第123話 受け入れること

 秋も深まり、僕たちの葉がすべて地面に舞い落ち、強い北風に耐えなくてはならない季節がやってきた。

 この時期になると僕たちを覆い尽くしていた葉がなくなり、何となく寂しい気分になるのだが、今年はそれ以上に胸に穴が開いたような気分になっていた。僕たちの中から一本のケヤキが、この公園から移植されることになるからだ。

 いつも騒がしい苗木達も、最近は気落ちし、すっかり静まり返っていた。その様子を見かねたミルクが、沈黙を破る一声を上げた。


『ねえ、最近みんな静かよね?いつもなら公園を通りかかる人達の噂話で盛り上がったりしてるのに』


『だって……この中の誰かがここから去らなくちゃならないんでしょ?そう考えると不安でたまらなくて、何もしゃべる気力が起きないんだよね』


『それはそうだけど……でも、こんな静まり返ってると、却って息が詰まっちゃうよ』


『じゃあミルクが一人でしゃべってればいいじゃん』


『そんな!私だって不安だよ!だからこそ皆でその気持ちを分かち合えばいいじゃない?自分で抱えてたらもっと不安になると思うよ』


『余計なお世話だよ。とにかく今はここにいる誰とも話す気にはならないんだ!』


 苗木達の言葉のやり取りも、どことなく刺々しさがあった。この中で誰がこの公園から動かされるのか分からないので、お互いに疑心暗鬼になっているのと、話してもどこか空しい気分になったりするからだろう。

 人間達の作った計画で僕たちがこんなに不安で憂うつな気分になっているのを、人間達自身は気づいているのだろうか?

 この険悪な雰囲気を振り払うのは、この中で一番長く立っている僕でもとても難しかった。


 静まり返った公園の中に、シュウが母親の怜奈、そして妻の芽衣と娘の樹里を連れて公園に現れた。樹里は白い着物に紺色の袴を着こみ、小さな体に不似合いなほど長くて重たそうな剣道の竹刀を担いでいた。その後ろからシュウが道具の入った大きな袋を担ぎ、樹里の真横を心配そうな表情を浮かべた芽衣が付いて歩いていた。おそらくこれから樹里の剣道の試合があるのだろう。考えてみれば、最近樹里は毎日のようにシュウとともにこの公園で練習を続けていた。


「樹里、大丈夫なの?試合に出るのはいいけど、試合の相手は年上のお姉さんばかりだよ。どんなに頑張ったって負けるかもしれないのに」


 芽衣は困り果てたような顔で樹里に尋ねた。


「いいの。私もパパやおじいちゃんみたいに強くなりたいもん」


 樹里は健気にそう言い返していた。


「こないだ練習試合に出て、隣の学校の上級生の子に負けたでしょ?あの時、樹里は私たちが手を付けられないほど大泣きするし、ご飯も食べないし、お風呂でもベッドでも泣いてるし。そんな辛い思いをするくらいなら、試合はまだしない方が良いわよ」

「いいの!私、次は絶対に負けないもん」

「いい加減にしてよ、辛いのはあなただけじゃない。パパもママも辛いんだよ!」


 樹里と芽衣は睨み合っていた。まだ試合でもないのに、ここでそんなに気勢を張って、試合本番では大丈夫なのだろうか?

 シュウと怜奈は傍で二人の言い争いをじっと見ていたが、やがてシュウが二人の間に割って入っていった。


「もういいだろ芽衣。樹里は次は勝つって言ってるだろ?芽衣は勝つために、パパと一緒に毎日練習していたんだもんな」

「うん」


 樹里は、自分の気持ちを分かってくれたことへの満足感から、白い歯を見せて大きく頷いていた。


「どういうことよ?パパだってこないだ樹里が負けた日、樹里をなだめるのにさんざん手こずっていたじゃん」


 芽衣が金切り声で樹里を叱り飛ばすと、シュウは樹里の隣に立って背中を後ろから何度もさすり、横から樹里の顔を覗き込んだ。


「失礼だよなあ樹里、まだ試合が終わってないのに、ママは樹里が試合に負けたかのような話をしてるよ。今日は絶対負けないよな?」

「うん。絶対負けたくないもん」

「最初から勝つと思って試合することが大事だよ。負けると思ったその時から、気持ちがシュンとしぼんじゃうからな。そしたら勝てる試合も勝てなくなっちゃうよ。試合までは、今日は絶対勝つ!って言う気持ちを忘れないことだ。そして負けたら、それをいさぎよく認めることだ」


 シュウはそう言うと、樹里の背中を抱きかかえながら、公園の外へと歩き出していった。芽衣は不満そうな表情をしていたが、怜奈が慰めるかのように芽衣の肩をそっと叩くと、ため息をつきながらシュウと樹里の後ろを付いて歩き出した。

 彼らが去った後、苗木達がにわかにざわめき始めた。


『健気だなあ、樹里ちゃん。今日は勝って欲しいよね』


『そうだな。毎日必死に練習していたから、きっといい結果を出せると思うよ』


 苗木達が口々に感想を言い合う中、その中でもリーダー格のケンが口を開いた。


『俺、シュウさんが言う事は一理あると思うな。今の俺たちも、公園の改築計画を聞いてからずっと委縮しっぱなしだろ』


『へえ、どうして一理あると思うの?というか、今の私たちとどこが同じ?』


『移植の話だよ。まだ計画が何も示されていないうちから、どうせ俺たちは移植されるんだと思い込んで、勝手に意気消沈してるだろ?何も決まってないうちから、何で落ち込まなくちゃならないんだよって』


