第128話 君たちに伝えたい事
夜が更け、人通りも無く静まり返った公園。
昼間は作業員が多く詰めかけ、僕たちケヤキの植え替えに向けた準備を着々と進めていた。トラックの音や地面に穴を開ける機械の音がけたたましく公園の中に鳴り響いていた。
西の空が徐々に赤く染まる頃になると作業員たちが次々と帰り、僕たちもようやく心を落ち着かせてすごせるようになった。
僕がこの公園にいられるのも、残りわずか。長く一緒に暮らしてきた仲間たちとの別れること、そして見慣れたこの公園の風景が見られなくなることに、日に日に名残惜しさを感じるようになった。
そんな僕以上に、別れを辛いと感じているのがケビンだった。
今日もずっと元気がなく、苗木達とのおしゃべりに混ざることもなく、無言のまま立ち続けていた。
夜が更けた頃、苗木達のにぎやかな会話の合間に、誰かが恫喝するかのような声が僕の耳に入ってきた。
『ルークさん、大変よ!』
ミルクの悲痛な声が公園に響き渡った。
『どうした?』
『ケビンさんが、キングのことを……』
ミルクの声を聞き、僕は耳を澄まして僕の対面に立つケビンの声を聞きとろうとした。ケビンは唸るような声で、キングに対し何かを話しかけているようだった。
『おい、聞いてんのかよ?お前がここを出ようとしなかったから、ルークさんがここから出て行くことになったんだ。わかるか?』
ケビンの声は激しい怒りに満ち、傍で聞いているミルクやキキは自分が怒られていると感じているのか、おそれおののいているように見えた。
『何にも返事がねえな。お前のせいなんだ!もう一度言うぞ!お・ま・えのせいだ!』
ケビンとは長い年月をここで一緒に暮らしているが、普段は臆病で遠慮がちなケビンがここまで怒りをあらわにしたのを僕は見たことがなかった。
『おい、何か言ってみろ!何も言えないのか?ならばこの僕の言う事をお前は認めてるってことか?』
ケビンは次第に挑発的な口調になり始めた。
『ちょっとケビンさん、いい加減にしろよ!キングを恨むのは筋違いだよ。ルークさんがいなくなるのは人間達が決めたことなんだからさ』
ケンは大声でケビンをたしなめた。
『うるさい!黙ってろ!僕はキングに話をしてるんだ。お前には関係ない話だ』
『いや、俺たちはキングの仲間だし、家族なんだ。そのキングが言いがかりつけられていたら、黙ってられるわけないだろ?』
『それは僕にとっても同じだよ。ここに暮らすみんなは仲間だし、家族だ。でも、僕にとってルークさんは特別な存在なんだ。僕が小さい頃にここに連れて来られてから、ずっと僕を見守り、辛い時でも声をかけて励ましてくれたんだ。そのルークさんがいなくなるんだぞ?僕にとっては何よりも大事なものを奪われるような気分だよ。あの時、予定通りキングが移植されていたら……まだまだルークさんとこの場所で一緒に暮らしていけるはずだったのに!』
ケビンはケンの言葉にはほとんど耳を貸さず、僕を奪われることへの恨みつらみの言葉をひたすら並べていた。
『その辛い気持ちはわかるわよ、ケビンさん。ルークさんとケビンさんは小さい頃からずーっと私たちを見守って、声をかけてくれたもんね。私もすごくさみしいよ』
ミルクはケビンの言葉に同調していた。すぐ隣でケビンの恫喝を聞かされて相当嫌な思いをしているはずなのに、僕はミルクの意外な言葉に驚かされた。
『でも、だからと言ってキングを犠牲にしていいの?違うだろ?俺はルークさんが居なくなるのも嫌だけど、キングが居なくなるのはもっと嫌だよ』
ヤットはミルクの言葉に腑に落ちない様子を見せていた。
『ヤットの言う通りよ。ケビンさんの言ってることは独りよがりよ。ルークさんを残したいがためにキングに犠牲になれってこと?それじゃキングがかわいそうだよ!』
キキも、ケビンの態度に不快感を露わにしていた。
『じゃあ、ここにいる誰かがキングやルークさんの身代わりになれるの?』
ナナは、他のケヤキ達の言葉を冷静に切り返した。
『まあ……俺は嫌だな』
『私も嫌よ。こんな居心地のいい場所、離れたくないよ』
公園のあちこちから、口々に自分が犠牲になりたくないという声が聞こえてきた。
『ほら、そうでしょ?私も嫌だよ。誰かが人間達の立てた計画の犠牲にならなくちゃいけないのよ。私が人間だったら、単に公園を改修したいがために私たちのうちの一本を移植するなんて、そんなくだらない計画をつぶしてやりたいわよ。それができないから、本当に悔しくて……』
ナナの樹皮の隙間から樹液がじわりと染みだしていた。
『ルークさん、やっぱりあなたは立派だよ。人間達に対して、必死にキングの身代わりになりたいって必死にアピールしていたよな。俺ならばあんなこと、言えないよ。本当に身代わりになったら嫌だもん……』
ヤットは羨望の眼差しで僕を見ていた。
『いや、僕は単に、移植する木にキングが選ばれたことが気に入らなかったからだよ』
僕は照れくさくなり、ヤットの言葉を必死に否定した。
『みんな、色々と心配かけてごめんな。でも、僕のことは気にしなくていいからね。新しい場所では僕が来るのを楽しみに待ってる人達がいるんだからさ。不安よりも期待や楽しみの方が大きいんだよ。自分で言うのも変だけどさ』
