第125話 理不尽な宣告

 年が明け、身体が凍り付く程の強烈な寒さもほんの少しだけ緩んできた。

 一面に降り積もった雪が風に舞い上がると、目の前が真っ白になり、僕たちの視界が遮られた。こんなに雪が降り積もったことは、僕がこの場所に来て初めてかもしれない。


『おーい、みんな生きてるのか?』


 僕は他の木達に声を掛けた。


『うん、大丈夫だよ……』


 どこからともなく、力のない声で返事が返ってきた。


『何だ、元気ないなあ。まあ、こんなに寒い日が続いたら無理もないか』


 僕は呆れつつも、仲間たちの無事が確認出来て胸をなでおろした。

 ケビンや苗木達は凍えながらも枝を折ることも無く元気に立ち続けているように見えたが、心配なのは以前雷の直撃を受けたキングの容体だった。切断された部分からやっと生えてきた枝にたくさんの雪が積もり、その重さで枝がしなって折れ曲がりそうになっていた。


『キング!大丈夫なのか!?見た感じすごく辛そうなんだけど』


 キングは相変わらず無言だった。すると隣に立つミルクがキングの様子を伺い、キングを代弁するかのように話し出した。


『ルークさん、とりあえずキングは大丈夫そうだよ。だけど、枝が曲がりそうで心配ね。せっかく枝が生えてきたのに、かわいそう……』


 やっぱりキングにとって、今年の冬は大きな試練になっているようだ。キングのためにも、早くこの厳しい冬が終わってほしいと心から願うばかりだ。


『ねえルークさん!作業衣を着た人たちがぞろぞろとやってきてるよ』


『え?』


 公園の端に立つケビンが、大声で叫んでいた。ちょうど目の前で強い風に乗って雪が舞い、視界が遮られていたが、ケビンのいる方向から人間の話し声が少しずつ僕の耳にも聞こえてきた。

 やがて人間の声はケビンからキングのいる方向へと動いていった。やがて視界が開け、キングの目の前に作業衣をまとった人間達の姿を確認した。

 恰幅の良い白髪の男性と、若い男性が二人、さらにその後ろには、樹木医の櫻子の姿が確認できた。男性達の作業衣を見た限り、櫻子以外は市の職員のようだ。


「課長、いかがでしょう?」

「そうだな……僕から見ても、ここに置いておくのはちょっと危険だと思うな」

「ですよね。この木を公園から動かし、安全な場所へ移植するのが一番ですよね」


 彼らの会話を聞き、僕は仰天した。


「課長、この図面をご覧ください。この木を移植したあと、等間隔でそれぞれの木を植え直す形にして配置したものです。ごらんの通り、公園内に全て収まりますから」

「おお!じゃあこれで決まりだな!この木には悪いけど、これがこの木にとっても、そしてこの公園にとっても良いことだと思うからな」

「いやあ、これでやっと決まりましたね。櫻子先生も色々助言してくださって、ありがとうございます!」

「は、はい……」


 若い男性達は声を弾ませていたが、櫻子の声はどことなく覇気が無かった。


「じゃあ、この案を部長に提出し、認められたら、後はいよいよ工事だ。予定通りに年度内に完成させるためにも、ここからが急ピッチで動かないとダメだぞ、分かってるよな?」


 白髪の男性は、若い男性達を指さしながら張りのある声で問いかけた。


「だ、大丈夫ですよ。あとは工事費用を算定し、発注するだけですから」

「そうか。じゃあ早く頼むよ。地域の人達からは早くこの公園の改修工事を進めるよう、僕の所に何度もお願いしに来ているんだ。僕もこれ以上待ってくださいって繰り返すのも、正直嫌だからね」


 そう言うと、白髪の男性は背を向け、雪を踏みしめながら公園の外へと歩き去っていった。若い男性達はその後を追うように去っていったが、櫻子だけは後を追わず、キングの目の前に立ち尽くしていた。


「ごめんね……力になれなくて、本当にごめんね。私はあなたの移植に反対したけど、市の職員さんたちが言う事を聞いてくれなくて」


 櫻子はそう言うと、ハンカチを取り出して何度も目の辺りを拭っていた。


「おーい、櫻子先生!早く来てくださいよ。そろそろ発車しますよ!」


 公園の外から男達の声が響くと、櫻子は片手で目頭を押さえたまま、足を引きずりながら元気のない様子で公園から去っていった。

 その後、誰もいなくなった公園では、しばらく沈黙が続いた。

 人間達からの突然の宣告に、誰も何も言えなかった。


『本当に、これでいいのかよ?』


 ケンが沈黙を破るような言葉を発した。


『そうだよ、キングがかわいそうだよ。危険だから?安全な場所?ふざけんなよ!』


 ヤットは憤慨気味にケンに同調した。その時、「そうだそうだ!」と、あちこちから同調する言葉が聞こえてきた。


『そうなの?本当にそう思ってる?内心は「自分じゃ無くて良かった」って思ってるんじゃないの?』


 皆の言葉に水を差すように、キキはいぶかし気に言葉を挟んだ。すると、騒ぎ立てていた苗木達は一斉に言葉を止めた。


『まあ……それは認めるよ。でも、でも、このままキングが選ばれてしまうことは、やっぱり納得いかないよ!』


 ケンは、仲間たちの言葉を代弁するかのように話した。


『じゃあ、ケンはキングの代わりに移植されても良いと思う?みんなと離れ離れになって見知らぬ場所に連れていかれても良いと思ってる?』


『そ、それは、その……』


 苗木達の中でリーダー格のケンも、キキから矢継ぎ早に繰り出される問いかけに言葉を濁していた。


『無責任なことは言わないでってこと。キングをどうしても守りたいなら、誰かが犠牲を買ってでもキングを守らなくちゃ。みんなは出来るの?悪いけど、私はそこまではできないけどね』


