第130話 思いがけないプレゼント

 今日は、温かい雨が僕たちの頭上に降り続けていた。季節は一歩一歩前に進み、今年も春を迎えようとしていた。

 冬から続いている公園の改修工事はまもなく完了を迎え、僕はいよいよこの公園から移植される予定だ。工事完了が近づくにつれて、苗木達もケビンも僕に気を遣っているのか、以前のように気さくに話しかけてくれなくなった。だから僕は、彼らの心を少しでも開こうと思い、自分から色々語り掛けているようにしていた。


『今日は朝からずーっと雨だね。昔はこの公園を色とりどりの傘をさした若い人たちが通り過ぎて行ったもんだよ。近くにデパートがあったから、若い人や家族連れがいっぱい来ていたんだ。今のこの公園しかしらないみんなには信じられないだろうけどね』


 僕が昔の公園の話をしても、誰も反応をしてくれなかった。


『みんなどうしたの? 元気ないなあ。僕のこと気にするなよ。僕はこれで死んじゃうわけじゃないんだ。僕は新しい場所で、この公園にいた時と同じように楽しく生きていくから、心配するなって』


 しかし苗木達は何の反応も示さなかった。僕は努めて明るくふるまっていたが、彼らの表情は暗いままだった。


『おいおい、こんなに静まり返った中でここを去るのは嫌だよ。もっと明るく楽しく送り出してくれよ』


『そうしたいけれど、できないよ。ルークさん』


 ケンが僕を睨みながらそう言い返した。


『ルークさん、最近昔の話しかしないじゃないか。「僕がここに来た時はイケメンで貴公子だった」とか、おじさんっていう木との思い出話とか、隆也さんの話とか……いい加減にしてくれよ。懐かしさに浸るのはわかるけれど、僕らの知らない時代の話だから、全く実感がないし、そんな話を毎日聞かされてもうんざりするだけだよ。「ああ、また今日もか」ってね』


『な、何言ってるんだよ! 昔話をして何が悪いんだ?』


 ケンに真向から不快感を示された僕は、思わず身構えてしまった。確かに最近僕は昔の思い出話をすることが増えた。それがどうして彼らにとって苦痛なんだろう?彼らが知らない昔の公園のこととか、彼らが会ったことのない「おじさん」のこととか、この公園に立つケヤキとして知っておいて損はないと思うのだが。


『わかった。じゃあもうこれ以上昔話はしない。その代わり、君たちからも僕に色々話しかけてくれよな?僕は君たちが最近一言も話しかけてくれないから、僕に気を遣ってるんじゃないかと思って、こっちから話題を振っているだけだからね』


 苛ついた僕は、思わず不満を口にしてしまった。何の会話も無く静まり返っている様子を見て、僕はいたたまれず、歯痒い気持ちをしていた。

 相変わらず雨がしとしとと降り続き、公園には誰一人姿を見せなかったが、ようやく傘を差した通行人が姿を見せた。

 花柄の大きな傘を差した女性と、かわいい絵柄の小さな傘を差した女の子が水たまりを避けながら歩き回り、僕の目の前にたどり着くと、突如ぴたりと足を止めた。


「ねえママ、この木かな?」

「うん、そうだね、この木だね。もうすぐここからお別れするのは」


 女性は手提げ袋から小さな花束を取り出すと、僕の目の前に置いた。

 女の子は背負っていたリュックサックを降ろすと、そこからお菓子の箱を取り出し、女性の置いた花束の隣にそっと置いた。


「ありがとう、ケヤキさん。元気でね」

「ありがとう、バイバイ」


 二人は手を振って、近くのマンションの方へと歩き去っていった。


『どうしたんだろ、あの二人。突然花束やお菓子なんか持ってきて』


『さあ……僕も良く分からないよ。すぐそこのマンションの人達みたいだから、ひょっとしたら僕が移植されることを知ってるのかもしれないよね』


 僕は目の前に置かれたプレゼントに戦々恐々としていた。

 その後しばらくすると、おしゃれな洋服を着た若い女性二人組が肩を並べて僕の前までやってきた。


「さっちゃん、この木かな? 『木の移植を行います』って看板があるよ」

「本当だ!私、昔この辺に住んでてね。この木を見ながら小学校に通ってたんだよ。学校の行き帰りにこの木に向かって行ってきます、ただいまって言ってた記憶があるよ」


 女性たちはカバンから小さな花束を取り出し、さっきの親子連れが置いた物の隣に添えるように置いた。


「ありがとう。あなたがここにいたから、私は安心して学校に行けたんだよ」


 女性のうち一人がそう言いながら僕の方をじっと見つめていた。


『て、照れるな。そんなにじっと見つめられると』


 僕は思わず赤面してしまった。

 女性たちと入れ替わるように、サラリーマン風のネクタイを締めた男性が大きなかばんを手に目の前に姿を見せた。


「ありがとう。仕事が辛い時も、君が僕を見守ってくれていたからここまでがんばれたんだよ」


 そう言うと、男性は何やら大きな瓶をかばんから取り出し、僕の根元に置いた。


「このお酒は『大樹』って言う名前でね、僕が好きな銘柄なんだ」


 そう言うと、男性は深々と頭を下げ、僕の元を去っていった。


『ルークさん、お酒飲めるの? もらったのはいいけど、どうするの?』


『さあ……気持ちは嬉しいけど、僕にはどうしようもできないよ』


 僕は根元に置かれた大きな酒瓶を見て、思わず考え込んでしまった。

 男性が去った直後くらいにようやく雨が止み、鉛色の空から徐々に明かりが差し込み始めた。そして、公園には続々とプレゼントや花束を手にした人たちが続々とやってきていた。


