の方を見つめた。
『さっきここに来た親子もそうだったろ? おじさんを海を照らす灯台みたいだっていって、心の中の支えにしているじゃないか。おじさんがいなければ、きっとあの人達の人生も変わっていたかもしれないよ』
僕がそう言うと、おじさんの樹皮の剥がれた所からじわじわと樹液が染みだしていた。
『わがままで、独りぼっちになったら絶対生きていけないんじゃないかと思っていたのに、いつの間にそんなに生意気になったんだ?』
『僕も少しだけ大人になったんだよ。それよりおじさん、樹液染み出てるよ。僕まで悲しくなるから、やめてくれよ』
『ば、バカ言うな! というか、いつまでここに居るんだ? 早くあの公園に帰って、家族のみんなと別れまでの時間を大切にしないとダメじゃないか』
『ハハハ、そうだね。ありがとう』
暗闇の中を行き交う黄色い光が、時には重なり合い、時には左右に離れていった。
『今日は順調だな。いい感じで漁が進んでそうだ』
『おじさん、わかるの? 光の流れる方向だけで』
『そうだよ。もうここに来てずいぶん経つからな』
おじさんは樹液を流しながらも、笑いながらそう答えた。
『さ、ルーク。もう夜も遅いんだから眠れよ。一晩眠ったら、ちゃんとあの公園に戻るんだぞ』
『うん。ありがとう、おじさん。おやすみなさい』
僕はおじさんの声を聞きながら、次第に瞼が塞がっていった。
『そうだルーク、一言だけ言わせてくれ』
『何?』
『おつかれさま。あの公園では辛いことがたくさんあっただろう?強い北風や重たい雪にへこみそうになったり、幹や枝を傷つけられたり、人間の都合で切り倒されそうになったり……ここまでよくがんばって生きてきたよな』
『うん……』
おじさんの言葉を聞くうちに、僕は公園で過ごした日々のことが脳裏をよぎった。
嬉しいことや楽しいこともあったけど、辛いことの方がその数倍もあった。何度も命を失いそうになったけれど、今日まで耐えてくることができた。
僕は溢れそうになる樹液をぐっとこらえながら、おじさんの耳元でつぶやいた。
『今日おじさんに会えて、本当に嬉しかった。次はいつになるかわからないけれど、また会えるといいな』
おじさんは僕に対し、何も言葉を返さなかった。
僕はそのことを残念に思っていたその時、風に乗って『生きろ』という声がかすかに僕の耳に入ってきた。
僕はおじさんの方を向くと、おじさんは目を細めながら明かりが灯る方をじっと見つめていた。
『生きろよ、ルーク。これからも辛いことがいっぱいあるだろうけど、生きていれば、こうしてまた会えるだろう』
おじさんはそれだけ言うと、その後は言葉をつづけることなく、そのままいびきをかいて眠りに就いてしまった。
『ありがとう、おじさん。僕……生きるよ。何があっても、耐えて生き抜いて、またおじさんに会いに来るからね』
僕はおじさんの耳元にそっとつぶやいた。おじさんは大きないびきをかいて眠ったまま、何の返事も返してくれなかった。けれどその表情は安堵に満ちているように感じた。
……………
翌朝、小鳥たちの騒がしい声が耳元に入り、僕はようやく目を覚ました。
そこにはコンクリートに覆われた地面が広がり、左右には苗木達が、正面にはケビンの姿があった。
『いつの間にか戻ってたんだ……』
僕は目を何度もしばたかせると、制服姿の高校生がにぎやかにおしゃべりをしながら僕の目の前を行き交っていた。その向こうには、ランドセルを背負った小学生の集団が整然と並んで歩いていた。
いつも見慣れた公園の朝の風景であった。
子ども達の姿が見えなくなると、怜奈が大きな袋を手に公園の草やゴミを集め始めた。年老いて長い髪がすっかり白く染まった怜奈は、時折腰をさすりながらも、一心不乱に袋にごみを入れ込んでいた。
「昔は隆也がやっていたのに、息子のシュウは全然やらないんだから。こんな年老いた母親に押し付けて、まったく!」
と愚痴を言いながらも、作業をすることはまんざらではなさそうに見えた。
『あ、ルークさんがやっと目を覚ましたみたいだよ』
突然ケンの声が聞こえた。
『ルークさん、昨日はずーっと眠っていて、どうしちゃったのってみんなで心配していたのよ!周りの人間にルークさんのことを伝えたくてもケヤキの私たちじゃ伝えられないし……』
ナナが金切り声を上げて僕をたしなめた。
『でもよかった。今日は元気そうに見えるし、病気とかじゃなさそうだよね』
ヤットは笑いながら、他の苗木達の心配を払拭しようとしていた。
『ルークさん! 良かった、生きていてくれて。このまま死んじゃったら僕、どうしようかなって色々考えちゃって』
ケビンが泣きそうな声でそう言うと、僕は思わず大笑いしてしまった。
『バカ言うな、ちゃんと生きてるよ! それよりケビン、もうすぐ僕はここからいなくなるのに、そんな頼りないこと言ってたらこれからどうするんだよ? これからは君がみんなを引っ張っていくんだぞ』
『う、うん……』
ケビンは少し頼りなげな声で返事をしていた。その様子は、おじさんがこの公園を離れることになった時の僕を見ているようだった。あれからもう数十年。いよいよ僕がこの公園を離れる時がやってきた。
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