第126話 涙の理由

 キングの移植が決まって以来、公園の中には慌ただしく工事関係者が出入りするようになった。僕たちの周囲は少しずつ穴が掘られ、僕たちを等間隔に植え直すための準備が進められていた。植え直すタイミングで、キングをこの公園から移植するのだろう。タイムリミットは、刻一刻と迫っているようだった。


『ねえ、工事の人達、聞いておくれ!そこの小さな木じゃなくて、この僕を移植してくれよ!その木にはまだ未来があるんだ。今からでも考え直してくれよ!』


 今日も僕は、目の前を行き交う工事の作業員たちに大声で呼び掛けた。しかし、誰一人として僕に見向きもしなかった。


『ルークさん、もうやめなよ。人間達に俺たちの言葉が聞こえるなんて期待しない方がいいよ』


 ケンは僕を諫めるかのように話しかけてきた。


『そうよ。それにルークさん、本気で移植されても良いと思ってるの?根っこを掘られて枝を切り落とされて、そして見知らぬ土地に連れていかれて……色々と嫌な思いをしなくちゃいけないのに、どうして?』


 キキは、「ありえない」と言いたそうな口調で僕に問いかけた。


『キングを守りたい……だから、誰が何と言おうと叫び続けたいんだ』


 僕がそう言うと、キキは呆れ顔で僕を見ていたが、僕は構うことなく再び人間達に向かって叫び出した。聞いてもらえないかもしれないけど、いつか聞いてもらえると信じて。

 しかし、僕の期待と裏腹に、作業員たちは作業を止めて続々と公園から去り始めた。


『ああ、今日も駄目か……』


 僕はため息をつきながら、作業員たちの背中を目で追っていた。

 その時、作業員たちに入り交じる様に立っている大きなカバンを抱えた女性の姿が僕の目に止まった。女性は作業員たちと何やら話し合った後、カバンを手にケビンの方向へと歩き出した。


『あ、櫻子先生だ!今日は来るのが遅いなあ。いつもは朝早く来てくれるのに』


 櫻子はケビンの前のベンチでかばんを開くと、道具を手に取り、ケビンの様子を確かめだした。


「うん、君は今日も大丈夫そうね。一見元気無さそうだけど、一番丈夫だよね」


 櫻子がそう言うと、ケビンは照れ笑いを浮かべていた。

 櫻子は手際よく次々と僕たちの健康状況を確認していった。僕が終わった後、ナナ、ミルクと診察を終えた櫻子は、キングの元へとやってきた。

 櫻子はキングの足元にしゃがみ込むと、幹の折れた部分をじっと目視し、そこからゆっくりと視線を地面に向けていった。その時の表情は、どこか寂しそう見えた。


「ごめんね。力になれなくて、本当にごめんね」


 キングに話しかける櫻子の声は震えていた。彼女はキングの移植には終始反対してきたのだろう。彼女の言葉には悔しさと申し訳なさがこもっており、僕たちにも彼女の感情が痛い程に伝わってきた。


「今度移植される場所は高台で地盤の安定した所だし、風当たりもそれほど強くないから、ここみたいに色んな心配をしないで済むと思う。でも、イヤだよね?知らない木たちの間に、一本だけぽつんと移植されるのはさ……私が木だったら、すごく嫌だもん」


 おそらく櫻子は移植先を見てきたのだろう。おじさんの移植先と同じく、きっと出来たばかりの公園なのかもしれない。でも、すでに何本か「先輩格」の木がいるようなので、気の弱いキングは委縮してしまうかもしれない。


「他にも引き取り手がないか探してるんだけどさ……この公園みたいにちゃんと管理してくれる人がいる場所ってなかなか無くてね」


 櫻子は力のない声でそう言うと、しゃがみこみ、片手でキングの幹をそっと撫でまわした。


『ありがと……先生』


 キングのささやくような声が僕の耳にも入ってきた。その声を聞くと、僕たちも思わずもらい泣きしそうになった。

 櫻子は道具をカバンに仕舞うと、立ち上がり、小さな声で「ごめんね」と言って片手で目元を拭った。やがて、涙が次々と頬からしたたり落ち、声を上げて嗚咽し始めた。


「どうしました?」


 泣きじゃくる櫻子の真後ろから、通りかかった白髪の男性が声を掛けていた。


『あれ?園長先生?』


 男性の姿を見て叫んだケビンの声を聞いた僕は、目を凝らして男性を観察した。ケビンの言う通り、ここで柊真という男の子と鬼ごっこをしていた児童養護施設の園長先生だった。


