第124話 思い出を重ね合わせて
時は経ち、季節は冬を迎えた。
僕たちの移植は春までに行われる予定のはずだが、工事が行われる様子は全く見られなかった。しかし、時折作業衣を着た人たちがやってきて、図面を手に何度も園内を見て回っていた。きっと僕たちの知らない所で、計画は着々と進んでいるのだろう。
今日の空は白い雲に覆われ、真っ白な雪が次々と地面に舞い降りていた。
僕たちの枝にはすでに沢山の雪が積もっており、雪のずっしりとした重みで枝が折れてしまいそうだった。
僕たちの辛い思いとは裏腹に、公園の中を通りすがる子ども達は楽しそうだった。
「わあ、こんなにたくさんの雪!さっそく雪合戦やろうぜ!」
「俺は雪だるまつくろうかな」
「私は雪の上に絵でも描こうかな」
子ども達は思い思いの形で雪の積もる公園を楽しんでいた。
僕たちは重い雪にひたすら耐えているのに……人間達は僕たちの苦しみなど思い量ろううともせず、気楽なものである。
しばらく騒がしい子ども達の声が響いていたが、やがてそれも静まり、公園の中には物音も無く、雪がひたすらしんしんと降り積もっていた。
『なんだよ……まだ止む気配もないよね』
『こんな雪の中、僕たちだけ取り残された気分だよ』
『人間達は、きっと今頃暖かい所で快適にぬくぬくと暮らしてるんだろうな。俺たちのことなんか知らずに』
苗木達は寒さに凍えながら、愚痴を言い合っていた。
でも、彼らの言いたいことは十分に理解できた。それは僕が言いたい事でもあったからだけど……。
誰もいない公園は、次第に闇に包まれていった。降りしきる雪の中、小学生くらいの男の子がわずかな光に照らされながら、僕たちの前に姿を見せた。
男の子は傘を持たず、全身が真っ白な雪をかぶっていた。
やがて男の子はケビンの真下にあるベンチに座ると、白い息を吐きながらホッとした表情を浮かべていた。
『ねえ、あの子、どうしたのかな?こんな雪が降ってるのに傘もなく座り込んじゃって』
『風邪ひいちゃうよね。でも僕たちも葉が落ちて丸裸だから、あの子を雪から守ってあげることもできないよね』
男の子はズボンのポケットに手を突っ込むと、しばらくの間何も言わずうつむいていた。日は暮れ、暗闇が深くなる中でも男の子は微動だにせず、じっと座り続けていた。僕たちに声があれば、彼の話し相手になったり、なぐさめたりすることができるかもしれない。葉があれば、彼を雪から守れるかもしれない。どちらも出来ない今は、雪まみれになりながらうつむく彼を見ていることしかできなかった。
雪は次第に勢いを増し、男の子は全身が雪に覆われ、このままでは凍死してしまうのでは、と傍から見て心配でならなかった。
これ以上見ているのを我慢できなかったのか、苗木達はケビンに向かっていきり立った様子で話しかけた。
『ねえケビンさん、あの子何とかできないの?思い切り声を張り上げて、人間の耳にも僕たちの声を聞こえるようにしなくちゃ』
『無理だよ、そんなの。僕はただでさえ声が小さいからさ……』
『そんなこと言ったって、誰も人間が来ない以上、俺たちが何とかするしかないだろ?ケビンさんがあの子の一番近い所にいるんだから、頼むよ!』
『わかったよ、でも、上手くいくかどうかは保証できないぞ』
ケビンは渋々と受入れ、思い切り息を吸い込むと、僕たちの耳をつんざくような大きな声で叫んだ。
『おーい、君、聞こえるか!?どうしてここに座ってるの?寒いから、おうちにかえりなさーい!!』
あまり勢いをつけすぎたせいか、途中から声がよじれてしまい、周りにいた苗木達はクスクスと笑い声を上げた。
『だ、だから言っただろ!?普段からこんな大声張り上げたことが無い僕に、こんなことをさせるなんて』
すると、男の子は突然空を見上げ、真上にそびえ立つケビンの姿をじっと見届けた。
しばらくケビンを見つめた後に、首を左右に振って再びベンチに座り込んだ。
『ああ、やっぱりダメだ……!空耳だと思われてるよ』
ケビンは悔やしそうな声を上げながら、肩を落とした。
男の子は再びうつむき、降りしきる雪を払うことなくじっとその場に座り続けていた。
その後も誰も公園に姿を見せず、時間だけが過ぎて行った。
『ねえ、どうしてあの子、こんなに長い時間ここに居られるんだろう?』
『わかんない。うつむいて元気無さそうだけど、不思議とあの場所が心地よかったりして?』
『ええ?そんなわけないだろ?俺が人間だったら耐えられないよ』
苗木達は雪まみれになりながら座り続ける男の子を見て、ヒソヒソと噂話をしていた。こんなに雪の中、ましてや真夜中になってもここから動かないのは妙な感じがしていた。近くにお店とかもあるのだから、そこに駆け込めば辛い思いをせずに済むのに、と不思議に感じていた。
「あれ?あの子……
その時、誰かの声が公園に響き渡った。そして、まばゆい一筋の光が次第にこちらに近づいてきた。
「柊真君!探しに来たぞ!どうしてこんな所にいるんだ!」
「園長……先生……」
うつむいていた男の子は、声を聞いてようやく顔を上げた。
目の前には、初老の男性とシュウと同じ位の年齢と思われる若い男性が立っていた。
「どうしてこんな所に?そして、こんな雪まみれで!風邪ひいたらどうするんだ!」
