第121話 これで良いのか、悪いのか?

 野々花とあいな、二人の女性に挟まれてあたふたする剛介。

 野々花はゆっくりとした足取りで剛介に迫ると、鬼のような形相で睨みつけた。


「ご、ごめん、野々花。この人は、その……」

「その?何なのよ?ハッキリ言いなさいよ。私に隠れてこの人と付き合ってたんですって」

「まあ、何というか……」


 野々花は両手を広げ、剛介に掴みかかるかのような姿勢で突進してきた。


『やだ、剛介が野々花にやられちゃう!』


『いや、違うぞ。よく見てみろよ』


 野々花は広げた両手を剛介の背中に回し、顔を剛介の肩の上に載せると、猫なで声を上げながら目の前に立つあいなを睨んでいた。


「剛介、もう二度と私のそばを離れないでね。これからは勝手なマネしないように、私がずーっとこうしてくっついてるから。さ、一緒に帰ろ」


 そういうと、野々花は剛介の身体を強引に引きずりながらその場を立ち去ろうとした。


「あなたは、剛介君の彼女?」


 あいなは剛介たちの後ろから鋭い声を上げた。すると野々花は後ろを振り向き、あいなを鋭い眼光で睨みつけた。


「へえ、知ってるんだ?私と剛介が付き合ってるの」

「だって……以前ここで、あなたと剛介君が一緒にいちゃつきながら歩いてるの、見ちゃったから」

「ふーん、じゃあ話が早いわね。これ以上、私たちに勝手に付いてこないでくれる?私は剛介と北海道で知り合い、かれこれ五年以上付き合ってるの。実はもう結婚の約束もしてるんだ

「え?け、結婚!?」.


 青ざめた顔で驚くあいなを見て、野々花は不気味な声を立てて笑った。


「おい、野々花。いい加減にしろっ!」

「いい加減?本当のことでしょ?私たち、結婚に向けてずっと一緒に暮らしてるんだし、通帳も一緒にしたし、両親も公認の仲だし、今日だって剛介の実家に泊まらせてもらってるし。あとは籍を入れて、式を挙げるだけだもん」


 野々花の言葉を聞きながら、あいなは驚いた様子で剛介の方を向き、大声で問いただした。


「剛介君!本当にこの人と結婚するの?」


 剛介は横を向いてしばらく黙り込んでいたが、野々花は剛介の身体に肘をぶつけながら、何か答えるよう急かしていた。


「ごめんねあいなちゃん。実は……」


 あいなは衝撃のあまり、そのまま金縛りにあったかのように動かなくなった。

 野々花はその様子を見て、両目を釣り上げながら「それ見たことか」と言いたげな様子で笑い始めた。


「分かった?たとえあなたがどんなに剛介のことが好きでも、あなたが入り込む余地なんてこれっぽちも無いの。さ、私たちの邪魔になるから、早くどっかにいきなさい。しっしっ」


 野々花が手のひらを上下させながらそういうと、あいなは信じられない様子で剛介の顔を見つめた。しかし、剛介はあいなに声を掛けず、拳を握りしめたままずっと立ち尽くしていた。やがてあいなは剛介に背中を向け、一人とぼとぼと公園の中へと戻っていった。野々花は満面の笑みでその様子を見送ると、剛介の腕を無理やり引っ張りながら、マンションの中へと歩き去っていった。


『あいなちゃんがかわいそう。というか、タイミング悪すぎよね』


『野々花って女、どこまで性悪なんだ!剛介とあいなちゃんの仲も、これでもうおしまいだよね』


 苗木達からは悔しがる声が聞こえた。僕も正直なところ、心中複雑な気持ちだった。剛介との仲を引き裂かれたあいなはもちろんのこと、剛介も本心からこの状況を喜んでいるのだろうか?あいなはキングの元に近づくと、「ごめんね」とだけ言い、公園から去っていた。


 翌日、剛介と野々花はキャリアケースを引きながらマンションから出てきた。二人肩を並べ、仲睦まじく歩く姿は一見微笑ましいが、剛介を横目に嬉しそうにキャリアケースを引く野々花に対し、剛介はどこか浮かない顔をしていた。

 やがて二人は苗木達の傍を通りすぎると、剛介は足を止め、キングの所に近づいた。


「ちょっと剛介、どこに行くのよ?」

「キングに……さよならを言いたいんだ」

「何それ?私にはいまいち理解できないなあ。まあ、ちょっとだけなら良いわよ。電車の時間が迫ってるんだから、早くしてよね」


 野々花は腕時計を見ながらため息をついていたが、剛介は両手を合わせて頭を下げると、そそくさとキングの傍に駆け寄った。


「ごめんよキング。ホントはお前がちゃんと回復するのを見届けてから帰ろうと思ったけど、色々あってさ……悪いけれど、これで帰るよ。でも、僕は北海道からずっとお前が回復するのを祈ってるからね」


 そう言うと、剛介はキングの幹をそっと手でなでた。惜別を惜しむかのように、何度も何度もなで回すと、立ち上がり、野々花の元へと戻っていった。


『剛介……ありがとう……本当にありがとう』


 キングのかすかな声が、僕の耳にも入ってきた。その時突然、剛介は片手で目の辺りを拭い始めた。


「え?剛介、何で泣いてんのよ?まさか、あの木と別れるのが辛いとか?」

「……まあね」


 野々花は首を横に振りながら、呆れた様子を見せていた。


「私には全く理解できないよ。大体、木なんて私たち人間がいなくても勝手に育っていくんじゃない?私たちは樹木医じゃないんだから、何も出来ることなんてないんだよ。さ、帰りましょ」