「高校の時、好きだった人にコクったのはこの木の下だったんです」と、顔を赤面しながら話してくれたサラリーマン風の男性。

「受験に失敗して涙が止まらなかった時、あなたに抱き付いて延々と泣きついていたの、覚えてるかな?」と話してくれた眼鏡をかけた若い女性。

「酔っぱらってゲロした時、君に引っかけちゃったよね。あの時はごめんな」と笑いながら僕の幹をなで、その時の迷惑料代わりだと言ってビール瓶を置いていった作業服姿の若い男性。

 そして「昔、この近くにあったデパートで旦那とデートした帰りに、ここでプロポーズされたのよ」としみじみと語ってくれた、年老いた白髪の女性……。

 僕の所にやってくる人たちは、僕の根元に花やペットボトル入りの水などを置きながら、それぞれが抱く僕にまつわる思い出話をして、名残惜しそうに去っていった。


『ねえみんな、見てよ! ルークさんの足元、花とプレゼントで埋め尽くされてるよ!』


『こんなにもらってどうするの? 僕らじゃ処分できないし、このままじゃ腐って悪臭がたちこめるだけなのに。思い出に浸るのはいいけど、人間って本当に身勝手だよなあ』


 苗木達は困惑した様子で僕の足元を見つめていた。彼らも困っているだろうけど、こんなにたくさんの贈り物をもらってしまい、僕自身が一番困惑していた。大体、ケヤキである僕の所に酒の瓶を持ってきた人は、一体何を考えているのだろうか?


『そう言えば、どうして急にこんなに多くの人達がルークさんに会いに来てるんだろう? 誰かがルークさんの移植のことを町のみんなに話しているのかな?』


 ケビンが不思議そうな様子で僕を見つめていた。


『そうよね。この公園を通りかかる人しか分からないもんね、ルークさんが移植されることを知ってるのは』


 ナナもケビンの意見に同調していた。

 確かに、今日になって突然、こんなにたくさんの人達が懐かしさついでに僕に会いに来るわけがない。僕も苗木達も色々理由を探ったけれど、分からずじまいだった。

 あれこれとしているうちにすっかり日が暮れ、僕たちはかすかな街灯の明かりに照らされていた。公園には、竹刀を持ったシュウと娘の樹里がやってきた。


「ねえ、まだ寒いよぉ。まだ外で練習するのは嫌だよ、パパ」

「バカ言うな。俺は冬でもこの場所で練習していたんだぞ。お前のじいさんは厳しい人だったからな。もうすぐ市の大会があるんだから、道場の練習だけじゃ足りなくなるぞ。勝ちたければ、たとえ寒くても外で練習してもっと強くならないとダメだ」


 隆也やシュウは夏も冬も夜になるとこの場所で剣道の練習を続けていたが、樹里は女の子ということもあってか、冬の間だけこの場所で練習することは避けていた。春を迎え、大会も近いということもあり、しばらく中断していた樹里の練習は今夜から復活するようだ。


「さあ行くぞ! 一、二、三、四!」


 シュウと樹里は必死に竹刀を振り続けた。素振りが終わると、真横に構えたシュウの竹刀を、樹里が真上から竹刀を振り下ろして打つ練習が始まった。昼間に比べると気温は下がっているが、二人の額には汗が光っていた。


「よーし、今日はここで終わろうか」

「うん、久し振りだからすごく疲れちゃった……あれ? ねえパパ、この木の根元を見てよ」

「どうした?」

「何だか色んな物が置いてあるよ。お花とかお菓子の入った箱とか。あ、ペットボトルやビールの瓶もあるじゃん!」


 樹里は僕の根元にある贈り物の山に気づいたようだ。


「アハハ、もうこんなに来たんだね。すごいな、RINKAのパワーは」

「RINKA? あの有名な絵描きの……?」

「そうだよ。樹里もこないだ一緒に展覧会見に行っただろ? 今度、町の美術館にRINKAがこの木を描いた絵を寄贈したんだよ。もうすぐこの木がどこかに移されるから、その前にこの場所に立ってる絵を描きたかったんだって。そしたら、この絵を見た町の人がこぞってこの木を見に来てるって、母さんが言ってたよ」

「ふーん……絵の力ってすごいね」

「絵もすごいけど、RINKAにも、そして見に来た人たちもみんなこの木に思い出があるんだよ。もちろん、パパにもね」

「そうなんだ。パパもこの木に何かプレゼントあげるの?」

「そうだな……最後に剣道の練習相手になってもらおうかな」


 シュウはそう言ってニヤリと笑うと、樹里の手を引いて自宅へと歩き去っていった。


『みんな、燐花が描いた絵を見てここに来たんだね。ルークさん、色んな人達からプレゼントをもらったけど、燐花からのプレゼントが一番心に残るものかもね』


ケビンは納得した様子で、僕の根元に積まれた贈り物の山を見つめていた。


『いや、シュウとの剣道の練習が一番心に残るかもよ。あ、心だけじゃなく、身体にも……か』


 僕がそう言うと、さっきまで僕が話しかけても無反応だった苗木達から一斉に笑い声が巻き起こった。僕は彼らからの反応がとても嬉しかった。あの全身がしびれるほどの痛みを考えると、正直な話、笑い事ではないんだけど……。


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