 キキの言葉に対し、いつもは血気盛んな苗木達も言葉をつぐんだままだった。


『ちくしょう!何としてもキングをこんな理不尽な仕打ちから助けたいよ。でも、自分が移植されるのは、ちょっとなあ……』


『キング、ごめんな。お前の力になりたいけど、なれないよ……』


『こんな時、剛介がいてくれたらなあ……でも野々花が束縛して、簡単にこっちに帰ってくることはできないんだろうな。くそっ!』


 苗木達は口々にキングを慰めた。


『ありがとう……みんな……ありがとう』


 かすかにささやくようなキングの言葉が風に乗って僕たちの耳に入ってきた。

 あちこちから、すすり泣きが聞こえてきた。ケビンも元気ない様子でで『ごめんね』とつぶやいていた。

 苗木達からも、そしてケビンからも、キングの代わりに移植されたいと申し出る木は無かった。僕自身も心の底で、自分がキングの身代わりになることに抵抗を感じていた。しかし、このままではキングは、ケガを理由に人間達の理不尽な言いがかりでここから移植されてしまう。

 僕はそのことが、心から許すことが出来なかった。

 同時に僕の中では、ひとつの覚悟が生まれていた。


『キング、僕は君の身代わりになっても全然構わない。僕はもうこの場所に六十年以上立ち続けている。この場所を君らに任せ、よその場所に移るにはちょうど良い潮時だと思うから』


 僕がそう言った時、苗木達は驚いていた。きっと彼らは、自分達と同じようにキングを可哀想と思いつつも、身代わりになるつもりはないと思われていたのだろう。


『ほ、本気かよ!?ルークさん、やめたほうがいいぞ。見知らぬ場所に連れていかれるんだぞ?その覚悟はあるのかよ?』


 ヤットは大声で僕を諭した。


『やめて、ルークさん!辛いことがあっても、ルークさんが心の支えになっていたから、私たちはここまで安心してここで暮らしてこれたんだよ。ルークさんが居なくなったら、誰を頼りにすればいいの?』


 ミルクも悲痛な声で僕を引き留めようとした。


『ルークさんがキングを想う気持ちはわかるけど、本当にやめた方がいいよ。もういい歳なんだから、移植なんかしたら命が縮むかもしれないだろ?』


『ルークさんがいなくなったら寂しい。頼むから行かないで!』


 他の苗木達も、僕を引き留めようと大声で叫んでいた。


『いや、僕はもう覚悟が出来ている。僕の声が人間達に届くかどうかわからないけど、ここに人間達が来たら、必死に訴えるつもりだよ。何が何でもキングのことを守らなくちゃね』


 僕は冷静にそう答えた。

 僕を引き留めようとする苗木達の気持ちは本当に嬉しかった。彼らはいつも好き勝手なことばかり言っているけど、長年一緒に暮らす中で築き上げてきた絆は、しっかりと繋がっていた。



 数日後、作業衣をまとった市の職員らしき人間達がやってきて、キングの周囲には赤い三角形の柱が置かれた。その後彼らは、僕たちの大きさを一本一本丁寧に測定し、図面に書き込みながら移植の計画を話し合っていた。


『おい!聞こえるかい?そこの小さな木じゃなくて、僕をここから移植してほしいんだ!』


 通りすがる人間達に、僕は全身をふりしぼってありったけの声で呼びかけた。しかし、僕の声に足を止める人間は誰一人としていなかった。


『くそっ……全然聞こえていないのか!』


 僕は歯ぎしりをしながら、目の前を図面を持って通り過ぎる人間達を見つめていた。


『まだあきらめないぞ!おい!聞いてくれよ!僕を、僕をここから動かしてくれ!その小さな木の代わりに、僕を動かしてくれ!」


『ルークさん……』


 苗木達は唖然とした様子で僕を見つめていた。僕は諦めず、声が枯れるまで叫び続けた。きっと誰かが振り向いてくれると信じて。


「今日の調査は全て終了だ。帰って積算と図面の修正をしたら、発注の準備に入るぞ。年度末まで時間が無いんだ。早く進めるぞ」

「そうですね。急ぎましょう!」


 作業衣の人間達は続々と公園から歩き去っていった。僕の必死の叫び声は、彼らには届かなかったようだ。僕はがっくりと肩を落とし、思わず『ちくしょう!』と叫んでしまった。


『ルークさん……もう……いいんだよ。僕のこと……必死に……守ってくれて……ありがとう』


 キングのか細い声が僕の耳に入ってきた。


『バカ、まだ諦めるんじゃない!キング、お前は本当に移植されても良いと思ってるのか?この土地に住むたくさんの人達に愛されて、たくさんの仲間に囲まれて、こんな素晴らしい場所にいられるのに……』


 僕は声を震わせながら、キングを叱り飛ばした。キングは僕の言葉を聞いて驚き委縮したのか、何も言わずだらりとうつむいてしまった。

 ここで諦めたら、キングは理不尽な理由で移植されてしまう……僕としては、何が何でも阻止したい一心だった。

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