第9章 家族

第122話 ついに明かされた全貌

 秋になり、僕たちの枝を埋め尽くすように付いていた葉がはらはらと地面に舞い落ち始めた。葉はやがてコンクリートの地面を埋め尽くし、赤や茶色、黄色で染め上げていった。いつものことであるが、掃除をする人間達には申し訳ない気分で一杯である。今日も朝から、怜奈が芽衣と一緒に箒で落葉を集めていた。


「ふう、だんだん慣れてきたといえ、これだけの落葉を集めるのは毎年大変だよなあ。お義母さんも無理しちゃダメですよ」

「何言ってんの。大変だけど、終わった後の一服が楽しみだから、全然気にならないわよ」

「でも、腰だって悪いし、遠くまで歩くのだってだんだんきつくなってきたんでしょ?」

「そうよ。でもね、落ち葉集めだけは不思議と平気なんだよね」

「そう?私は毎年すごく疲れるんだけど。どうして私たちがこの作業をやらなくちゃならないんだろう?どうして行政でやらないんだろうって時々思うことがありますよ」

「あのね芽衣ちゃん。そういう考え方はやめなさい。この作業が私たちがこの木達に対してできる精一杯のことなんだから。この木達は、私たちにとっては家族と同じなんだから」

「はあ……家族、ですか?」


 芽衣は首を傾げながらも、ゴミ袋に落葉を詰め込んでいた。

 思い返せば、怜奈は隆也を見て、そして隆也はその両親を見て、秋の落葉拾いや夏の草刈りを自分たちの手でやってきた。他の誰かにお願いすればいいのにと思うことはあるけれど、彼らは他人の手に委ねることはしなかった。

 他の公園はどうなのか知らないけど、僕たちは彼らに見守られ、ここで幸せに過ごせているのかもしれない。


 そんな折、作業衣を着込んだ人達が続々と公園の中に入ってきた。彼らはカメラで園内の様子を写真に収め、図面を広げて何かを確認している様子だった。やがて、作業衣の人達に囲まれながら、樹木医の櫻子が中に入ってきた。


「櫻子先生、どうですかね?この案で上司が最終決定しました。これならばここの木達を守りながらも、公園内の環境も守れますし、安全も確保できそうです」


 櫻子は作業服の男性に図面を渡されると、しばらくの間それを見つめ、やがて額に手を当てて深いため息を付いた。


「全部の木を守ることは、不可能なのね?」

「難しいですね。これが精いっぱいです」

「わかったわ。寂しいけれど、この案で行くしかないかもね。工事はいつから始まるの?」

「冬に入ってからですね。春までには完了させるつもりです。夏になると木に葉がついてしまうので」

「じゃあ、もうそんなに時間は残されていないのね」


 櫻子は顔を上げ、僕たちの方をぐるりと見渡した。


「あれ?樹木医の先生かな?」


 怜奈が櫻子の姿に気づいたようで、ゴミ袋を手にしながら後ろからそっと近づいた。櫻子はいつものように僕たちケヤキの木を一本ずつ触り、健康状態を確かめていた。


「樹木医の先生、こんにちは」


 後ろから笑顔で話しかける怜奈に、櫻子は不意打ちを食らったかのように驚いた様子を見せていた。


「わっ!誰かと思ったら、怜奈さんですか?」

「どうしたんですか?今日はこんなに大勢の人達と一緒に」

「まあ、その、実は……」


 櫻子は怜奈にそっと耳打ちしていた。僕たちにまるで聞かれたくないかのように小さな声で、何かを伝えていた。


「そうなんですか?それってちょっと、急な話ですよね?」

「まあそうなんですけど、この公園も老朽化してきているし、何より公園の周囲に植えたケヤキ達がだんだん大きく成長しているので、やむを得ない決断というところです。私たちも何とかできないか、最善の方法を探っているんですけどね」


 そう言うと櫻子は深々と頭を下げ、作業服姿の人達の元へと走り去っていった。


「あれ?どうしたんですか、お義母さん。さっきとは別人みたい」

「な、何でもないわよ。さ、まだまだ落ち葉が残ってるし、昼ご飯の時間も近いんだから、急いでかき集めないとダメでしょ?」


 怜奈は冷静を装いながら、ゴミ袋を手に腰をかがめて必死の形相で落葉を拾い始めた。芽衣はその様子を、どうしたんだと言わんばかりの表情で遠巻きに見守っていた。


『怜奈さんも樹木医の先生もどうしちゃったんだろ?別人みたいに焦ってる。そして、何で小声で話し合ってるんだろう?僕たちに聞かれたらまずい内容なんだろうか?』


 僕は苗木達からの問いかけに答えなかったけれど、思い当たる節はあった。

 もう大分前のことであったが、大きくなった苗木達の居場所をどうするのか?という問題を、市の職員と櫻子があれこれと話していた様子を、今も鮮明に覚えていた。

 最近は職員達が姿を見せず、キングの大けがや剛介とあいなの関係ばかり気になっていて、記憶の片隅からこぼれ落ちそうになっていた。


 夜も更けた頃、シュウが竹刀を片手に公園の中に姿を見せた。その後ろには、おさげ髪の小さな女の子の姿があった。


『おや、樹里ちゃんだ。今日もシュウと一緒に練習するんだね。根性あるなあ』


 小学生になった樹里は、最近父親のシュウと一緒に剣道の練習をするようになった。最初は父親の練習を傍らで見ているだけだったが、やがてシュウに竹刀の握り方や降ろし方を手ほどきを受けながら実践するようになった。

