第131話 願い事

 朝、まぶしい太陽の光が僕たちを照らし始めた頃、轟音を立てながら、次々と公園の中に大きな工事車両が入ってきた。眠りについていた僕たちは轟音にたたき起こされ、目の前を行き交う車から排出される煙を吸って、思わず咳き込みそうになった。


『何だよこんな早くから、いい加減にしろよ!』


 ヤットが眠りを邪魔されたことへの怒りをぶつけていたが、工事車両は立ち去る様子を見せなかった。やがて作業員たちが車両から降り、僕の根元に隙間のない程並べられていた花束や贈り物を次々と回収していった。


「この木の周りに立ち入らないようロープが張ってあるのに、勝手に立ち入ってこんなに花束を置いて。誰の仕業なんだ?」

「この町の人間みたいだよ。この木がここから動かされるからって餞別を持ってくる人が後を絶たないって、親方が言ってたよ」

「餞別持ってくるのは勝手だけど、作業の邪魔だよなあ。これ全部処分するのに余計にカネがかかるだろうが」

「おや、日本酒やビールも置いてあるな。木の餞別に酒持ってくるなんてもったいねえな。なあ、酒だけこっそりかっぱらって、後でみんなで回し飲みしねえか?」

「そうだな。親方に内緒でさ。ウヒヒヒヒ」


 作業員たちは酒瓶だけこっそり別な容器に移し、それ以外の贈り物は全て透明なビニール袋へと次々と入れ込んだ。


『ねえ、プレゼントはみんな捨てられちゃうのかしら? だとしたらひどいわよね?』


『ここに工事に来てる奴らは、プレゼントを持ってきた人達と違って血も涙もねえな』


 苗木達が口々に作業員たちの非道ぶりを非難していた。やがて車両の一台が僕の目の前に止まると、車の背後から長い梯子がどんどん真上に向かって伸び始めた。そして、いつのまにか僕の頭の上まで伸び、作業服を着た人間が梯子のてっぺんまで登りつめて大きなハサミを僕に向かって勢いよく振りかざした。


『な、何だよ。予告なくいきなり切るつもりなのか?』


 僕は「戦闘態勢」で僕の真上にいる作業員を睨みつけたが、作業員は不敵な笑みを浮かべながらハサミを動かし始めた。

 これで万事休す……ということなのか?

 作業員が音を立ててハサミを動かすと、小さな枝がパラパラと音を立てながら次々と僕の根元に落ちて行った。


『枝だけ?これでおしまい?』


 小さな枝が全て落とされると、作業員はハサミをするどい刃を持つチェーンソーに持ち替えた。やがてチェーンソーは耳をつんざくような激しい音を立てながら、ハサミでは切りきれなかった太めの枝に向けられた。


『あれ?幹じゃないんだ……?』


 どうやら、僕を移植する時に動かしやすいように、邪魔になる枝をすべて取り払うようだ。確かおじさんがここから動かされる前にも、同じ作業をしていたのを遠目に見ていた記憶があった。その時の記憶をたどると、この作業が終わればいよいよ僕は根元から掘り起こされ、新しい場所へと移動させられることになる。

 作業が終わると、作業員たちは黄色と黒の縞模様のロープを僕の周りに張り巡らし、何やら看板のようなものを取り付けていた。

 看板を見た数人の作業員たちは、ニヤニヤしながら僕の目の前を通り過ぎて行った。

 一体何が書いてあるのだろう? 僕には文字が読めないので、彼らの不気味な笑いが気になって仕方がなかった。


『あ~あ、せっかくみんながルークさんのために持ってきたプレゼント、ぜーんぶ持って行かれちゃったね』


 ヤットは呆れ顔でつぶやいた。


『燐花さんから町の人達に広がったルークさんへの想いが、全部無駄になったのね。ひどい話だよ、同じ人間なのに何でこんなに違うの?』


 ナナは作業員たちの暴挙ともいえる行動に対し、怒りに震えた声で疑問を呈していた。


『いいんだよ。僕のことを慕ってくれる人間達がこんなにいっぱいいたことが何より嬉しかったんだ。それに、あのままプレゼントをここに置きっぱなしにされても、そのうち腐っちゃってみんなにも迷惑をかけるだろうから』


 僕は苗木達の気持ちも、プレゼントを持ってきてくれた人間達の気持ちも嬉しかった。どんな形であれ、その気持ちは十分すぎるくらいに伝わっていた。

 プレゼントで埋め尽くされていた地面は、いつものように真っ黒な土が顔を出していた。僕は地面を見ながら、有り余るほどの数のプレゼントをどうしたらいいか悩む必要がなくなったことに胸をなでおろしつつも、どことなく寂しさを感じていた。


 いつの間にか夜が更け、空には満点の星が輝き始めていた。今日は快晴ということもあり、いつもよりも視界に入る星の数も多いように感じた。


『綺麗な夜空だね。最近曇りの日が多かったから、こんな夜空は久しぶりだなあ』


 ケビンは満天の星空を見て、感嘆の声を上げていた。


『ねえ、あの人、大きな望遠鏡持ってきてる。星を見るのかな?』


 ミルクの声を聞き、僕は辺りを見渡した。すると、公園の真ん中辺りで大きな望遠鏡を組み立てている女性の姿が目に入った。


『芳江さんだ!久しぶりだなあ。ここしばらく姿を見せなかったよな』


『うんうん、思い出した。天体観測が好きな芳江さんだよね。相変わらず美人だけど、痩せたのかな?ちょっと頬がこけてるよね』


 苗木達がざわめき始めた。

 毛糸の帽子をかぶり、望遠鏡を一心不乱に見続ける女性は、時々この公園に来て天体観測をしている芳江だった。僕たちが芳江の姿を見たのは本当に久しぶりだったが、その横顔は痩せこけて、どこか元気が無いように見えた。