若い男性が早口でまくしたてると、男の子は顔を逸らした。若い男性は両手を震わせ、次第に拳を握りしめて今にも殴り掛かりそうな雰囲気を漂わせ始めた。初老の男性が若い男性を片手で制して、ベンチの前でしゃがみ込み、男の子に目線を合わせながら話し出した。
「さては家に帰りたいのか?気持ちはよくわかるけど、君の帰る家は今の児童養護園しかないんだぞ。お父さんもお母さんもこの世にはいないんだ。辛いだろうけど、受け入れることだ」
「ちがうもん。そんなんじゃないもん」
「じゃあ、どうしてここに?」
「それは……」
男の子は目線を反らしていたが、やがて真上にそびえるケビンを見つめると、大きくうなずいた。
「僕の家の前には公園があって、そこには大きな木があったんだ。僕はその木の周りで、おとうさんやおかあさんと鬼ごっこしたり、キャッチボールしたりして遊んでいたんだ。この木を見てるとね、その時のことを思い出すんだ……」
「そうか……」
初老の男性の視線は、男の子と同じ方向を向いていた。とめどなく雪は舞い落ち、二人の顔や服に容赦なくまとわりついてきた。
それでも二人はじっとケビンのてっぺんの辺りを見上げ、何か思いを巡らせているように見えた。
「園長!なにやってんですか?いつまでも雪の中でぼーっと突っ立ってて、柊真に風邪を引かせるつもりですか?園長だって風邪ひいちゃうでしょ?」
若い男性はいらつきながら二人を見ていた。
「
「ええ?何言ってるんですか!?僕にはそんなことはできませんよ!」
「良いから早く帰りなさい!柊真君はちゃんと私が連れて帰るから安心しなさい!」
「は、はい……僕は帰りますけど、二人とも早く帰ってきてくださいね」
若い男性は何か言いたげな雰囲気を残しつつ、雪を踏みしめながら暗闇の中へと消えていった。その後、園長と言われた初老の男性と、柊真と言われた男の子が、隣同士ベンチに腰掛けてケビンを見続けていた。
「柊真君、おとうさんやおかあさんのこと、思い出してるのかい?」
「はい……」
「児童養護園に来ても誰とも話さず、ずっとひとりぼっちで部屋にこもってるし、どうしたらいいのかなあって、みんなで心配していたんだよ」
「だって……知らない場所だし、知らない人ばっかりだし。僕の居場所はどこにもないって思ったから」
「そうかな?みんな、柊真君のことを気にしてるんだぞ。気軽に話してほしいし、仲間と一緒に気兼ねなく遊んでほしい」
「わかるよ、みんなの気持ち。でも、でも、やっぱりさみしくって……」
柊真はそう言うと、ため息をつき、寂しそうな横顔を見せた。その顔を見続けていた園長は、何を思ったのか突然立ち上がり、ケビンの幹に手を当てた。
「よし、柊真君。これから先生とここで鬼ごっこするか!」
「え?」
「私がこの木で目を隠して十秒数えるから、その間にどっかに逃げなさい。ほら、何ボケっとしてるんだい?早くしないと捕まえちゃうぞ!」
すると柊真は慌ててベンチから立ち上がり、息を切らしながら雪の上を大急ぎで駆け出して暗闇の中に姿を消してしまった。
「よ~し、十秒数えたぞ。柊真君はどこに逃げたのかな?出て来い!」
園長は雪の上を全速力で走りだした。しかしいくら探せど、柊真は姿を見せなかった。やがて茂みの奥からガサガサと音を立てて人影が現れ、そのまま雪の上を全速力で走りだし、そのままケビンの幹に手を伸ばした。
「はい、ターッチ!園長先生の負けだよ!」
園長は驚いた表情でケビンの方向を見つめた。そこには勝ち誇ったような表情で柊真がピースサインを出していた。
「ダメだなあ園長先生。僕のおとうさんよりも下手くそだよ」
「くそっ。じゃあもう一回勝負しようか。今度は絶対負けないぞ!」
「どうかな。じゃ、また逃げるからね。今度は急いで十数えたほうがいいかもよ?アハハハ」
柊真の表情は、信じられない位生き生きとしていた。
園長は雪の中、足がもつれそうになりながら必死に走り続けていたが、まるで童心に帰ったかのように一緒に楽しんでいた。
降りしきる雪の中、時間を忘れて鬼ごっこを楽しんでいた二人は、こんなに寒いにも関わらず額に汗がにじみ出ていた。
「柊真君、先生、そろそろ……足腰悲鳴をあげそうだから、もうここでやめにしないか?」
「チッ、しょうがないなあ。お父さんだったらもう少し付き合ってくれるんだけどね。じゃあ、帰ろうか」
「え?帰ってくれるのか?児童養護園に」
園長の言葉に、柊真は笑顔で大きくうなずいた。
「なあ柊真君、またここで鬼ごっこしような」
「うん!」
園長と柊真は、雪の降りしきる中、ゆっくりと歩き出した。
去り際に柊真は後ろを振り向き、僕たちケヤキの様子を名残惜しそうにじっと見つめていた。
『あの子、僕たちのことを見ると、昔のことを思い出すのかな?』
『そうだね。色々と思い出がつまってるみたいだね』
名残惜しそうな顔で公園を去っていく二人を見届けるうちに、僕たちの気持ちはほっこりと温かくなったように感じた。
この時僕たちは、この何気ない出会いがまさか自分たちの運命に大きく関わってくるとは思いもしなかった。
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