「違うよ。木にはちゃんと心があるんだよ、言葉だってあるんだ」

「はあ?」

「あいつは僕がここに来た最初の頃、生きる気力を失ってたんだ。でも、僕が毎日語り掛け、励まし続けて、少しずつだけど元気になってきたんだ」


 目を大きく見開き、真剣な表情で語り掛ける剛介に対し、野々花はいまいち納得していないのか、呆れた顔で笑っていた。


「私には全然理解できない。というか、剛介がここに帰ってきた一番の理由は、この木じゃなくて、あの女と密会することだったんでしょ?」

「違うよ。あの子は幼馴染だよ。昨日、久し振りに再会したんだ」

「あの子と剛介、随分と親しそうね。肩と肩が触れ合うくらいの距離で座ってたしさ。会話も幼馴染同士というより、恋人同士みたいだったし」

「ちょっと野々花、いい加減にしろ!」

「何でムキになってんの?やっぱりあの子と剛介は恋人同士なんだね?」


 野々花の勘はなかなか鋭く、剛介もそれ以上は何も言い返せなかった。


「ま、もうあの子は私たちには近づけないはずよ。昨日あれだけキツく言っといたからね。アハハハハ!」


 野々花は高笑いしながら、剛介と寄り添うように駅に向かって歩き出していった。

 剛介の姿が豆粒のように小さくなるのを見届けたその時、ケビンが口を開いた。

 

『あれ?キングの枝に、何か白いものが付いてるぞ』


『本当だ。剛介が付けたのかな?』


 目を凝らして見ると、ようやく生えてきたキングの細い枝に、白い紙のような物が巻き付いていた。多分剛介が付けたのだと思うが、一体何だろうか?


 数日後、あいながキャリアケースを手にマンションから姿を見せた。青いチェックの可愛らしく清楚なワンピースをまとったあいなは、両親に見送られながら公園の中に入ってきた。


「あいな、またしばらく会えなくなるね」

「そうね。司法修習が始まるし、その前に色々手続きとかがあって忙しくなりそう。合格の余韻に浸ってる暇はないみたい」

「でも、あいなの夢だもんね。弁護士になることも、そして自分の事務所を持つことも」

「うん。でも、私の夢はなかなか叶いそうで叶わないかもしれないな」

「え?だって事務所はお父さんのものを引き継げばいい話でしょ?一番の難関は試験に受かることじゃなかったの?」

「違う。試験でも事務所でもないよ。もっと違うことなの」


 そう言うと、あいなは髪をなびかせながらキングの元へと駆け寄った。


「キング、またしばらくお別れだね。東京からずっと応援してるからね」


 あいなは地面にしゃがみ込むと、キングに目線を合わせるかのように真上に視線を向けた。


「あれ?何だろう、これ」


 あいなはキングに巻き付けられた白い物に気がついたようで、そっと手を伸ばして取り外した。あいなは白い物を手に取ると、しばらくの間じっくり目を通していた。


「どうしたのあいな。今、その木に向かって何か話してなかった?」

「うん。この木は剛介君と私にとって大事な木だから」

「そういえば剛介君、こっちに帰ってきてたよ。しばらくこの公園をウロウロしてたり、あいなみたいに木に語り掛けたりしてたよ」

「アハハハ、お母さんも見てたんだね」

「あいなは、今も剛介君と上手くいってるの?」

「……剛介君、結婚するんだって」

「ええ?ほ、本当に?」


 母親は驚いた様子であいなに顔を向けた。あいなはしばらく視線を落としていたが、やがて髪をかき分けながら語り出した。


「でも、悪いのは剛介君じゃなくて私だから。試験勉強ばかりして、剛介君のことをそんなに心配していなかった私が悪いんだ。もっと頻繁に連絡とったり、会ったりしていれば、剛介君はあの人の所に行かなかったと思うんだ。ホント詰めが甘いよね、私って」


 あいなはキャリアケースに手をかけると、母親に笑顔で手を振っていた。

 母親は、心配そうな様子であいなに手を振っていた。


「あいな……」

「私もそろそろいい歳だし、司法修習しながら婚活を始めようかな。どこかにイケメンの弁護士の先生いないかな?アハハハ」


 あいなは手を振りながら、公園の中を遠くへと歩き去っていった。


「あいな、本当にこれでいいのかな?何だか自分に言い聞かせてるみたいに聞こえるんだけど……」


 母親はそうつぶやきながら、マンションへと戻っていった。


『お母さんも私たちと同じことを思ってるんだね』


『そうみたいだね。本当にこれでいいのかしら』


 その時、どこからともなく小さくかすれたような声が僕の耳に入ってきた。


『だいじょうぶ、剛介、あいな……きっと、またここに戻ってくる』

 

 その声は、キングの立つ方向から聞こえてきた。


『え?今の声って、キング?』


 キングは苗木達の問いかけに対し、再び口を開くことは無かった。思い返すと、キングは剛介のことを兄弟のように慕い、誰よりも深く理解しているはずだ。そんなキングの言葉だからこそ、不思議なほどに説得感があった。


『今すぐに剛介とあいなの仲が元通りになるのは難しいかもしれないけど、とりあえず、信じて待とうか』


『そうだね……いつになるかはわからないけどね』


 僕が苗木達に問いかけると、苗木達も僕と同じ気持ちだった。

 紆余曲折はあるけれど、あいなの「本当の夢」が叶う時は、いつかきっとやってくる。何となくだけど、そんな予感がしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る