第10章 バトンタッチ

第136話 これでいいのか?

 今年も寒い冬を越え、生暖かい南風が吹き込む季節がやってきた。

 つい先日まで丸裸だった僕たちケヤキの枝には徐々に緑色の葉が増え始め、数日のうちにあっという間に枝全てを覆い尽くしてしまった。

 陽気に誘われるかのように、公園の中を歩く人の数も徐々に増え始めた。


 ルークさんがこの公園から旅立ち、まもなく一年が経とうとしていた。

 僕、ケビンはルークさんに代わり、この公園のケヤキ達のリーダー役となった。この公園では一番年長のケヤキであり、苗木達の親という立場ではあるものの、苗木達をどう上手くまとめて行けばいいのか、未だに自信を持てていない。苗木達は次第に背丈も大きくなり、僕の背丈に近づきつつある。しかし、下世話な噂話をするところや身勝手なわがままばかり言うところは幼い頃と全く変わらず、僕からも何度となく忠告した。しかし彼らは僕を「ビビリのケビンさん」と言って舐めてかかっており、何を言っても全く聞く耳を持ってくれなかった。

 ここまで何とか一年間はやり通したものの、これからもずっとやっていけるか不安で仕方がない。ルークさんは、僕はキングが大人になるまでのつなぎ役だと言ってくれたけど、キングは相変わらずしんなりとした身体でうつむいてばかりで、この公園のリーダーになるには未だ頼りない印象だ。


 ルークさんが去った後、公園は綺麗に整地され、残された僕たちは等間隔に植え直された。以前は僕の目の前に一台しかなかったベンチは、今は園内のあちらこちらに設置され、更には夜道を照らす電灯も立てられた。以前は夜になると真っ暗で足元も見えにくかったけれど、今は灯りの中でお互いの姿をぼんやりと見ることができるようになった。

 以前よりも環境が改善され、一見便利になったように見えるが、その結果僕たちは別な問題に悩まされていた。

 空が次第に茜色に染まり始めた頃、僕の目の前のベンチには高校生の男女がやってきて、カバンをベンチの下に置くと、二人並んで座り込んだ。


「ねえ、晴斗はると。大好きだよ」

「俺もだよ、千珠ちず。ずっと俺の傍にいてほしいよ」


 二人は小声でそうささやくと、やがて唇を重ね始めた。


『わぁ、あの二人、またここでキスしてるのかよ』


 ケンが怪訝そうにそう言うと、


『あの二人だけじゃないわよ。私の目の前のベンチも見てよ』


 僕はミルクからの悲痛な叫び声に気づき、ミルクの方に目を遣ると、別な男女二人組がお互い無言のまま肩を寄せ合っていた。


『毎日こんなのばっかり見せつけられて。イヤになっちゃうよ。この公園がカップルのたまり場になるのは目にも心臓にも良くないわよ』


 公園がきれいに整備された結果、皮肉にもカップル達のたまり場になってしまった。街の中でデートしたカップルが別れ際に愛を語り合う場として、この場所がちょうど都合が良いのだろう。

 カップルが甘い時間を過ごしている中、一組の夫婦がスーツを着込んで靴音を響かせながら公園に姿を見せた。


『おや? シュウと芽衣さん? 今日は確か仕事の日のはずなのに、一緒におでかけしてたのかしら?』


『二人とも大きな紙袋をぶらさげてるけど、どこかに行ってきたのかな?』


 僕の目の前を、シュウと芽衣の夫婦が仲睦まじく並んで通り過ぎて行った。苗木達の声を聞いて二人の手を見ると、シュウの手には沢山の紙袋があった。二人はやがて空いているベンチに腰を下ろし、紙袋を地面に置くと、シュウは大きなあくびをした。


「ふぁ~……北海道は遠かったな」


 シュウはペットボトルのお茶を口にしながら、しばらく無言のままベンチに腰かけていた。芽衣も缶コーヒーを飲みながら「フゥ」と音を立てて息を吐き、旅の疲れを癒している様子だった。


「ねえ、シュウ。剛介君、立派だったよね。わざわざ遠くまで行って参列した甲斐はあったと思うよ」

「ああ、あいつがひ弱な子どもだった頃から知ってる俺としては、想像できないくらい立派になったなあ」


 どうやら二人は、北海道で剛介の結婚式に出席したようだ。シュウは剛介の剣道の師であり、剛介をたくましく育て上げた恩人でもある。たとえ遠く離れていてもシュウを式に招待したいという気持ちは、僕にも分かる気がした。


「両親は涙流して喜んでたし、野々花さんは幸せオーラ全開で『私は世界一幸せです』ってスピーチしていたし、剛介君にとっては最高の門出になったんじゃない?」


 芽衣は缶コーヒーを口にしながら、感慨深い様子で式の場面の一つ一つを口にしていた。その一方で、シュウはどことなく浮かない顔をしていた。


「でもさあ……式自体は感動はしたけれど、何だかちょっともどかしいというか、後味が良くなかったんだよなあ」

「え? どうして? 」

「俺の気のせいかもしれないけどさ……あいつ、目が笑ってないように見えたんだよ」

「そう? だって、剛介君は式の間ずーっと野々花さんの手を握っていたし、『野々花を大事にしていきたい』って式の最後に力強くスピーチしてたじゃない? 」

「確かにそうは言ってたよ。でも……どうも違和感しか感じなかったんだ。『それ、本気で言ってるのかよ、お前』って何度も突っ込みたくなったんだよ」

「ちょっと、ずいぶんひどい言い方ね。ひょっとして剛介君にやきもち焼いてるの? 」

「ち、違うって!というか、芽衣は気が付かなかったのかよ。あいつが笑った時の顔を見たことあるだろ? あの顔と全然違うんだよ。作られた笑顔にしか見えなかったんだよ、俺には」