「な、なんでもありません!どうか気になさらないでください」


 櫻子は泣きながらカバンを手に取ると、慌てた様子でその場から離れようとした。


「待ってください。私で良ければ話を聞きますよ。遠慮しないで話してください」


 園長先生は声を上げて櫻子を引き留めようとした。櫻子は早足で男性から離れようとしていたが、その目の前に一人の男の子が立ちはだかる様に立っていた。


『柊真君!?』


 小さな身体を挺してその場に立ちはだかる男の子は、まぎれもなく柊真だった。


「お兄ちゃん、悪いけどどいてちょうだい」


 しかし柊真は黙ったまま、その場から動こうとはしなかった。櫻子は涙を拭うと、睨みつけるような目つきで男の子を威嚇していた。


「どうして泣いてるの?」

「え?」

「だって、涙がいっぱい流れてるから」

「……私のことなんかほっといて。さ、どいてちょうだい」


 櫻子は柊真の体を押しのけ、その場から立ち去ろうとした。


「ねえ、さっきあの木に話しかけていたの?聞こえたよ。『ごめんね』って言ってるの」


 櫻子は驚いた様子で柊真の方を振り向いた。


「ど、どうだっていいでしょ?」

「良くないよ。ね、園長先生」

「そうですよ。あなた、さっきからその小さな木を見ながらずっと泣いていて、我々も傍から見て心配で仕方が無かったんですよ」


 園長先生と柊真は、櫻子を取り囲むように立ち、櫻子を心配そうに見つめていた。


「ねえお姉さん、この木、どうかしたの?」

「この木とお別れをしなくちゃいけないのよ」

「どうしてお別れしなくちゃいけないの?」

「それは……私にはどうしようもできないことなの!とにかく、この木とはお別れしなくちゃいけないのよ。わかった!?」


 柊真の質問攻めに言葉を詰まらせた櫻子は、苛ついた様子で怒鳴り散らした。櫻子の言葉に柊真はしばらく何も言い返せなかったが、やがて指をくわえながら小声で語りだした。


「僕も、小さい時にお父さんとお母さんとお別れしなくちゃいけなくなったんだ。そして知らない人ばかりの施設に連れてこられたんだ。だから……その木も僕と同じなのかな?と思って」

「え?あなたも?」


 櫻子は仰天した様子で柊真を見つめた。そして、こめかみのあたりを押さえながらしばらく黙り込んだ。

 すると園長先生が後ろから櫻子の肩をゆっくりと叩き、微笑みながら語り掛けた。


「話してごらんなさい。もし私たちにあなたの解決のお役にたてることがあるなら、何でもしますよ」

「……でも、話したって何も解決しないですよ。これは行政が決めてることだから」


 櫻子はしばらく話すことをためらっていたが、心配そうに見つめる柊真や、まるで包み込むような雰囲気で櫻子の肩を支えて微笑む園長先生を見て、気分が落ち着いたのか、ようやく話し始めた。

 キングがこの公園から移植されることになったいきさつ、キングに対し樹木医として何もできなかったことを後悔していること……櫻子は胸のうちに抱えた辛い気持ちを、時折涙を拭いながら話した。


「そうですか。そんなことが……」

「私、樹木医として失格です。こんな小さく傷ついた身体のまま別な土地に移し替えても、そこで立派に成長できるなんて思えない。却って衰弱することだってあり得るし。そのことを必死に訴えてきたのに、行政を納得させることができなかった……本当に情けなくて、悔しくて」


 すると、園長先生は突然何を思い立ったのか、櫻子から手を離すと、柊真を手招きした。園長先生はしゃがみこみ、目の前にいる柊真をじっと見つめた。


「なあ柊真君、昔住んでいた家の庭で、お父さんやお母さんとかくれんぼしていたんだろ?その時、庭にあった木で目を隠して十数えたり、鬼に見つからないよう隠れたりしただろ?」

「……うん」

「その時の木って、この公園に立ってる木のうちどの木が一番似ているかな?」


 園長先生はそう言うと、柊真を見つめながら笑みを浮かべた。

 柊真は大きくうなずくと、園内をゆっくり歩きながら、公園に中に立ち並ぶ僕たちケヤキを品定めするかのように一本ずつじっと見つめ、その後、キングの隣に立つミルクの身体のあちこちを触り始めた。


『やだ、柊真君、くすぐったいよ!』


 ミルクは大声を上げて笑い出した。その後柊真は更にその隣に立つナナの身体を触りだした。ナナもミルク同様にくすぐったいのか、甲高い声を上げて大笑いしていた。ナナの次はキキ、ヤット、ケン、そしてケビンと次々に触り、公園の中は彼らの笑い声で異様な雰囲気に包まれていた。もっとも、柊真にはその声が聞こえていないかもしれないけれど……。

 そして柊真は、僕の前に姿を見せた。両手で幹の辺りを何度も撫で回し、僕は他のケヤキ達のように笑うのを我慢するつもりだったが、あまりのくすぐったさに思わず吹き出しそうになってしまった。その後柊真は、かくれんぼで鬼が目隠しする時のように幹に額を当て、無言のまま感触を確かめていた。

 しばらくすると、柊真は突然額を離し、真後ろで様子を見守っていた園長先生に手を振った。


「ねえ園長先生!わかったよ、僕の家の庭と同じ木が……」


 柊真はそう言うと、笑顔で僕の方を指さした。


「この木なのかい?」

「そうだよ。こんなふうに太くて大きくて、りっぱな木だったんだ。僕の身体をすっぽり隠してくれる位にね」


 柊真はそう言うと、園長先生は笑顔でうなずいていた。


「それにね先生、この木が僕に『また一緒にかくれんぼしようよ』って言ってるような気がしたんだ」

「え?木が?」


 柊真の言葉に僕は驚いた。僕は何一つ言葉を発していないのに……。


「そうか、わかったよ。お姉さん、安心してお帰りなさい。ひょっとしたら私たちにできることがあるかもしれないからね」

「ええ?ほ、本当に?」

「まあ、上手くいくかどうかはわからないけどね。さ、柊真君、今日もかくれんぼするぞ!」

「うん、園長先生!今日は僕が鬼をするね」

「よーし、じゃあ早く隠れなくちゃ!」


園長先生は足早に駆け出して茂みに身を潜め、柊真は僕の幹にそっと額を当てて、大きな声で数を数え始めた。


「本当に……大丈夫なのかなあ」


櫻子は首をひねりながら、カバンを手に二人の様子を見届けていた。

いつものように無邪気に鬼ごっこを楽しむ二人が考えている秘策とは一体何なのか、

僕たちはこの時、全く想像すらできなかった。

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