 そのうち剣道が面白いと感じるようになったのか、小さな竹刀を手に一緒に素振りしたり、時にはシュウと軽く一戦交えることもあった。


「さあ樹里、まずは素振り三十回行くぞ!」

「はい、パパ」


 シュウの動きに合わせ、樹里も身体を前後に動かしながら竹刀を振り下ろした。その動きはどこかぎこちないけれど、父親のシュウが子どもだった頃よりも動きが良いように感じた。


「よし、次はそこの木を相手に、面打ちの練習だ!」

「え、この木に?」

「そうだ!まずはパパが見本を見せるからな」


 シュウはそう言うと、ケビンの方を向いて不気味に微笑んだ。


『こ、怖いよ。何でいつも僕を?』


『しょうがないよ。シュウにとってはケビンは盟友なんだからさ』


 シュウは構えると、ケビンに向かって一目散に駆け込み、一気に竹刀を振り下ろした。竹刀は鋭い音を立てて幹に命中し、ケビンの悲痛な叫び声が響き渡った。


「すごいよパパ。かっこいい」

「そうだろ?じゃあ次は樹里の番だ」


 樹里は竹刀を構えると、足がもつれながらも一生懸命走り、ケビンの手前で竹刀を振り下ろした。


『ギャアア!あ、足が!』


 樹里の竹刀はケビンの幹でなく、根元に命中したようだ。たとえ足でも、命中したら痛いに違いない。


「樹里、惜しいなあ!もっと木の手前まで走っていかないとダメだぞ」

「うん。次はちゃんとやってみるよ」


 樹里は再び竹刀を構え、再びケビンに向かって駆け込んだ。しかし、竹刀は空を切り、ケビンの幹の端の部分をわずかにかすめただけだった。

 その後も樹里は、何度も竹刀を構えては、ケビンに向かって駆け込み、竹刀を振り下ろした。しかし、シュウのように幹に命中することはなかった。


「パパ、できないよお。樹里、くやしいよお」

「泣くなよ、樹里。そのうち出来るようになるって。それまではひたすら練習するしかないんだ、これは」


 シュウは樹里の頭をそっと撫でた。樹里は片手で涙を拭いながら何度も頷いていた。その時、まるで樹里の泣き声を聞きつけてきたかのように、怜奈が突如公園の中に姿を見せた。


「え、おふくろ!?どうしたんだよ。普段は俺たちの練習なんて見に来ることもないのに」


 シュウは驚きながら怜奈の顔を見上げた。怜奈は樹里を手招きし、抱きしめると、頭を撫でながら語り始めた。


「たまにはいいじゃない?樹里がどのくらい上手くなったか見てみたいし。見ちゃダメなの?」

「そういうわけじゃないけどさ」

「樹里も、ばあちゃんがいた方が頑張れるでしょ、ね?」


 怜奈は樹里の手を引き、公園の中をぶらぶらと散策し始めた。辺りは闇に包まれ、時折吹き付ける風の音だけが響きわたっていた。


「ばあちゃんはね、この公園に立ってる木のお世話を、おじいちゃんと一緒にずーっとやってきたのよ。だからね、ここに立ってる木はおばあちゃんにとっては家族みたいなものなのよ」


 樹里は怜奈が指さしている僕たちの姿を、目をそらさず見つめていた。


「でもね。家族って、いつまでもみんな一緒じゃないのよ。いつかはさよならしなくちゃいけない時がやってくるの」

「さよなら?どうして?」

「樹里も大人になったら、わかるわよ」


 怜奈は突然目頭を拭い始めた。


「え?ばあちゃん、どうして泣いてるの?」

「何でもないわよ!さ、パパの所に戻ろうか」


 怜奈は涙を拭き取ると、笑顔で樹里の手を引っ張り、素振りを続けるシュウの元へと連れて行った。


「おふくろ、どこ行ってたんだよ?こんな真っ暗なのに樹里を連れまわしてさ」

「だって……」


 そう言うと、怜奈は再び目の辺りをそっと拭った。


「何で泣いてるんだよ、おふくろ。というか、今日のおふくろはちょっと変だぞ」

「どうして変なのよ?」

「だってさ、剣道の練習を見に来たかと思いきや、樹里を連れて暗闇の中をさまよったり、帰って来たかと思うと、泣き出したり……」


 怜奈に対して感じたことを歯に衣着せずシュウに対し、怜奈は苦笑いしながらようやく口を開いた。


「この公園、老朽化しているから改修に入るんだって。その時に、ここに立ってるケヤキを密集しないように植え直すんだって」

「まあ、そうだな。小さかった木もそろそろ立派に成長してきたもんな。このままじゃ枝同士がぶつかって邪魔だもんな」

「それだけじゃないのよ。植え直すのはいいけれど、木のうち一本はどうしてもこの公園から外へ移植するしかないんだって」

「え?どういうこと?」

「この公園自体そんなに広さがないし、お互いに木が近すぎて枝が干渉しちゃうから、最低でも一本は移植することになるんだって」

「……マジか」


 怜奈は両手で顔を覆うと、嗚咽しながらその場にしゃがみこんだ。怜奈は自分の中に留めておくつもりだったのだろうが、これ以上我慢できなかったのだろう。

 怜奈の口を通して、ついに今回の計画の全貌が明かされた。

 そして、苗木達の周りがにわかに賑やかになってきた。


『一本がここから移植?一体誰が移植されるの?』


『俺かなあ?でも、皆と離れるのは嫌だよ』


『私もだよ。どうしてこんなに居心地のいい場所から追いやられるの?』


 この公園から少なくとも一本が去ることになる。それは苗木達かもしれないし、ケビンかもしれないし、ひょっとしたら僕かもしれない。

 僕はある程度覚悟は出来ているが、運命の日まで、しばらくは生きた心地が無い日々が続くことになるのだろう。

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