僕がそう言うと、ケビンや苗木達は僕をじっと凝視していた。
「何言ってるんだよ?」と言わんばかりの表情で。
『ど、どうしたんだよみんな。怖い顔で睨むなよ。これは僕の今の正直な気持ちだよ。もちろん、ここを去ることはすごく寂しいよ。この公園には五十年以上立ち続けて、思い出が数えきれない位たくさん詰まってるし、何よりも、みんなとここで過ごした日々は本当に楽しかったからね』
僕は最後にそう言うと、不思議と寂しい気持ちがこみ上げてきた。仲間たちの気持ちをなだめようと思って言っただけなのに。
『ねえルークさん、僕、やっぱり寂しいよ。ルークさんともっと一緒にいたいよ。もっと沢山色んなことを教えて欲しいよ。頼むから僕を置いていかないでおくれよ!』
ケビンは悲痛な声でそう叫んだ。
『ありがとう、ケビン……気持ちは嬉しいけど、君はもう立派なケヤキに成長したじゃないか。これからは苗木達に色々と教えてあげて欲しい。そして時にはなだめ、時には怒り、彼らを立派な大人の木になれるまで見守ってほしい』
『そんなこと……僕は出来ないよ!僕は臆病だし、時には苗木達に小馬鹿にされることもあるし』
『いや、君は彼らよりはずっと長く生きているし、色んな経験をしている。君ならきっと、苗木達の心の支えになれるはずだよ』
『できないよ、絶対にそんなの無理だ……』
ケビンは泣きじゃくりながら否定的な言葉を繰り返し、僕からの言葉をなかなか受け取ってくれなかった。
ケビンは残されたケヤキ達の中で一番年長になるが、まだまだ僕にべったり甘える所があり、いざという時頼りになるのか心配である。しかし、苗木達がもう少し成長して立派なケヤキの木になるには、もう少し時間が必要である。とりあえずそれまでの間は、ケビンにこの公園のことを任せようと決めていた。苗木達の中ではケンが一番頼れる存在で、いざという時にはリーダーシップを発揮しているが、他の苗木達のわがままに同調してしまうところがあるので、僕はケンにこの公園のことを全て任せたいとは思わなかった。
そして、いつかケビンがリーダーの役目を終える時、この公園の将来を担うリーダーとなってほしいと願う木が他にあった。
夜も深まり、暗闇が完全にこの公園を覆い尽くし、騒がしかった苗木達もすっかり寝静まっていた。
『ルークさん……ルークさん……』
暗闇の中から、誰かが僕の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
か細く力のないその声に、僕は聞き覚えがあった。
『キング?』
『そう……だよ……ごめんなさい……起こしちゃって』
『どうしたんだい?もう夜も遅いんだから、ちゃんと寝ないと』
『うん……わかってる。でもね……』
キングの声は、相も変わらず聞き取りにくい位小さいけれど、苗木達が寝静まっている今は、言葉の一つ一つがきちんと僕の耳に届いていた。
『ルークさんとケビンさんに、あやまりたくて……』
『はあ?』
『だって……僕のせいで、ルークさんはこの公園から去らなくちゃいけなくなったし……ケビンさんには、辛く寂しい思いをさせることに……なっちゃったから』
キングは申し訳なさそうに、いつも低い言葉のトーンをさらに低く落としながら僕に謝っていた。
『気にすんな!君のせいじゃない。人間達が勝手に決めたことだ。それに、僕は君にはこの公園でがんばって生きてほしいと思ってる』
『でも、僕は……ここにいても、いなくても、同じだから……』
『そんなわけないよ。他の木達はみんな君を心配しているぞ。それからケビンのことは気にすんな。あれは単に僕がいなくなることが寂しくて、その気持ちをどこにぶつけていいかわからなくて君にぶつけているだけだと思う。何も言わず、ほっとけばいいよ』
『だからこそ、僕が……僕がここから他の場所に行けばよかったのかなあって。そうすれば……ルークさんもケビンさんも、他の仲間たちも……ずっとここで暮らしていけるもん』
『バカ言うな!僕はそんなつもりで君を守ってきたわけじゃないんだ!』
『……』
『人間達の身勝手な計画を許せなかった。単に身体が小さくて弱そうとか、ケガしているからとか、そんな理由で移植するのは許せなかった。それに……』
『え?』
『キングには、いつの日かこの公園のケヤキ達のリーダーになってほしいと思っているから……』
『……!?』
静寂が包む中、僕は自分がずっと心の奥底に隠し続けてきた本音を伝えた。
キングは驚き、僕に何か言いかけようとしていたが、言葉を止め、そのまま黙り込んでしまった。
キングは、他のケヤキ達よりも小さい身体で、言いたいことも上手く言えず辛い思いを抱えながら生きてきた。そして、度重なる災難に遭っても立ち上がり、ここまで歯を食いしばって生きてきた。そんな姿をずっと見てきたからこそ、キングならば、この公園の将来を支えていける力が備わっていると信じていた。
だからこそ、僕は身勝手な計画を進める人間達から、身を挺してでもキングを守りたいと思っていたのだ。
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