「まあ、ちょっとぎこちない感じはしたかな? どことなくだけど」

「あいつが野々花と結婚を考えてるという話を俺にした時に、『これから野々花と一緒に生きていくつもりならば、何があっても野々花を愛し、守り抜く覚悟を持て! お前は、ずっと慕っているあいなさんの気持ちを踏みにじって野々花と一緒になるんだぞ。そのことの重さを一生忘れるな!』って言ってやったんだ。それでもあいつは自分の考えを変える様子が無かった。まあ、それだけの覚悟ができているのなら大丈夫かな、と思っていたけれど、実際は違うのかもしれないな」


 シュウはベンチから立ち上がると、地面に置いた紙袋を鷲掴みし、自宅に向かってふらふらと歩き出した。芽衣もその後を追うように立ちあがったが、しばらくその場から動かずじっとシュウの背中を見つめ、ようやく口を開いた。


「ところでシュウ。今回、お義母かあさんと樹里との二人だけ家に残して出かけたけど、大丈夫かなあ? 」

「どうして? 」 

「最近、お義母さんに対して樹里が露骨に嫌そうな顔をするのよね」

「年頃だからかな? まだ小学生だけど、女の子は男の子より成長が早いって言うからな」

「そうかしら? 私には普通になつくけど、お義母さんだけ嫌がるのよね」


 芽衣は心配そうな表情で、灯りのともる自宅の窓の方を見つめながら、自宅の門をくぐった。

 最近の怜奈は、以前のように一人で公園内の草刈りやゴミ拾いをすることも無く、作業をする時は必ず芽衣が同行していた。怜奈の動きは以前ほどきびきびとした感じではなく、ある程度作業すると、腰を下ろしたまま動けなくなってしまうこともあった。

 考えてみれば、怜奈の夫の隆也がこの世を去ってから、もう十年以上の月日が経っていた。隆也は確か六十代で亡くなったので、同じ位の歳の怜奈は、おそらくもうかなりの高齢のはずだ。


 シュウたちが自宅に帰ったのと時を同じくして、僕の目の前のベンチにいたカップルはようやく立ち上がり、腕を組んで仲睦まじく公園の外へと歩き去っていった。


『ふう……ようやく帰ってくれたか』


 僕は胸をなでおろした。


『こっちも、やっと帰るみたいだよ。あーもうホント、イヤになっちゃう。キスしてるのをずっと見せつけられて。私達ケヤキが見てるのを何とも思わないのかしら』


 ミルクがため息交じりにぼやいていた。

 今日もカップル達に熱々ぶりを見せつけられて心苦しかったけど、日が暮れる前にカップルたちが全て公園から立ち去り、今夜は久し振りにゆっくりと過ごせそうである。

 辺りはすっかり暮れなずみ、園内には一斉に灯りがともりだした。

 白い輪の形をした灯りは、うすぼんやりと地面を照らし、公園を通りかかる人達の背中を照らしだしていた。やがて、竹刀を手にした親子が灯りに照らされながら公園の中へとやってきた。


『あ、樹里ちゃんだ。久しぶりだな、剣道の練習』


『今日はシュウも一緒か。珍しいよなあ、めんどくさがりでたまにしか練習付き合わないのに。親父の隆也を少しは見習って、もっと樹里ちゃんの練習に付き合ってやれよ』


 苗木達は、シュウに聞こえないと思ってとことん悪態を付きまくっていた。

 その時、樹里は突然公園の真ん中で立ち止まり、シュウの方を振り返った。


「お父さん。私、一人でも練習できるからいいよ。いつまでも子どもじゃないんだからさ」

「そんなこと言うなよ。もうすぐ小学校最後の大会だろ? 樹里にはぜひとも優勝してほしいんだよ」

「無理よ、そんなの! とにかく、私一人でやるから早く家に帰ってくれる? 」

「ばあちゃん、樹里が優勝して喜んでる顔を見たいって言ってたぞ。だから父さんも、樹里が優勝できるよう全力で教えるからな」


 すると樹里は突然竹刀を地面に投げ捨て、目を見開いてシュウを睨みつけた。


「な、何だよいきなり。これから練習するのに、どうして竹刀を地面に置くんだ? 」

「そんな理由ならば、私、練習しないから。ばあちゃんのために練習? ふざけてるの? 」


 樹里の表情が段々きつくなり始めた。


「どうしてばあちゃんが嫌なんだ? お母さんも心配してたぞ。何でばあちゃんを避けてるんだって。俺たちが北海道に行ってた間も、ばあちゃんに全然顔を合わせなかったそうじゃないか」


 シュウは竹刀を地面に置くと、腰に手を当て、睨みつけてくる樹里を逆に睨み返した。


「お父さんには関係ないよ……あの人が大っ嫌いなだけだよ」


 それだけ言うと、樹里は竹刀を拾ってシュウの脇をすり抜けるように走り去っていった。


「おい、待てよ! おふくろの一体何が嫌なんだ? ちゃんと理由を話してくれよ! 」


 シュウも自分の竹刀を拾うと、頭を掻きながら樹里の後を追うように走り出した。

 久しぶりに親子二人揃っての剣道の練習が見られると思っていたのに、二人はあっという間に姿を消してしまった。

 僕はこの公園のリーダーになったばかりであるが、のっけから色々と問題が噴出しており、前途多難という感じで先が思いやられる気がする……ルークさん、僕、果たして無事にリーダーを務められるだろうか。

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