第120話 君より大切なもの
剛介の目の前に、腰に手を当て仁王立ちする野々花。
その表情はひきつり、何者も寄せ付けないかのようなが迫力があった。剛介はしばらくじっと野々花を見つめていたが、やがて視線を逸らすかのようにキングの方へ向きを変えた。
「ちょっと、何無視してるのよ?語りかける相手はその木じゃなく、この私でしょ?わざわざ北海道から出てきたのに、『よく来たね』とか『来てくれてありがとう』とか言わないの?」
「ああ、ごめんな」
それだけ言うと、剛介はじっとキングを見つめ続けていた。
「そんなにその木が気になるの?」
「ああ、近くで見てみろよ。こんなに傷ついて、おまけに上半分を切断されて、可哀想だもん。僕がここにいなければ、きっと心が折れてしなびてしまうよ」
剛介の言葉を聞き、野々花は口に手を当て、大笑いし始めた。
「ちょっと、頭大丈夫?剛介、元々ボーっとして変な所があったけど、毎日忙しく仕事してるうちに悪化しちゃったのかしら?あのさ、どうして私じゃなく、この木のことが心配なの?私、剛介がいない間、すごく大変な日々を過ごしてるのよ?」
剛介は野々花の方を振り向かず、じっとキングを見ていた。野々花は咳払いすると、剛介のすぐ隣にしゃがみ込んだ。
「私、ずーっと一人で寝てるのよ。でも、毎晩寂しくって寝られないの。私にとって心の安定剤は剛介なのよ。剛介と手を握ると、不思議と心が落ち着くの。私の寂しい気持ち、わかるでしょ?それに。あなたの会社からしょっちゅう電話がかかってくるんだもん。剛介にすぐ出社するよう私から説得してくれって。そのたびに私、すぐにでもこっちに戻ってくるよう説得しますからって言って謝ってるんだよ。分かる?私の苦労が」
野々花は恨めしそうに剛介の横顔を睨みつけると、まくし立てるように語りだした。
「ねえ、本当のこと言っていいのよ?私以外のオンナが出来たって」
野々花の挑発的な言葉に、さすがの剛介もこぶしを握り締め、次第に全身が震え始めた。
「だって、どう考えても話がおかしいんだもん。この木の世話をしてるってことにして、本当は私に隠れて彼女を作ってたんでしょ?その子、この町にいるんでしょ?私に会わせてくれるかな?私、ハッキリ言ってやるから。『本当に剛介を愛してるのはこの私だよ!』って。『結婚の約束もしてるんだ!』って。『これ以上私たちの邪魔をしたら、タダじゃおかないよ!』って」
剛介は立ち上がり、真下にしゃがみ込む野々花を指さしながら声を荒げた。
「いい加減にしろ!どうしてそういうふうに考えるんだ?被害妄想は野々花の悪い所だよ。今はこの僕のこと、信じてくれ。僕はこの木が元気になるまでは、ここにいるつもりだ。もう何度も電話で話しただろ?どうして信じてくれないんだよ!?」
「だ、だって。おかしいよ。どうしてその木のためにそこまで一生懸命になれるの?私には理解できない。私に何かやましいことを隠してるとしか思えない!」
まくしたてる野々花に耐えかねたのか、剛介は真正面から野々花を睨みつけた。
「な、何よ?何か言いたいことがあるの?」
「ああ。色々勘繰りたくなる気持ちはわかるけど、とりあえず、今はこの僕の言葉を信じて欲しい、それだけさ」
それだけ言うと、剛介は再び座り込み、キングの方を向いて幹を何度も手で撫でた。
野々花は呆れ顔で首をかしげると、
「分かったよ。まあ、気が済むまでとことんその木と語り合ってたら?折角休みを取ってこっちに出てきたから、ちょっとだけゆっくりしてから帰るね。というか、いつまでもそんなことしてないで、私といっしょに帰ろうね!」
と、口を尖らせながらまるで吐き捨てるように語りかけ、マンションの方向へと歩き去っていった。
どうやらしばらくの間、剛介の実家に身を寄せるつもりなんだろう。僕が言うのもなんだけど、野々花はなかなか執念深い女性のようだ。剛介を好きだという気持ちはすごく伝わってくるけれど、隆也と怜奈、あるいはシュウと芽衣のような、今まで僕が見てきたカップルと比べてどこか違和感を感じた。
翌日も、その次の日も、相変わらず剛介はキングのそばに座っていた。
その背後には、野々花の姿があった。野々花は剛介の肩にもたれかかり、一緒にキングを眺めていたりするけれど、剛介と違って途中で飽きてしまい、あくびをしながらどこかに行ってしまう。
そして、僕の背中辺りに身をひそめながら、じっと剛介の背中を見続けている。
しばらくすると、再びあくびをしながら僕の元を離れていく。
「フン、今の所オンナの影はないみたいね。でも、まだちょっと信じられないなあ」
野々花が僕の背中越しにつぶやいた言葉を聞くと、僕は徐々に背筋に寒気がしてくるのを感じた。一体どうすれば、あんな言葉を吐けるのか?今まで僕が会った女性からは想像がつかなかった。僕がこの公園のことしか知らない、世間知らずのケヤキだからかもしれないけど。
翌日、いつものように剛介が公園に現れると、キングの目の前で座り込んだ。
今日は剛介の隣に野々花の姿が無かった。まだ寝ているのだろうか?もう太陽が空高くまで昇ろうとしている時間なのに。
その時、剛介の背後からキャリアケースを引いた女性が剛介の背後から近づいてきた。