「すごいわね。今日は春の大三角形もしっかり見られるし、アルクトゥールスもスピカもくっきり見えるし、最高ね」


 芳江は望遠鏡に目を押し当てながら、興奮気味に聞いたことのない言葉を連発していた。


「あ、流れ星も見える!」


 僕は芳江の言葉に反応した。あの時も芳江はここで天体観測をしており、「流れ星に願いをかけると、その願いが叶う」と言っていたのを、今も鮮明に覚えていた。


「彼氏とか結婚とかお金とかいらないから……いつまでもこの場所で、星を見ることができますように」


 芳江のささやく声が僕の耳に入った。

 しばらく会わない間に、彼女にも色々なことが起きたのだろう。望遠鏡を眺めながら細い指を絡めて祈るその姿は、しおれそうな位弱々しかった。

 やがて芳江は立ち上がると、望遠鏡を手際よく片付け、やがて担ぎ上げると、ゆっくりとした足取りで歩き出した。


「あら、何かな? この看板……」


 芳江は僕の目の前に置いてある看板に気づくと、手に取りながらじっと凝視した。そして、読み終えたと同時に手を口に押し当て、声を上げて笑い出した。


「アハハハハ、『この木は間もなく移植されます。木の根元に贈り物や花束などを置くと作業の妨げになるので置かないでください。ただし酒類は可です』だって。どうしてお酒だけOKなの?」


 僕は芳江の言葉を聞き、思わず吹き出しそうになった。プレゼントを置くのはだめなのに、酒類だったら良いだなんて。おそらくプレゼントを回収する作業員たちが自分で飲みたいからだろうけど、あまりにも露骨すぎて笑ってしまった。


「でもあなた、もうすぐこの公園からいなくなるんだね。本当は私も何かプレゼントしたいけれど、お酒以外はダメなんだもんね。でもあなたはお酒を飲めるわけないし、プレゼントしたってしょうがないもんね」


 芳江は笑いながら僕に語り掛けると、しばらく顎に手を当てながら考えごとをしていた。


「そうか、形にならないものを贈ればいいのか!じゃあ、いいことを教えてあげる」


 そう言うと、芳江は僕の目の前で一本の指を高く掲げた。


「私の指先を見てごらん。見えるかしら?黄色い星が。少しずつ尾を引いて動いてるでしょ?」


 僕は芳江の指先を目で追った。そこには黄色く光る小さな星があり、瞬きながら南の方向へと少しずつ動いているのが僕にも見えた。


「あの星に向かって、あなたが今一番欲しいものを伝えてごらん。ひたすら強く、一心不乱にお願いするのよ」


 芳江は流れていく星を指差しながら、僕の方を向いて微笑んでいた。一番欲しいものを伝えろと言われても、あまりにも急な話であり、僕は少し戸惑っていた。一番欲しいもの……あるにはあるけれど。それはプレゼントや花束のような形あるものではなかった。


「もうお祈りした? 流れ星だから、早くしないとどこかに流れて行ってしまうからね」


 芳江はまるで決断を急かすかのように、僕の耳元でささやいた。僕は意を決し、頭上を少しずつ動いていく星に向かって願い事をつぶやいた。


「おや? 西の方からだんだん雲が流れてきてるね。もうすぐ見えなくなるかもよ」


 芳江の言う通り、いつの間にか白く薄い雲が澄んだ夜空を覆い始めていた。僕が願い事を伝え終わるや否や、流れ星は僕の視界から姿を消していた。


「あ~あ、見えなくなっちゃったね。無事にあなたの願い事が伝わっていればいいけれど。じゃ、私は帰るね」


 芳江はそう言うと、かぶっていた帽子をそっと脱いだ。芳江の髪ははまるで野球少年のように短く刈り込まれていた。芳江は微笑みながら片手で短い髪を撫でると、舌を出して笑った。


「アハハハ、驚いたでしょ? こないだ手術した時に髪を短く切られたんだ。私と一緒に流れ星にお願いした人達はみんな願いを叶えて幸せになったけれど、肝心の私は幸せになれてないみたい。でもいいのよ。みんなの幸せな顔を見ると、私も幸せな気持ちになれるから」


 驚きのあまり言葉を失った僕たちをよそに、芳江は再び帽子をかぶると、笑顔で大きく手を振った。


「じゃあね。新しい場所でも幸せに、そして精一杯生きてほしい。今度流れ星を見たら、あなたの無事をお祈りするからね!」


 芳江は自分のことを心配させないかのように、明るく声を弾ませながら遠くへと去っていった。


『芳江さん、ルークさんよりも自分のことを心配しなくちゃダメじゃん』


 キキは呆れかえった様子で芳江を見届けていた。

 芳江から僕へのプレゼント、果たして本当に叶うのだろうか?夜空を覆っていた雲は再び遠くへと去り、沢山の星たちが再び顔を見せた。しかし、そこには黄色に輝く流れ星の姿は無かった。

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