『ケン、お前……』


 苗木達は静まり返った。僕もケビンも、ケンの言葉には頷くしかなかった。今僕たちに出来ることは、ここで生きていくんだという希望を捨てないことだ。

 どうせなら、後腐れなく、思い残すことなくこの地を去っていきたいものだ。


『ケン、良いこと言うな。いつまでも子どもだと思ってたけどさ』


 僕がそう言うと、ケンは『どういう意味だよ』と言いつつ、照れ笑いしていた。


『そうだね。今ここで嘆いてもしょうがない。みんな一緒に過ごせる時間を、楽しく思い出に残るものにすればいいよね』


 ケビンも納得した様子で僕に同調した。


『これからどうなるか分からないことを考えたらきりがないもんね。今はこの公園に残ることを信じて、この時を楽しまなくちゃね』


『ケンカしてもしょうがない。泣いてもしょうがない。どうせならおしゃべりして騒いで、楽しくその時を迎えた方が悔いが無いもんね』


 苗木達も一様に納得していた。そして静まり返っていた公園の中には、いつの間にか以前のような賑やかさが戻っていた。ケビンはその様子を見て、嬉しそうに声を弾ませながら僕に話しかけてきた。


『ルークさん、苗木達のおしゃべりが復活したね。正直うるさいけど、やっぱりこうじゃないとね、この公園は』


『アハハハ、そうだね。賑やかさと何でも言い合える雰囲気があるから、みんなここから離れたくないんだろうね』


『僕もここから離れたくないよ。ルークさんもそうでしょ?』


『うーん。僕は……』


 僕はそこで言葉を止めた。もしこれからもここに居ることを許されるならば、ずっと居たいと思う。ここに来てからは隆也一家に手厚く世話してもらい、マンションの住民達も僕たちのことを大事にしてくれている。だからこそ、この場所は僕たちケヤキにとってこれ以上ないほど恵まれた環境であると信じていた。もしこの公園を去らなくてはいけないのであれば、この場所と同等の場所に行けるかどうか、大きな不安を抱いていた。


『あれ?どうしたのルークさん。急に言葉に詰まって』


『せっかくみんな前向きな雰囲気になっているのに水を差すような話だけどさ。やっぱりここを離れるのがすごく怖いんだよ』


『ふ~ん、ルークさんらしくない言葉だなあ。怖いだなんて』


 僕は自分でも驚くほど弱気になっていた。自分の置かれた環境、一緒に過ごしてきた仲間たちのことを考えれば考えるほど、ここを離れたくないという思いにかられていった。


『ルークさん!樹里ちゃん、帰って来たみたいだよ』


 ケビンの声を聞き辺りを見渡すと、竹刀を持った樹里が家族に囲まれながら僕たちの方へと徐々に近づいてくるのが見えた。母親の芽衣が樹里の肩を支えながら、何やら色々と声を掛けているのが遠目にも見て取れた。


「樹里、残念だったね。でも準決勝まで行ったんだから、次は絶対に優勝できるよ!だから、泣いちゃダメよ。グッとこらえなきゃ」


 芽衣は優しい声で樹里の耳元に語り掛けていた。樹里は芽衣から目を逸らし、何かを必死にこらえているように見えた。


「私、泣かないもん。絶対こんなことじゃ泣かないもん……」


 そう言うと、樹里は目元を片手で何度か拭っていた。よく見ると、樹里の目元に光るものがあった。いくら泣くなと言っても、樹里のような小さい子にそれを求めるのは無理があるように思った。

 しかし樹里は涙を拭うと、顔を引き締めながら芽衣の方を向き、「ね?泣いてないでしょ?」と言いながら白い歯を見せて笑っていた。


「樹里、悔しい時は涙をこらえる必要はないよ。それがお前の本当の気持ちなんだから。その気持ちを誰かにぶつけたりするんじゃなくて、ぐっと自分の体で受け止めるんだ。それが負けを認めるっていうことだよ」

「パパ……」


 白い歯を見せていた樹里は次第に表情を崩し、涙がとめどなく流れ出した。


「ちょっと、何言ってんのよ?樹里が泣き出しちゃったでしょ?家に帰ったらまた手が付けられなくなるわよ?分かってるの?」

「俺は悲しみを自分の中で受け止めろと言ったんだ。他の誰かにぶつけるんじゃない、いさぎよく受け止めろと言ったんだ」

「……そんなこと、樹里に分かるの?」


 樹里は顔をくしゃくしゃにしながら手で何度か涙を拭うと、シュウの方を向いた。


「パパ、私、くやしい……」

「そうだ。その気持ちを自分の中で大事にするんだ。そのくやしさを大事にしながら、次の試合に向けて練習するんだ。パパもとことんまで練習、付き合うからな!」


 樹里は大きく頷くと、シュウの体に顔をうずめ、声を上げて泣き出した。

 樹里は必死に結果を受け止めようとしているのが、僕にもちゃんと伝わってきた。幼い彼女には辛いことだろうけど、彼女はめげずに必死に受け止めようとしていた。

 その様子を見て、僕は徐々に決心が固まってきた。


『ケビン……さっきの僕、ちょっと気持ちが揺らいでいたけど、もう大丈夫だ』


『え?』


『どんな結果になっても、受け止めて行こうと思う』


『結果って、今度の公園改築のこと?』


『そうだ。僕たちも樹里ちゃんも、結果をしっかり受け止めて行かないとね』


 シュウに背中をさすってもらいながら泣き続ける樹里の姿を目に焼き付けながら、僕は僕なりに、どんな結果も受け止める覚悟が生まれていた。

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