『あれ、野々花?もう帰るのかな?さすがにしびれを切らしたのかしら?』
『いや、違う。野々花はあんなにスタイル良くないし、見た目もあか抜けてないし……』
女性は黒色の長い丈のスカートの裾を風にはためかせ、肩までの髪をなびかせながら、靴の音を響かせて剛介の背中に手を触れた。
「おはよ、剛介君」
「あ、あいなちゃん?」
剛介は慌てふためいた様子で急に立ち上がった。あいなはにこやかな表情で軽く手を振った。
「あいなちゃん、どうして今頃帰ってきたの?もうお盆はすぎてるし、帰省の時期じゃないけれど」
「このお盆はずっと忙しくてね。それもやっと終わったから、家族と久しぶりにゆっくり過ごしたくて帰ってきたんだ。というか、剛介君もどうして今頃帰ってきたの?仕事は?たしか北海道で就職したって聞いたけれど」
「うん。確かに北海道で仕事してるんだけど、今はこの木のことが気になって仕方がなくてね」
そう言うと、剛介はキングの方向に目を遣った。
あいなも、剛介と同じ方向を向き、キングの変わり果てた姿を見て思わず口に手を当てた。
「かわいそう。せっかく大きくなったのに、切られちゃったんだね」
「まあね。雷が落ちて、上半分が黒こげになったんだ。かわいそうだけど……切るしか方法がなかったんだと思う」
「そうなんだ。雷に当たったんだ……」
「きっと気持ちもふさぎ込んでると思うんだ。だから僕がこうしてそばにいて、少しでも元気になれるよう言葉をかけてあげてるんだ」
剛介はキングの幹を何度も手で撫であげた。
「キング、気分はどうだい?少しは落ち着いてきたかい?」
するとキングは、いつものようにぼそぼそと小さな声でつぶやいていた。
「あいなちゃん、美人になったね、だって?何言いだすんだよ、突然」
剛介は笑いながらキングの幹を軽く叩いた。
「ええ?何で剛介はあいなちゃんと一緒にならないの?って……」
剛介はひきつった顔で、思わず言葉を止めた。剛介の口から伝えられたキングの言葉に、僕たちは一様に驚いた。あいなは両手で口を押さえながら剛介に語り掛けた。
「ねえ剛介君。今の言葉、ホントにキングの言葉なの?」
「そうだよ。今、確かにそう言ってたんだもん」
「剛介君の言葉じゃなくて?」
「う、うん、まあ、その……」
あいなから畳みかけるように寄せられた質問に、剛介の体は硬直していた。
「なあんだ、剛介君じゃないんだ。キングの言葉なんだね」
そう言うと、あいなは笑いながらキングの幹に手を触れた。
「キング、こんなにケガしてるのに、私の心配してくれてありがとう。でも、今の言葉はキングじゃなくて、剛介君の言葉だったらもっと嬉しかったかも」
そう言うとあいなは剛介の方を横目で見ながらいたずらっぽい笑顔を見せてくれた。剛介は何も言わず、ずっと口をつぐんでいた。
「早速だけど、剛介君に報告したいことがあるんだ」
あいなはキングの幹に手を触れながら、剛介に語り掛けた。
「え?な、なんだよ」
「私ね、受かったんだ。司法試験に。時間がかかったけど、やっと夢の第一歩を踏み出せたかなって感じ」
「マ、マジで?やったじゃん!子どもの頃からの夢だったもんね。ついに弁護士になれるんだね」
「そうね。これから司法修習をやって、どこかの事務所で見習い弁護士をやって、それからやっと、自分の事務所を作るって感じかな?」
「へえ、資格をとったけど、まだまだ時間はかかるんだね」
「弁護士になるだけじゃないんだもん、私の夢は……」
あいなはまだ何か言いたげな様子に見えたが、そこで言葉を止め、剛介の体に寄り添うように地面に座った。
「あいなちゃん、そんなにきれいな洋服着てるのに地面に座り込んじゃダメだよ」
「いいんだよ。私は剛介君と同じ格好で、ずっとキングを一緒に見ていたいから」
「あいなちゃん……」
「その方が寂しくないでしょ?キングも、そして剛介君も」
「まあ、そうだけど、その」
剛介は最後に言葉を濁した。あいなの前で、北海道から野々花が来ているとは言い出せなかったのだろう。その気持ちは痛い程分かるが……。
『ねえルークさん、後ろ!後ろ!』
苗木達が突然ざわめき始めた。その時、野々花が僕の真後ろから姿を現し、あいなと剛介の後ろ姿をじっと睨みつけていた。その両手は、僕が見ても分かる位震え続けていた。
「剛介……やっぱりオンナがいるんじゃないか!何が『今はこの僕の言葉を信じて欲しい』だよ。私に嘘をついて、浮気していたのね。絶対に許せない!」
野々花はゆっくりと二人の背後に近づくと、剛介の背中に手を当てた。
『嫌だ、見てられないよぉ!野々花の顔が鬼みたいで怖いよぉ』
苗木達は野々花の様子を見て、声が震え上がっていた。
やがて剛介は後ろを振り向き、両手を腰に当てて仁王立ちする野々花を見て、顔が一気に青ざめた。
「おはよう、剛介。ところでその人、誰なの?」
「あ、あの、その……」
「剛介君。どうしたの?」
あいなと野々花、二人の女性の視線を浴びながら、剛介はしばらくその場に立ち尽くしていた。
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